【日本第一党】桜井誠総合スレ8 at GIIN
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100:無党派さん
20/11/15 19:58:47.54 UkFoHEUW0.net
鬼滅が社会現象になっている中、こんな記事があった。やっぱり昔はおそろしや・・・
『鬼滅の刃』が日本人の心を揺さぶり、歴史的ヒットを続ける隠された理由
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一部抜粋
実際に「鬼」が起こした凄惨な事件は、時にマスコミで大きく報じられ、社会を震撼させていた。
たとえば、明治25年(1892年)に「赤児の黒焼を喰んとせし人鬼」(読売新聞1892年8月22日)という事件があった。
三重県のある村の寄り合いで、「肺病には人間の黒焼きが一番だ」(同紙)という噂が広まり、
それを真に受けた者たちが肺病に苦しむ仲間を助けるために、「貧しくてこれ以上育てられない」という母親から赤子を受け取って、蛮行に及んだというのだ。
そう聞くと、閉鎖された村社会の無知が引き起こした異常なカニバリズム事件のように思うかもしれないが、そうではない。
『鬼滅の刃』の鬼たちが人を食うことで、強い生命力や怪しげな術を身につけるように、この時代には人の肉を食うことで、
精気がみなぎって病が治ると信じる人たちが存在していた。そして、それが時に事件として表面化すると、「人を食う鬼」として報じられていたのである。
明治39年(1906年)には、神奈川県のある町で、肺結核を治療していた29歳の女性が、隣家の子どもの肉を食べたという事件が明らかになった。
この隣家の母親は、病で亡くなった息子の肉を、近くの線路で轢死していた人の脳味噌だと偽って、
「脳味噌は患者に特効あり」(読売新聞1906年8月25日)として、高額で29の歳女性に売りつけたという。
大正を目前に控えた明治44年(1911年)には、「人肉切売事件」が起きる。長崎県の火葬場で働く男が、
遺体を火葬せずに肉を削ぎ落として、欲しがる者に販売したというのだ。
臀部や腰の肉を三斤半(約2kg)リクエストしていた37歳の男は、「大いに喜び直ちに火葬場に至り金5圓と酒一升を謝礼」(読売新聞1911年3月23日)として持って来た。
そして、この「人食い鬼」たちの恐ろしいところは、ただ肉を喰らうだけではなく、無辜の人々の命を奪うという点だ。
明治から大正にかけて、日本では「貰い子殺し」が深刻な社会問題になった。
さまざまな事情から表沙汰にされない私生児を「代わりに育てますよ」と引き取って、養育費だけもらって殺してしまうのだ。
「50円の養育料付の養女を釜の熱湯に投げ込み煮殺す 人鬼なるかな」(読売新聞1901年7月31日)
まさしく「人食い鬼」の所業である。大正に入って関東大震災や不況があって社会が混乱すると、さらにひどさがエスカレートする。
「貰ひ児殺しの鬼夫婦 十数名の嬰児毒手にかかる」(読売新聞1924年10月16日)
茨城県の夫婦が大正9年から私生児を十数名引き取って、数ヵ月すると食事を与えずに栄養不良で殺すということを繰り返していたという事件だが、
このような金目当ての私生児大量殺人が続発するのだ。


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