芸能史に残る名言4 ..
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257:なんてったって名無しさん
15/03/03 20:16:13.56 LekNQRC6.net
>256
すっかりブランクが空いてしまいましたが、ひな祭りなので更新を。
これもフェアリーズのライヴです。場所は、Zepp DiverCity。
'12年に投稿者が甲斐さんを観ていて、昨年3月には、ボブ・ディランが9回もの公演をおこなった会場です。
本来“そっち側”であるはずの人間が、大の大人になって、アイドルに分類されるフェアリーズを観に行く。それについての道理は、何度か述べています。
しかし、ショウのタイトルが『フェ!フェ!フェ!フェアリーズ』と来た日には・・・。さすがに自分でも、これは変だと思いました(笑)。
通常の公演とは少し勝手が違い、コンビニに設置されているLoppiでのみ、“チケット付きのCD”が買えるというユニークな企画。
そのチケットで観ることができるライヴの、今度は昼の部を選んでみました。
CD(アルバム『Fairies』)1枚につきチケット1枚のためか、普通のライヴに比べて、1人で来ている人の割合が高かったようです。
これは、開演前のこと。投稿者の左隣にいた女の子が、連れもなく1人でスマホを操作していました。見た目からすると、中学1〜2年生くらい。
今の子は、一般人でもこの若さで自分のスマホを持ってるのか〜などと思っていたら、急にこんなふうに訊ねてきた。
投稿者が推測するに、彼女は母親からのメールを見ていたのではないか。サブジェクトは、「○○ちゃん、今日は何時に帰ってくるつもり?」。
終演時間を予測して返信したいけど、初めてのライヴなので どのくらいの尺で行われるのか見当もつかず。
そこで、隣にいた 場慣れしてそうなおじさんに訊いてみた、と(笑)。そう考えると、なんとも健気ですよね。
4月27日ですから、坂井泉水さんの命日の1ヵ月前です。この女の子が母親に返信したとおりに帰宅できれば、
「また明日」の約束を果たせなかった泉水さんの無念も、少しは晴らされるのかもしれない。そんなふうに思えた。
とても整った顔立ちで、ステージにいてもおかしくない容姿(それはちょうど、初めて観た頃のフェアリーズを思い出させた)の子でしたが。
しかし、そうなるとダンスや歌はもちろん、リアクションもできなきゃいけない(笑)。フェアリーズになるのは大変だ―と、つくづく思った次第。

258:なんてったって名無しさん
15/03/09 00:00:58.58 kjzuHnaG.net
>257の続き
ところで、この現場。投稿者のすぐ目の前に、けっこう良い年齢と思しき男性が2人ほどいたので、しばらくは さして気にもならなかったんですが、
ふと見回すと、それ以外は ほとんど中高生の女の子たちが占めているゾーンでしたね。ライヴ慣れはしてるけど、こんな場には慣れてないぞっていう(笑)。
LIVE J-GIRLを存続させようとするだけで、いまだ出くわしたことのないシチュエーションを味わい続けているわけです。
投稿者が ある意味どんな現場にもホイホイと入って行けるのは、今にしてみれば、甲斐さんのおかげだったようにも思える。
とりわけ甲斐バンド中期からソロ初期にかけて、“新しい場所”でライヴをすることに命を賭けていた(?)のが甲斐さんだった。
客はショウが観たければ、その都度よく知らないところへ出掛けて行かなければならない。
まだスマホはおろか、ネットも普及していない時代の話です。
欲しいものがあるのなら 震えてないで 立ち上がれよ
(甲斐バンド 「キラー・ストリート」)
命令形の何とも厳しいお言葉。かつてある音楽評論家が“甲斐よしひろの歌声には 聴き手を壁に押し付けるような切迫感がある”(今で言う壁ドンか?)と
いうようなことを書いていたけれど、その切迫感とDA PUMPのKENZO氏が怒ったときでは、どっちがコワイでしょう? てなもんですね(笑)。
「キラー・ストリート」は、'85年のアルバム『LOVE MINUS ZERO』(このタイトルはディランからの引用)の4曲目。(ちなみに3曲目が「フェアリー」。)
男女の愛をボクシングになぞらえた 四角いJUNGLEへの入場曲「野獣」で幕を開ける同アルバムは、
女が不可解な死を遂げる「冷血」、女の横顔が忘れられない「フェアリー」・・・と展開していく。

