朝日新聞と中国との関係 その15 at MASS
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100:文責・名無しさん
13/01/26 21:26:26.63 j1j35QFW0.net
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
「価値観外交」すら理解できないアチャヒチンブン 2013/1/21(月) 午後 7:29

URLリンク(www.asahi.com)より、
朝日新聞 社説 2013年1月19日(土)付
東南アジア歴訪―「価値観」を語るなら
(朝日新聞社説引用略)

朝日新聞がいつものように珍妙な社説を披露した。
支那様の言うとおりに平常運転中である。

>ベトナムは、中国と同じ共産党一党独裁体制が続いている。最近も政府批判のブロガーが相次いで逮捕され、報道の自由も制限されている。
> 国際NGOによる言論の自由度調査でも、他のASEAN各国同様、例年下位を低迷する。
> 首相は、ベトナム首脳と「戦略的パートナーシップ」をうたい上げたものの、こうした点を改めるよう求めた形跡はない。

ベトナムの一党独裁を批判せよと人に言うのなら、朝日新聞こそが支那共産党を批判して自由と民主主義を訴えるべきだろう。親びんに楯突いて見してみい。

101:文責・名無しさん
13/01/26 21:27:48.00 j1j35QFW0.net
> 一方、民主党政権を引き継ぐ形でベトナムへの原発輸出の推進を誓った。
> 原発事故の検証は道半ばである。新たな原発政策も定まっていない。にもかかわらず、他国への輸出には前のめりだ。

ええじゃないの。
ベトナムが原発をやるっていうんだから、輸出すれば。
儲けちゃいかんのか。
よその国に発注させろというのか。
福島の原発は1966年に米国のゼネラル・エレクトリックの技術を導入して作られた。
それと世界最高水準の安全性を誇る日本の原発とを一緒くたにするな。

>透明性からほど遠い原発輸出の推進は「普遍的価値に立脚した外交」といえるのか。
>首相の価値観外交は、中国や北朝鮮への牽制(けんせい)に主眼があるのかもしれない。
>ただ、相手国によって、それを主張したり、しなかったりでは普遍的とはいえない。
> 共有すべき価値観とは何かもまた問われている。

共有すべき価値観が何かもわからんアホよ。
いろいろあるけど、最も重要なものは、安全保障だろ。
南進する支那を封じ込めることはアジア共通の普遍的価値ではないのか。ベトナムはフィリピンなどと並んで南シナ海で中国と領有権を争っている。
日本と利害を共有しているベトナムの首脳どうしが握手することは、何も語らずともその意義は大きい。



102:これが価値観外交だろう。 ワカリマチタカァ?



103:文責・名無しさん
13/02/07 00:42:52.10 9fCNGChL0.net
朝日新聞が願い続けた「日中友好」が今、大輪の花を咲かせつつあるw

104:文責・名無しさん
13/02/07 02:04:03.60 D8zmfoRX0.net
【民主党】代表の海江田万里「公表遅れただす」 中国海軍の艦船が海上自衛隊の護衛艦にレーダーを照射した問題に★2
スレリンク(newsplus板)l50

【レーダー照射】 「安倍政権に衝撃…連絡や発表遅れるとは、批判が出そうだ」…毎日新聞
スレリンク(newsplus板)

【毎日新聞】レーダー照射の原因は中国側が友好ムードを演出しているのに、安倍首相が態度を軟化させないから★8
スレリンク(newsplus板)

     ブ ー メ ラ ン wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

【政治】尖閣国有化前(民主党政権)から射撃レーダー照射 政府関係者明かす「日中関係を悪化させる懸念があると公表を避けてきた」
スレリンク(newsplus板)l50

105:文責・名無しさん
13/02/07 02:06:23.93 D8zmfoRX0.net
489 名前: 名無しさん@13周年 投稿日: 2013/02/06(水) 22:43:38.40 ID:L8mNDYHU0

  >>1のオリジナル記事が見れないと嘆いている方は、魚拓でごらんください。

  そーす記事・魚拓
  URLリンク(megalodon.jp)

  オリジナルの記事の配信した時間が、2013年2月6日19時45分です。
  3時間もしないうちに、消去されてしまいました
  (正確には、配信後、2時間前後で消えたんだけどね)

【政治】尖閣国有化前(民主党政権)から射撃レーダー照射 政府関係者明かす「日中関係を悪化させる懸念があると公表を避けてきた」
スレリンク(newsplus板)l50

    アカピwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

URLリンク(www.asahi.com)  ←消去

106:文責・名無しさん
13/02/07 18:30:50.33 23ZOO4ug0.net
>>89
朝日新聞が思い描く理想の「世界」の真の姿が「キショイ世界」であることははっきりしている。

「社会主義」がいい例。「独裁者と強制収用所」だった。

「脱原発」もそうだろう。「日本人が失業と貧困の中を這いずり回る姿」に違いない。

「核なき世界」もそうだろう。
   ↓
URLリンク(mimizun.com)

統一教会の洗脳で、最初は理想的なことばかりを聞かされて、最後に見せられるのが、
「このお方が神です」と文鮮明のキショイ写真。
朝日新聞はキショイ新聞なんだよ。

107:文責・名無しさん
13/02/13 02:30:58.74 6W71zh7r0.net
>>92
朝日新聞が社説でさんざん北朝鮮への宥和外交を唱えた末の核実験。
朝日新聞の青臭い「理想論」のキショイ姿が明瞭になってきたw

108:文責・名無しさん
13/02/14 16:15:34.07 EkE6Gd0H0.net
中国に操られてるクソカスども(日本人、韓国人共に)は目を覚ませ。
本当の敵は誰か、侵略を許すな

URLリンク(blog.livedoor.jp)

109:文責・名無しさん
13/03/01 21:36:59.52 chH4+W2X0.net
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
日米首脳会談、中国とも仲良くせよと朝日新聞 2013/2/24(日) 午後 6:46

安倍首相の日米首脳会談は、民主党政権によって大きく毀損された日米関係をなんとか修復し、日米安全保障の重要性を互いに再確認したという点で大成功であった。
しかし今朝の朝日新聞社説は、冒頭、日米安保の重要性を認めたフリをしつつ、中国の存在を忘れるなと釘を打っていた


110:。 そして最後は「(中国と仲良くしないと)日本は世界に取り残される」という脅し文句で締めくくった。 朝日新聞(2013/2/24) 社説日米首脳会談―懐の深い同盟関係を >日米同盟強化に完全に一致できた。強い絆は完全に復活したと宣言したい――。 安倍首相は日米首脳会談のあと、高らかに成果をうたった。 日米同盟が大切であることには、私たちも同意する。 >>おやおや、朝日新聞もたまには正気に戻ることがあるのか? >●だからといって、中国との対立を深めては、日本の利益を損なう。敵味方を分ける冷戦型ではなく、懐の深い戦略を描くよう首相に求める。 ●首相は、軍事面の同盟強化に前のめりだった。 首脳会談では、防衛費の増額や、集団的自衛権行使の検討を始めたことを紹介し、日米防衛協力の指針(ガイドライン)見直しの検討を進めると述べた。 ●一方で、中国を牽制した。 >>あ、やっぱり朝日新聞だ。 安倍首相は日米軍事同盟に「前のめり」だそうである。 中国を牽制してもいけないらしい。 >会談後の演説で、日中関係は最も重要な間柄の一つとしつつ、尖閣問題について「どの国も判断ミスをすべきではない。日米同盟の堅牢ぶりについて、だれも疑いを抱くべきではない」と述べた。 そういう首相と、米国側の姿勢には温度差があった。 オバマ大統領は記者団の前で「日米同盟はアジア太平洋地域の礎だ」と語ったが、子細には踏み込まず、「両国にとって一番重要な分野は経済成長だ」と力点の違いものぞかせた。 ケリー国務長官は外相会談で、尖閣に日米安保条約が適用されることを確認する一方、日本の自制的な対応を評価すると述べたという。 背景にあるのは、日米同盟を取り巻く状況の変化だ。



