【化学】オウム「中川 ..
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2:野良ハムスター ★
18/07/12 10:23:45.68 CAP_USER.net
15回に及んだ面会 
トゥ教授と中川元死刑囚との間には因縁とも言える関係がある。
1994年9月、トゥ教授は前出の『現代化学』に、サリンやVXガスなどの化学兵器に関する論文を寄稿した。それに注目したのが、当時、化学兵器開発を画策していた教団幹部だった。論文の内容は悪用を恐れてかなり簡略化されていたが、土谷正実元死刑囚に中川元死刑囚らも協力し、論文を参考にして原材料を集め、VXガスを作成したとされる。
その後、日本の警察が山梨県旧上九一色村にあった教団の施設からサリンを検出する際、その検出方法についてトゥ教授が警察に伝授し、成功した経緯がある。警察が検出に成功していなければ、さらなる大規模なテロが行われていた可能性がある。
中川元死刑囚とのやり取りが始まったのは、死刑確定前のこと。彼は元医師で、坂本堤弁護士一家殺害事件の主犯格の1人だったのに加え、サリンやVXガスの製造や保管にも関わり、死刑判決を受けた。死刑囚は、判決が確定してしまうと新しい相手と面会や文通ができなくなる。トゥ教授が死刑確定の直前に中川元死刑囚へ手紙を送ると、教授の論文を読んでいた中川元死刑囚からすぐに返事があり、2人の交流が始まった。
トゥ教授によれば、2人の面会は中川元死刑囚が収監されていた東京拘置所を中心に15回に及んだという。最初は1度きりのつもりで会ったが、死刑執行が長引き、また、中川元死刑囚がトゥ教授との面会を心待ちにするようになったことも、面会回数が重ねられていった理由だった。
毎回の面会時間は30分。2人の会話はいつも、トゥ教授がサリンやVXガスの製造について中川元死刑囚に質問し、彼が答える形になっていた。
■面会から汲み取ったオウム事件の教訓
トゥ教授は、中川元死刑囚の人柄についてこう語る。
「朗らかな人で、彼に会った人の多くは良い人だと言いますね。頭脳は抜群です。私の質問への答えも整然としていて、要点を得ていました。毒物の知識はもともとは大したことがないのですが、頭が良いのですぐに覚えたようです」
オウム真理教とその犯罪に対して、中川元死刑囚がどう考えていたのか。それは、対話を重ねたトゥ教授にも十分に掴みきれないものだった。公判などでは教団トップだった麻原彰晃(本名:松本智津夫)元死刑囚を批判し、面会でも彼のことを「麻原」と呼び捨てにすることがあったが、トゥ教授に対してかつての教祖を厳しく批判することはなかった。
「彼はよく、事件を起こしたことを反省し、悪いことをしたと話していましたが、どこまで本心からの言葉なのか、私には判断ができません。ただ、麻原に対してはまだ畏敬の念を持っているように思いました」
専門家でもない集団が、猛毒のサリンやVXガスを製造することに成功し、大きな被害を生み出したオウム事件。中川元死刑囚との面会を通して、その教訓をくみ取るべきだと、トゥ教授は言う。
「生物化学兵器は、戦争時のみならず、平時に民間に対しても使われるという認識が大事だと思います。一見、無害な宗教団体でも、こういうテロを起こす可能性があるということを我々は学びました。誰がいつテロを起こすか知ることはできませんが、平生より対応の準備をするべきです」
死刑囚との15回に及んだ異例とも言える面会での聞き取り内容をまとめた本が7月26日、KADOKAWAから緊急出版される。本の内容そのものは早い段階で完成していたが、死刑執行までは公表しないことが中川死刑囚の希望だった。タイトルは『サリン事件死刑囚 中川智正との対話』。本の売り上げにあたる印税の20%は、中川死刑囚の遺族に渡されることになっている。


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