259:なんてったって名無しさん
15/03/09 00:08:38.70 kjzuHnaG.net
>258の続き
アナログとデジタルが拮抗するハイブリッドなサウンドと、予覚に満ちたドラマツルギーのある歌は、当時の日本の市場には先を行き過ぎていたのか、
チャートで1位獲得!とはいかなかったものの、むしろその世俗にまみれ過ぎない孤高ぶりが、ファンとしては誇らしかった。
そんな、ちょっと変わった美意識を喚起する甲斐バンドに感化され、自らの足で立ち上がりたい気持ちは、投稿者自身に大いにあった。
けれど、高すぎる理想に実力が追いつかなかったのが 当時の実情。
偉そうな観念だけが、アウトプットのツールも持たずにさまよっていたわけです。
十代の炎が この胸ゆさぶり 離さない
(甲斐バンド 「ティーンエイジ・ラスト」)
'96年の再結成時にリリースしたシングルでは、こんなことが歌われていました。
解散から10年後の復活。まだまだ健在だった甲斐バンドを目の当たりにして、このまま彼らを(夢の肩代わりとして)頼り続けてもいいんじゃないか?
と、ラクに流れようとする心情も湧きつつあった。しかし、そこに鉄槌を下すものが・・・。
それが、例のパンフレットに掲載されたミスチル桜井氏のコメントだった。
「ロックミュージシャンとしての僕の肉体に、処女膜なるものが存在していたとして、僕のそれを破ったのは甲斐バンドである」―
この名(迷)フレーズを ライヴから家路につく途中で目にした投稿者は、その比類なきセンスに打ちのめされ、マットに沈んだ(笑)。
完全なるKO。彼とは持って生まれたものが違うと言えばそれまでかもしれないが、やはりこのままではいられない、という気持ちが強かった。
他者に負けたのではなく、聴いて育ったものがほぼイコールの“もう一人の自分”に、生き方の見直しを迫られていた。
くすぶっている残り火をごまかさずに向き合うには、どうすればいいのか?
実際にできたことと言えば、とにかく興味のあるものには足を運び、この目で確かめる。そのくらいのことでしたが。
興味の幅の広さがものを言った。取りも直さず、甲斐バンドの音楽と活動の中に、そのエレメントがあった。
それを彼らから読み取ったのが 投稿者の稀有なセンスである―と、あえてゴーマンかますなら、こうなるけれど(笑)。
'96年は、ちょうど臨海副都心が開発されたばかりの頃です。
再結成時に於いても、新しい場所に臨む意欲を見せていた甲斐バンドは、国際展示場で2デイズのライヴをおこなった。
投稿者にとって初めての臨海副都心がこのときです。もはや20代で、これはさほど高いハードルでもなかったけど、
しいて言うなら、交通手段の勝手がイマイチ分からなかったかな。
ゆりかもめが当時、電車ともモノレールともつかない 謎の乗り物に思えたんですよね(笑)。

260:なんてったって名無しさん
15/03/09 00:15:10.37 kjzuHnaG.net
【A Hard Rain's A-Gonna Fall】
或る観客 「『優しい赤』お願いします!」
福原美穂 「後でやるから(笑)」

('14年7月20日 新豊洲 マジックビーチ 特設ステージ 『LIGHT UP NIPPON』)