111:文責・名無しさん
13/03/01 21:38:19.88 chH4+W2X0.net
東西冷戦期には、米国とソ連が敵対していた。米国には、日本を引きよせておく必要があったから、同盟は強固だった。
だがいまは、経済の相互依存が進み、米国は中国と敵対したくない。米中よりも日中のあつれきのほうが大きく、米国には日中の争いに巻き込まれることを懸念する声が強い。
だから米国が日本に求めるのは、●いたずらにことを荒立てない慎重さだ。そこを見誤れば、日米の信頼も崩れてしまう。

>>ケリー国務長官は中国贔屓である。
民主党政権そのものも中国贔屓である。
日米安保がありながら「米国が日中の争いに巻き込まれたくない」というのはアメリカの本音かもしれない。
だからこそ核保有による自主防衛で中国とのパワーバランスを取ることが必要なのだ。

>>日米関係の亀裂を求める左翼(中国の回し者)は、「今や米中のG2の時代だ」(寺島実郎)と言ったり、「アメリカにとっては、日本の1億数千万の命よりも、中国の13億人の市場の方が大切」と言ったりする。
「日本はいたずらに事を荒立てるな」と朝日新聞はいうが、事を荒立てているのは中国の方だろう。

>そもそも、グローバル化が進むこの時代、世界を二つの陣営に分けるような対立は起こりにくい。●アジアの国々も、どちらにつくかと踏み絵を迫られる事態は望まない。
日米同盟を大切にしつつ、いろんな国とヒト、モノ、カネの結びを深め、相手を傷つけたら自身が立ちゆかぬ深い関係を築く。日中や日米中だけで力みあわぬよう、多様な地域連携の枠組みを作るのが得策だ。

>>グローバル化の時代だからこそ健全なナショナリズムが必要になって来るのである。
アジアの国々は中国の海洋覇権主義と資源漁りに辟易としている。中国の野心を砕く強い日本に期待している。
中国包囲網を作ろうとするアメリカと日本、アジア諸国の連携の動きは正しい。

>●対立より結びつきで安全を図る戦略を構想しないと、日本は世界に取り残される。

>>「日本は世界に取り残される」とは朝日新聞らしい結語である。
騙されてはならない。
「中国と結びついて安全を図る戦略」などありはしないのである。

112:文責・名無しさん
13/03/08 20:18:15.63 OJu9QLUU0.net
ほぼ日本国内のみという狭い市場の将棋は、
朝日や毎日など売国新聞社でも協賛への費用を惜しまない。
しかし、中国と韓国が絡む市場規模の囲碁になると
将棋ほど協力的ではなく、日本人棋士たちを潰そうとする。

113:文責・名無しさん
13/03/25 16:49:42.65 roZ8MvVJ0.net
URLリンク(komoriy.iza.ne.jp)
ステージ風発
朝日新聞の反防衛社説がぼろぼろに2013/01/2900:06

朝日新聞は日本の宝です。
日本の国としての基本方針について、朝日新聞が主張することと正反対のことをすれば、日本は成功するからです。こんな貴重な反面教師はありません。

日本の戦後の講和条約しかり、−−−朝日新聞はいわゆる全面講和を主張し、多数講和には反対でした。
日本は多数講和の道を選び、いまの平和や繁栄を得ました。朝日新聞はしかもその多数講和を「単独講和」と呼ぶ言葉の詐術を弄したけれども不毛でした。

日米安保条約しかり、−−−朝日新聞は安保条約に反対でした(条件つきであり、その後は変身して「反対しなかった」と述べる筋もあるとはいえ)。でも日本は条約を成立させる道を選び、今日の安定を得ました。

防衛庁の「省」昇格しかり、−−−朝日新聞は「庁」が「省」になると、軍国主義志向になるなどと示唆して、反対でした。
しかしいざ防衛省が誕生すると、なにも支障は起きないどころか、国家の安全にはより円滑な行政が可能になりました。

さて朝日新聞はいま安倍政権による防衛態勢の見直しや強化に反対しています。この点も結論を先にいえば、朝日新聞の主張とは反対の道を選べば、日本はうまくいきます。

しかしそれにしても、朝日新聞もこの「防衛措置にはなんでも反対」というスタンスの保持には苦労するようになりました。主張が支離滅裂、理屈がぼろぼろなのです。

実例を示しましょう。1月28日の社説です。
まず以下がその全文です。その後に欠陥を明示しましょう。

=====
防衛力見直し―首相の説明が足りない
(朝日社説全文引用略)
=====
まず最初の反対部分です。

>「一方で、防衛政策をやみくもに変えていると受け止められれば、かえって地域の緊張を高めかねない。安倍政権の前のめりの姿勢を見ると、そんな懸念がぬぐえない。」

この部分でのキーワードは「やみくもに変えている」「前のめりの姿勢を見ると」です。
安倍政権が新たに出てきて、防衛政策を新たに作ろうとすると、それはもう「やみくも」だというのです。「やみくも」って、正確にはどんな意味でしょう。辞書では「前後の思慮のない様」となっています。

114:文責・名無しさん
13/03/25 16:52:03.18 roZ8MvVJ0.net
安倍政権の防衛政策は「前後の思慮がない」と決めつけ、それはよくない、と断じるのです。この主張ではまず「前後の思慮がない」ことの論証が不可欠ですね。しかし朝日の社説にはそれがありません。
「悪い」と断じ、「だからよくない」と決め付ける、なんとも空疎な論法なのです。

安倍政権は「前のめり」なのだそうです。この表現も無意味ですね。「前方に倒れるように傾くこと」が「前のめり」です。きわめて主観的ですね。
一つの政権の政策や姿勢が「前のめり」かどうか、どうやって決めるのか、せめてその尺度を示すべきです。私からみれば、安倍政権はまだまだ「後のめり」だと言いたくなります。

さらに社説をみましょう。
以下のような情緒的で無意味な記述がこれまた安倍政権の政策への反対の最大基盤になっています。

>「自衛隊の活動を際限なく広げる」
>「激しい軍拡競争に陥りかねない」
>「防衛費の野放図な拡大」
>「防衛力強化だけを突出させるべきではあるまい」

ここで目立つのも「際限なく」「激しい軍拡」「野放図な拡大」「だけを突出させる」などという、客観的な根拠のない表現です。
言葉の使い手の感情や好悪の情を表す以外には意味のない「ののしり言葉」だともいえるでしょう。

「際限なく」なんていうことが一国の防衛にあるはずがありません。
「激しい軍拡」なんて、いまの憲法で自縄自縛の日本にはありえません。
「野放図な拡大」なんて、「野放図」が悪いことに決まってるじゃないですか。安倍政権や自衛隊がどのように野放図なんですか。まずそれを証明してから、議論を進めてください。

