【東京】福嶋揚氏「現代日本で、キリスト教神学は何かの役に立つのか?」 ジュンク堂で「カール・バルト」刊行記念講演会[10/08] at FEMNEWSPLUS
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129:やまとななしこ
18/10/09 19:22:25.96 VaRraEig.net
>>5
>>121
アジアでキリスト教の布教が成功した地域はフィリピンぐらいだ
それ以外の布教を禁止していない国家(中国やインド、東南アジア等)では布教には成功したとは言えない、しかし結局植民地化されている
これは宗教の差以前に兵士の武装・練度、工業力、科学技術、技術革新、文明の格段の差が、未開の部族国家を圧倒したに過ぎない
無一文でポルトガル・スペインと比べ遥かに非力な山田長政がシャムで日本人の治外法権地区と独立軍事組織を作れたことからも不可能でないことが分かる
フィリピンを除けば植民地化をする最中にキリスト教徒が劇的に増えたというほどでもない
東南アジアを見ればキリスト教の人口比率は多くない

130:やまとななしこ
18/10/09 19:23:11.32 VaRraEig.net
>>5 >>121 >>1
海外と比較すると日本人は大量虐殺者と大量虐殺を賛美する傾向が相対的に強い
法華一揆の虐殺
長島一揆の虐殺(騙し討ち、なで斬り、21,000人以上とされるが総数は100,000人と見られるため実数がないほどの死者)
越前一向一揆(12,500人を殺害し3万人から4万人を奴隷とする)
東北一揆の虐殺(なで斬り)
叡山焼き討ち(3,000-4,000人、なで斬り)
山科本願寺の殲滅戦
天草島原の乱(37,000人)
天正伊賀の乱(伊賀全体では9万の人口の内非戦闘員含む3万余が殺害された)
宗教系の弾圧には他の宗派が一枚かんでいることが多く、結局のところ1つの宗派が潰れても
他の宗派の勢力が強くなるという歴史を繰り返して来た
これは宗教勢力を敵に回し続けて生き残るのは難しいためでもある
かつて弾圧・虐殺された本願寺や日蓮宗が権力の中枢にいることからも宗教勢力は日本の政治や文化の深く
重層的に染み込んでいる
九戸政実の乱の皆殺し(騙し討ち、5,000人の兵と家族・周辺住民等)
武田信玄の信濃志賀城攻略時の生首3,000
徳川家康による堀川城の虐殺(2,000人近くの生首を堤にさらす)
伊達政宗による小手森城の虐殺(800人)
(秀吉が「なで斬り」を命じた肥後国人一揆等もあるが、死者数は把握していない)
この他にも無数の(事件化されず埋もれた)政治弾圧事件や虐殺事件があるが、特に批判対象とされることはない
これらの虐殺者は秩序の守護者として賛美されており、敵対勢力を皆殺しにする慣行は擁護者が多い
URLリンク(ja.wikipedia.org)虐殺事件の一覧
日本を凌駕する虐殺事件というと中国とオスマントルコであり、一回の虐殺数は数十万人を超える
(南京は数値に信頼性がなくなっており、マニラ虐殺は日米入り乱れた凄惨な市街戦のため別枠として除く)

131:やまとななしこ
18/10/09 19:24:38.59 VaRraEig.net
>>19
殺人数、餓死数を含めると共産主義と国家社会主義に匹敵する虐殺カルトは思いつかない
具体的な虐殺名を出してみれば良いだろう
歴代教皇に精神異常者がいたことは間違いないが、かといってキリスト教国が関わった全死者に対してカトリックが責任があるという論理では
皇軍が直接ないし間接的に(ベトナムの餓死者等も含め)殺害した死者数の責任は全て神道にあったと責任をなすりつけることもできる
ローマ皇帝アドリアンだけでもユダヤ人58万を殺害している
ティトゥスもユダヤ戦争で110万人を殺害
揚州大虐殺、四川人殲滅殺戮あたりでは、それぞれ100万人近くが殺されたとする
ハミディイェ虐殺でもトルコによってアルメニア人10〜30万人が殺戮された
モンゴルの侵略の結果死亡した死者数は最大で4000万人(実際は2000万人ぐらいだろうが)とも言われている
さらに言えば残虐行為で知られる清国の侵略戦争の結果死んだ数は2000万人ともされる
ティムールも虐殺を繰り返したので、死者数は前者に匹敵するだろう

132:やまとななしこ
18/10/09 19:26:17.59 VaRraEig.net
>>131 >>5 >>121
>南米の文明なんか全滅させてるじゃん(笑)
人類の歴史において劣った技術力・科学力・経済力・軍事力を持つ文明が滅びるのは常だが(もっとも日本もこのまま衰退すれば滅びかねないが)
南米の文明喪失については同化政策と疫病が原因だ
ユーラシア大陸の天然痘、肺ペスト、腺ペスト、マラリア、インフルエンザという疫病に対する
免疫がなかったことで大量死が起きたことは知られている
URLリンク(ja.wikipedia.org)コロンブス交換
コレラ
インフルエンザ
マラリア
麻疹
ペスト
猩紅熱
天然痘
結核
腸チフス
黄熱
百日咳
しかし原住民の人口は現在でも7000万人を超える
URLリンク(en.wikipedia.org)
コロンブス以前の人口は学者コンセンサスで5400万人程度とされ、同化政策は失敗し
多くの現地文化は保存されている
アメリカで実際に殺された数は疫病に比べて規模は小さい

