【歴史】「疫病の流行は政治が悪いから」 感染症に苦しめられた日本人の古代史 稲作とともに侵入した感染症、縄文人を苦しめる at NEWSPLUS
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1:樽悶 ★
20/03/20 23:10:44 oGMm1wi+9.net
新型コロナウイルス禍が日本全体に大きな影響を及ぼし、世界各国でも感染者を急増させ、感染症の恐ろしさを示している。

医学の視点から、日本人の体質を踏まえた予防医療を考え続ける、医師で著述家の奥田昌子氏は著書『日本人の病気と食の歴史』にて、感染症に苦しめられる歴史はすでに縄文時代からあったことを示している。

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■稲作とともに日本に侵入した感染症

大陸からもたらされたのは良いことばかりではありませんでした。それまで日本列島になかった病気が入ってきたのです。

その代表が結核で、縄文時代には存在せず、弥生時代に稲作とともに日本に侵入したとされています。

進行すると背骨に感染が広がって骨の変形が起きるため、発掘された骨を見て結核にかかっていたとわかることがあります。日本で確認されたなかでもっとも古いのは、弥生時代後期にあたる約2000年前の遺跡から出土した骨です。

最近の研究で、大陸の長江流域にある約5000年前の遺跡から、結核に感染したあとのある東アジア最古の骨が発見されました。

日本だけでなく朝鮮半島やベトナムでも、稲作が伝わった時期に結核が侵入したと考えられており、この遺跡の周辺から稲作と結核が一緒に広がっていった可能性が指摘されています。

続く古墳時代の遺跡からは同様の骨が多数見つかっており、弥生時代に伝わった結核が、この時期までに日本に根づいたと考えられます。

古墳時代にあたる3世紀から7世紀にかけて東アジアは気温が低く、雨の多い気候が続いたようです。このことも結核の蔓延に手を貸したかもしれません。

■アメリカ人の5倍!? 結核を発症しやすいと言われる日本人

日本人は同じように結核菌と接触しても、他の人種より結核を発症しやすい遺伝子を持つ人が多いと考えられています。

医学が進んだ現代でも、日本は結核の発症率がアメリカの5倍高く、毎年約1万8,000人があらたに結核と診断され、約1,900人が命を落としています。弥生時代のある日、日本に入ってきた結核菌が、今も私たちを脅かしているのです。

稲作の普及にともなう、もう一つの問題は、水田を作るのに適した湿地の周辺に人々が移住したことで起こりました。水田や湿地に住む小魚、貝、蚊などを介して寄生虫に感染しやすくなったのです。

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■疫病の蔓延は「政治が間違っているから?」

712年に成立した『古事記』、720年成立の『日本書紀』のいずれにも、古墳時代には伝染病がたびたび流行して多くの人が亡くなったという記述があります。ただ、流行病を意味する疫病としか記載されておらず、具体的な病名はわかりません。

古墳時代には大陸から医師が来日し、天皇など身分の高い人の治療にあたっていました。しかし病気の原因も治療法も不明なため、素朴な薬草治療を行うのが精一杯だったようです。

代わりに重視されたのが加持祈祷でした。病気は神仏のたたりで、とくに全国レベルの疫病は政治が間違っているせいだと信じられ、たびたび大規模な祈祷が行われました。この考えかたは室町時代まで続きます。

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■天然痘が引き起こした内乱

6世紀後半、聖徳太子の祖父にあたる欽明天皇の時代に、大陸から百済をへて日本に仏教が伝来しました。それからまもなく、瘡(かさ)、現代でいう天然痘の記述が『日本書紀』に登場します。

僧をはじめとする仏教関係者が多数来日するなかで、天然痘ウイルスが持ち込まれたと考えられます。

天然痘は急激な発熱や頭痛、関節痛で始まる感染症で、数日たつと発疹があらわれます。発疹は水ぶくれになって膿がたまり、やがて、かさぶたに変わることから「かさ」と呼ばれたのでしょう。死亡率が20〜50パーセントにのぼる危険な病気で、回復しても発疹のあとが「あばた」として残りました。

『日本書紀』によると、瘡にかかった人が国中にあふれ、「身を焼かれ、打ち砕かれるようだ」と言い、泣きながら死んでいったというのですから、まさにこの世の地獄です。(続きはソース)

3/17(火) 11:51配信
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