「だけを突出させる」ことも悪いことに決まってるじゃないですか。

防衛力強化だけが予算措置上で本当に突出しているのかどうか、その点の説明がないですよね。

要するにこの社説の主張には客観的な実質がありません。
情緒的なののしりがあるだけなのです。
「ボクちゃん、防衛費増えるの嫌いい!!」と悲鳴をあげているとしか思えません。
だから論理や事実に立脚すべき主張としてみれば、空疎、ぼろぼろ、支離滅裂と評するほかないのです。

115:あぼーん
あぼーん.net
あぼーん

116:あぼーん
あぼーん.net
あぼーん

117:文責・名無しさん
13/04/23 21:39:37.13 gFF2kEtj0.net
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
朝日記者、尖閣諸島を中国名で質問 自国での呼称が一般的なのに… 中国外相会見
2013.3.9 20:48 [メディア]

 9日の中国外相会見で朝日新聞中国総局の記者が沖縄県・尖閣諸島について、
「中日間の釣魚島問題での対峙(たいじ)は半年に及ぶ」などと、2度にわたって中国名である「釣魚島」という表現を使って中国語で質問した。

 領有権主張などで相手国との対立がある場所は、自国での呼称で質問することが一般的だ。
日本での記者会見でも、中国人記者が「尖閣諸島」、韓国人記者が「竹島」(韓国名・独島)を使うことはほとんどないとされる。

 しかし、反日感情が高まっている中国では、全国にテレビ中継される場面で「尖閣諸島」と口にすれば、身に危険を及ぼす可能性もあり
、最近、島の名前を触れずに質問する日本人記者が増えている。
4日の全人代開幕前の会見でも、共同通信の記者は「中国はいかに日本など周辺国との摩擦を緩和させるのか」と質問していた。

118:文責・名無しさん
13/04/24 05:00:16.59 eUzg+dt00.net
      ○
      |├──-─┐
      |││ /  / │
      |│⌒ヽ /  │
      |│朝 ) ─│
      |├──-┘
     ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    (-@∀@) < 小日本ども、ゴチャゴチャ言わずに中国様に
 φ⊂(  朝 )  \ もっと金も技術も差し出せよ!
    | | |  \__________________
    (__)_)

119:文責・名無しさん
13/04/24 10:13:22.83 BkCkVEr60.net
麻生曰く
「朝日新聞は【黄金の70年代】と題して30いくつの予想を立てたが
全て外れた。それから、朝日新聞は全く読まなくなった」との事

例えば、学園紛争は更に拡大するとか、公害問題は更に悪化するとか
朝日新聞が書くことは全て逆張りが正しい

120:秋山千佳 朝日新聞(辻千佳)
13/04/25 08:45:04.80 yjL+XLG/I.net
秋山千佳 朝日新聞(辻千佳)は元社会部員。
在◯なので会社は優遇。社員は腫れ物扱い。
辻千佳(秋山千佳)は鬱病の詐病で三年間休職を繰り返し、朝日新聞を辞めていた件
辻千佳(秋山千佳)は鬱病の詐病で三年間休職を繰り返し、朝日新聞を辞めていた件
辻千佳(秋山千佳)は鬱病の詐病で三年間休職を繰り返し、朝日新聞を辞めていた件
辻千佳(秋山千佳)は鬱病の詐病で三年間休職を繰り返し、朝日新聞を辞めていた件
休職中の月収は40万

121:文責・名無しさん
13/05/04 21:14:51.20 VsnM71w50.net
木走日記URLリンク(d.hatena.ne.jp)
2012-11-08日本より中国にウエイトをおく朝日新聞社説のユニークな視点
■[メディア]朝日新聞っていったいどこの国のメディアなのか?〜日本より中国にウエイトをおく朝日新聞社説のユニークな視点
さて米大統領選オバマ氏再選を受けて8日付け各紙社説は一斉に取り上げています。
(略)
社説の内容を読み比べてみるとあるキーワードで分析を試みてみると大変顕著な傾向が見出されて興味深いのです。
そこで今回はこのアメリカ大統領選の結果を論じる5大新聞社の社説をメディアリテラシーしてみたいと思います。
・・・
さて、各紙社説に現出している単語を国に関わるキーワードの出現頻度で分析してみます。
(略)また「日本」および「日米」ふたつのキーワードに絞り頻度を見ますと各紙の論調の傾向がより顕著になります。
(略)
頻度14回の日経や産経(12回)に比較し、読売(4回)、朝日(1回)の少なさが目立ちますが、中でも朝日の少なさは突出しています、
「日本」は1回だけ、「日米」にいたっては0回です、「中国」が3回現出しているのにです。
(略)
さて一方の朝日社説ですが、分析したとおり日本や日米関係に関する記述はほとんどありません。
逆に社説の結びでは「■対中関係どう築く」の小見出しで日本ではなく中国に関する論説で埋まっています。
■対中関係どう築く
(略)
アジア太平洋重視を打ち出しているオバマ政権にとって、習近平(シーチンピン)・新体制の中国とどう向き合うかは最大の2国間問題だ。
経済面の相互依存が増すなか、実利的な関係を進めると見られるが、大国化した中国が周辺国と摩擦を起こす場面が増え、米国は警戒を強めている。
尖閣諸島をめぐって中国との緊張が続く日本としても、オバマ政権の対中政策を見極め、連携を深める必要がある。
外交、内政両面で、理念を開花させることができるか。オバマ政権の真価が問われる4年間になる。

122:文責・名無しさん
13/05/04 21:28:17.05 VsnM71w50.net
唯一の「日本」への記述は「尖閣諸島をめぐって中国との緊張が続く日本としても、オバマ政権の対中政策を見極め、連携を深める必要がある」の一行だけです。

中国に対しては「アジア太平洋重視を打ち出しているオバマ政権にとって、習近平(シーチンピン)・新体制の中国とどう向き合うかは最大の2国間問題」とまで言い切っています。

・・・

まとめです。


新聞社説とは、単なる事実報道記事でも解説記事でもなく、一般には新聞社としての立場・意見の表明・主張をする論説であり、よって執筆者署名はありません。

従って読者が社説に期待するのは、ある事象に対する「事実や解説」というよりは、その事象に対するひとつの「考え方」や「意見」を求めるのが一般的です、その主張に賛同するにしろ反発するにしろです。

例えば同盟国アメリカの大統領選の結果を社説で取り上げるのならば、もちろん米国は世界最強の軍隊を有し堕ちてきたとはいえ世界最大の経済規模を誇る大国でありますから、

これからの経済対策など米国内の内政諸問題と国際経済への影響、米国の国防予算削減と国際的な軍事外交政策まで、多面的な視点での論説は必要でしょう。

ただ、米国の選挙結果を自国のメディアが社説で取り上げるとすれば、今後の対米関係への影響など自国との関わりの部分を論説することは必須であり、

自国への影響に関心を持つ自国の読者のニーズに応えることは必要でしょう。


その点で今回の朝日社説は外交面では、日本や日米関係にほとんど触れず米中関係ばかり重視して記述しており、日本のメディアとしてはとてもユニークな視座だと言えましょう。


こうして同じ事象を論じている各紙社説を読み比べて見ると、それぞれがその事象の先の何に関心を持っているのか、それが透けて見えて興味深いです。

しかし、朝日新聞はいったいどこの国のメディアなんでしょうか。

(木走まさみず)