133:やまとななしこ
18/10/09 19:26:33.32 VaRraEig.net
>>132
ペストは中国で発生しヨーロッパの居住者2,000万-3,000万人を殺した
URLリンク(ja.wikipedia.org)ペスト
14世紀の大流行
詳細は「en:Second plague pandemic」および「en:Black Death」を参照
中世ヨーロッパにおけるペストの伝播。
ポーランドでは被害が発生しなかった。
472年以降、西ヨーロッパから姿を消していたが、14世紀には全世界にわたるペストの大流行が発生した。
この流行はアジアからシルクロードを経由して欧州に伝播し、人口の約3割を死亡させた。全世界でおよそ
8,500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2に当たる、約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されている。
14世紀の大流行は中国大陸で発生し、中国の人口を半分に減少させる猛威を振るったのち、1347年10月(1346年とも)、
中央アジアからイタリアのシチリア島のメッシーナに上陸した。ヨーロッパに運ばれた毛皮についていたノミが媒介し
たとされる。流行の中心地だったイタリア北部では住民がほとんど全滅した[3]。1348年にはアルプス以北のヨーロッパ
にも伝わり、14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返し、猛威を振るった。

134:やまとななしこ
18/10/09 19:27:49.47 VaRraEig.net
>>13 >>2
>キリストを信じない者は地獄行きって勝手に言ってる分には害はないが
キリスト教(リベラル派)bot@trinity_kristo
非キリスト者の死後
イエスを信じなければ父なる神の元へは行けない(ヨハ14:6)ことから、非キリスト者は地獄に行
くと解釈する人もいるが、パウロ書簡には、主の教えを知らずとも、神の意向に沿った生き方は可能
(ロマ1:19, 2:14)とあり、天の国は誰にでも開かれていると言える。
URLリンク(ja.wikipedia.org)地獄 (キリスト教)
Herrad von Landsbergによる装飾写本形式の百科事典『Hortus Deliciarum』(1180年頃)に掲載されている地獄の絵
カトリック教会では、「痛悔もせず、神の慈愛を受け入れもせず、大罪を犯したまま死ぬことは、わたしたち自身の
自由意志による選択によって永遠に神から離れることを意味します。自ら神と至福者たちとの交わりから決定的に離れ
去ったこの状態のことを『地獄』と表現する。」と『カトリック教会のカテキズム』に明記して[10]、永遠の地獄の存在
と、神との決別の状態が永遠に続くことが地獄の苦しみの中心であると教える。
教皇ヨハネ・パウロ2世は、「地獄の問題はオリゲネスから始まって、常に思想家達を悩ませてきた」としながら、教会の
長として教理上は地獄の存在を肯定せざるを得ないものの、「そこに誰が入っているかは誰一人として分からず、果たして
キリストを裏切ったユダがそこにいるかどうかさえわからない。」と述べたことがある[14]。
誰が地獄に落ちるかについては、『カトリック教会のカテキズム』では「神は、誰一人地獄に予定してはいない。自分の
意思で神から離れる態度を持ち続け、死ぬまで変えない人のみが地獄に落ちる。」「教会は『一人も滅びないで皆が悔い
改める』(ペトロの手紙二 3章9節より引用)ことを望む神のあわれみを祈願する。」としている[15]。
URLリンク(ja.wikipedia.org)地獄 (仏教)
日本の仏教で信じられている処に拠れば、死後、人間は三途の川を渡り、7日ごとに閻魔をはじめとする十王の7回の裁きを
受け、最終的に最も罪の重いものは地獄に落とされる。地獄にはその罪の重さによって服役すべき場所が決まっており、焦熱
地獄、極寒地獄、賽の河原、阿鼻地獄、叫喚地獄などがあるという。そして服役期間を終えたものは輪廻転生によって、再び
この世界に生まれ変わるとされる。
仏教における地獄とは輪廻思想における転生先の一つ。地獄道に生まれれば、寿命を全うするまで地獄を出ることはできない。
地獄における寿命はとても長く、最も短い等活地獄でも人間の時間で1620000000000年、炎熱地獄だと51840000000000年、
これより長い寿命の地獄もある。
@hindimyths

