【京都/話題】ゼロ戦「我敵艦に必中突入中」打電後、米駆逐艦ヘイゼルウッドが大破炎上 米の映像で特攻の最期特定 京都の慰霊祭で上映 at NEWSPLUS
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1:しじみ ★
18/05/27 21:24:49.38 CAP_USER9.net
鹿児島県の鹿屋基地から零式艦上戦闘機(ゼロ戦)で出撃した特攻隊員の西口徳次中尉=当時(23)=が
1945年4月、沖縄近海で米軍の駆逐艦ヘイゼルウッドに突入した直後に同艦が大破、
炎上している状況を記録した約2分半の映像が見つかった。27日、京都市内で開かれた慰霊祭で上映され、
遺族らが73年を経て最期の様子を目にした。
 西口中尉の妹前田かよ子さん(80)=兵庫県芦屋市=は
「まさか今になって見られるとは。見つけてくださりありがたい」と見入った。
 遺族から依頼を受けた大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」が、
米国立公文書館で映像と関連資料を発見。遺族が持っていた旧海軍の出撃に関する記録と照合し、一致した。
調査した同塾の織田祐輔さん(31)は
「旧日本軍の記録は処分されたものも多く、日米双方の記録から特攻隊員の最期を特定できた珍しい事例だ」としている。
 映像はモノクロで、救難するため駆け付けた米艦船から従軍カメラマンが撮影したとみられる。
攻撃を受けたヘイゼルウッドが煙と炎を上げ漂流する様子や、消火活動に当たる場面を記録。
艦橋部分は大破し、甲板上で走り回る乗組員の姿も捉えていた。西口中尉のゼロ戦の残骸は確認できなかった。
ヘイゼルウッドの戦闘報告書によると、45年4月29日午後5時30分、敵戦闘機が接近し、
機銃掃射しながら同艦に命中した。搭載された爆弾が爆発し、火災が発生。
少なくとも艦長を含む46人が死亡した。
 一方、遺族が鹿屋航空基地史料館から入手した記録では、西口中尉は同日午後2時42分に発進。
同5時34分に「我敵艦に必中突入中」と打電し、消息が途絶えた。
記録された時刻がほぼ一致している上、西口中尉が機銃掃射が可能だった機体に搭乗していたことが、
特定の決め手となった。
 西口中尉は大阪市出身で、43年9月に13期海軍飛行予備学生。
神雷特攻隊第9建武隊として出撃、戦死し少佐となった。
■「どんな気持ちやったろか」兄の最期に思い
 これまで知っていたのは、兄が沖縄近海で特攻を試みたという事実のみ。
3人の妹は、西口徳次中尉の特攻で炎を上げる米艦船の映像を固唾をのんで見守った。
「ぶつかったとき、どんな気持ちやったろか」。兄の最期に思いをはせ、涙があふれ出た。
9人きょうだいの長男だった西口中尉は、勉強熱心できちょうめんな青年だった。
親に内緒で海軍に志願し「僕が死んでも、良くやったと褒めてください」と家を出た。
帰ってきたのは、名前の書かれた紙が入った箱だけだった。
 幼かった一番下の妹杉山智恵子さん(75)=大阪府寝屋川市=は、兄の記憶がほとんどない。
ただ、亡くなった母が「厳しく育てすぎた。かわいそうなことをした」と泣いていたのが、忘れられなかった。
 兄のことを知りたいと考え、数年前、厚生労働省や鹿屋航空基地史料館に問い合わせ、
特攻時に打ったモールス信号の記録などが見つかった。
今回、米側の資料と結び付き、突入した艦の映像が特定できた。
 強くハンカチを握りしめながら映像を見た三女西口さよ子さん(78)=同=は
「いつも兄を思い出して『負けたらあかん』と自分を奮い立たせていた。最期が見られて良かった」としみじみと話した。
画像:戦闘機と共に写る西口徳次さん
URLリンク(www.sankei.com)
産経ニュース
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