123:文責・名無しさん
13/05/05 17:07:40.51 Vw65ezMB0.net
【朝日新聞/社説】日本と中国-日中対立なら対


124:日協調派の発言力が低下、日本は尖閣・歴史問題で配慮せよ[05/05] http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1367728129/



125:文責・名無しさん
13/05/09 21:07:21.46 u6C4klIt0.net
URLリンク(14471.iza.ne.jp)

サラリーマンやってる猫の一匹集会所

【朝日社説】「中国様はアメ公より核保有数が少ないんだぞ!」


2009/04/2910:41  4月29日付朝日新聞社説

URLリンク(www.asahi.com)


核軍縮と日本―首相が先頭に立ってこそ

(朝日社説引用略)


>それは理解できる。


>だが、米国が4千発以上の核弾頭を持つのに対し、中国の保有数はひとケタ少ない。中国政府はさっそく演説に反発している。


朝日得意の「YesBut話法」です。この場合は「決してアメリカの核だけを削減しろと申してはおりません。」の後に「ですが、」が入り、後は支那の代弁じみた能書きが延々と続く仕掛けであります。


ここで吾輩が驚いたのは、核弾頭数の“多い少ない”を朝日が議論の俎上に載せていることです。

常々「核兵器は絶対悪」と声高に主張している朝日の姿勢からすれば、1発だろうが4千発以上だろうが関係ないはずです。

126:文責・名無しさん
13/05/09 21:10:57.31 u6C4klIt0.net
にも関わらず通常兵器並みに数の“多い少ない”の議論を展開し始めたのには驚きです。

「絶対悪」を数の“多い少ない”で相対的に論じる矛盾をさておくとしても、仮に“多い少ない”の問題であるならば、

核兵器を1発も持っていない日本は支那に「反発」されるいわれなど全くないはずです。

にも関わらず、朝日は

>中国にも日本にも、その他の周辺国にも利益になる新しい安全保障の枠組みづくりを考える必要がある。なのに、外相演説はこの点にほとんど触れていない

などと寝言を言っています。寝言であっても「中国様の利益」が頭から離れる瞬間はないようですな、朝日論説諸氏の頭からは。

だいたいね、支那にとっての「利益」とは東アジア、いやインド洋から西太平洋全域に及ぶ地域での覇権を確立することですわ。
そのための核であり、空母建造計画であり、そのための過去20年以上にわたる前年対比増率2ケタ軍事費増なのです。
そんな支那の「利益」と日本の「利益」が共存するという幻想を平気で振りまける朝日のお気楽さというか無責任さには開いた口がふさがりません。

127:文責・名無しさん
13/05/09 21:14:31.44 u6C4klIt0.net
(追加)
安保仁さんにコメントをいただいたのですが、そうです、朝日にとっては日本に照準を合わせている支那の核弾頭も、そうではないアメリカの核弾頭(しかも日本にとっては(一応)「核の傘」)も同じってことですな、

この社説を読む限りは。
朝日は

>唯一の被爆国家としての主体的な取り組みが乏しい
などと日本の立場を「唯一の被爆国家」と規定し、アメリカからも支那からも等しく距離を置くべき立場であるかのように論じますが、実際の日本は支那に核の照準を合わされ、アメリカの核の傘の下にいる立場です。

そういうことを故意か過失か知りませんが全部すっ飛ばし、中曽根外相演説への支那の身勝手な「反発」を批判せず、それどころか逆に「中国様の利益も忘れるな」と外相に文句をつける朝日です。

朝日理想の「世界中から核をなくそう!」式の地球市民的理想も結構ですが、我が日本を狙っている核弾頭とそうでない核弾頭とをごちゃ混ぜにして論じられる感覚が理解できません。

128:文責・名無しさん
13/05/22 00:23:49.89 vAMGt84A0.net
反原発】中国の大気汚染はスルー?【朝日・テレ朝
スレリンク(mass板)


129:06129/



130:文責・名無しさん
13/06/10 21:02:03.69 ShtbW3Ee0.net
URLリンク(home.att.ne.jp)
「朝日」は何を、どう報じてきたか(その1)―反日報道の原点「中国の旅」―

 昭和前期(〜1945年8月)を中心とするわが祖国を、日本軍・民が犯したとされる残虐行為をとおして断罪、いわれるところの「反日史観、自虐史観」へと導きました。
その最大の「功労者」は間違いなく朝日新聞であり、その先駆けとなったのは1971(昭和46)年8月に始まった連載「中国の旅」であったと断じて間違いないものと思います。

単行本「中国の旅」文庫本「中国の旅」 「中国の旅」という一新聞社の一連載(約40日間)をもって、ただちに反日史観、自虐史観が形成されたわけではもちろんありません。
当時の風潮は中国の文化大革命にも影響を受けたのでしょう、「なんとなく左翼気分」も手伝って、大きな影響力を持たせる一因になったのだと思います。
 「天下の朝日」が報じて大反響を巻き起こしたとなれば、一部を除くほとんどのメディアがバスに乗り遅れるなとばかり、さらなる日本軍民の悪行発掘に精を出したことでした。
 また近現代史を専門とし、歴史学会をリードする左派系の大学教授がソレっとばかりに日本断罪で足並みをそろえます。
日教組が牛耳る教育界も「平和教育」という大義名分のもと、教科書、授業をとおして、日本軍・民の残虐行為の生徒への叩き込みが加速しはじめました。
 社会党(現・社民党)、共産党などの政党および政党人、法曹界に籍をおく人、作家や文化人、有識者からも、少なからぬ人たちが連載の影響を受け、進んで日本糾弾に走りました。
こうなれば、日本断罪という流れは決定づけられます。あとは黙っていても反日史観、自虐史観は完成します。
 ですが、日本断罪の原点であった残虐行為自体、中国をはじめ各地で聞き取ってきたもので、当然されなけらばならない検証はごく一部を除いて行われなかったのです。実に驚くべきことです。
(略)

131:文責・名無しさん
13/06/10 21:06:25.99 ShtbW3Ee0.net
以下、朝日新聞が戦前、戦後をとおして、どのような報道姿勢をとってきたか、代表的な例で経過を見ておきたいと思います。
(略)

 2 朝日新聞登場
(1)  「中国の旅」が引き起こした“集団ヒステリー状態”
 ところが約20年を経た1971(昭和46)年、GHQにとって代わったかのように、日本軍の“悪行”を告発し、断罪する人たちがでてきたのです。口火を切り、先導役をつとめたのは間違いなく朝日新聞社です。
「中国の旅」 この年の8月から12月まで、現地ルポと称する「中国の旅」の連載をもって、朝日新聞社による日本軍断罪一大キャンペーンがはじまりました。 報告者は本多勝一記者でした。
 連載は平頂山事件にはじまり、万人坑、南京、三光政策の4部に分けて報じられました。
 各部は約10回でしたから、通算で約40回、40日間の長期連載になりました。
 また連載とともに、「アサヒグラフ」「週刊朝日」「朝日ジャーナル」など、朝日新聞社は手持ちの活字媒体を総動員します。
 例えば「週刊朝日」は「大河ルポ 中国の旅」と題して、「防疫惨殺事件」などを、本多記者に同行取材した古川万太郎記者が報じました。
 これらは後に単行本、文庫本『中国の旅』(共に朝日新聞社)になりますが、「中国の旅」連載こそが昭和の歴史を貶めた原点だった思います。なにせ中国における日本軍および民間人がやったことといえば、残虐行為以外のなにものでもなかったと描かれていたからです。
 それも中国のいうがままを鵜呑みにし、あたかも事実であるかのように装った悪質なルポであり、報道の名に値しないものであったと断言して誤りはないと思います。
 報道時の日本人の反応を終戦時、陸軍少尉であった山本七平は、以下のように「集団ヒステリー状態」と喝破しました。
 (略)

