他板に投稿された、興 ..
[2ch|▼Menu]
89:名無しさん@お腹いっぱい。
19/04/16 17:47:47.93 s/ZPLTf1.net
・井戸に唾する者は、いつかその水を飲まねばならない
・自分を笑えるものは他人に笑われない
・楽観は、自分だけでなく、他人をも明るくする。
・何も打つ手がないとき、ひとつだけ打つ手がある。
 それは勇気をもつことである。
・失敗とは、 あきらめてしまったときにのみ起こる 現実なのだよ
・幸福に恵まれるために知恵はいらない。
 しかし、この幸福を活かすためには知恵がいる。
・自分の力ではどうにもならないことは心配するな
・カネを貸すのは拒んでもいいが、本を貸すのは拒んではいけない。
・0から1への距離は1から1000への距離より大きい
・幸運に頼っているだけではいけない。幸運に協力しなくてはいけない
・奇跡を願ってもよい。しかし奇跡に頼ってはいけない
・鍵は正直者だけのためにある
 ※鍵というのは正直者を誘惑しないためにかけるもの。
 悪者は鍵がかかっていてもいなくても物を盗みに来る。
・金持ちをほめるものは、金持ちをほめているのではなく、カネをほめているのである
・貸す時は証人をたてよ。与える時は第三者がいてはならぬ
・貧乏は恥ではない。しかし名誉だと思うな。
・人は20年間学ぶことができるが、2年で忘れることもできる。
・つねにもっと不幸があると思いなさい
・賢者は王に優先する
・あなたの仲間が怒っている最中になだめてはならない。
 喪に服しているときに慰めてはならない。
・多くの者は考えることをしたくないので、逃れるために本を読む
・文章を書くことは、小切手を書くのに似ている。
 思想がないのに文章を書こうとするのは、
 銀行に残高がないのに小切手を書こうとするようなものだ。
・嘘つきに対する罰は、真実を語っても信じてもらえないことである。

90:名無しさん@お腹いっぱい。
19/04/16 17:48:17.96 s/ZPLTf1.net
・実業家として成功したいなら、三つの要素が絶対にいる。
 何かをやろうと決めたら、その目標に向かって、戦略を立てること。
 そして、それを実行すること。
 それがうまくいくかどうかについて悩んで時間をつぶさずに、それをやり遂げる情熱だ
・大好きなことにめぐり合う一番の方法は、いまやっていることが何であれ、それを愛することだ
・自分の籠にパン1片を持つものと、籠にパン1片を持たない者とは比較にならない。
・人がこの世を去るとき、銀、金、宝石、真珠を携えて行くことは出来ない。
・悔い改めと善行は報復に対する盾のようなものである。
・結婚は歩け、離婚は走れ
・疑問を抱くことは、人を賢明にさせる。
・忍耐強ければ、それは知識と知恵の源泉となる。
・評判は最善の紹介状である。
・人間はしゃべることは生まれてすぐ覚えるが
 黙ることはなかなか覚えられない
・善人とは、自己の罪過ちを記憶し、自己の善事・善行を忘却する人のことをいい、
 悪人とは、これとは反対に、自己の善事善行を記憶し、
 罪過ちを忘却する人の事なり。
・自己が隣人の立場に立たざるかぎり隣人を裁く無かれ。
・一人の賢明な母は100人の教師に勝る。
・頭の悪い奴ばかりいるところでは、頭の良さは何の役にも立たない。
・知性だけで人々に愛されようとするのは砂漠で魚を捕らえようとするようなものだ。
 魚は水がなくなると死ぬが人は礼儀がなくなると死ぬ。
・羊は正面から、馬は後ろから近づくな。そしてバカにはどこからも近づくな。
・懺悔する者に、その前の罪科について思い起こさせるな。
・力ある者とは誰か。敵を友に変えてしまう者である。
・一回道に迷うより、道順を十回聞いた方が良い。
・金銭は無慈悲な主人だが、有益な召使いにもなる。
・評判は最善の紹介状である。
・どのような人間でも近づけば小さくなる
 ※自分が他人より小さく見えるのは、自分が一番身近な人間だから
・使いすぎるといけないものが三つある。それはパンのイースト、塩、ためらい。
・人は歩まんと欲する道に案内される。

91:名無しさん@お腹いっぱい。
19/04/16 17:48:57.63 s/ZPLTf1.net
・子供は、両親が家で話すことを街でしゃべる
・一つの嘘は嘘である。二つの嘘も嘘である。三つの嘘は政治である。
・神はいつも傍には居られない。だから、母を創ったのだ。
・体は心に依存している。心は財布に依存している。
 お金は悪でも呪いでもない。それは人を祝福するものである。
 人を傷つけるものは三つある。悩み、いさかい、空の財布。
 そのうち空の財布が最も人を傷つける。
 聖書は光を投げかけ、金は暖かさを投げかける。金貨が鳴れば悪口が静まる。
・暇なときに学ぼう、などと言ってはならない。
 あなたが暇になることなどないであろう。
・仲間の名誉をあなた自身のもののように大切にしなさい。
・知性だけで人々に愛されようとするのは砂漠で魚を捕らえようとするようなもの。
 魚は水がなくなると死ぬが、人は礼儀がなくなると死ぬ。
 人間は、いくら知性を持っても謙遜の心を忘れてはならない。
 もちろん知性のある人は大切にされるが、間違えてはいけない。
 それは単に便利だからだ。
 「傾聴」、「謙虚さ」でも述べたように、いずれも人間の陥りやすい傲慢さを戒めたものである。

92:名無しさん@お腹いっぱい。
19/04/16 17:52:43.38 s/ZPLTf1.net
★ユダヤの格言より
賢人になる七つの条件
1.自分より賢い人がいるときは沈黙。
2.人の話の腰を折らない。
3.答えるときにあわてない。
4.常に的を射た質問をし、筋道だった答えをする。
5.まずしなければならないことから手を付け、後回しにできるものは最後にする。
6.自分が知らないときはそれを認める。
7.真実を認める。

知識について
・知識は水に似ている。高いところから低いところへ流れる。
・人が生きている限り、奪うことが出来ないものがある。それは知識である。
・耳と耳の間に、最大の資産がある。
・あなたが知識を増やさないということは、実は知識を減らしていることになる。
・知識は浅いとすぐ失われる。

