最高(?)の童謡詩人 ..
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81:七しの子@名無しさん
14/03/15 11:53:10.19 4wM697MN.net
「甦える 童謡歌手大全集」(CD10枚組)全200曲
 ビクター WT-0305(CD10枚組)2005
東京カルチャーセンター(JDMA会員) 
 SPオリジナル盤 
   
「お山の大将」「青い目の人形」から「ひょっこりひょうたん島」まで
 本居みどり、平井英子、本田信子、平山美代子、中山梶子、河村順子、川田正子、孝子、
 古賀さと子、秋田貴美子、岩田佐智子、伴久美子、久保木幸子、田端典子、桑名貞子、井上裕子、波崎共子、近藤圭子、安田章子、安田祥子、中根庸子、松島とも子、岡田孝、小鳩くるみなど
 図書館等で、、カセットもあり

82:七しの子@名無しさん
14/03/15 14:06:15.20 4wM697MN.net
>>81
古いので現在入手は困難と想われる、図書館等で探してください。
参考までに、詳細は読売新聞広告2005,7.28参照。

83:七しの子@名無しさん
14/03/17 08:27:46.92 bn90NahC.net
URLリンク(www.amazon.co.jp)

七つの子~野口雨情作品集 (CD2枚組)
「七つの子」「赤い靴」など、数多くの童謡で知られる、詩人・野口雨情。生誕120周年を記念して、昭和初期の音源を集大成した作品集。童謡だけでなく、民謡や流行歌も収録。歌手は平井英子ほか。
·CD (2002/8/21)
·ディスク枚数: 2
·レーベル: ビクターエンタテインメント
·収録時間: 126 分
·ASIN: B00006BH1L
·EAN: 4988002434589

84:七しの子@名無しさん
14/03/17 09:00:31.34 bn90NahC.net
>>83
~SP音源の復刻で、雨情の歌詞は勿論、中山晋平や本居長世ら童謡の作り手の意図が見えてくる貴重な作品集。平井英子らも素晴らしい歌唱を聴かせてくれます。年代順ではないですが曲順はよく考えられていて、解説書の文章も適切。
ここに収められている作品は、変なシンセサイザーでアレンジされて、どっかの合唱グループが歌っているものとは全く違う童謡であり~~、ある歌詞の世界に基づいて音の背景が構築されているといえばいいのでしょうか。
それは「赤い靴」、「シャボン玉」が割と明るい調子で編曲されている事や、「雨降りお月」のヴァイオリンの引きつり、「兎のダンス」、「蛙の夜廻り」の絶妙にズレる打楽器、などなどでお気付きになるでしょう。これが表現というものだと思います。 
(Disc2についてはスペースの~~都合上割愛します。)~

85:七しの子@名無しさん
14/03/21 04:11:55.54 5EejirlV.net
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 ・・ URLリンク(jbbs.livedoor.jp)・9/storage/1123461002.html#22

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86:七しの子@名無しさん
14/04/02 20:13:32.81 wjJWb7NW.net
野口雨情の作詞の歌に「信田の藪」(しのだのやぶ)というのがある。

この歌は大阪府泉大津市と和泉市のあいだの「信太山(信田)」に古くから伝わる有名な白狐の話を元に野口雨情が「十五夜お月さん」中のこの詩に、日本的で美しいメロディの歌曲を多数作られた宮崎県出身の作曲家藤井清水(ふじいきよみ)が曲をつけたもの。

1922年(大正11年)に作られたこの名曲の初録音は1928年の藤原義江、それに1936年の佐藤千夜子が有ります。他に童謡で羽崎共子盤がある以外ない。

佐藤千夜子の叙情豊かで、一語一語大切に心をこめて歌う歌唱は、豊かな日本の叙情を歌ったこの歌曲の良さを最大限に引き出す、すばらしい歌唱でまさに絶品中の絶品といえます。これを超える歌は聞いたことが無い、ぜひ聴いてみましょう。
URLリンク(www13.big.or.jp)

信田の藪(しのだのやぶ) 1936吹込 (1922野口雨情作詞、藤井清水作曲)

佐藤は大正時代、野口&中山コンビ主宰「新民謡童謡普及運動」である「新民謡・新童謡コンサート」(「全国歌の旅」)に歌手兼講師で参加。当時「新民謡童謡普及運動」のメンバーは台湾まで出掛けています。


・ CD「七つの子~野口雨情作品集 」ビクターエンターテインメントVICG-60536
 URLリンク(www.neowing.co.jp)

