【京アニ】犠牲になった天才アニメーターの人生と、残された絵本に宿る思い 「ハリー・ポッター」の話を先取りした絵本を製作 at NEWSPLUS
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1:樽悶 ★
19/10/11 19:04:51.89 WfJZY3fQ9.net
東京デザイナー学院時代の木上さん('78年)。ほどなくしてシンエイ動画に就職した
URLリンク(amd.c.yimg.jp)
「木上さんの遺伝子を受け継いだ若い人たちはもちろん、木上さんのような天才アニメーターが亡くなるなんて、日本どころか世界のアニメ界の損失ですよ。可愛がってもらった僕としては、……地獄でした」
 そう声を詰まらせたのは、フリーの原画家の奈須川充さん(60)。『らき☆すた』、『けいおん!』や『涼宮ハルヒの憂鬱』のヒットで知られる「京都アニメーション」の取締役だった木上益治(きがみ・よしじ)さん(享年61)のかつての後輩だ。
 7月18日、京アニのスタジオにガソリンをまき放火し、36人の犠牲者を出した青葉真司容疑者(41)は、自身も大ヤケドを負い入院中。
 その後、意識は回復して話すトレーニングなどを受けているが、3か月がたとうとしている現在、退院や逮捕の見込みはないという。
 そんな前代未聞の事件のなかで、とりわけ、その死を惜しまれていたひとりが最年長の木上さん─。
 一般的には知られていなかった木上さんだが、実はスタジオジブリの宮崎駿監督や故・高畑勲監督に比肩するほどの天才アニメーターで、その死を悲しむ関係者は多い。
『怪物くん』『ドラえもん』『AKIRA』など、アニメファンではなくても、その名を知る作品に数多く携わってきた。
■専門学校を1年で中退し「シンエイ動画」へ
※省略
■アニメの悪口を聞くと、酒をかける
※省略
■画の線がきれいで迷いがない
※省略
■『ハリー・ポッター』の話を先取りした絵本を製作
 そんなあにまる屋での生活が続いてた'87年、初代の社長が49歳の若さで肝硬変のため亡くなった。
 会社が生命保険に入っていたため、600万円を遺族に渡したが「会社でお使いください」と受け取らなかったので、それを元手に絵本を製作したという。
『小さなジャムとゴブリンのオップ』というタイトルで、会社が目指す方向性を絵本に取り入れたもので、木上さんが絵、物語などすべてを担当。関係者だけに配布する1000部限定の出版だった─。
「実はこれ以外にも台本は5本あって、子どもの魔法使いが、おじいさんの魔法使いから魔法を教わるような話です。あの『ハリー・ポッター』の話を、先取りしていた内容だったんです」(前出・本多さん)
 ただし、そこには木上さんの名前は出ていない。
「彼はペンネームをたくさん持っています。ゲームの『ドラゴンクエスト』のネタ本となった『ドラゴンギア』(エニックス出版・当時)という書籍の表紙絵を描いているんですが、名前は“さとうとしお”。砂糖と塩をもじったものです。
 おちゃめなところもあるんですが、とにかく実名を出したがらない、珍しいタイプなんですよ」(同)
 初代社長の死が転機となったのかもしれない。3年後、あにまるの社長に就いていた本多さんに辞表を提出する。
「当時、彼は独身で妹さんは結婚して実家を出られていたので、実家はお母さんひとり。
 お母さん思いだったので、“大阪に戻って母親の面倒をみます”ということでの退社でしたね。あれだけの腕前だったので、どこでも通じるという自信もあったんだと思いますけどね」(本多さん)
■京アニへ入社し、発展に貢献
 その後、すでに設立されていた京アニへ入社。同社が以降、大きく発展したのは木上さんの功績が大きいことは誰もが口をそろえる。前出の田村さんが最後に木上さんと会ったのは関西へ仕事で行った2013年のこと。(続きはソース)
10/10(木) 21:00配信
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)


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