261:なんてったって名無しさん
15/03/09 00:24:36.44 kjzuHnaG.net
>260
こちらも久々の登場です、福原美穂さん。
この日は、谷村奈南ちゃんで原点に戻った(>>249)翌週であり、井上昌己さんに「代表いじり」でかわされる(>>222)前日になります。
まだまだ持ってると思えたのもつかの間で、この辺りから文字どおり雲行きが怪しくなってくる。
『LIGHT UP NIPPON』は、東北に花火を打ち上げるためのチャリティイベントです。
募金の1,000円を入場料として、場内(といっても屋外)の催しに参加できるというもの。その中に、テーマ曲を歌う福原さんのライヴステージがあった。
朝から天候が悪く、“時々雨”みたいな日ではあったんですが、E-girlsのように大人数で踊るわけではないし、
多少の雨なら、いつかのBENI嬢(@フジテレビ前)のようにむしろ好機になるはず。しかし、そうはいかなかった。
これは、リハーサル時の一幕。そう、リハは普通に行われたんですね。
ところが、本番開始時刻の直前に突然の豪雨に襲われ、当分は止む気配なしということで、ライヴ開催は不可能と判断されます。
スタッフさんが中止の確定を告げると、次いでビニール傘を持って現れた福原さんは、唱歌「赤とんぼ」と「Amazing Grace」を軽くアカペラで歌ってくれた。
それを非常に近い距離で観られたわけで、客として足を運んだ元は取っていると思います(笑)。あるいは個人的な顔見せとしても、悪くはなかった。
(もちろん『LIGHT UP NIPPON』の趣旨にも異論はありません。)
ただ『LIVE J-GIRL』としては、妙にあっけない展開だというのを肌で感じていた。“マジックビーチ”で魔力が機能しないなんて、納得がいかない(笑)。
実際 これまでは、ちょっとしたマジックがよく起こっていたのに。原点に戻ったといっても、ここまでリセット感満載とは・・・。
もはやアンジェラ・アキさんも日本にいない現状。「まだリハだから」というのも、誰も言わなくなった一発屋のギャグみたいで 寂しいものがあるし(笑)。
結局、本番でやると予告されていた「優しい赤」は、聴けずじまいだった。
愛しているよ だから捨てる― この二律背反の郷愁(これを因数分解すると「赤とんぼ」×「アメグレ」になるのかも)を歌うバラッドは、
教えられたことの実践が 同時に依存からの脱却でもあった投稿者に、大きな因果を感じさせる歌だった。
くしくも、ゆりかもめ沿線。ライヴを中止に追い込んだのは、連綿と意志を持続させてきた“十代の炎”をかき消す激しい雨― だったのか?
何かが狂い始めている予覚は、この後さらにリアルになっていきます。

262:なんてったって名無しさん
15/05/05 23:32:42.30 PLw/XUeJ.net
【The Weight】
LOVE 「(話しかけても応答がないcoba氏に)疲れ果てちゃった? 大丈夫ですか?」
coba 「あの、私・・・ 今のところ2.6キロくらいは痩せました」
LOVE 「(笑)」

('14年7月26日 代官山LOOP 『LOVE LIVE 2014 The Great Summer Triangle』)

263:なんてったって名無しさん
15/05/05 23:37:05.79 PLw/XUeJ.net
>262
>>211」でLOVEちゃんが言っている“そのライヴ”があったのは、“激しい雨”から6日後のことです。
ヴォーカル&ギターのLOVEちゃんに、パーカッションのスティーヴ エトウ氏、アコーディオンのcoba氏という、非常にレアな布陣のトリオ。
具体的にこのライヴへの誘いを受けているのだから、本来は意気揚々と出向きそうなところですよね。
しかし、なにやら調子がおかしな時期だったのは、前述のとおり。
実は、この2日前となる7月24日(木)に、E-girlsの武道館公演に行く予定がご破算になっていた(当方、普通の会社員ですので)というのもあって。
せっかくドラムが川口千里ちゃん(生ドラムとは、意外とアナログなことするE-girlsです)だったのになぁとか、
電子チケットなるもの(かと思えば、この辺はすっかりデジタルなのね)を初めて使う機会だったのになぁといった無念さが、低調感に輪をかけていた。
要は、テンションがた落ちです(笑)。それでも、“LOVE LIVE”で回復できるのでは、という期待はあったのだけど・・・。
繰り広げられている演奏は素晴らしいはずなのに、どうにも身が入らない状態。
発言もあまり覚えていなかったんですが、何故かcobaさんのこの言葉だけはよく覚えている(笑)。
発汗で体重が激減しそうだというジョークが、もはや“Big Boy Blues”にさえなりそうもない状況とリンクしていたからかもしれません。
終演後には、このトリオとはまた別に結成された(LOVEちゃんがソロと並行して続けて行くらしい)THE LIPSMAXのメンバー(ベースTOKIEさんを擁する)が
物販に現れると告知されていたものの、このときの投稿者は、興味より徒労感が上回っており、終演するなり サイン会をパスして帰ってしまったんですね。
元々は、そういうものに好んで並ぶタイプではなかったため、(東北じゃなくても)「行くぜ」という気概が湧かなければ、やってられないことになる。
話すことさえなくなるなんて 私に飽きた証拠
(竹内まりや 「September」)
脳内BGM率高しの まりやさんですけれども(笑)。夏真っ盛りだというのに、まるで秋風が吹き始めていたかのよう。
スティーヴ エトウさんの火吹き(?)もむなしく、激しい雨に消えかけた炎が再び燃え盛ることはなかった。
投稿者はLIVE J-GIRLそのものに飽きてきているのだろうか?―そんな自問が押し寄せてくる。しかし、自答ができない。
それもそのはずで、どうも単なる食傷とは ちょっと違っていたようです。