87:七しの子@名無しさん
14/04/03 19:50:18.15 VyY0tWFo.net
☆野口雨情作詞、佐藤千夜子歌唱の主なレコード作品

童謡、新民謡、歌謡歌曲、新日本音楽を含めて、100曲を超えるレコード歌手第一号・佐藤千夜子歌唱のレコード作品のうち,野口雨情作詞の代表的なもの。

青い芒(すすき)1924(野口雨情作詩・中山晋平作曲)   大正13年(内外蓄音機)
鶯の夢 1928.5(野口雨情作詞、 中山晋平作曲)  ビクター50313
波浮の港 1928.5 (野口雨情作詞、 中山晋平作曲) ビクター50313
旅人の歌 1928.12 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)   ビクター50502
信田の藪  1936吹込(野口雨情作詞、藤井清水作曲1922) ビクター53876
須坂小唄 1928.8  (野口雨情作詞、中山晋平作曲)   ビクター50385
青い芒    1929.9 (野口雨情作詩, 中山晋平作曲) (再吹込)ビクター50901
鎮西小唄 1929 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)
上州小唄   1929 .5 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)
港おどり  1929.8 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)
紅屋の娘   1929,6 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)   ビクタ‐50755
船頭小唄 1932.6(野口雨情作詞、中山晋平作曲)  ビクター52393

88:七しの子@名無しさん
14/04/04 09:08:12.46 hHRzOUWh.net
雨降りお月さん(雨降りお月)1029.9(1925野口雨情作詞、中山晋平作曲)ビクター

89:七しの子@名無しさん
14/04/05 08:03:21.12 AOPDFqyt.net
雨降りお月さん(雨降りお月)1929.9(1925野口雨情作詞、中山晋平作曲)ビクター

90:七しの子@名無しさん
14/04/05 08:14:15.08 AOPDFqyt.net
佐藤は大正時代、野口&中山コンビ主宰「新民謡童謡普及運動」である「新民謡・新童謡コンサート」(「全国歌の旅」)に歌手兼講師で参加。
当時「新民謡童謡普及運動」のメンバーは台湾まで出掛けています。

この運動の中で生まれた新民謡「波浮の港」 1928.5 が、商業レコード第一号とされます。

91:七しの子@名無しさん
14/04/05 16:40:35.67 AOPDFqyt.net
信田の藪  (野口雨情作詞 藤井清水作曲)
 
 お背戸のお背戸の 赤とんぼ
 狐のお話聞かせましょう
 聞かましょう

 糸機(はた)七年 織りました
 信田の狐は 親きつね
 親きつね

 信田のお背戸の ふるさとで
 子供に こがれた 親きつね
 親きつね

 お背戸のお背戸の 赤とんぼ
 明日のお藪に 来てとまれ
 来てとまれ

92:七しの子@名無しさん
14/04/05 16:41:47.29 AOPDFqyt.net
旅人の唄 (野口雨情作詞 中山晋平作曲 佐藤千夜子歌)

 山は高いし 野はただ広し
 一人とぼとぼ 旅路の長さ

 乾く暇なく 涙は落ちて
 恋しきものは 故郷の空よ

 今日も夕陽の 落ちゆく先は
 何処の国やら 果てさえ知れず

 水の流れよ 浮き寝の鳥よ
 遠い故郷の 恋しき空よ

 明日も夕陽の 落ちゆく先は
 何処の国かよ 果てさえ知れず
 
 

93:七しの子@名無しさん
14/04/05 21:51:49.69 AOPDFqyt.net
野口雨情(1882〜1945)は、楠正成の弟・正季(まさすえ)の直系の子孫といわれる名家の生まれで光圀の「観海亭」を譲り受けた地元の人が「磯原御殿」と呼ぶ家に住んだ。
詩人では島崎藤村より一回り下の生まれ、北原白秋、三木露風、石川啄木、西條八十より一回り上だった。 

野口雨情は、放浪の詩人、土の詩人などとも言われる。野口雨情(英吉)の青春時代・明治時代は、まだ開拓と移民の歴史でもあった。
日本でも北海道開拓のために、多くの人が北海道の原野に入殖した。あの「赤い靴」の話も、厳しい寒冷地だった北海道入殖に伴う悲話といえる。雨情は北海道での生活の中で、そのことと出会う。

雨情という人は処世術とは程遠い不器用な人だった。親からの莫大な借財を背負い込んだ雨情の詩人としてのスタートは、不運と失意のくりかえしだった。
明治35年(1902)3月、文芸雑誌「小柴舟」によって詩壇に登場するが著名の域までにはいたらなかった。 同37年父の死により帰郷、家督相続、そして高塩ひろと結婚。
同38年3月、処女詩集「枯草」を自費出版した。 
父の残した借財整理の煩わしさから逃げたかったのか、同39年(1906)当時日本領であった樺太に渡ったものの事業は失敗、
帰郷後、月刊詩集「朝花夜花」の刊行も詩壇の一部で注目されただけだったが・・「七つの子」の原型が「山がらす」♪烏なぜなく 烏は山に 可愛い七つの子があれば・・としてここに載っている。

