【国際】韓国政府からニセモノ扱い…裁判を戦い抜いたある華僑国籍の脱北者 at NEWSPLUS
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1:次郎丸 ★
20/01/06 16:21:13.57 0oGYoDJo9.net
※統一まで20年
韓国政府からニセモノ扱い…裁判を戦い抜いたある脱北者 (1/2ページ)
2020.1.6
URLリンク(www.zakzak.co.jp)
 北朝鮮を出て中国に入り、ベトナム、ラオス、タイなどを経由して韓国入りする。これが近年、多くの脱北者が辿るルートだ。韓国到着後は、国家情報院の北韓離脱住民保護センター(旧政府合同尋問センター)で取り調べを受け、統一省のハナ院で3ヶ月間、韓国生活についての教育を受ける。その後、ようやく社会に出られる。

 しかし、その過程で問題が生じることもある。最も有名なのは、映画「スパイネーション/自白」でも描かれたスパイ捏造事件だろう。スパイとされたユ・ウソンさんの妹、ユ・ガリョさんは、合同尋問センターで約半年にわたり拷問に近い取り調べを受け、兄がスパイだと虚偽の陳述をしてしまったことから、スパイ事件がでっち上げられた。このときに問題になったのは、ユさんきょうだいが北朝鮮国籍者ではなく、中国国籍を持ち北朝鮮で生まれ育った華僑だった点だ。
 国籍が悲劇を引き起こした事例は、他にも数多く存在する。以前、デイリーNKジャパンで報じたパク・テヒョンさんもその一人だ。大法院(最高裁判所)は昨年12月24日、検察の上告を棄却し、無罪を確定させた。
 パクさんにかけられた容疑は、中国国籍者なのに脱北者を装い脱北者支援金を受け取っていたという北韓離脱住民保護法違反だ。韓国のハンギョレ新聞が、パクさんの生い立ちと、その後の苦難について報じている。

 パクさんは1960年、北朝鮮国籍の父親と中国国籍の朝鮮族の母親との間で北朝鮮で生まれたが、生後すぐに母とともに中国に移住した。北朝鮮政府が、自国に住む華僑に中国国籍の放棄と帰化を求めるキャンペーンを始めるなど、中朝関係が悪化し始めたころだ。
 ところが、15歳になった1975年、パクさんは父親に呼ばれて北朝鮮に戻った。中国が文化大革命で大混乱に陥っていたころだ。それ以降、北朝鮮の公民証を受け取って北朝鮮国民として生きてきた。
 このように、東アジアの近現代史が生み出した国籍、民族、居住国が一致しない人は数多く存在する。19世紀末に咸鏡北道(ハムギョンブクト)から多くの朝鮮人が現在の中国吉林省に、1920年代以降は平安道(ピョンアンド)や慶尚道(キョンサンド)から現在の遼寧省、黒龍江省に多くの朝鮮人が移住した。1945年の日本の敗戦で多くが朝鮮に戻ったが、残った人々に対して中国政府は1952年に中国国籍を与えた。こうした人々が、現在200万人以上いる中国朝鮮族の多くを占めている。また、日本の植民地時代に主に中国山東省から朝鮮半島に移住した漢民族、つまり華僑も数万人いる。

以下省略


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