【神戸】日本ケミカルシューズ工業組合元理事長、大澤伸剛氏「生き残りには、戦略が必要」 先見の明「化学の靴」商品化[10/19] at FEMNEWSPLUS
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18/10/20 19:30:18.04 CAP_USER.net
大澤伸剛氏
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 日本ケミカルシューズ工業組合の元理事長、大澤伸剛(おおさわ・のぶたか)氏が9月18日午前9時45分、老衰のため神戸市須磨区の自宅で亡くなった。93歳。同市垂水区出身。喪主は長男の裕信(ひろのぶ)氏で、葬儀・告別式は家族葬で行った。
 ケミカルシューズ業界の黎明(れいめい)期を引っ張り、業界の育ての親とも称された。先見の明を持ち、研究・探究心を持った行動力で業界の発展や改革に寄与するなど、リーダーシップあふれる人柄だった。
 1947年に同市長田区で大澤ゴム工業所を設立。塩化ビニールを素材とする靴の製造に成功し、ケミカルシューズ誕生の素地(そじ)を作った。作業工程の機械化にも努め、地元鉄工所と連携しコンベヤー方式を確立。多くの企業がこの方式を採用し、地区生産能力の向上に大きく寄与した。
 歴代の神戸新聞記者との交流が深く「ケミカルシューズは『化学の靴』。庶民は革靴を履けなかった時代。新しい素材を探し、探究を重ねたんだ」と語っていた。
 71年、日本ケミカルシューズ工業組合理事長に就任。長田区にあるケミカルシューズ産業会館の建設に情熱を燃やし、73年2月に完成へと導いた。ケミカルシューズのファッション性を高めようと、イタリアから製靴技術者を呼び寄せると同時に、検査基準をつくって高品質路線を打ち立て、輸出にも道を開いた。
 社会貢献にも積極的で、炭鉱離職者の増加が社会問題になっていた60年ごろ、九州の職業安定所を通じて、中学生を含む61人を採用。身体障害者や母子家庭の子どもたちを積極的に採用して技術を継承し、人材育成にも力を注いだ。
 「生き残りには、戦略が必要」と語り、その通り実行した大澤さん。激しい変革の時代にある今、さらにその手腕が期待された。(村上晃宏)
神戸新聞NEXT 2018/10/19 10:00
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