【北海道】野付半島に会津藩の隊旗 北辺警備の歴史示す 「和人はアイヌと対立したが、会津藩士は一緒にサケ漁を開発するなど協力した」 at NEWSPLUS
[2ch|▼Menu]
1:樽悶 ★
19/08/17 17:30:02.00 FzQj35qb9.net
会津藩の陣幕と隊旗がはためくなか、北辺警備藩士の墓前で開かれた供養祭=13日、北海道標津町の野付半島
URLリンク(www.asahicom.jp)
北辺を警備した会津藩士の墓前ではためく隊旗=13日、北海道標津町の野付半島
URLリンク(www.asahicom.jp)
 花々や野鳥の自然豊かな野付半島を走るフラワーロード沿いで、「會」の字をあしらった旗が訪れる人の目を引いている。幕末の蝦夷地でこの地域の警備を担い、北海道標津町に陣屋を置いた会津藩の隊旗だ。
 隊旗は、陣屋に勤務中の文久3年(1863年)に亡くなり、野付半島に葬られた会津藩士ら3人の墓2基のありかを示す。標津町歴史文化研究会(中村憲二会長)が、夏の観光シーズンの間立てている。13日には、さらに墓を藩の陣幕でおおい、藩士をしのぶ盆恒例の供養祭も開かれた。
 墓には会津藩の陣屋の歴史を記す同研究会のちらしも置かれ、隊旗を立てるようになって年間2千部ほどが持ち帰られているという。「蝦夷地で和人とアイヌはしばしば対立したが、会津藩士はアイヌに教育をほどこし、一緒にサケ漁を開発するなど協力した。墓を訪れ、そうした歴史をぜひ知ってほしい」と、中村会長は話している。(大野正美)
朝日新聞デジタル 2019年8月16日03時00分
URLリンク(www.asahi.com)


レスを読む
最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

1739日前に更新/28 KB
担当:undef