【太平洋戦争】米英、 ..
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117:七つの海の名無しさん
17/12/10 16:34:39.45 DTeqPNuq.net
ちなみに「バスに乗り遅れるな」と言う言葉が初めて宣伝文句で出てきたのが
戦前のドイツがポーランドに侵攻した時で、書いたのが「朝日新聞」
朝日新聞はドイツとの関係強化をすべき、国論をドイツとの同盟で一致させるべきという
大々的政治キャンペーンを展開した
(ちなみに「我が代表堂々退場す」と煽ったのも朝日新聞w)

当時は先帝の「外交は英米と協調する方針をとること」という大命降下によって、枢軸外交〜ドイツと連合を結びたがった
第一次近衛内閣が崩壊し、先帝のその方針の旨を受けた阿部信行内閣が発足し「中道外交」に軸足を移したところだった
が、ドイツがポーランド侵攻を初め「ドイツとの同盟は、英米との対立を激しくする」という抵抗もむなしく
松岡、岸、陸軍らによって総辞職を余儀なくされ、第二次近衛内閣発足。わずかの間で枢軸同盟が結成された
松岡は外務大臣に就任した
「アメリカとは戦争になる筈がない。僕が抑える」これが彼の発言だが、ほんとにそう思ってたのかどうかw
(外相を先帝から辞めさせられた時こそ「アメリカと戦争になり陛下に申し訳がない」と言ってたが、緒戦の日本軍の勝利に
大興奮して「欣喜雀躍」と日記に書き記したという)
枢軸同盟を聞いた先帝は「私の時代はまだよいが、本当にあの国らと一緒になって未来があるのか」と言ったというが
果たして先帝の危惧した通りにアメリカは日本との開戦に踏み切り、陸軍にも逆らい、独断専行っぷりが酷かった松岡を先帝は許さず
外すよう首相に迫ったが松岡は辞職せず、内閣総辞職した
イギリスのチャーチル首相からドイツは必ずロシアと戦争になるという手紙を受けてたにも拘らず
日ソ中立条約を勝手に結んできたのも松岡だ(そしてその甘さから北方領土を失うことになった)
極東軍事裁判でその手紙が公開された時、松岡はその秘密外交っぷりが明らかにされ仰天したと言う

奴は首相の座も狙ってたという、先帝に逆らい
まさに昭和のニッポンの道を誤った方向に向けて走らせた奸物、いや大奸姦なのだ
政治家になったのも、元はといえば満州鉄道(奴の会社)が生むカネを守るためで
(初当選した時も、対中不干渉を口汚く罵ったのだ)その後の行動も一切合切が彼の私財を守るために他ならず
北進論を唱えていた時はその満州鉄道をシベリアに拡張するためであり、一転してソ連と結んだ時は
自分の満州鉄道を守るためであった


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