吉井和哉part148 ..
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9:追悼文その2
09/06/07 21:12:11 3Hxbn4180

野生の証明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず
握手をして抱き合った。『おつかれ、ありがとう、、』と言って、2人で泣いた。
既にレコード会社移籍が決まっていた。
コロンビアを移籍する時、『うちの事務所に来ないか?』と誘った。
しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。
『親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ』と、
半分冗談、半分殺気ある表情で言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。
彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集まってもらい、
自分は『もうやめたい』と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。レコーディングエンジニアの
山口州治さんからだった。
過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。宮崎の野口記念館で
アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する
新人アーティストだった。
彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。
その時、ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。
嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは『とりあえず活動休止ということにして、
少し休もう。』ということになり、終わった。
彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかもしれない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すと
みんな『JAMは最高ですよ』って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉  」


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