勉強について
・一日勉強しなければ、それを取り戻すのに二日かかる。
・恥ずかしがる人は、よい生徒にはなれない。人はどん欲に学ばなければならない。
・学んだことを復習するのは、覚えるためではない。何回も復習するうちに、新しい発見があるからだ。
・1つの庭を手入れするほうが、多くの庭を持ってほったらかしにするよりはよい。
 1つの庭を持つ人は鳥を食べることができるが、多くの庭を持つ人は鳥に食べられてしまう。
・最も大切な事は、学習ではなく、実行である。
・出逢った人すべてから、何かを学べる人が最も賢い。
・偉人を過大に評価してはならない。同じように、小人を過小に評価してはならない。
・私たちは権威ある先人たちの教えから多くのことを学ぶべきだが、
 といって背に大量の本を積んだロバになってはならない。
・自分の肩書きを人に教えようとする人間は、すでに自分の人格を傷つけている。
・知者が間違うときは、恐ろしいほど根本的に間違う。
・善と悪を区別できるだけでは、まだ賢者とは言えない。
 二つの悪の中から小さい方の悪を選ぶことができる者が賢者である。
・人間は、20年かかって覚えたことを、2年で忘れることができる。

93:名無しさん@お腹いっぱい。
19/04/16 17:53:02.96 s/ZPLTf1.net
教育について
・子供は幼いときは厳しくしかり、大きくなったらしかるな。
・幼い子供は厳しくしつけるべきだが、子供が怯えるようなことがあってはならない。
・子供は、両親が家で話すことを街でしゃべる。
・子供は、両親の話し方をまねる。性格はその話し方で解る。
・自分のことだけ考えている人間は、自分である資格すらない。
・豊かな人とは自分の持っているもので、満足できる人のことである。
・人を賞賛できる人こそ、本当に誉れ高き人である。
・真に貧しい者としてとどまっているのは、知性のない者だけ。
・自分が相手と同じ立場に立ったことがないのなら、その相手を批判する資格はあなたにはない。
・どんな質問でも、必ずしも答える価値があるとは限らない。
・ヤギには前から近づかない。馬には後から近づかない。愚か者にはどの角度からも近づかない事だ。

書籍について
・本のない家は,魂を欠いた体のようなものだ。
・もし、本と服を汚したら、まず本から拭きなさい。
・もし生活が貧しくて物を売らなければならないとしたら、まず金、宝石、家、土地を売りなさい。
 最後まで売ってはいけないのは本である。
・旅の途中で故郷の町の人々が知らないような本に出会ったら、必ずその本を買い求め、故郷に持ち帰りなさい。

克己について
・何も打つ手がないときにも、ひとつだけ必ず打つ手がある。それは、勇気を持つことである。
・失敗を恐れる方が、失敗を犯すよりも悪い。
・自分より賢い者に負ける方が、自分より愚かな者に勝つよりも得だ。
・相手の立場に立たないで、人を判断するな。
・もしあなたの周囲に傑出した人がいないなら、あなたがならなければならない。
・自分の力ではどうにもならないことは、心配するな。
・神は超えられない試練を人には与えない。

金について
・金は道具である、道具に支配される者などいない。 だから、道具はできるだけ多く持っている方がいい。
・富は要塞であり、貧苦は廃虚である。
・金は、本質以外のモノなら何でも買える。
・すべて金で買うことができるが、知性だけは買うことができない。
・金をなくしても、何も失わない。誇りをなくせば、多くを失う。 勇気をなくせば、すべてを失う。
・金のために結婚する者には不良の子が育つ。

その他
・貧乏人と病人の忠告にはいつも真意がある。
・小さな穴は、大きな船を沈めてしまう。
・利害関係ができたときにはじめて、友人かどうかが分かる。
・人は仕事がないと政治に関わり始める。

賢人になる七つの条件
1.自分より賢い人がいるときは沈黙。
2.人の話の腰を折らない。
3.答えるときにあわてない。
4.常に的を射た質問をし、筋道だった答えをする。
5.まずしなければならないことから手を付け、後回しにできるものは最後にする。
6.自分が知らないときはそれを認める。
7.真実を認める。

94:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:03:59.86 O6sY2uta.net
以下しばらく、ショーペンハウアーの名言

運命がカードを混ぜ、我々が勝負する。

才人は、誰も射ることのできない的を射る。
天才は、誰にも見えない的を射る。

孤独を愛さない人間は、
自由を愛さない人間になってしまう。
なぜなら、孤独でいるときにのみ、
人間は自由になれるのだから。

私達は、他人と同じようになろうとして、
自分の4分の3を失ってしまう。

自分の幸せを数えたら、
あなたはすぐに幸せになれる。

船というのは、
荷物をたくさん積んでいないと、
不安定でうまく進めない。
同じように人生も、
心配や苦痛、苦労を背負っている方が
うまく進めるものである。

笑うことが多い人は幸福であり、
泣く事が多い人は不幸になる。

他人の欠点や愚行を自分から探すような人は、
間違いなく不幸になる。

誰もが自分の視野の限界を、世界の限界だと思い込んでいる。

95:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:05:09.56 O6sY2uta.net

読書は他人にものを考えてもらうことである。
本を読む我々は、
他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。
習字の練習をする生徒が、
先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。
だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。
読書にいそしむかぎり、
実は我々の頭は、他人の思想の運動場にすぎない。

紙上に書かれた思想は、
砂上に残った歩行者の足跡に過ぎない。
歩行者のたどった道は見える。
だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、
自分の目を用いなければならない。

人生の幸福にとっては、
われわれのあり方、つまり人柄こそ、
文句なしに第一の要件であり、
最も本質的に重要なものである。

人は、その生涯の最初の四十年間において本文を著述し、
続く三十年間において、これに対する注釈を加えていく。

大切なのは、普通の言葉で非凡なことを言うことである。

私達は持っていない物について、
常に思いを張り巡らせるが、
一度手に入れると興味を失う。

天才というのは知性によってではなく、狂気によって生まれる。

人生というものは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、
それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続にほかならない。

幸福な結婚など滅多にない。
それは主目的が現在の当事者ではなく、将来の世代にあるというのが、
そもそも結婚の本質だからである

女性は精神的近視である。

名声は得るのは難しいが、維持するのはやさしい。
この点で名声は名誉と反対である。
名誉は一度でもくだらぬ行為をすれば失われて二度と回復できなくなる

96:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:06:21.17 O6sY2uta.net

宗教は蛍のようなもので、
光るためには暗闇を必要とする

生きていくために最も大切なのが健康であり、
次いで、生活を支える手段、つまり安心して使える収入である。
これに引きかえ、名誉、栄光、位階、名声などは、これらの本質的財産と競争できない

才知に富む人間は、隠遁閑居を好む、
ことに精神的に優れた人であってみれば、いっそ孤独すら選ぶ

後世まで轟く名声は、種子から始まってゆっくりと成長していく樫の木に似ている。
一方、はかない名声は一年間ですぐ成長する植物であり、
誤った名声にいたっては、素早く伸びて、いち早く滅び去る雑草の類である