264:なんてったって名無しさん
15/05/05 23:42:33.49 PLw/XUeJ.net
【悲しき夏バテ】
外は暑いですけど、皆さん体調に気をつけて、夏を楽しんでください。
by 倉木麻衣 ('14年8月1日 品川ステラボール 『15th Anniversary Mai Kuraki Live Project 2014 BEST “一期一会” 〜FUN FUN FUN〜』)

265:なんてったって名無しさん
15/05/05 23:45:38.17 PLw/XUeJ.net
>264
デビュー15周年のアニヴァーサリー・イヤーだった倉木麻衣さん。
この日は、“LOVE LIVE”から さらに6日後の金曜日。炎が燃え上がらなかった代わりでもないでしょうが、このときの投稿者、発熱してました(笑)。
おそらくE-girlsの武道館に行けなくなった辺りから、徐々に体調も崩していたんだと思います。多忙と落胆の悪循環ってやつですかね。
この2日前の、7月30日(水)にも 行けなかったライヴがあって(かなり過密なスケジュールで夏は攻めて行くつもりだったのですよ・・・)、
それが「>>226」で言っている島谷ひとみさんの1つ目。六本木ヒルズアリーナで連日行われていた『六本木ヒルズ夏祭り SUMMER STATION』でした。
応募制のチケット(無料)は当選して持っていたのに、平日だったため、定時に仕事を終えダッシュで向かわないと間に合わないタイミングだったのがネックに。
17時にスパッと切り上げられるような時期じゃなかったんですね。後から思えば、是が非でもそうしようとする気力・体力も、すでになかった。
この倉木さんのライヴも、普通に趣味で行くならやめにしていたかもしれない。しかし、倉木麻衣といえば、坂井泉水のリアルな後輩(これ、マジ貴重です)。
前売チケット代を捨ててまで行かないほうをとる不義理はないな、ということで、明らかな不調を押しての参加となったわけですが。
80年代にロックで育った、総立ち&酸欠世代(?)でありながら、2時間のスタンディングライヴがこれほどキツかったのは、ちょっと記憶にないほど。
終演後には、新曲CD予約者対象のハイタッチ会もあったんですが、それは断念せざるを得なかった。タッチで夏風邪をうつすわけにいかなかったのと、
投稿者自身 翌日の予定もあったので、一刻も早く絶対安静モードに入る必要があったんですよ(笑)。

266:なんてったって名無しさん
15/05/06 23:48:05.58 cOCwW99l.net
【さびしき丘 〜I Shall Be Released】
大切な人を想って、聴いてください。
by BENI ('14年8月2日 六本木ヒルズアリーナ 『六本木ヒルズ夏祭り SUMMER STATION』)

267:なんてったって名無しさん
15/05/06 23:50:49.59 cOCwW99l.net
>266
“Mai. K”の翌日にあったのは、BENI嬢が出演する『SUMMER STATION』でした。
この日は土曜日。島谷さんの(>>226で言う2つ目の)イベントが昭島モリタウンで行われていて、
体調の回復如何では、移動して連戦もありかなと考えていたんですが、まだちょっと無理でしたね。比較的近場のこちらに来るのがやっとだった。
ほとんど命からがらでしたが、そんな事情を知らずとも目線をくれまくるのは、さすがにエース級のBENI嬢(笑)。
アーティスト名を変えての第1弾シングルだった「もう二度と・・・」のRebirthヴァージョンを、こんなコメントで歌いだした。
一連の不調は、五所川原をピークとして転がり落ちてきたわけで(笑) この因果も、不思議といえば不思議なものがあります。
機運を司る何者かが仕掛けてくれた、最後のマジックだったのかも?
すべてが現実 すべてがまぼろし 帰る道を探してる
言葉はいらなかった 「愛してる」のサインだけで
フォトグラフ 砂に足跡つけて ほら 君が笑ってる
(ZARD 「フォトグラフ」)
90年代当時から、口当たりの良さばかりが取り柄の産業ポップみたいに言われがちだったZARD。こうしてみると、なかなか深遠な歌です。
もはやどこまでがリアルで、どこまでが幻想なのか、投稿者自身にもわかりません(笑)。
ただ、いつもちょっとしたマジックが当然のように起きていたのに、それが無くなりつつある感触だけが 確かにあった。

