【貧困】63歳独身男性を苦しめる腰痛と貧困〜定職には付けず週末の日雇いで糊口を凌ぐ at BIZPLUS
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1:海江田三郎 ★
17/03/24 09:40:47.88 CAP_USER.net
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(一部抜粋)
バブル景気で仕事はいくらでもあった
「いくらでも仕事があった」時代の潮目が変わったと実感したのは、2000年ごろ。長年、倉庫整理のアルバイトをしていた会社をリストラされたのだ。
気がつけば年齢は40代半ばを超えていた。以降は望んでも正規雇用の仕事は見つからず、さまざまなパートやアルバイトの掛け持ちに加え、
複数の派遣会社に登録して日雇い労働をこなした。
勤め先には派遣会社のほか、場外馬券場の警備員や公園の巡回監視員、郵便局でのアルバイト、
斎場の駐車場などがあり、つねにダブルワーク、トリプルワークの状態だったことがわかる。手取りに当たる毎月の「支給額」は合計でおおむね
十数万円にはなったが、日雇い労働しかない月などは「勤務日数」がわずか「3日」「4日」で、手取りが3万円を切ることもあった。
家賃の安いアパートに移り、夏場の暑さは扇風機でしのぎ、冬場は石油ストーブで沸かした鍋の湯で身体を拭いて風呂代わりにするなどして
電気代や水道代を節約したが、生活はカツカツ。将来への不安が募る中、ある運送会社の倉庫で、重さ50キロ近い商品のバスタブ
を持ち上げた瞬間、腰に痛みが走った。いわゆるぎっくり腰である。すぐに病院には行ったものの、クビが心配で会社にはしばらく報告することができず、
週末に入れていた別会社の警備員の仕事もだましだまし続けたという。

腰痛は完治せず、ここ5年ほどは生活保護を受けながら、週末だけ各地の住宅展示場で案内看板を掲げる仕事をしている。
保護費と週末のアルバイト代を合わせて毎月手にできるのは11万円ほど。ぜいたくはできないが、「毎日、温かいシャワーを浴びられるようになった。ぜいたくなことです」

「若い頃に住んでいたボロアパートの隣人で、私よりも稼ぎの少ない男の人でも結婚して子どもを育てている人はいました。
あの頃、いくら貧乏でかっこ悪くても、今、彼らには(老後の)面倒をみてくれる子どもがいる。子孫を残してる。
世間的に見ても普通。結局は彼らのほうが“勝ち組”だったんだと、この年になってようやくわかりました」
子どもが老後の面倒を見てくれるとはかぎらないし、家族のあり方を勝ち負けで評価することには違和感もあるが、
それでも、取り返しのつかない過去を、ただ振り返ることしかできないやるせなさは、少しわかる気がした。
それにしても、タイゾウさんが「まとまったおカネ」を得られず、結婚できなかったのは本当に自己責任なのか。
何度かあった正社員になれるチャンスを棒に振ったのは事実だが、彼は決して怠け者ではない。途切れることなく働き続け、
特に40歳代半ば以降は複数の仕事を掛け持ちして生きてきた。
タイゾウさんが見せてくれた「年金加入履歴」からは、むしろ「雇用の質の劣化」がうかがえる。1990年代初めまでは転職先ごとに
「厚生年金」に加入していたことがわかるが、バブル景気崩壊以後は、国民年金加入を示す「第一号被保険者」という記載だけになるのだ。
当時は非正規雇用とはいえ、勤務時間は正社員並みであるなど厚生年金の加入条件を満たしていた職場もあった。にもかかわらず、
厚生年金への加入履歴がないのは、タイゾウさんの勤務先が保険料負担を避けるため、非正規労働者を厚生年金に加入させなかった可能性が高い。
その後は、短時間の仕事を掛け持ちせざるをえなくなり、厚生年金どころではなくなるのだが、月によっては合わせて30日近く働いたり、
身体に負担のかかる夜勤続きだったりもした。にもかかわらず、ボーナスや住宅手当といった福利厚生はゼロ。タイゾウさんが腰を痛めたのは
、こうした無理がたたったせいかもしれないのに、会社側は当初、労災を認めようとしなかった。
国や経済界は非正規労働の増加を「働き方の多様化」だという。しかし、そこまでして非正規労働を増やしたいなら、
タイゾウさんが出合ったような社会保険料の負担を逃れたり、労災隠しをしたりするような企業は野放しにするべきではない。
そもそも、掛け持ちしなければ生活できないような働き方が「多様化」と言えるのか。
社会や会社から絞り尽くされたようにもみえるタイゾウさんだが、本人は「年金のことも、労災のことも私に知識がなかったんです」と
言って身を縮める。彼は自身を「見栄っ張り」と分析するが、私には超がつくほど「まじめ」にも見えた。


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