俗物は精神的な欲望を持たず、肉体的な欲望だけを持っている

人生をうまく切り抜けるには、先を見越すことと、大目に見ることの二つが効果だ。
先を見越す細心さがあれば、損失や損害を防ぐことができる。
大目に見る寛容さを持てば、争いから逃れられる

人間は、独りでいる間だけが自由である

私は依然として独りであった。しかし私は正直に云う。これは私の悪い故ではない。
その精神と心情とにおいて人間と云い得る人ならば
私は決して排斥もせず、避けもしなかったのである

孤独はすぐれた精神の持ち主の運命である

思ったことをすぐに話したり、人の言うことを鵜呑みにしたりしてはいけない。
むしろ、道徳面でも教養面でも、他人の言葉には多くを期待しないほうがいい

人々がふつう運命と言っているものは、たいていは自らまいた種のことである

人の意見には反論しないほうがよい。
変なことを信じている人の考えを変えようとしたら、何年経ってもケリがつかない。
人の感情を害するのは簡単だが、人を矯正するのは、相当難しい

この男が朗らかな人間だとすれば、
若いか年取っているか、貧乏なのか金持か、などということはどうでもいい。
要するにこの男は幸福なのだ。

何事も、成功までには3段階ある。
第一段階、人から笑い者にされる。
第二段階、激しい抵抗と反対にあう。
第三段階、それまで、笑いものにしたり、反対したりした人達がいつの間にか、
『そんなことはわかっている』と同調するようになる

97:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:06:51.72 O6sY2uta.net

低級な頭脳の人間は、手当たり次第に何でもかんでも取り上げて、
乱痴気騒をしては、その場を凌ごうとする

気取った文体で書く者は、ごてごて飾り立てる者に似ている。
ジェントルマンはどんなに質素な身なりでも恐れない。
気取った文体は、凡庸な脳みその証である

われわれの接触する人間の大多数は道徳的には悪人、
知的には愚鈍か頭が狂っているから、
社交は危険な、むしろ有害な傾向の一つである

大衆に大受けする本には、手を出さないこと。
愚者のために書く連中は、いつの時代も俗受けするのだと達観すること

一生の終わりごろは、人が仮面舞踏会の終わりに仮面を取るのと似たようなものだ。
自分が一生の間、接触してきた人たちが、本当はどのような人間であったか、
今となっては明らかとなる

そうだ。勇敢に生きろ、そして勇ましく胸を張り、運命の打撃に立ち向かえ

私が、実際見出した者は役にも立たない奴か、
頭の悪い男か、心根のよくない、趣味の下等な者より他になかった。

孤独は、幸福と平静な気持ちの、源泉であるから、
孤独に耐える修行をすることを、若いころの主要な研究科目のひとつとすべきであろう

評論雑誌は、誠実で清廉潔白、まれにみる知識と
比類なき判断力を兼ね備えた人物によって書かれたものであらねばならない

だまされて失った金銭ほど、利点の大きな使い方はない。
そのお金で、用心深さを買ったということだから

文体とは、人の心が外に現れたものである。
その人の外見よりも正確にその人を映し出している。

すべての享楽と、すべての幸福とは消極的なものだが、 労苦は積極的なものだ

普通の人々は時間をつぶすことに心を用い、
才能ある人間は時を利用することに心を用いる

名声は長つづきするものであればあるほどそれだけ遅くやってくる

98:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:07:20.39 O6sY2uta.net

天才は、何者にも妨げられず自分を相手とし、
自分の思想と作品とを事することが痛切な欲求となり、自由な余暇を財産とする

人生には正真正銘の本質的な価値などない。
人生はただ、欲望と幻影によって動きつづけるだけだ。

安定していないこと。それこそが世界がここにこうして存在するときの定まった形なのだ。

過ぎたことに腹を立てたり、未来のことを心配したりして、
せっかくのよい現在のひとときをしりぞけ、
あるいは軽率にもこれを台なしにするのは、全く愚かな話である

誰かが嘘をついていると疑うなら、信じたふりをするがよい。
そうすると彼は大胆になり、もっとひどい嘘をついて正体を暴露する。

独創的で非凡な、場合によっては不朽でさえある思想を抱くためには、
しばらくの間世界と事物に対して没交渉になり、
まったく新しい未知の姿で現れてくるようにせよ

虚栄心の強い人にご忠告申しあげるが、
たとえどんな素晴らしい話がおできになるにしても、
話をするよりはずっと黙っておいでになったほうが、
あなたの得ようとする他人の評価は、はるかに得やすくもあり、
またそのほうがずっと確実に得られるとしたものである。

金持ちに不幸な思いをしている人が多いのは、
精神的な仕事をなしうる興味を持ちあわせていないから。

誰も人様をほめるのは、自分にもそれができる見込みがあると思う範囲に限られる

私は、私の全生を通じて恐ろしく孤独を感じた。
そして常に嘆息して云った。今、私に一人の友を与えよと。願いは無駄だった。

アリストテレスが表明した
「賢者は快楽を求めず、苦痛なきを求める」という命題が、
処世哲学の最高原則だと考える

ほとんど丸一日を多読に費やす人間は、次第に自分でものを考える力を失っていく。

人は通常、金を貸すことを断ることによって友を失わず、
金を貸すことによってたやすく友を失う

天才は過度の神経力、精神的感受性によって生まれる

99:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:08:16.73 O6sY2uta.net

自分の欠点に気づくには、その同じ欠点を他人が持っているのに気がつき、
それを心の中で非難・批判するのが適切なやり方だ。
自分を矯正するには鏡が必要となる

健康な乞食は、病んだ国王よりも幸福である

種類のいかんを問わず、自己の特技を、
何ものにも妨げられずに発揮できることこそ究極の幸福である

低級な頭脳の人間は、手当たり次第に何でもかんでも取り上げて、
乱痴気騒をしては、その場を凌ごうとする

医者は人間の弱い面だけを見て、法律家は人間の悪い面だけを見る。
さらには宗教家は人間の馬鹿な面だけを見る

人間の幸福の二つの敵は苦痛と退屈である

精神的に貧弱で、下等な人間であればあるほど、それほど社交的だということが知れる

煩悩に動かされなければ、退屈で味気ない。
煩悩に動かされれば、苦痛になる。
それ故、有り余る知性を与えられた人だけが、幸福な人間になる


音楽とは、世界がその歌詞であるような旋律である。

愚鈍な人間は、ひとりになると社交よ、芝居よ、遠足よ、娯楽よと、
ひっきりなしに目先が変わっても、死ぬほど辛い退屈は、凌ぎがつかない

天才は平均的な知性よりは、むしろ狂気に近い。

真理はむきだしのままが最も美しい。
表現が簡潔であればあるほど、深い感動を与える。
そうすれば、聞き手は雑念に惑わされずに、スッと真理を受け取ることができる

俗物は精神的な欲望を持たず、肉体的な欲望だけを持っている

富は海水に似ている。
飲めば飲むほど、のどが渇くのだ
名声についても同じことが言える

男同士は本来、互いに無関心なものだが、女は生まれつき敵同士である。

100:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:08:38.97 O6sY2uta.net

人が誇りを持てるのは、自分には卓越した能力と
特別な価値があるのだという揺るぎない確信を得たときだけである

人間は苦悩に満ちた世界に住んでおり、ここから逃げ出すには、
おのれの全存在を無限にきびしく否定すること、
すなわち現実の否定、克服しかない

匿名批評家の愚かしくあつかましい言動は、
国王のように「われわれ」と一人称複数形で話すことだ。
一人称単数形にするばかりでなく、「小生」という縮小詞を用いるべきだ