94:七しの子@名無しさん
14/04/05 21:56:46.21 AOPDFqyt.net
広大な山林田地を有し、回船問屋を営んでいたが、雨情9歳のとき、没落し、父量平は少なからぬ負債を抱えることとなった。
雨情は小学校を卒業すると上京し伯父の家から中学校に通い、ついで東京専門学校(今の早稲田大学)に入学して坪内逍遥の指導薫陶を受けた。
明治36年(1903年)には父量平が村長在職中に死亡し、雨情は郷里に帰り家督を相続して家業を守ることになったが、父の残した膨大な借財整理が肩にのしかかってきた。
そのころ日本の詩壇は新体詩の新しい時代に入りつつあり、与謝野鉄幹・島崎藤村(1872−1943)などが詩集を続々と刊行している。

雨情は借財整理に負われて、放浪する青春時代を経て世に出、そしてその後も、日本各地や、台湾、蒙古にいたるまで足跡がある。
彼の詩作活動は、土の詩人という表現は別として、深く地に根ざしたものということはできる。
大なり小なり昔の人は旅をしたが、彼ほど日本中をくまなく旅したものはいない。

しかし、昭和12年(1937年)に日中戦争が勃発すると、社会は次第に戦時色が強まり、歌謡の世界も軍歌、軍国歌謡の時代となった。
雨情は進んで軍歌の類を作ろうとしなかったのでその活躍の場も次第に狭まることになったが、それでも雨情の雅致雄渾の書を愛する人が多かったので、揮毫のため各地を旅行するようになり、求められてはその地の民謡新作もした。

昭和18年(1943年)、それまで全国を駆け歩いていた雨情は突然軽い脳出血に冒され、それ以後、山陰と四国への揮毫旅行を最後として、療養に専念することになった。
そのうち空襲が激しくなったので宇都宮近郊に疎開したが、昭和20年1月6日・・(丁度ラジオからは「お山の杉の子」などが流れてたであろうころ)・・家族に見守られながら静かにこの世を去った。

雨情没後7年目の昭和27年(1952年)に、中山晋平、時雨音羽などが中心となって東京に「雨情会」が創設された。初代会長は中山晋平だったが、晋平も昭和27年に亡くなっている。

95:七しの子@名無しさん
14/04/10 08:49:30.53 enCCZH10.net
新民謡「波浮の港」は1923年に野口雨情が発表した詞に、中山晋平が作曲した歌曲 です。 レコードは1928年(昭和3年)5月に「佐藤千夜子」が日本ビクターから、2ヶ月後の7月に「藤原義江」が米国ビクターから発売しています。
日本における商業レコード第一号とされる。


波浮の港
【作詞】野口 雨情
【作曲】中山 晋平

磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る
波浮の港にゃ 夕焼け小焼け
明日の日和は
ヤレホンニサ 凪るやら

船もせかれりゃ 出船の仕度
島の娘たちゃ 御神火ぐらし
なじょな心で
ヤレホンニサ いるのやら

島で暮らすにゃ 乏しゅうてならぬ
伊豆の伊東とは 郵便だより
下田港とは
ヤレホンニサ 風だより

風は潮風 御神火おろし
島の娘たちゃ 出船の時にゃ
船のとも綱
ヤレホンニサ 泣いて解く

96:七しの子@名無しさん
15/04/03 17:32:08.79 ILpGxNUy.net
かねこみすずには勝てない

97:七しの子@名無しさん
16/02/15 02:50:34.32 .net
組んだ作曲家の力だな

98:七しの子@名無しさん
17/03/13 01:04:27.25 C9BoEJxo.net
保守

99:七しの子@名無しさん
17/08/26 04:45:53.38 PV/X6bGy.net
うさぎのダンス〜

100:七しの子@名無しさん
18/01/22 16:03:56.10 .net
☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。現在、
衆議員と参議院の両院で、改憲議員が3分の2を超えております。
『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。国会の発議は
すでに可能です。平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆

101:七しの子@名無しさん
18/03/23 20:18:37.90 KqVCBBf5.net
ふーん

102:七しの子@名無しさん
18/04/28 18:53:48.25 JhLx3mcJ.net
僕の知り合いの知り合いができた簡単確実稼げる秘密の方法
参考までに書いておきます
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
M1ZAT

103:七しの子@名無しさん
18/06/28 09:07:32.39 k7LSviLQ.net
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