268:なんてったって名無しさん
15/05/06 23:58:59.82 cOCwW99l.net
>267の続き
「憑き物が落ちる」とは、たいてい悪いものが落ちて事態が好転するのだけど、これに限ってはまったくの逆―
できることなら、ずっと憑いていてほしいくらいだった。
捨てるのに胸が痛んで とっておいたケーキを
結局腐らせて捨てる
分かってる 期限付きなんだろう 大抵は何でも
永遠が聞いて呆れる
(Mr.Children 「Worlds end」)
まるで世界の果てで彼女に寄り添われているような“奇妙な蜜月”は、もう期限が切れてしまったのかもしれない。
だけど、(今度ばかりは)何もせずに終わらせるようなことはしなかったと思う。
不思議な力が有効なうちに存分に味わい、活用し、能動的に楽しんだのだから、呆れないでほしい(笑)。
とはいえ、その力がなくなったら、自力だけで継続できるかと言われると、正直不安だったりする。
これは、もう退き時ということなんだろうか?
そばに居るだけで それだけでよかった
瞳を輝かせ 夢中になるクセ 今も 変わらずにいて
(ZARD 「フォトグラフ」 from アルバム『永遠』)
LIVE J-GIRL(と後に名づけるもの)を始めて以来、人が輝く瞬間を捉えようと夢中でやってきたけど・・・ そこは変わっちゃダメらしいです(笑)。
私がいなくても、もうできるよね―と、そんな声が聞こえてきそう。
世にも珍しい企てを実行に移した投稿者が、それを安定した活動にするまでの補助のつもりだったとか?
「見放された」と言えば悲しいが、「手を引いてくれた」と言い方を変えれば、人によっては朗報になり得るのかもしれない。
そうとでも言い聞かせなければ、やりきれないほどの寂しい解釈が、投稿者の胸をかすめて行った。
この日、六本木ヒルズアリーナへは、六本木駅から(いつのまにか閉店した)スイートベイジルの前を通って行ったんですが、帰りは、やはり麻布十番へ。
特に何か考えていたわけでもなく、自ずと足が向いた感じです。そして鳥居坂の手前から、心で手を合わせていた。
誰よりも予覚に満ちていた 泉水さんを想いながら。

269:なんてったって名無しさん
15/05/12 01:03:02.26 /fn9dt8B.net
【夏の終わりに 〜Stay Gold】
次は、夏の日にふさわしいサマー・ソングをやりましょう。
久しぶりに「GOLD」をやるからね。
by 甲斐よしひろ/甲斐バンド ('14年8月30日 日比谷野外音楽堂 『甲斐バンド 40th ANNIVERSARY ツアー 2014』)