芸術の唯一の起源は理念の認識であり、芸術の唯一の目標はこの認識の伝達である。

人間が完全に融和できるのは、自分自身を相手にしたときだけである。
友とも、恋人とも完全に融和はできない。

才知に富む人間は、隠遁閑居を好む、
ことに精神的に優れた人であってみれば、いっそ孤独すら選ぶ

大多数の人々は主観的であるため、自分自身以外のものには一切関心がない。
したがって、すべてについて自分自身に関連づけて考える。
個人的に関わりがあれば、彼らの注意をひき、とらえて離さない。
彼らの利益や虚栄心に反すれば、間違っていると見なされる

生きていくために最も大切なのが健康であり、
次いで、生活を支える手段、つまり安心して使える収入である。
これに引きかえ、名誉、栄光、位階、名声などは、これらの本質的財産と競争できない

物書きには、テーマがあるから書くタイプと、書くために書くタイプの二種類がある。
第一のタイプは思想や経験があり、それは伝えるに値するもの。
第二のタイプはお金が要るので、お金のために書く。書くために考える

天才は、何者にも妨げられず自分を相手とし、
自分の思想と作品とを事することが痛切な欲求となり、自由な余暇を財産とする

他人はなるべく賞賛したくないから、
自分で自分を賞賛する心境に達した人が幸福なのだ

大がかりな事物に取り組む学問は、なかなか最終目標に達することができないが、
芸術はいたる所で目標に達している。なぜなら芸術は特定の対象を世界の奔流から取り出し、
この個物だけを単独に分離して取り組むからだ。芸術は個物によって表現される

幸福な生活とは何かと言えば、
生きていないよりは断然ましだと言えるような生活のことである、
とでも定義するのが精一杯であろう

101:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:09:00.35 O6sY2uta.net

世間でいわれている幸福は、これに先だって、苦しみや欠乏があり、
また幸福を得た後も、後悔、苦悩、虚しさ、飽満の感覚につきまとわれるものだ

人間は苦悩に満ちた世界に住んでおり、ここから逃げ出すには、
おのれの全存在を無限にきびしく否定すること、すなわち現実の否定、克服しかない

女たちの虚栄心は、たとえ、それが男たちの虚栄心より大きくない場合でも、
全く物質的な事物、すなわち、自分を美しく飾ることとか、
ついでは、浮華、贅沢、壮麗といった面に熱中する悪癖がある。

種類のいかんを問わず、自己の特技を、
何ものにも妨げられずに発揮できることこそ究極の幸福である

たいていの人は、人生を振り返ってみたとき、
自分が一時しのぎの連続で生涯を暮らしてきたことを発見する

天才は過度の神経力、精神的感受性によって生まれる

幸福に寄与する道は、名誉欲という動機を理性的に見て、
妥当と肯かれる程度までに、引きさげることだ

私たちの抱える苦悩のほとんどは、他人との関わりから生じるものである

睡眠は死からの負債である。睡眠は生命を維持するために、死から借りるものである。

すぐれた文体であるための第一規則は、
「主張すべきもの」があること。これさえあれば、やっていけるのだ

どういうところか少しも知らずに紛れ込んだ難所が、私達の生である。

われわれが生きていて喜びを感じるのは、
何かに向けて努力・追求している時か、純粋に知的活動をしている時だけである

我々の視野、活動範囲、交際範囲が狭いほど、我々の幸福は大きくなる。
それらが広いほど、我々は煩わしく、また不安に感じる度合いが大きくなる。
なぜなら、それらは心配、願望、恐怖が増大し広がるからである。

高潔な人格と優れた精神の持ち主は、若い時に、
世渡りの知恵や人間についての知識に欠けていることを
さらけ出してしまうことが多く、だまされたり、迷わされたりしやすい。
それに対して、平凡な人間は、ずっと早く、巧みに世の中に順応する

自然は、獅子には爪と歯とを、象には長い牙を、
猪には短い牙を、牛には角を、烏賊には水を濁らす墨汁を与えたように、
女性に対しては、自己防衛のために、「いつわる力」を与えて、武装させたのだ

102:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:09:27.22 O6sY2uta.net

人生は苦痛と退屈のあいだを、振り子のように揺れ動く

凡人の脳みそは、どれもこれも似通っている。
全員、一つの同じ鋳型からつくられている。
同じ場面に遭遇すると、誰もかれもがまったく同じことを思いつき、
さらに各人のさもしい魂胆が加わる

俗物には俗物なりの虚栄心がある。
金や位階、権威や威力などで他人を凌ぎ、それによって他人に
尊敬されたいという虚栄もあれば、同じ俗物の中でも傑出した奴と付き合って、
虎の威を借る狐のような気分に浸る虚栄もある

強い人間は自分の運命を嘆かない

才知に富む人間ならば、ひとりぼっちになっても自分の持つ思想や、想像に慰められる

睡眠は死からの負債である。睡眠は生命を維持するために、死から借りるものである。

内面の空虚から生ずるのが、社交や娯楽や遊興や奢侈を求める心。
これらのために多くの人が浪費に走り、やがて貧困に落ちる。
こうした貧困を最も安全に防ぐ道は、内面の富、つまり精神の富である

単なる学者が天才を見る態度は、我々が野兎を見るがごときである。
けだし、死んで初めて調理し味食しうるからである。
だから、天才が生きている間に学者がなすべきことは、
それに向かって矢を射ることだけである。

大がかりな事物に取り組む学問は、なかなか最終目標に
達することができないが、芸術はいたる所で目標に達している。
なぜなら芸術は特定の対象を世界の奔流から取り出し、
この個物だけを単独に分離して取り組むから。
芸術は個物によって表現される

