「主権はまさに"国民"ではなく"国家"にあるのです」で有名な伊勢崎市議の伊藤議員「日本国憲法自体が非合法」★3 at NEWSPLUS
[2ch|▼Menu]
486:名無しさん@1周年
18/08/19 16:29:00.67 F1XTj5H10.net
国家ついては、かつて支配者の所有する財産であると考える「家産国家説」が存在した。
しかしながら、土地と人民を国家として支配者と対立させる見方は、国家の構成要素から
みて妥当でなく、国家を権利の客体とする見解は、現在では支持されていない。
これに対し、国家は、法的にみて統治権の主体となるという見解があり、この見解では、国家は、
自らの目的を持ち、目的を遂行する意思力を備え、権利義務の主体であると考える。これは、
法律上の法人概念を国家に適用するもので、「国家法人説」に基礎を置くものである。
また、国家を権利の客体あるいは主体として捉えるのではなく、治者と被治者の法律関係と
考える見解がある。これは、イギリスで発展した考え方であり、日本においては、国家法人説が
国体に反するとされた後に、天皇を統治権の主体として説明するために用いられた。
なお、理論的なものとして純粋法学の立場から国家を法秩序そのものであるとする見解がある。
以上のうちの国家法人説にたって、国家を組織化された団体であると考えた場合には、
「領土」、「国民」、「統治権」の三つが法学的にみた国家の不可欠な構成要素となる。
ところで、主権という言葉は、色々な意味に使われる。
(1) 統治権(国権)と同義に用いられる場合
(2) 国権の属性としての最高独立性の意味で用いられる場合(いわゆる対外的主権)
(3) 国家の統治活動のあり方を最終的に決定する力ないし権威
上記(1)と(2)の意味における主権が国家にあることについては当然である。
上記(3)の意味における主権についても、法人である国家に主権があるとする見解が存在する。
すなわち、国家自体が意思力を持ち、本来の主権はその意思力の最高性を示す観念として把握し、
国家の統治のあり方を最終的に決めるのは人格としての国家であるとする見解(国家主権説)である。
この見解によると、君主主権か国民主権かの問題は、国家意思を供給する国家機関の組織の
あり方の問題となる。
また、日本国憲法は国民主権に立脚するが、その国民主権の意味ないし内容については
必ずしも一義的に捉えきれないところがあり、実際様々な見解が存在する(最高機関意思説、
憲法制定権力説、ノモスの主権説、人民主権説など)。


次ページ
最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

2354日前に更新/328 KB
担当:undef