132:文責・名無しさん
13/06/10 21:09:44.84 ShtbW3Ee0.net
 「中国の旅」による「集団ヒステリー状態」、いかに強烈なインパクトを日本人が受けたかがよくわかります。読んでいて気持ちが悪くなったと感想をもらす人もあるくらい、想像を超えた日本軍の残虐さであふれかえっていたからです。
 例えば「南京大虐殺」。犠牲者は30万人、殺害手段となると、強姦のうえ殺害、生き埋め、火あぶり、さらには肝臓を抜き取って食うなどの凄まじさでした。
民間人も負けてはいません。炭鉱や工事現場で労働者を酷使し、使えなくなれば生きたまま捨てた「ヒト捨て場」万人坑。ここには、万、十万単位の犠牲者を各地で出したといいます。
「中国の日本軍」 さらに、単行本『中国の旅』の写真版と称する『中国の日本軍』(双樹社、1972年)も出版されました。
ここに掲載された日本軍民が殺害したとする大量の白骨遺体の写真は、視覚に訴えるだけに強烈な印象を読者に残したはずです。
 問題を深刻にしたのは、「中国の旅」報道が加害者とされる側から裏づけを取らない一方的なものだったにもかかわらず、
新聞記者、学者、研究者の多くが、つまり情報を発信する側にいる人たちが、このルポを事実と信じてしまったことでした。

     (2)  われもわれもと中国へ
 日中国交回復(1972=昭和47年9月)の後、訪中の制約が少なくなるにつれ、新聞記者、学者、研究者らは競うように、日本軍の残虐行為を求めて中国に渡りました。
そして、人間とは思えない日本軍の冷酷な行為がこれでもかこれでもかとばかりに報じられたのです。
これらもまた、「中国の旅」同様、ほとんどが日本側の取材を欠いたもので、本多記者と同じ轍を踏んだものでした。ですから「中国の旅」の内容と大同小異だったのは当然のことでしょう。
 もちろん、この間、異論も反論もありました。しかしその声は小さく、また肝心のメディアは無視します。となれば、日本軍民断罪の流れは動かしようもありません。

133:文責・名無しさん
13/06/10 21:11:34.85 ShtbW3Ee0.net
   (3)  やがて教育現場に
 「中国の旅」で報じられた平頂山事件、万人坑、三光政策、南京大虐殺のいずれもが、百科事典に報道そのままの内容で記載されました。
やがて歴史教科書に登場します。夏休みに文庫本『中国の旅』を渡し、読後感を課題とする学校も少なくなかったようです。
また、写真集『中国の日本軍』を副読本として推薦する歴史教科書(高校)の例もありますから、教育現場に広く浸透したのは間違いありません。

    3   「楽な取材」だったと本多記者
 詳しくは後述いたしますが、1967(昭和42)年から北京駐在の日本人特派員が「文化大革命を中傷した」などの理由で、次々国外退去処分になりましたが、朝日新聞一社がこの処分をまぬがれました。
このため、朝日が中国取材を半ば独占するなかで、「中国の旅」取材は行われたのです。
 ではその取材の実態はどうだったのでしょう。当の本多記者が次のように書いています。

〈 本舞台での取材そのものは、ある意味では楽な取材だと言えるでしょう。
レールは敷かれているし、取材相手はこちらから探さなくてもむこうからそろえてくれる。
だから問題は、短時間に相手からいかに大量に聞き出すか、
しかも正確に聞き出すかと、そういう問題になる 〉

 「中国の旅」報道の実態を表したビックリ発言です。中国側が用意した"被害者"などから大量に聞き出してそのまま掲載したというのですから。
本多勝一朝日新聞記者 まさに、中国側の手でレールは敷かれていたのです。しかも、このことに本多も朝日新聞社も何の疑問を持たなかったようで、「楽な取材」だったと臆面もなくいいのけます。
 読者は「大朝日」が報じたのだから、十分な調査をしたうえでの報道と思ったことでしょう。まさか、中国側の用意した被害者だけが取材源だったとは思いもしないでしょうから、とんだ食わせ物を読まされたわけです。
 このうえ、加害者とされた日本側の裏づけ調査をまったくしなかったのですから、「中国の旅」記述がどのようなものか見当がつきそうなものです。
 なのに、人がよいというのか、日本軍を叩くことが正義とでも思ったのか、報道関係者、学者、文化人をはじめ、ほとんどの日本人は信じこんでしまったのです。
その様が「集団ヒステリー状態」とあっては、なんともお話になりません。

134:文責・名無しさん
13/06/10 21:13:40.84 ShtbW3Ee0.net
 ・  藤原彰元一ツ橋大学名誉教授の解説
「南京への道」 しかし、このルポを絶賛ともいえるほど高い評価をくだす人たちが大勢います。
 わけても近現代史を専攻している大学教授、教職員、法曹界に多く、教科書、事典、辞書の執筆をするなど社会的影響力を持ち、それだけに厄介な問題です。その一人が「大虐殺派」の大御所・藤原元教授です。
 藤原は『南京への道』(本多勝一、朝日文庫、1989年)のなかで「解説」を加え、『中国の旅』の影響力、評価を以下のように書いています。

〈 この『中国の旅』の反響は深刻であった。日本軍による虐殺事件をあばき出し、
かつての戦争における加害責任の問題を、事実にもとづいて日本人につきつけたからである。
日本でのそれまでの戦争への批判は被害者の立場からのものが多かったから、
このルポが読者にあたえた衝撃は大きかったのである。
もちろんそれまでにも、日本軍の残虐行為についての告白や記述はあったのだが、
小出版社から出された部数の少ない著書で、影響力はそれほどなかった。
それにくらべてこのルポの発表の舞台が発行部数の多い朝日新聞であったこともあり、
事実の重さと、その事実によってのみ証言するという著者の真摯で明快な語り口が、
多数の読者の胸を打ったのである 〉

 『中国の旅』が「多数の読者の胸を打った」のかは知りませんが、記述が事実にもとづいたものと頭から信じていて、何の疑いも抱かない素直さに感心してしまいます。
 ただ、反響は深刻だった、また大部数を持つ朝日だからこそ大きな影響力があったとする見方は、そのとおりだと思います。結局のところ、「真実」とは縁のないところで、声の大きい方が主導権を握る、毎度のパターンでしょう。
 〈⇒ 朝日「中国の旅」報道を検証する〉をお読みになれば、この「解説」がいかに見当はずれであるかが分かると思います。
 「事実にもとづいて日本人につきつけた」だの、「事実の重さと、その事実によってのみ証言するという著者の真摯で明快な語り口・・・」などとする見方がどの程度、説得力を持ちうるか、興味のある問題と思いますので。

135:文責・名無しさん
13/06/10 21:16:34.67 ShtbW3Ee0.net
 4   「代弁しただけ、抗議をするのなら中国に」

 このルポがいかにいいかげんなものなのか、証拠を一つご覧に入れましょう。
 下写真は文庫本『中国の旅』に掲載されたものの1枚で、日本人経営の南満州の鉱山(南満鉱業)で、中国人労働者を酷使し、病気、ケガ、栄養失調などで使いものにならなくなると、
ときには生きたままで