人生とは元来、不安なものである。この不安の闡明に一生を懸けても惜しくない

われわれは、暖かさを求めて、無意識にストーブや日向に近づくように、
心地よい優越感を与えてくれそうな相手に接近する

過ぎたことに腹を立てたり、未来のことを心配したりして、
せっかくのよい現在のひとときをしりぞけ、
あるいは軽率にもこれを台なしにするのは、全く愚かな話である

103:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:09:46.32 O6sY2uta.net

個々の人間にあっては、隠退と孤独への傾向の増加は、
つねにその人間の知的価値の程度に応じて生ずる

私は一介の案内者にすぎない。
人生の答えは、各自が古典や東洋の宗教をひもといて見つけてほしい

礼儀正しさが人の本性に訴えかける働きは、熱がロウに伝える働きのごとし。

あきらめを十分に用意することが、人生の旅支度をする際に何よりも重要だ。

人間は、独りでいる間だけが自由である

人生の情景は、粗いモザイク画に似ている。
この絵を美しく見るためにはそれから遠く離れている必要がある。
間近にいては、それは何の印象も与えない。

強姦によろうと結婚によろうと、
神の目から見れば子供を産むという同じコースでしかない。

世界はまさしく地獄にほかならない。
そして人間は一方ではそのなかでさいなまれている亡者であり、
他方では地獄の鬼である。

富籤を全部一手に買いしめるような人は、
否応なしに非常な損失を蒙らざるをえない

人の社交本能も、その根本は直接的な本能ではない。
つまり社交を愛するからでなく、孤独が恐ろしいからである。

過去の幸せを思い出し数えれば幸せになれる

だれでも「賢者を認めるには、それだけの賢さがなければならぬ」という
クセノパネスの言葉を思いだして、ひとさまをほめることで自分のほまれにしようとする

無知は富と結びついて初めて人間の品位をおとす。

人生とは無意味な悪の連続である。

結婚するとは、彼の権利を半分にして、義務を二倍にすることである。

104:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:11:21.94 O6sY2uta.net

ある人間の状態をその幸福によって、評価しようとするならば、
彼、彼女を満足させるような事柄ではなく、
彼、彼女を悲しませるような事柄を尋ねるべきである 。

学者とは書物を読破した人、思想家、天才とは人類の蒙をひらき、
その前進を促す者で、世界という書物を直接読破した人のことである。

105:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:12:06.60 O6sY2uta.net

恵み豊かに夢みる小児期、歓喜に溢れた青年期、
労苦に充ちた壮年期、肉体はくずおれ往々にして悲惨な老年期、
死病の責苦、そして最後に断末魔の苦悩、
―まるで、現存在は何かの錯誤なので、
この錯誤の諸々の帰結が徐々に、そしていよいよ明らさまに、
曝露されていくのででもあるかのように見えはしないか
アルトゥール・ショーペンハウアー  『自殺について』より

106:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:12:25.59 O6sY2uta.net

自発的にこの世から去っていったような知人や友人や親戚をもっている人はいるか。
これらの人達を一体誰もが犯罪者に対するような
増悪の念をもって回想しているとでもいうのだろうか。否、断じて否!

僧侶どもが一体如何なる権能によって、
我々の敬愛する多くの人達がなした行為に対して犯罪の刻印をおしたり、
また自発的にこの世を去っていく人達に対して名誉ある埋葬を拒んだりするのか。
僧侶どもに弁明を要求すべきである。という意見を有している

自殺を非難する通俗的な論拠を冷静に反駁している書物が、
まるで詐欺でもあるかのように忍び歩きを余儀なくさせられ、
挙句、外国において庇護をうけるにいたったことは我が国の大いなる恥辱だろう

107:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:12:45.15 O6sY2uta.net

誰でも次のような悔いに悩まされたことがあるかもしれない。
自ら思索をつづけ、その結果を次第にまとめてようやく探り出した一つの真理、
一つの洞察も、他人の著した本をのぞきさえすれば、
みごとに完成した形でその中におさめられていたかもしれないという悔いである
けれども自分で獲得した真理であれば、その価値は書中の真理の百倍もまさる。
ここでゲーテの言葉を引用する。
「汝の父祖の遺せしものを、おのれのものとすべく、自ら獲得せよ」
自説を保証する他人の権威ある説を学び、そして自説の強化に役立てるように

以上、ショーペンハウアー

108:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:28:39.33 rNPLCH7D.net

世間普通の人たちは、難しい問題の解決にあたって、
熱意と性急のあまり、権威ある言葉を引用したがる。

自分の心の奥底にある考えだけが、真実と生命を内に秘めている。
人間が本当に完全に理解できるものは、これしかないからである。

人は、ある種の外的活動を必要とする。
なぜなら、内側は不活発だからである。

女性はすぐれた才能の持ち主となることはできようが、
しかし天才の持ち主とはなれない。
なぜなら、女性は常にどこまでも主観的なものだから。

礼儀は賢いことであり、非礼は愚かなことだ。
非礼を不必要に気ままに行うことによって敵をつくることは、
わが家に放火すようなものだ。

いかなる財産も、ちょっとしたチャンスに手に入れたものである。

我々はすでに持っている物についてはたまにしか考えないで、常に欠けている物を考える。

人生は、幼年期には遠くから見た舞台装飾に、老年期には間近に見た舞台装飾に似ている。

読書しているときは、我々の脳はすでに自分の活動場所ではない。
それは他人の思想の戦場である。

他人の考えを読み取ることは他人の食べ残しを食べるようなもの、
他人の脱ぎ捨てた衣服を着るようなものだ。

老年の歳月における人生は、悲劇の第五幕に似ている。
人間は悲劇的な最後が近いことは知っているが、
それがいかなるものであるかは知らない。
ショーペンハウエル

109:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:29:00.89 rNPLCH7D.net

精神の豊かな人は、まったくの孤独の中でも、
おのれひとりの想念や幻想にすばらしい楽しみを見出すことができるが、
愚か者の場合は、社交、観劇、遊山、宴会などが
入れ替わり立ち替わり絶えることなく続いても、
死ぬほどの退屈から彼を防ぐ手立てはないのである。

善、すなわち一切の幸福と一切の満足とは消極的なものである。
言いかえれば、それは単に欲求が鎮まり、苦痛がやんでいるということにすぎない。

信仰の強制は、不信仰を喚起するだけである。

時は、時をよく用いる者には親切である。

礼節とは、道徳的にまた知的に貧弱な互いの性質を
互いに無視し合いながら、非難しまいという暗黙のうちの協定である。

軽信というものは、善良に生まれついた人に具(そな)わる特徴である。

障害と闘って勝つことが、人間を幸福にするのだ。

泣くことは自分自身に対する同情である。

はなはだしい災難は別にして、善悪いずれの場合にも、
重大なのはその人にどんなできごとが起こったかということより、
その人がそのできごとをどう受け止めたか、
つまり、さまざまな観点から見たその人の感受の仕方や度合いである。