270:なんてったって名無しさん
15/05/12 01:08:23.77 /fn9dt8B.net
>269
お盆になる頃には体調も完全に回復していて、盛り返す気満々の投稿者でしたが、
ちょうど仕事が夏季休暇に入ったときに、昔からよく知る人(血縁はなくても「おじさん」と呼んでいた)の危篤が知らされ、
まもなく亡くなってしまうという事態に。(やはり何かがおかしな時期だったと言わざるを得ない・・・。)
少なからず世話にもなった人が生涯を終えるというのは、それだけで何かとエネルギーを消耗するもので、結局お盆以降もなかなか立て直しができず。
気づけば、2014年の夏もあとわずかという頃、予めチケットを取っていたのが甲斐バンドでした。
LIVE J-GIRLの番外編として、ガンガン攻めた夏の締めに、ちょっとお師匠さんに挨拶行っとく?的なイメージだったんですけど(笑)。
投稿者が勝手に師事した80年代、周りの同級生たちに人気があったバンドといえば、(桜井さんもどこかで言っていましたが)ボウイとかレベッカだった。
甲斐バンドは、もう少し上の人たちがメインのファン層だったんですね。だから、メンバーの方と投稿者では、けっこう年齢が離れている。
当時から、自分が大人になる頃には 彼らも現役バリバリというわけにはいかないだろうと、漠然と思ってはいた。
時代は、ストーンズが「40になっても まだロックやってる!」と皆で驚いていた頃です(笑)。
でも、具体的に何年後にどうなるかまでは想像もしなかった。そんなこととは向き合いたくもなかったんですよね。
明日からのことも 解らないまま 知りたくないまま
But It's alright
Yes, he's a Down Town Boy
(佐野元春 「ダウンタウンボーイ」)
野音のチケットを先に買っていたので行けませんでしたが、同じ日に池上本門寺のステージに立っていた佐野さん。
80年代当時、そんな僕らをかくも詩的に描いてくれていたわけですよー!(突然のサンボマスター風)
あれから30年が経っても、心優しく律儀な佐野さんは、客席に向かって「ここに嫌な奴は1人もいないぜ!」と叫ぶ。
そもそもは、少年少女ファンのイノセンスを庇護するような気持ちから出た言葉だと思うんですが、それが定番の名調子になったんでしょうね。

271:なんてったって名無しさん
15/05/12 01:17:35.49 /fn9dt8B.net
>270の続き
そういえば亡くなったおじさんは、こちらが何歳になろうと、会えば投稿者を「○○坊」と呼んでいたっけ(笑)。
アーティストとファンの関係も、どこかそれと似たところがあるような気がする。
Here we are now, entertain us (俺たちは今もここさ 楽しませてくれよ)
(ニルヴァーナ 「Smells Like Teen Spirit」)
個人的な日本のロックの体験談だけでは、話が普遍性を欠くかもしれないので、ちょっと海外のロックを引用してみます。
幼少時の家庭の問題からか、愛に飢えたままの“永遠の少年”がステージに立つ側へ回った典型のように思えるニルヴァーナ。
大ヒットした「Smells Like 〜」のこの歌詞は、ステージ上から客席にいる“もうひとりの自分”を皮肉るような毒があるものの、
音楽的ポテンシャルの高さがそれを中和し、オルタナの寵児として祭り上げられることに。
セカンドの『In Utero』(子宮内)なるアルバム・タイトルからは、生まれる前に戻りたいという願望が垣間見える気がする。
もしかするとフロントマンの彼は、ステージになど立ちたくなかったのかもしれない。
部屋に籠もって音楽を無心に聴いている(または作っている)のが、実はいちばん好きだったのではないだろうか(投稿者自身は そんな子供だったような気が)。
しかし、鋭すぎる感受性と溢れる才能は、彼がそこにとどまることを許さなかった。
可能性を解き放つほど虚無に陥っていく矛盾。ある意味、それは終局のロックと言えるのでは。
その彼が あのようなかたちでこの世をチェックアウトしても、まだストーンズがやり続けているとかミラクルすぎ!(笑)なのだけど、
何人たりとも、肉体は不滅というわけにはいかない。音楽で言えば、肉体とは演奏形態。では、スピリットとは?
リアルな自分であるための哲学(とするならそれはいつでも世界のど真ん中にある)と言ったのは、ストーンズフリークで知られる作家の山川健一さんですが。
最近では、たとえばEDMに同様のスピリットを(無意識にでも)見る向きは多いんじゃないでしょうか。
本式のスタイルに対して、いつの時代もカウンター的なものが出てくる。それ自体がロックなんだと捉えると面白い。
LIVE -J GIRLの側面の一つには、R&Bディーヴァの中にも、ジャズの中にも、ダンスユニットやアイドルの中にも、
時には女優やモデルの中にだって、ロックを見出しちゃうよ的なところがある。オルタナ以上のオルタナが 今必要だー♪ と謳っているようなもんですね。
(価値相対化の果ての)ニヒリズムやシニシズムに陥らず、生(Live)を肯定する“されどロックンロール”の本懐を、そこに見たわけです。
I wish I was like you (俺もお前のようになりたかったよ)
Easily amused (何でもたやすく楽しめるようにな)
(ニルヴァーナ 「All Apologies」)
彼にとってはまるで面白くない世界をやたらと面白がる輩への、これも皮肉なんでしょう。
故人に鞭打つ気は毛頭ないけれど、何でも楽しむというのも案外大変なんだよ、と言わせてもらおう。
そして、よかったらLIVE J-GIRLを見てくれよ、とも。おそらく“涅槃”は、投稿者の七転八倒ぶり(笑)までよく見える特等席だと思う。