136:フてた「ヒト捨て場」の発掘跡だというものです。 「中国の旅」より この「ヒト捨て場」を「万人坑」(まんにんこう)と呼び、この南満鉱業の発掘例では、ここ1ヵ所だけで推定犠牲者が実に1万7000人にのぼるとあります。  つまり、万人坑の一つひとつが万単位の「ヒト捨て場」で、南満鉱業には分かっているだけで5ヵ所の万人坑があるといいます。  一方、満州最大の炭鉱、満鉄・撫順炭鉱には約30ヵ所の万人坑が存在し、推定犠牲者25万〜30万人とされました。「南京大虐殺30万人以上」と同程度の膨大な犠牲者数になります。  「中国の旅」の効果に味を占めたのでしょうか、中国はこのほかにも多数の万人坑が存在し、例えば大同炭鉱には20ヵ所あって、 推定犠牲者を6万人とし、現地(山西省大同市)に大きな記念館まで建ててしまいました。  ところが何を思ったのか、つい最近(2006年)、さらに大同炭鉱の調査をしなおした結果、犠牲者が15万5千人になったと中国は言い出しました。 そのうち歴史教科書にも15.5万人と書くに違いありません。あるいはすでに書いてあるかもしれませんが。  撫順炭鉱、南満鉱業、大同炭鉱以下、これらの万人坑は100%でっち上げ だと私が言ったら信じますか。おそらく、まさかと思うでしょう。  ですが、間違いなくでっち上げなのです。少し調べ、考えさえすれば分かることだと思うのですが。だから、日本の歴史教科書から記述が消えたのです。でも、日本の歴史百科事典には大学教授が臆面もなく事実だとした記述をしています。  かつて、ここに勤務した人など関係者にとって、万人坑の存在は寝耳に水でした。朝日連載に対して抗議の声があがったのは当然のことでしょう。 撫順炭鉱に勤務した久野健太郎は、万人坑なるものは存在せず、また同鉱に関する「中国の旅」記述は事実と著しく異なるなどと、自著を添えて本多記者に抗議の手紙を送りました。



137:文責・名無しさん
13/06/10 21:18:26.72 ShtbW3Ee0.net
「本多書簡」 本多記者はどのように答えたのでしょうか。返事のうち、「追記」の部分を引用します(左写真は本多記者の返信)。

〈 ・・・また私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけですから、
抗議をするのであれば中国側に直接やっていただけませんでしょうか。
中国側との間で何らかの合意点が見つかったときには
それをまた本で採用したいと思っております。 〉
―1986年3月9日付け書簡―

 人を愚弄した回答だとは思いませんか。
 いったい誰が取材し、誰が書いたというのでしょう。取材し、書いた本多記者と掲載した朝日新聞社が記事の責任を負うのは決まりきった話ではありませんか。
 自らの責任をそっちのけにしてこのようなことをヌケヌケと書く、しかも相手は1902=明治35年生まれですから、このとき83歳か84歳のお年寄りですよ。卑劣さもきわまれりと思います。
 朝日新聞社への抗議の例はこれだけではありません。ですが抗議に対して朝日は、無視あるいは玄関払いを以って応じました。
 こんな怪しげなルポを核にして、朝日は日本軍叩きの先導役をつとめ、われわれの歴史を貶め、中国に「歴史カード」をもたらす大きな原因となったのです。


    5   「天皇の軍隊」の落し穴

 「中国の旅」報道とほぼ時を同じくして、「天皇の軍隊」という題名のもう一つの連載が始まりました。「現代の眼」という月刊誌です。今は廃刊となっていますが、当時はよく売れていたものです。
単行本「天皇の軍隊」文庫本「天皇の軍隊」 熊沢京次郎という筆名で書かれましたが、本多勝一記者 と長沼節夫・時事通信記者との共著です。
 連載後すぐに単行本(写真左)となり、のちに本多、長沼の実名をもって文庫本となり朝日文庫(写真右)に加えられました。この本も『中国の旅』と同じように、強い感染力を持ったウイルスです。

138:文責・名無しさん
13/06/10 21:22:43.00 ShtbW3Ee0.net
 ほんの一部を読んだだけで、日本軍が軍紀などと縁のない「ならず


139:メ集団」であったかがわかります。 いや、「ならず者集団」ならまだましです。残忍な手口による殺人、女とみれば強姦のうえ殺害するなど、まさに鬼畜以下の存在です。  しかも、戦地にいた将兵(将校と兵士)の口から、「これでもか、これでもか」と語られているのですから、少々おおげさかなと思う人はあっても、大朝日の花形記者の名を見て、おそらく信じたことでしょう。 そして、これらが事実なら日本軍はまさに鬼畜以下の存在、何をいわれようと仕方がないのかも知れません。    (1)   娘を殺害、油で炒めて副食に  とにかく、例を一つ見てみましょう。榎本正代という名の曹長の証言です。できるだけ、先入観を持たないようにお読みください。  伊藤誠少尉が率いる1個中隊約70人はとある山村に宿営する。1日目は部落から略奪してきた食料で何とか間に合わせたが、2日で食いつくした。 手に入るものは畑の野菜ぐらい、ブタ・ロバ・ニワトリなどの動物性蛋白源がまったく見当たらない。そこで、「そうだなあ、オイ、ひとつやっちゃうか」と伊藤中隊長は言うと宿舎を出ていった。 そして、以下に引用する「人肉食事件」になったというのです。  〈 ほどなく中隊長が戻ってきた。彼が連れてきたのが、年のころ、17、8歳と見える中国人の娘だ。(中略)少尉が少女のうしろに回り、どんと榎本曹長の方に突き飛ばすのと、曹長の短剣が少女の胸を刺すのと、ほとんど同時だった。(中略)  2人は目配せをし合っただけで、無言のまま、たちまちにして少女を「料理」してしまった。 最も短時間に「処理」できる部分として、2人は少女の太股の肉のみを切りとって、その場でスライスして油でいためてしまった。 1個中隊分といっても、最前線にあっては70人ほどだったのだが、人肉の分量は意外に多く、各人にふた切れは渡りそうに思えた。 〉



140:文責・名無しさん
13/06/10 21:29:24.61 ShtbW3Ee0.net
 この話、おおむね事実と信じますか。それとも、信じられませんか。信じるにしても、信じないにしても、その理由を考えてみていただけませんか。
 この残虐話を例にとり、「酒鬼薔薇聖斗」で有名になった「神戸児童殺傷事件」の原因が、
われわれがこのような日本軍の暴力に向き合わなかったことにあるとした論考を、
毎日新聞に寄せた著名な精神科医 (野田正彰教授)もいるのです。(略)

   (2)  証言者はすべて中国戦犯
 このような残忍な例があとからあとから出てくるのですから、話半分にしても日本軍のメチャクチャ振りにゲンナリさせられます。
ですが、ご存知ない方も多いと思いますが、これらの話が事実だとするには大きな問題が横たわっているのです。それは戦後、中国に戦犯として抑留された「中国抑留者」(=中国戦犯)に関わる問題なのです。