なんびとにもせよ、まったく突如として、人は生きているのである。

我々の肉体が衣服に包まれているように、我々の精神は虚偽に包まれている。
ショーペンハウエル

110:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:29:16.59 rNPLCH7D.net

真理はむきだしのままが最も美しい。
表現が簡潔であればあるほど、深い感動を与える。
そうすれば、聞き手は雑念に惑わされずに、スッと真理を受け取ることができる。

我々は朝を生の本質と見、これを神聖に扱わなくてはならない。

三種の貴族がある。
1.血統と位階の貴族、
2.財力の貴族、
3.精神的貴族
が、すなわちそれである。

逆境における友というものは、果たして稀であろうか。
反対である。誰かと友情を結ぶや否や、その人は苦境にさいして金を借りたがる。

天才は自分の実生活にかけては大抵、不器用極まりない。

知的でない楽しみはすべて低級である。
その目的が何であっても、行きつくところはすべて、
願望、期待、懸念、達成などへの欲望である。

悪書を読まないことは良書を読むための条件である。

重要な思想を誰にでもわからせるように表現するほど難しいことはない。

男性の愛情は、彼が肉体の満足を得た瞬間から急降下する。
ほかの女はすべて、征服した女より多くの魅力をもつように思われて、
彼は心変わりする。それに反して、女性の愛情はこの瞬間から増大する。

不道徳行為を望むのは、大きな誤謬の永続を望むことである。

普遍的な真理に対して人がいかに無関心でも、
個別的な真理に対しては実に執着が強い。
ショーペンハウエル

111:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:29:45.90 rNPLCH7D.net

何故女が不幸に対して男より深い同情を示すかといえば、
推理能力に弱みを持っているからである。

宗教は無知の子供であり、その母より永くは生き延びることが出来ない。

信仰は愛のようなもので、強制することはできない。

憐憫はあらゆる道徳律者の基準である。

どのような運が降りかかろうと、喜びに浮かれることのないように、
悲しみに暮れることのないように、万物は流転し、
そして運もまた、いつ変わるとも知れないのだから。

良書を読むための条件は、悪書を読まないことである。

世論は振り子の運動の法則に従う。

時間は上手く用いるものには親切である。

金銭は、人間の抽象的な幸福です。
だから、もはや具体的に幸福を享楽する能力のなくなった人は、
その心を全部、金銭にかけるのです。

われわれのすべての災禍は、
我々がひとりきりではいられないことに由来する。

善、愛、高潔な心を動かしやすい行為や愛の業を行わせることができるのは、
つねにただ他人の苦悩に対する認識にほかならない。

人間は孤独であるかぎり、彼自身であり得る。
ショーペンハウエル

112:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:30:14.33 rNPLCH7D.net

人間の嫉妬は、彼らがみずからいかに不幸に感じているかを告げるもので、
彼らが他人の行為に絶えず注目しているのは、
彼らみずからが退屈していることを示すものだ。

未だかつて、自分は本当に幸福だと感じた人間は一人もいなかった。
もしそんなのがいたら、多分酔っぱらってでもいたのだろう。

悲しみのほぼすべては他人との関係から生まれる。

卑しい人たちは、偉人の欠点や愚行に非常な喜びを感じる。

熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものになる。
食べ物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。

幸せを数えたら、あなたはすぐ幸せになれる。

読書で生涯を過ごし、さまざまな本から知恵をくみとった人は、
旅行案内書をいく冊も読んで、ある土地に精通した人のようなものである。

人はなんでも忘れることができるが、
自分自身だけは、自分の本質だけは忘れることはできない。

知は力なり―とんでもない。
きわめて多くの知識を身につけていても、少しも力を持っていない人もあるし、
逆になけなしの知識しかなくても最高の威力をふるう人もある。

虚栄心は人を饒舌にし、自尊心は沈黙にする。

人々は閑暇を犠牲にして富裕を得る。
だが、富裕は自由な閑暇があってこそはじめて望ましいものとなる。
富裕のために自由な閑暇を犠牲にしなければならないならば、私にとって富裕が何になるだろうか。
ショーペンハウエル

113:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:30:33.51 rNPLCH7D.net

すべての人間は、他人の中に鏡を持っている。

多く笑う者は幸福であり、多く泣くものは不幸である。

人生の幸福にとっては、我々のあり方、すなわち人柄こそ、
文句なしに第一の要件であり、最も本質的に重要なものである。

世界は悲惨な者にとってのみ悲惨であり、空虚な者にとってのみ空虚である。

求めていた対象を、はじめに辿った道では見つけえなかったのに、
全く別な道で見つけることも少なくない。

真理はそのままでもっとも美しく、
簡潔に表現されていればいるほど、その与える感銘はいよいよ深い。

名誉は、外に現れた良心であり、良心は、内に潜む名誉である。

永遠は一瞬の中にある。

人間は、自分の頭脳や心を養うためよりも何千倍も多く、
富を得るために心を使っている。
しかし、私達の幸福の為に役立つものは、
疑いもなく人間が外に持っているものよりも、内に持っているものなのだ。

世間普通の人たちは難しい問題の解決にあたって、
熱意と性急のあまり権威ある言葉を引用したがる。
彼らは自分の理解力や洞察力の代わりに他人のものを動員できる場合には心の底から喜びを感ずる。

書物を買い求めるのは結構なことであろう。
ただし、ついでにそれを読む時間も、買い求めることができればである。

自分でおこなった貴重な省察は、できるだけ早く書きとめておくべきである。
ショーペンハウエル

114:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:30:57.09 rNPLCH7D.net

推理する能力を持っている人はたくさんいるが、
判断する能力を持っている人は少ししかいない。

もっとも美しい思想でも、書きとどめておかなければ
完全に忘れさられて再現不可能になるおそれがあり、
最愛の恋人も結婚によってつなぎとめなければ、
我々を避けてゆくえも知らず遠ざかる危険がある。

凡人はただ時を過ごすことだけを考え、才能を持った者は、時を活用することを考える。

わたしたちがごく幼い時分、わたしたちを育て、
ものを教えこむのに、女が全く適役であるのは、
女というものが、みずからも、子供っぽく愚かしくて、
そのうえ、身近の物ごとだけを見ている、
いわば、一生、大きな子供であるからである。

