習字も書道も捨てたもんじゃないよね!!!! その4
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824:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/24 00:24:34.11 .net
>>823
ほんとにそうだわ
本当に優れた作品ならばこのようにからかわれることもない
>>795の作品は良いとはいえない、それを皆わかっている
その本質に迫るのではなく、ただ失礼だからとかいう理由でそのようなことをいうのであれば、その人は書及び諸芸術には向いていない
少なくとも>>795の作品の、何が素晴らしいのか、それを説得力をもって主張していただきたい
>>795の良くないところを言えと言われたら喜んで批評しよう
825:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/24 02:53:42.57 .net
>>811
その後輩ってのが手に負えないほど出来が悪いグズの場合があるよね。
その後輩は面倒見るのをあきらめて好きにさせたら、自分の面倒が見切れずにさっさと失踪しましたよ。
>>824
良いとは言えない、ですかぁ。そんなに悪かないと思うけどねぇ
そんなら、それより良いと言える作品が例示できて当然ですわな
何を当たり前の事を言わせるんでしょうか。
口ばっかりのヤツって人を傷つける以外にできることがないんでしょ
826:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/24 03:02:45.98 .net
>書及び諸芸術には向いていない
なにが書及び諸芸術には向いていないだか
顔真卿の楷書だって収筆はチンコみたいにモッコリしてますよ
それをただただ顔真卿だからといって諸手を合わせて拝んでる分際でよく言うわ
そういうのを、動的で力感があって男性的。そう評価できたならマトモな思考回路してるけど
これまでイヤミしか言えてないのにさ。レスの内容からしても卑屈さしか見えてきませんな
827:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/24 03:41:57.49 .net
作品と手本を混同しないで欲しい。そもそも作品という概念が西洋由来なのでは。
手本はあくまで教育用だ。そこで基礎を培い、敷衍した所に独自の表現が成り立つ。
しかし表現から基礎へと遡るのは、基礎なき表現ばかり知っている人には難しい。
西脇呉石も玉木愛石も村田海石の弟子だった。海石は巻菱湖の門、萩原秋巌の弟子。
手本や教科書を軽々に「作品」と呼ぶなかれ。却って作品を誹謗する態度となる。
828:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/24 03:56:04.65 .net
>>827
古典は作品じゃないということですかね?
古典は手本用に書かれているということ?
長文書いてもらって申し訳ないですが、言いたいことが良くわからないです
弟子のくだりはどういうこと?浅学なものでわからないです
829:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/24 03:59:05.05 .net
恐れ入りました
おっしゃる通り
しかし自分はむしろ作品より手本を重んじる立場です
理由は作品よりも、後進に与える影響が直接的に強く作用するからです
自己実現、自己満足よりももっと、責任を感じる場面。
個人の充実感を重んじるか、あるいは家系家風の礎を築き守り伝えることを重んじるか
後者の立場が東洋風と思うんですけど、年がら年中プロジェクトマッピングの目まぐるしいレーザーにあてられて何が何だか。現代人ってそういう感じなんじゃないですか
830:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/24 04:01:38.54 .net
>>828
はい。かぶったから教えます
よくわからないですと言い放つまえに、じっくり考えて頂戴。
古典には手本用に書かれたものとそうでないものがある。
作品として珍重したのは書いてない人が勝手に後世にピックアップしたもの。
どちらもあるのに、どちらかに決めつけてどうするんでしょうか。
831:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/24 04:07:23.16 .net
黄庭経は手本用、蘭亭序は作品。
真草千字文は手本、争座位文稿は作品なのか?作品のつもりはないもの。
しかしその決めつけも、書き手にとっては違ったりそう違わなかったりで色々!
碑文は完全なる作品であり手本。草稿や尺牘は作品と手本の中間をいくもの。
装いの程度、よそ行きの服装がどこまで厚着なのかを自分がどう感じとるかに尽きる。
832:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/24 04:16:04.10 .net
私は古典は全て手本として書かれたものではないと思っていて、作品として批評されるべきであると思っています
また手本であっても書作品として鑑賞することは可能であると思っています
しかしここの主張を見るといよいよわからなくなってきました
その主張を否定するわけではないですが、
もっと沢山の人の意見が聞きたいです
833:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/24 05:59:14.53 .net
古碑法帖スレで臨書を上げてる習字歴2年ちょっとの珍子が
長文荒らしジジイの1人だったとはね
モジャモジャよりはマトモだと思ってたけど
やっぱり類は友を呼ぶんだな
834:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/24 13:59:32.57 .net
>>795
プレバトで書家がこれを書いたらネットで馬鹿にされて袋叩き
835:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/24 19:45:26.18 .net
十二分に作品を上げてるって言っても
ちんこが上げてるのって臨書の練習だけでしょ?
酔っ払いながら初心者が書いた臨書の練習を堂々と作品て言うのもねえ
古典の猿真似じゃなくてオリジナルを上げてたらまだ分かるけど
836:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/25 00:43:00.00 .net
古典を手本とする古来の編輯形式は法帖だが、小規模全集に近いため手が出しにくい。
一冊物の古典手本も内容は高度で、時代が違い非実用的。そこで同時代の書家が書く。
そうした目的のは子供用から一般用まで様々あり、中級者向けは実用書式が多かった。
どちらでも使える千字文は識字用に好適で、実用の細字と違って一行六字大のが多い。
つまり字が大きく細部まで観察しやすい。それを初学者は半紙六字大に拡大臨書した。
中でも明治期、特に国定教科書時代は甲種と乙種それぞれ、学校教育の規範となった。
大正時代の乙種教科書を書いたのは>>784や>>795の書家で、当時これが普通だった。
戦後は書風が活字的となり実用書式は激減。実用への応用は戦前の書風が便利となる。
一方では芸術書道が多様化し、小中学校の教育書道は指導の形骸化と画一化が進んだ。
837:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/25 01:16:08.03 .net
>>836
話のオチは?
838:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/25 01:58:28.45 .net
>>837
オチかぁ…この辺の題字で間に合わせてみるか…(乙種系、楷書に近い行書)
URLリンク(stat.ameba.jp)
839:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/25 03:46:44.50 .net
>>838
その題字は十分活字的
840:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/25 14:49:23.78 .net
人殺し沼野井二葉
新人潰し沼野井二葉
841:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/25 16:32:15.71 .net
よもや手本の収筆がチンコだチンコだとはしゃいでる小学校低学年に
マトモだのなんだのと人物批評されるハメになるとは思わんかったわい
842:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/25 18:13:14.87 .net
リアルでは後輩にバカにされ
ネットでは小学校低学年にバカにされる老害
ざまあ
843:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/25 19:06:33.29 .net
>>834
収筆がチンコじゃなかったとしても馬鹿にされて叩かれるよね
844:わたしはダリ?名無しさん?
19/06/25 19:33:19.33 .net
URLリンク(imgur.com)
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