 『天皇の軍隊』の証言者がことごとく中国抑留者という事実です。
この事実を知らなければ真実がわからず、落し穴になっているのです。

 このことを指摘したのは、おそらく私が最初だろうと思いますが、別項(⇒中国戦犯証言を検証する)にまとめてありますので、こちらもご覧ください。
 同じ時期に、「中国の旅」「天皇の軍隊」という2つの連載。そして単行本・文庫本『中国の旅』『天皇の軍隊』と写真集『中国の日本軍』の発刊。
これらを真に受ける学者、教職員、文化人たちとくれば進む道は一本、いかに現代史が歪んでいったか見当がつくはずです。

    6   中国ベッタリ報道は「営業政策」
 でもなぜこの時期(1971年前後)に、また何を目的に、突如(?)として朝日新聞社は日本軍断罪に力を入れたのでしょうか。
これには文化大革命(以下、文革


141:。1966=昭和41年〜1976年)との関連を考えないわけにはいきません。     (1)   当初の論調に違和感はない  朝日新聞が当時、文革を高く評価したのは周知のことですが、文革開始直後からというわけではありませんでした。 当初は文革批判あるいは文革を懐疑する記事も結構、多かったのです。(略  ところが、1967(昭和42)年の夏頃から朝日の論調がガラリと変わり、文革を評価し、肩入れしだしたのです。



142:文責・名無しさん
13/06/11 21:20:05.66 P3F4OgHp0.net
(2)   広岡体制で一転文革評価
   美土路昌一社長が病気で退社、後を継いで広岡知男(左下写真)が専務から社長に昇格、全権を握ったのは1967(昭和42)年7月のことでした。
同時に「戦後左翼のシンボル」(青山昌史・元朝日常務)とも言われた森恭三を論説主幹に任命します。
もっとも主導権は広岡は社長になる前から握っていて、いわゆる「朝日紛争」(創業家、村山家との経営権をめぐる争い)で村山長挙社長を追放した1964(昭和39)年頃と言われています。
広岡知男朝日新聞社長 以降、広岡は社長として10年、会長として4年、1980年までワンマンとして朝日新聞に君臨したといいます。
ですから、文革時代の中国報道は広岡社長の強い影響下にあったといってよいのでしょう。
 朝日OBで社長秘書役、研修所長などを歴任した本郷美則は、広岡知男社長が「今日の左翼偏向路線の基礎を築いた」と断じています。
 終戦直後、社会主義者らが読売新聞を乗っ取ったことからも分かるように、朝日社内もまた左翼人が幅を利かしていたのは確かでしょう。
ただ、広岡社長、後藤基夫・東京編集局長の2人がとくに親中派ではなかったし、また編集幹部も同様であったと朝日OB(佐々克明、後述)は指摘します。
 どうも広岡に対するこの指摘は確かなようで、広岡社長は「体育系」(東大野球部出身)で特定のイデオロギーは何もなく、「権力志向の人間」(本郷)だったと言っています。
その広岡が体制を敷いてから、中国ベッタリ報道へと傾斜していったのは客観的な事実です。
   広岡の社長就任直後の1967(昭和42)年8月11日付け社説は、「激動1年の中国に思う」として次のように書いています。

〈 文化大革命が社会主義理論に重大な問題を提出していることは明らかである。
この意味で文化大革命を、わが国政党にみられるような、
政策論争をともなわない派閥争い的な意味での権力闘争とみる考え方には、われわれは組しがたい。・・・
中国がいま進めている文化大革命は、近代化をより進めるための模索といえよう。
いまだに近代化への道を捜しあぐねている国々に、一つの近代化方式を提起し挑んでいるともいえる。〉

143:文責・名無しさん
13/06/11 21:22:40.03 P3F4OgHp0.net
 これが同じ新聞の社説とは思えないほど、様変わりの変化でした。一転、文革を近代化を進めるための模索と位置づけ、遅れた他国にとっても参考になるといわんばかりに評価したのです。
以降、記事も文革肯定に変わり、一気に中国に寄り添っていきました。
 蛇足ながら付け加えておきますと、中国ベッタリ記事に多大な貢献をしたのは、秋岡家栄・北京特派員というのが定説になっています。
秋岡記者は戦前の東亜同文書院の出身、このため中国語に精通していたようで、北京に赴任したのは1967(昭和42)年秋でした。
 秋岡は朝日社内で伝説的(?)な存在で、有名というより悪名高い方なのですが、社内では「広岡社長直属」といわれるほどの存在で、
秋岡の打電した記事は社内チェックにかからず素通りで紙面に載ったといいます。
広岡社長あっての秋岡だったわけです。飛ぶ鳥を落とす勢いの秋岡特派員がつまずいたのは、林彪(りんぴょう、国防相)失脚をいつまでも否定しつづけた大失態にあったことはよく知られています。
 さて、広岡社長、編集局長らがとくに親中ではないとすると、何が原因で文革を肯定し、中国すり寄っていったのでしょう。
いろいろな見方があると思いますが、「営業政策」ないしは「商業政策」から導きだされた「必然偏向」だったと朝日OB(後述)が指摘しています。説得力のある見方だと私は思っています。

    (3)   朝日を除く日本人特派員、国外退去処分
 1964(昭和39)年4月、日中間で記者交換の合意が成立、9月には日本側9社9人、中国側7人が任務につきはじめました。
ところが、1967(昭和42)年9月、北京駐在の日本人特派員が次々と国外退去処分になる事態が発生します。時期から見れば、朝日論調が変化した約1ヵ月後のことです。
 処分の理由は、報道が「文化大革命を中傷し、国内状況をゆがめ、反中国の行為にでた」とのことでしたから、報道内容が気に入らなかったのでしょう。
逆に考えれば、まあ真っ当な報道をしていた証ともとれます。もっとも、新聞に載った毛沢東の似顔絵が気に入らないというのが発端だったとの名解説(?)もありました。

144:文責・名無しさん
13/06/11 21:24:35.64 P3F4OgHp0.net
 まず1967年9月、毎日、産経、西日本の3社3人が、10月に読売、日本テレビの2人、翌1968(昭和43)年6月に日経が、
さらに1970(昭和45)年9月にはNHK、共同通信社の2人が処分を受けて、結局、9社中8社の特派員が国外退去処分になりました。
 ですが、朝日新聞記者だけが退去の対象から除かれましたから、1970(昭和45)年10月以降は、北京駐在の特派員を持つのは朝日新聞社1社となり、北京情報を独占することになったのです。

    (4)   広岡社長、訪中の狙い
 朝日だけがなぜ、追放されなかったのでしょうか。
 1970(昭和45)年3月、つまりNHK、共同通信、朝日を除く6社6人が退去処分をうけた後のことですが、広岡知男社長が訪中しました。
「病める巨像」 訪中の当面の目的は、「朝日記者の追放阻止」にあり、さらには「中国報道の独占」を狙ったものだと、
朝日新聞OB・佐々克明(佐々淳行・初代内閣安全保障室長の実兄、また父君は朝日新聞記者出身)は、『病める巨像ー朝日新聞私史』(文藝春秋、1983)のなかで指摘します。
 そして、文化大革命を礼賛し、中国の代弁者になったかのような朝日論調が、この広岡社長の訪中によってより確固なものになったとし、以下のように記しています。

〈 広岡訪中の効果はてきめんであった。
朝日新聞は、独占権と「人質」の安全保障とひきかえに、
中国のプロパガンダの“エージェンシー”たることを請け負う羽目に陥ったのである 〉

