大久保利通の手紙見つかる 薩摩藩英国留学生の遺品 幕末の動乱伝える資料【鹿児島】 [少考さん★] at NEWSPLUS
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1:少考さん ★
22/01/03 09:35:58.10 mG3AQmNc9.net
※南日本新聞
大久保利通の手紙見つかる 薩摩藩英国留学生の遺品 幕末の動乱伝える資料
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2022/01/03 08:46
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「1年でも早く国の役に立って」−。大久保利通(1830〜78年)が幕末に薩藩英国留学生へ送った手紙がその一人、町田久成(1838〜97年)の遺品から見つかった。留学生への期待や、倒幕へ向かう国内の動きを伝えている。
 手紙は66(慶応2)年8月4日付。留学生の監督役だった町田と、同行した視察員、新納久脩(ひさのぶ)を指す「良太郎」「鋭之助」宛てだった。町田が晩年に僧となった、大津市の園城寺(おんじょうじ)=三井寺=が所蔵しており12月、専門家が確認した。
 留学生は前年の65(元治2)年、薩摩藩が西欧の先進技術を取り入れるために15人を派遣。一方の大久保は島津久光の側近として京都などで活動していた。
 大久保は留学生をねぎらいつつ「一年ニ而も早ク御帰国充分之御国用ニ相立候様、呉々乍不及奉願候(1年でも早く帰国し、十分国の役に立つよう願っております)」と激励した。
 半年ほど前に薩摩と同盟を結んだ、長州の情勢も報告。藩内の結束は強く「幕府でも(長州を)征伐するのは難しい」と記す。
 遺品には久光の側近、蓑田伝兵衛(1812〜70年)が同月2日付で出した手紙も。人心は幕府から離れており「天下は瓦解(がかい)するほかない」と動乱が起きる兆しを伝えている。
(略)
※省略していますので全文はソース元を参照して下さい。


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