272:なんてったって名無しさん
15/05/12 01:30:37.33 /fn9dt8B.net
>271の続き
話を甲斐バンドに戻すと、野音を観て ますます希少になってきたぞと思えたのは、生演奏の“圧”でした。
ライヴでも打ち込みのビートが珍しくない時世に、曲によってはツイン・ドラムという、今や世界的にもあまりないことをやってますからね(笑)。
ぶっとい音に乗った甲斐さんのヴォーカルも序盤から好調だった。気迫がカラまわりすることなく、声がよくおっついている。
オープニングナンバーのこんな一節にも、説得力がありました。
ああ お前は俺を売り 引き裂き 泣かせた
今度は俺の番さ  火を吹くぜ
(甲斐バンド 「ブライトン・ロック」)
演奏は終始安定の迫力が保証できる面子だけに、気になるのはやはり肉声。中盤以降やや苦しくなってきたな、と思わせる部分はあったものの、
弛むことなく終盤まで持ちこたえる様は、どこか“ジジイになるまで乗り切らなければならない人生”を象徴しているようにも(笑)。
総じて勘所を押さえたベテランらしい、いいコンサートだった。
それが、言うは易く・・・であるのは、“自分の活動”を省みれば、よくわかることです。
それにしても「いいコンサートだった」とは、自分で書いていて、ずいぶん冷静だなおい、と思ったりもする。
それこそ80年代は、甲斐バンドを観に行くとなると、ライヴ前日は緊張して眠れず、観た当日は興奮して眠れなかった、というのに(笑)。
もうそういった日々には戻れない。けれど、10代のガールズグループの名前や、
スマホアプリのCMにさえ甲斐バンドを彷彿とさせるものがある、そんな現在だって面白い。
その上、ご当人が今も元気にマイクスタンドを蹴り上げているとは、至れり尽くせりじゃないか、と(笑)。
時の流れが関係性のバランスを変えただけ。それは本来当然なのであって、何も悲しむことはない。
砂につけた足跡のように、いや、それよりも確かに“拭い去りがたく息づく甲斐バンド的ニュアンス”は、黄金のままなのだから。
これが、'14年の夏に万全のコンディションで臨んだ、数少ない現場の一つにして 最後のライヴです。
番外編のはずが ハイライト扱いになっていることへのツッコミは 甘んじて受けますが(笑)、記憶のモニュメントとしては、これ以上もない。
不思議な助力もなくなってしまったけど、これをひとつの区切りとして、
秋からはもっと楽しんでやるぜぇ〜と、気持ちを鼓舞してみる 夏の終わりでした。

273:なんてったって名無しさん
15/08/11 13:15:33.97 YN3QWQ7l.net
【PIN UPS】
ドラムス、佐藤強一!
もちろん僕は、寝室に彼のピンナップを貼ってますけどね(笑)。
by 甲斐よしひろ/甲斐バンド ('14年8月30日 日比谷野外音楽堂)