 中国報道の独占権を得、新聞界のリーダーとして不動の地位を築くためにとった広岡社長の「営業政策」「商業政策」が、必然的に中国の走狗に成り下がったというのです。

    (5)   中国批判を許さなかった日本のメディア
 となれば、「中国の良い点を書き、悪い点を書くな」という広岡社長の記者への指示は、むしろ当然の成り行きだったのでしょう。
曽野綾子 中国にとって朝日ほど利用しやすい格好な報道機関はなかったに違いありません。
朝日の論調に「右へならえ」する日本の報道界、言論界の習性を考えれば、朝日をコントロ−ルすることによって、ほんの一部を除く日本の言論界をコントロールできるのですから、
朝日は中国にとっていたって便利な存在であったはずです。

145:文責・名無しさん
13/06/11 21:26:39.73 P3F4OgHp0.net
 曽野綾子が産経新聞に連載しているエッセイで、「中国礼賛し続けた日本のマスコミ」と題し、
起こったばかりの尖閣諸島での「中国漁船衝突事件」にからめ、マスコミの実態を以下のように暴いています(2010年10月29日付、一部抜粋


146:)。 〈 今から40年前、産経新聞と時事通信を除く日本のマスコミは、絶えず脅しを受けながら、  特派員を受け入れてもらうために、完全に中国政府の意図を代弁する記事を書き続けた。  朝日、毎日、読売などの全国紙、東京新聞他のブロック紙などは、 中国批判はただの一行たりとも書かず、私たち筆者にも書くことを許さなかった。  私が少しでも中国の言論弾圧を批判すれば、 その原稿は私が内容表現を書き直さない限りボツになって紙面に載らなかった 〉  40年前といいますからまさに1970年頃になります。共同通信社を含むほとんどの新聞は、日頃の言とは裏腹に己の目先の利益のために紙面を中国に売り払ったのです。 裏を返せば、紙面に載る中国関連物は、報道、論説、論壇等を問わず中国へのオベンチャラだけがまかり通ったことになります。  「北京の空は青かった」「ハエが一匹も見当たらない」「子供たちの眼は輝いていた」式の報道を私も読まされました。同時にアホくさいという反論も週刊誌などで読みましたが。  曽野綾子は〈 私にいわせればマスコミは正気で「発狂」していた 〉と表現、当時の報道の責任を厳しく問い、 〈 マスコミは戦後一切の抵抗の精神を失い、今も部分的に失ったままなのである 〉  と結んでいます。  私たち日本人は、正気で「発狂」していた新聞を無邪気に信奉したがゆえに、彼らは部数をのばし、絶大な権力を得てモンスターにまで成長させてしまったのです。 私たちは朝日の「偽善」を見抜けなかっただけでなく、良心的な新聞だと錯覚してしまったと思いますし、今なお、この状態から抜け出ていないのでしょう。 なにせ、偽善に流されやすいのはわれらの国民性でもあるのでしょうから。  朝日新聞社(所在地、東京都中央区築地)が「人民日報築地支店」だとヤユされたのも相応の理由があったのでした。



147:文責・名無しさん
13/06/11 21:29:41.56 P3F4OgHp0.net
(6)   日本軍国主義復活反対、日米安保解消を主張
 では具体的に、中国の“エージェンシー”としての朝日はどのように役割を果たしたのでしょうか。簡単にいえば、  

中国が主張する日本軍国主義復活反対の論陣を張り、日米安保条約解消に向け力を注ぐこと

 にあったでしょう。この2つは日中友好条約締結のいわば前提条件として中国が打ち出したものです。
その条約締結は1972(昭和47)年9月、中国が嫌った佐藤栄作首相の退陣を受け、次の田中角栄首相の時に締結されました。

  ・   日本軍国主義反対
 まず「日本軍国主義復活」に対する対応です。
 日中間の懸案だった国交回復が取りざたされるなか、1969(昭和44)年11月、佐藤・ニクソン会談で沖縄返還を約束した日米共同声明が発表されます。
このとき同時に日本の自主防衛力の強化にも言及がありました。
田中首相を迎える周恩来首相(1972.9.25) 翌年に控えた日米安保条約の延長問題(70年安保)と、この「自主防衛力の強化」を念頭においてでしょう、
周恩来首相は「沖縄の返還は全くのペテンだ」「日本軍国主義はすでに復活し、アジアの危険な侵略勢力になっている」と断じ、佐藤栄作政権を攻撃します。
 これに対し朝日新聞は、
〈 われわれは、日本軍国主義がすでに復活したとまでは考えない。
だが「復活」の危険な情勢にあることは、・・・認めざるを得ない 〉
― 1970(昭和45)年4月20日付け社説―

 と中国の主張に寄り添います。

 また、安保条約が自動延長になった1970年6月23日付け社説〈「選択の70年代」と安保条約〉では、
 〈 「70年安保」で“被害意識”を強めているのは、中国をはじめとする


148:アジアの国々であり、 日本国民には“加害者”としての感覚がきわめて希薄である 〉  との認識を示します。1年後の「中国の旅」報道でたっぷり日本の加害を報道する予告だったのかもしれません。



149:文責・名無しさん
13/06/11 21:31:27.61 P3F4OgHp0.net
 また、〈中国の「日本軍国主義」攻撃がたんなる政略的意図から出たものとみるのは誤りであろう〉と中国の主張に精一杯の理解を示しました。
 何んという目の曇りでしょう。中国の首相が政略的意図のない発言をすると考えるなど的外れもいいところです。
 第一、日本のどこに「軍国主義復活」の兆しがあったというのでしょう。中国は1956(昭和31)年に核兵器開発を決定、核保有国を目指しました。
そして1964年11月に水爆実験に成功、さらに1971(昭和46)年11月には20キロトンの原爆実験も成功しています。
 また中国の総兵力数は250万人、自衛隊の20万人と比べれば10倍を超えていました。日本の軍事力などは意思においても能力においても丸裸同然だったといってよかったのです。
ちなみに、日本人は「安全と水はタダが当然」と考えていると指摘した『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン=山本七平、山本書店)の初版は1970年5月、ちょうどこの頃のことでした。
 ですから、中国が日本の軍事力を心配するような状況下にありません。にもかかわらず、中国の主張に沿って、朝日新聞は日本の防衛力強化となればとにかく反対しつづけました。

  ・   日米安保条約解消を提言
 さらに社説は、
 〈 日中関係の正常化こそ、わが国の恒久的な安全保障の条件なのであり、
“選択の70年代”の課題は、対米関係の調整に立った安保条約の解消と、
日中関係正常化への努力を並行して進めてゆくことであると思う〉

 とし、「日米安保条約の解消」にまで踏み込んだ主張を展開しました。
 日米関係より日中関係が重要と明確に表明したわけです。もし朝日がいうように、安保条約が解消されていたら日本固有の領土である尖閣諸島など、有無をいわさず、力づくで取られたのは間違いないでしょう。
 そして矛先は佐藤政権に向けられ、あからさまに退陣を要求しはじめました。上記の『病める巨像』によれば、1971(昭和46)年6月から8月の報道は以下にみるように露骨なものだったといいます。
 〈 今の佐藤政権の姿勢では、かえって日中関係打開への重荷。〉
 〈 佐藤政府のもとでは、日中改善の望みのないことを(中国政府が)示唆した。〉
 〈 訪中議員団は、佐藤内閣の下では、日中国交の正常化をはかるとは困難であるとの印象をもった。〉


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