【兄者侵略中】自由民 ..
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40:無党派さん
16/10/01 04:40:22.01 FfzRrBGL.net
竹下派大分裂
参院が切り崩されたことで、竹下派の勢力はどうなったのだろうか?
衆院は66人のうち小沢派は35人。 反小沢派18人。中間派が13人である。圧倒的に小沢派が優勢だ。
ところが参院竹下派47人のうち、 反小沢派に42人がついた。
これで竹下派は反小沢派60人。小沢派は40人である。一気に形勢が逆転してしまった。
この情勢を見て、衆院の中間派も反小沢派に傾斜し始めた。参院の蹶起以来、攻守が逆転してしまった。
結局、中間派13人のうち8人が反小沢陣営に、4人が小沢陣営に身を投じた。
当初小沢陣営に参加 する予定だった幹事長の綿貫民輔は無派閥になった。
反小沢派68人は小渕恵三を会長に据え小渕派の結成を早々に宣言した。
そう竹下は小沢を小渕派から完全に放逐するつもりだった。小渕派のなかにおくつもりなどなかった。
竹下は自分がかつてのボス田中角栄に反旗を翻したときのことを思い出していた。
あの時田中は、数を惜しんで竹下派(創政会)を田中派から放逐しなかった。
その結果竹下に全てを奪われてしまった。竹下は自分が田中の二の舞になることを怖れていた。
ここで小沢を追い出さなければ、今は小沢を抑えられても、いずれ竹下派を乗っ取られる可能性があった。
追い出された形の小沢は、44人を率いて会長に羽田孜を据え、羽田派を旗揚げした。
佐藤派以来竹下派までこの派閥は代替わりに際して、常に圧倒的多数をにぎる一派と少数の脱落者という構図で展開してきたのだが、
ここにきて初めて真っ二つに割れたことになる。
総理大臣の宮沢喜一はこの竹下派の一連の分裂劇を冷ややかな目で傍観していた。
大体他派閥のことだし、元来宮沢はこういう剥き出しの権力闘争を毛嫌いしていた。
ところが終わってみたら、内心嫌悪していた 金丸信が議員辞職するは、無条件で言うことを聞かなければならなかった竹下派が分裂するはで、
宮沢に とって重畳極まりない結果となった。
特に、竹下派の権力を自由自在に操り宮沢内閣の首根っこを抑えていた小沢の零落は、まこと溜飲が 下がった。
派閥というものは10人増えれば、20人分の威力を発揮する。
逆に10人減れば、20人分の力が 殺がれてしまうものである。
小沢は113人の竹下派の数の威力を以って宮沢内閣を圧していたのが、 いまや44人である。
宮沢には小沢に好意を寄せる理由などどこにもなかった。
想起されるのは屈辱だけだ。そう、総理大臣になる時の小沢面接。
宮沢は自分より20歳も若い小沢の足下に平伏した。総理になる為に、である。
宮沢はそれまで蔵相、通産相、外相、副総理と輝かしい閣僚歴を誇ってきた。
それが多寡だか 自治大臣を一年しかやったことのない小沢にひれふし、総理の座を与えてもらったのである。
プライドの 高い宮沢にとって、これ以上の屈辱はなかった。


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