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110:出土地不明
15/06/27 11:43:19.51 RfJH7Az5.net
鎌倉期の最大級道路遺構 境塚遺跡で発掘 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)

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宴会などで使われたとみられる皿が大量に出土した井戸の跡(25日、阿賀野市の境塚遺跡で)

 阿賀野市百津ももづ境塚の境塚遺跡で、鎌倉時代の幹線道路と、道路に沿った町の跡が見つかった。遺跡南側には阿賀野川のかつての河道「百津潟」の跡があり、県埋蔵文化財調査事業団は
「陸上交通と、阿賀野川の舟運を生かした河川交通との結節点にできていた町ではないか」とみている。27日に現地説明会を行う。
 境塚遺跡は2008年に見つかり、今回の調査は国道49号バイパスの着工を前に建設予定地で行われた。
 幹線道路跡は幅6メートル。どことどこを結んでいたのかははっきりしないが、JR羽越線に並行する形で南西側から北東側に約380メートルにわたって確認できた。同事業団は「当時としては
県内最大級」としている。
 町は道路の東西400メートルにわたって広がっており、掘立柱の穴や井戸、堀、周囲を溝で囲った宗教施設とみられる遺構などが見つかった。井戸からは直径6〜12センチの皿の土器が大量に
出てきた。宴会や儀礼などで使われたとみられ、有力者の存在が裏付けられる。
 いずれも、鎌倉時代の13世紀後半から室町時代の14世紀後半にかけてのものとみられる。鎌倉時代、周辺は「大見氏」が地頭じとうとして入っており、大見氏による開発が考えられるという。
 同事業団の荒川隆史専門調査員は「町は流通エリアやお屋敷のエリアなどがあり、様々な機能を持っていた。道ができて町が造られたのでは」と話す。
 27日の説明会は午前10時から正午までと、午後1時半から同3時までの2回。雨天でも開催する。


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