最大の愚挙は肉欲の充足や一時的な快楽、金儲け、昇進、勉学、名声のために、
おのれの健康を犠牲にすること。健康第一、他のことはむしろないがしろにすべきである。

生存中に同時代の人々の感謝を受けたいと思う人は、
その時代と同じ歩調であゆまなければならない。
ところがそうすれば決して偉大な仕事はできない。
だから何か大事業を志す人は、目を後世に向け、後世のために自分の作品を仕上げなければならない。

人に対しては、寛大すぎても優しすぎてもいけない。
交際上の優位を持つには、他人を何ら必要としないこと、
そしてそういう素振りを見せること。

優秀な人間は誰しもある種の人間嫌いの感覚から自由になれないだろう。

天才は過度の神経力、精神的感受性によって生まれる。

愚か者は100人束になっても、1人の賢者に及ばない。
ショーペンハウエル

115:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:31:53.49 rNPLCH7D.net

男たちが、長い間の勤労と大いなる辛苦をかさねて、やっと築き上げた財産も、
女どもの手に渡ると、その無知のために、またたく間に蕩尽される。

自己に満足し、自己がすべてであると言うことができれば、
それこそ幸福にとって最も好ましい性質。
幸福は自己を愛する人のものである。

俗物には俗物なりの虚栄心がある。
金や位階、権威や威力などで他人を凌ぎ、それによって他人に尊敬されたいという虚栄もあれば、
同じ俗物の中でも傑出した奴と付き合って、虎の威を借る狐のような気分に浸る虚栄もある。

孤独にされると、愚者はたとえ美服をまとっていても、
自分の貧しい個性の重圧から脱却できず、ただ溜息をつくばかり。
すぐれた素質をもつ者は、孤独な貧しい環境にあっても、
自分の思想を生かして充実した生活をおくることができる。

どのような不幸に際しても、何よりも強い慰めとは、
自分より、もっと不幸な他の人たちを見ることによって得られる。

女性は精神的近視である。

災いを避けることなく、勇敢に災いに立ち向かえ。

賢明な人は、苦痛や不快感から解放されようと努力し、
できるだけ困難に遭遇せずにすむ、静かでゆったりした、つつましい暮らしを求める。

低級な頭脳の持ち主は、退屈を大いに持て余す。

大いなる知性の持ち主は、この世界に生きていても、
本当の意味で、そこに属しているわけではない。
幼い頃から、ほかの人たちと自分がかなり異なっていると感じている。
ショーペンハウエル

116:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:32:50.11 rNPLCH7D.net

うわべだけの文学は、あたふたと駆け抜けてゆく。

男性の間では、愚かで無知な者が、
女性の間では醜い女が一般に愛され、ちやほやされるのがつねである。

才知に富む人間は、何よりまず苦痛のないように、
痛めつけられることがないように努め、安静と時間の余裕とを求める。

女性の性格には、根本的欠陥として、『不正』ということが見出される。
この欠陥は、理性的な判断や熟慮の乏しさに伴って生ずる。

天才は、神経の活動が圧倒的に強烈になっているため、
苦痛に対する感受性が極度に高まっている。

ゲーテも言っているように、ただ苦しみだけが人をいまよりすぐれた境地に高めてくれる。

人間精神の最高級の業績は、冷淡に迎えられ、長い間冷遇される。
やがて高級な精神の持主が近づいてきて、この功績に共鳴し、声価を顕揚する。

女たちには、ある事物についての純客観的な関心をもつ能力が欠けている。

無知で裕福な者は、快楽のためだけに生き、獣同然の暮らしを送る。
この手の人間は、富と余暇を有意義に使っていない点でも非難されるべき。

凡人の知性が個々の人に奉仕する責任があるのに反し、
天才の知性は人類全体へ奉仕する責任がある。
凡人は三分の二が意志、三分の一が知性から成るのに対し、
天才は三分の二が知性、三分の一が意志から成る。

早くから孤独になじみ、まして孤独を愛するところまできた人は、
金鉱を手に入れたようなものだ。
ショーペンハウエル

117:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:34:06.32 rNPLCH7D.net

動物に同情することは、その人の性格の良さと完全に一致している。
動物に残忍な人はけっして良い人ではない。

誇りの中でも最も安っぽいのは民族的な誇りである。
民族的な誇りのこびりついた人間には、誇るに足る個人の特性が不足している。
個人の特性が不足していなければ、
何もわざわざ自分を含めた幾百万の人間が共通に具えている要素に訴えるはずがない。

世間でいわれている幸福は、これに先だって、苦しみや欠乏があり、
また幸福を得た後も、後悔、苦悩、虚しさ、飽満の感覚につきまとわれるもの。

人が、努力を惜しまず、幾多の困難や危険に遭遇しながら、
手に入れようとしているものは、他人からの評価を上げることを目的としている。
地位、称号、勲章はもちろん、富、学問や芸術までもが、
人からの尊敬を得るためのものである。
愚かで、何とも嘆かわしい。

誰も人様をほめるのは、自分にもそれができる見込みがあると思う範囲に限られる。

天才とは客観性を備え、精神に客観的方法をとらせることのできる人物にほかならない。
天才は主観的な自分自身に拘束されることがないので、
意志のままに動かされる凡人とは全く逆の方向をたどる。

だれも、生まれる前の私について何も知らないのだから、
死んだあとの私についても、何も知らなくていい(死の直前の言葉)

女性の狡猾さは、本能的といってもよく、
その嘘つきの傾向を全然なくしてしまうことは出来ない。
ショーペンハウエル

118:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:36:36.18 rNPLCH7D.net

青年期には観察力が、老年期には思考力が強く出る。
したがって、青年期は詩の時期であり、老年期は哲学の時期である。

いま持っている財産は、これから起こるかもしれない害悪と災害に対する防壁と
みなすべきであり、世の快楽を手に入れる許可証とみなすべきではない。

芸術の唯一の起源は理念の認識であり、芸術の唯一の目標はこの認識の伝達である。

謙遜は平凡な能力を持つ人間の場合には、単なる誠実である。
偉大な才能のある人間の場合には、偽善である。

われわれの人間の本性の愚かしさには三つある。
名誉欲と虚栄心と誇りとがこれである。

男同士は本来、互いに無関心なものだが、女は生まれつき敵同士である。

平凡な人たちは、すぐに仲間になるが、優れた人はそうはいかない。
しかし、優れた人たちも、似たところがある相手を見つけると、嬉しくなるもの。

そうだ。勇敢に生きろ、そして勇ましく胸を張り、運命の打撃に立ち向かえ。
ショーペンハウエル

119:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:37:06.61 rNPLCH7D.net

不運が眠っているときには、起こさないようにそっとしておくことだ。
ちょっとしたつまづきなら軽い傷ですむが、
それがもとで転倒してしまうと、致命傷を負いかねない。

もう少し多くを知り、もう少しゆっくり生きよ。

人には労せずしてすべてがうまくいく時期があるかと思えば、
何をやってもうまくいかない時期もある。
どんな人も、つねに賢人でいることはできない。

どんな長所をもった人物も、世間の支持がなければ、石ころだらけの道を歩まねばならない。
善意の衣をほどよくまとえ、他人にあらさがしされることはまずない。
世間はそいういう人の短所は見たがらない。
バルタサル・グラシアン
哲学者

120:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:37:28.11 rNPLCH7D.net

だから覚えておいてくれ、徐々に色あせていくなら、いっそ燃え尽きたほうがいい 
ピース、ラブ、エンパシー  カートコバーン。

7歳の時からあらゆる一般人を憎むようになってしまった。
なぜなら他の人間はあまりにも簡単に他人の感情を共感しあっているから。
なぜなら自分は人間を愛し人にとても気の毒な気持ちでいるからだと思う。

希望と思いやりに溢れたがんばり家の女神を妻に持ち、
かつての自分に良く似た娘は愛や歓びに満ち、
娘に善くしてくれる無垢な人たちみんな誰彼なくキスをする。
そんなことがとりとめがつかないほどの恐怖感を与えるんだ。
フランシスが自分のように惨めで、自棄で、やがて自殺するロック歌手になるなんて想像に耐えられない。

フランシス、コートニー。俺は、これからは祭壇にいるから。
コートニー、フランシスを頼んだ。
俺がいなくなったら、もっともっと幸せに過ごすことができるフランシスの人生のために。
アイラブユー。愛してる。

「ネバーマインド」が子供を育てられるくらい売れることを祈りたいよ。

何かもっとメチャクチャにヘヴィなもの、
だけど同時にメロディアスなものを求めていた。
ヘヴィ・メタルとは違うもの。アティテュードの異なるものをね。

たとえコートニーと俺が離婚するようなことがあっても、
あの娘の前では二人の間に気まずい空気が流れるような状況には決してしない。
その手のことは、子供をダメにしかねないからな。
でも、そうなってしまうのは、親があんまり賢くないのが原因なんだ。

自分はもうずっと長いこと、音楽を聴くことにも、曲を作ることにも、
何かを書くことにも、喜びを感じなくなってしまった。
ステージ裏に戻って、ライトがすべて消え後、熱狂的な聴衆の絶叫をもってしても、
聴衆の愛と崇拝を喜び楽しんでいたフレディマーキュリーが感じたように
喜び楽しみを感じることはできなかった。
フレディマーキュリーみたいにできるのは本当に立派だし羨ましいと思う。
カート・コバーン(アメリカのボーカリスト)

121:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:40:09.65 rNPLCH7D.net

ロックの核心は反体制、反権力だ。
成功した俺にもうロックは歌えない。聴衆を誰一人ごまかしたくない。

気がついたら俺も、他のロックスターがやっているのと、
あるいはやらされているのと同じことをしていた。
つまり、手紙にも返事が書けないし、最近の音楽を把握しておけないし。ほとんど監禁状態だ。
外の世界が、俺にはおよそ異質に感じられるんだ。

自分だってみんなに嘘をつくの嫌だ。ただの一人も騙したくない。
自分が考える最も重い罪とは、100%楽しいのだと嘘をつき、ふりをして、人を騙すこと。
時々ステージに出て行く前にタイムカードでも押しているかのような気分にかられていたんだ。

自分は惨めで、ちっぽけな、何の価値もない、魚座の、救いようもない男。
どうして楽しむことができないんだ。分からない。

人間みんなどこか必ず良いところがある。
だから本当に人が好きだ。あまりにも愛しているので悲しくなってしまうんだ。

感謝しなくちゃいけないだ。だから出来る限りの力を尽くしてがんばってみた。
(本当なんだ、信じて欲しい、それでも足りないんだ)。
自分や自分達が沢山の人達に影響を与え、そして楽しんで貰えた事は重要だと思っている。
きっと全てを失ったときに初めてそのありがたみが分る世界一のナルシストなんだ。
自分はあまりにも繊細すぎるんだ。
子供のころに持っていた熱狂を取り戻すには、
少し鈍感でなければならないのに、あまりにも神経質で感じやすい。
この最後の三つのツアーでは、みんなやファンにはすごく感謝している。
それでもこの不満、罪悪感、感情は解消できなかったんだ。

本当は知性があるのに、最低な人間のように振舞っている奴らのことは
それなりにリスペクトするよ。

俺には女神がいる。夢と共感を勝ち取った妻、
そして俺に、昔の俺ってもんを気づかせてくれる、愛情と喜びに満ち溢れた娘が。
そしてそれが、どうにもならないくらい俺をおびえさせるんだ。

つまらない人間になるほど幸福にはならないようにと願っている。
カート・コバーン

122:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:40:47.30 rNPLCH7D.net

俺が言いたいのは音楽理論なんて時間の無駄だということ。
ドリアンモードなんてセンスが悪いテクニック分析屋のためにあるのさ。自分の音楽を作れよ。

だんだん消えていくくらいなら、激しく燃え尽きた方がましだ。
覚えておいてくれ。消え去るより、燃え尽きた方がいいんだってことを。

日本のライブの警備にはムカついたね。
アメリカでもあんな風にオーディエンスが警備員に殴られることはあるけど、
日本での押さえ方は非常識だよ。
おかげでこっちも気になって演奏しにくいし、本当に最低だったよ。

とにかく速くて、アッという間だった。
どう対処していいかわからなかったんだ。
ロックスター講座なんてのがあったら、受けたかったよ。役に立ったかもしれない。

何でみんな叫ぶんだ?俺たちの中に、みんな何を見ているんだ?

とにかく俺は、そのグランジとやらで気恥ずかしい思いをするのに疲れてしまった。
俺はもうそういうものは越えちゃったんだよ。

俺は本当に暗いガキだったんだ。
毎晩、ある時間になると俺は自分を罵りながら床に就いた。
息を止めて頭を破裂させようとしたこともある。
頭をブッ飛ばせば、みんなが悲しんでくれるんじゃないかと思いながら...。
死にたかった。殺したかった。ブチ壊したかったんだ。

俺達は常にポップな曲を書こうと心がけている。
パンクとポップにそれほど大きな違いはないというのが俺の意見なんだ。

コートニーと俺がそんなにいかれていると思わない。
ふたりとも、いままでの人生に愛を欠いていて、それをもの凄く欲している。
だから、目指すものがあるとすれば、
それはできる限りの愛情をフランシスに与えることなんだ。
それなら悪いことにならないだろう。
カート・コバーン


次ページ
最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

327日前に更新/454 KB
担当:undef