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217:水先案名無い人
20/08/28 16:36:20.75 xjamJrPx0.net
3 名前:不要不急の名無しさん[] 投稿日:2020/08/28(金) 16:23:23.00 ID:w9TtyUCz0
■大久保利通
明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される。また「維新の十傑」の1人でもある。
初代内務卿(実質上の首相)を務めるなど、内閣制度発足前の明治政界のリーダーであった。
■仕事ぶり
金銭には潔白で私財を蓄えることをせず、それどころか必要だが予算のつかなかった公共事業には私財を投じてまで行い、国の借金を個人で埋めていた
そのために死後の財産が現金140円に対して8,000円もの借金が残り、所有財産も全て抵当に入っていたが、大久保の志を知っていた債権者たちは借財の返済を遺族に求めなかったという。
■逸話
今日でいう風光関係の問題にも関心があった。明治6年(1873年)に、浜寺公園へ案内された大久保は、堺県令・税所篤が園内の松を伐採して住宅地として開発しようとするのを知り、
「音に聞く 高師の浜のはま松も 世のあだ波は のがれざりけり」と反対する歌を詠んだ。
これら5ヶ村は1747年(延享4年)から田安家領となり、1868年(明治元年)に田安家がこの松林を伐採して新田開発を計画。以降二転三転の末、1873年(明治6年)に当地を訪れた大久保利通が、
約850本にまで減少し てしまった姿を嘆いて堺県令の税所篤に働きかけ、伐採停止が通達された。
この時に大久保が詠んだ歌「音に聞く 高師の浜の はま松も 世のあだ波は のがれざりけり」は、『小倉百人一首』にある祐子内親王家紀伊の「音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ」の本歌取りで、園内に『惜松碑』として句碑が建てられている。


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