274:なんてったって名無しさん
15/08/11 13:22:47.78 YN3QWQ7l.net
>273
ここに書き込むのは3ヵ月ぶり― なのに、前回と同じライヴの発言(笑)。
これは、メンバー紹介ですね。サポートドラマーの佐藤強一さんはたしかにイケメンだが、それにしても寝室にピンナップって・・・?
言ってみれば、これはオマージュなんです。70年代に、はっぴいえんどと並んで日本のロックを拓いたサディスティック・ミカ・バンドへの。
ミカ・バンドが'75年にロキシー・ミュージックの前座でイギリスをツアーしたとき、
レコードミラー誌が『東洋人たち』というタイトルで書いたレビューにこんな一節があるそうです。
“ベースの後藤は寝室の壁にでも貼っておきたいほどのルックスを持っている。技術的にも素晴らしい。”
ベースの後藤とは、80年代にアレンジャーとして大活躍する後藤次利氏のこと。
甲斐バンドも「Blue Letter」や「ボーイッシュ・ガール」が後藤さんのアレンジだった(いわゆる“NYミックス3部作”の中の曲)。
余談だけど、たしか坂上忍さんがロッカーだった時代のアレンジャーも後藤さんだったと思う(笑)。
'75年当時、脱退した小原礼氏の後任でベースを弾いていた後藤氏を英国のプレスが大絶賛した。それが甲斐さんの記憶の中に色濃く残っているんでしょうね。
『東洋人たち』には、後藤氏のみならず他のメンバーに対しても惜しみない称賛が記されていた。
彼らの興味を引いた点は、“日本”以上に“東洋”であったことがうかがえる論評のタイトルですが、
いずれにしても音楽や表現で海外の人々を魅了するのは大事なことだと思います。戦争とは真逆ですよね。
そういえば、ミカ・バンドのギタリストだった高中正義さんを'09年に同じ野音で観ているのでした(つながるなあ)。
高中さんは'11年のアルバムで、KARAの「ミスター」をカヴァー(ギターインストで)している。その柔軟さには感心を通り越して震撼しましたが(笑)、
先日、同じ韓国の少女時代がNYでライヴをして好評を博したとのこと。
かつてのミカ・バンドのように、向こうの人たちが「最近のアジアン・ガールはすげー!」と言ってくれたら、隣国にとっても儲けものなんですけど(笑)。
ともあれオマージュとは、自分が影響もしくは感銘を受けた何かに対して自ずと湧き出る返礼のようなもの。
それが新たな息吹をともなって次世代に伝播するとき、大抵は100年も続かない人間のドラマは、Foreverとなり得るのかもしれない。
夏は終わっても、装いを新たに(笑)またやってくる。まさしく“それは今”なわけですよね。

275:なんてったって名無しさん
16/08/21 21:50:44.23 hdltwx2t.net
【Prodigal Son】
私たち日本各地をまわっているんですけど、どこに行っても必ずいる人がいる(笑)。
仕事は何やってるんだろうと思うんですけど。すごいお金持ちの息子なのかな?とか。
by 松尾レミ/GLIM SPANKY (8月19日 『お台場みんなの夢大陸2016 めざましライブ』)

276:なんてったって名無しさん
16/08/21 21:54:05.79 hdltwx2t.net
>275
ここへの投稿はちょうど1年ぶり。ライヴ自体は2年ぶりの新ネタです(笑)。
新しい人たちをあえて昔のスタイルでやってみようと思います。と言ってもこのGLIM SPANKY、音楽的には昔のスタイルをよく知っている。
ギターの亀本くんはストーンズのTシャツを着ていたし、このライヴのあとは帰宅してツェッペリンを聴いていたらしい。
なんで平成生まれがそうなのかと思うけど(笑)。ある意味、そういったロックの普遍性が証明されているんでしょうね。
このレミさん(やっと生の姿を拝見した・笑)の発言も、狙っているかのようにProdigal Son(放蕩息子)のタイトルにぴったりです。
知る人には言わずもがなストーンズの曲名であり、D.ボウイの遺作『★』でも使われていた言葉。ええ、投稿者もよく言われますとも(笑)。
残念ながら、この発言の中の人物ではありませんけどね。全然金持ちじゃないし。持っているのはせいぜいパソコンくらい。
あとは交通費とチケット代が払えれば誰でもできることを、ちょっと違う角度から捉えて紹介してきたにすぎません。
他のところに“終末感”と書いたけれども、それを“時代の変わり目”と捉えるなら、
かつてボブ・ディランが歌ったこと(The Times they Are A-Changin')も普遍になり得るのかもしれない。
だから今日の敗者は腐ってはいけない、というお話でした(笑)。そこを信じられない人は、GLIMを観に行くといい。
故郷の長野で美大生だった頃の松尾レミさん、実は絵なんか描いててどんな仕事に就くの?と周囲は非常に冷ややかだったという。
その人がここまでやるか!の最良の実例ですよね。

277:なんてったって名無しさん
17/09/25 06:00:02.63 gCYXei1W.net
ニッキ「びっくりしましたよ〜、植草が出てきたのかと…」


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