135:やまとななしこ
18/10/09 19:30:15.84 VaRraEig.net
>>125 >>1
西欧では国王の血統(歴史)は権利という面が強い
国家はプロヴィデンスと自然(神が設計した自然法則)によって作られたが、その血統だけでは
神に選ばれた血筋というだけであり、それだけでは正しい国王とはならない
(血筋だけでは意味がない。王の近親者の力はその莫大な資産によるところが大きい)
例えばイギリスの愛国歌、国歌の作詞を分析すると、自由を保証するための使用人が王である
その任務を王が達成できるように神に祈るという歌詞だと考えることができる
「Rule Britannia」
Must, in their turns, to tyrants fall;
"Britons never will be slaves."
『圧政者を倒し奴隷とならない』
「God Save the Queen」
Home of the brave and free,
Thou land of Liberty,
We pray that still on thee
Kind Heav'n may smile.
『勇気と自由の故郷、自由の地』
国王や皇帝は神の使用人、世話人として平和と安全と自由を守る役割・義務が与えられる
神の使用人となるには、一般人よりも厳格に聖書に従う必要がある
西欧の国王で権力の濫用をしたものは廃嫡されることがある(殺すこともあるが裏で処刑し病死とするのが一般的)
代わりは血縁の王族がなる
さらに王は臣下だけでなく神に対しての奉仕を行う義務と、臣下に対し客観的な真実に基づく説明責任を負う
東洋的な君主像とは似て非なるものだと分かるだろう

136:やまとななしこ
18/10/09 19:31:38.19 VaRraEig.net
>>135
>忠君愛国はある意味世界標準な概念
儒教・朱子学の君主、神権主義の君主、古代王権神授(absolutism以前)の君主では似ているようで異なる
日本では儒教・朱子学と神権主義が習合したが(神授仏から廃仏毀釈で神儒に移行)
他国の忠君とは前提が違うので世界標準とは似ても似つかない島国システムとなった
古代王権神授説であれば、王は神の使用人、世話人であり、国民に対して奉仕し、客観的な真実に基づく説明責任を負う
他国で戦争に命をはる場合のスローガンは日本とは異なる
親兄弟、姉妹、子供・孫、親戚、友人、コミュニティー、資産、自由を守るために
命をかけて戦おうというのが一般的なスローガンだ
つまり他国の奴隷には決してならない、そのためには死を厭わないという理屈だ
ただこれは主君の奴隷にもならないという意味も背後にあり、国民は自由であるべきということだ
(誰が国民かというのは古代では色々とかわってくるが)

137:やまとななしこ
18/10/09 19:32:33.92 VaRraEig.net
>>136
専制政治、絶対王権(absolutism)のように自由を抑圧する政府や国王・圧政者のために死ねという理屈は厳しい反発を受ける
フランス国王やチャールズ一世もそうだが、絶対王権に基づいた政治を行った王室は処刑されたり、廃嫡される傾向にある
エドマンド・バークもチャールズ一世(議会を弾圧し圧政を行った)の処刑を含む歴史の集積から議会政治に参加できるように
なったわけであり、その伝統を否定していない
The speculative line of demarcation where obedience ought to end and resistance
must begin is faint, obscure, and not easily definable. It is not a single
act, or a single event, which determines it. Governments must be abused
and deranged, indeed, before it can be thought of; and the prospect of
the future must be as bad as the experience of the past. When things are
in that lamentable condition, the nature of the disease is to indicate the
remedy to those whom nature has qualified to administer in extremities
this critical, ambiguous, bitter potion to a distempered state. Times and
occasions and provocations will teach their own lessons. The wise will
determine from the gravity of the case; the irritable, from sensibility to
oppression; the high-minded, from disdain and indignation at abusive
power in unworthy hands; the brave and bold, from the love of honorable
danger in a generous cause; but, with or without right, a revolution
will be the very last resource of the thinking and the good.
--Edmund Burke
したがって一定条件下において圧政者である絶対王権者を殺すことに反対というわけではない
戦前までエドマンド・バークは自然法に反対と曲解されてきたが、自然法を強力にバークが弁護してきた実績と反する
(バークの自然法は国教会のカテキズムとキリスト教保守派であるため古風すぎるが)
バークを保守思想の頂点としているものは、これらの点を全く理解していない
王や皇帝の権利や思い上がりのために死ぬ覚悟をもてというのはカルトに近く
国王や皇帝は国民に奉仕する存在であり、不必要であれば、いつでも替えが効く存在に過ぎない
国家を国王と一致させるにしても、絶対王権の秩序では自浄作用を持てず、国家が圧政・腐敗政治に
耐えきれず自滅するのは良く見られることだ

138:やまとななしこ
18/10/09 19:33:35.40 VaRraEig.net
>>137
保守思想の父と呼ばれるバークの基本的思想は正しき神が自然法を与え、神の法である自然法から権利を派生させる遠回しな定義をする
英国国教会とそのカテキズムを無視して人権を勝手に解釈し資産・爵位・教会の権利等を破壊しよう
とする平等を強引に推し進めることを厳しく批判した
Far am I from denying in theory, full as far is my heart from withholding
in practice (if I were of power to give or to withhold) the real
rights of men. In denying their false claims of right, I do not mean to
injure those which are real, and are such as their pretended rights would
totally destroy. If civil society be made for the advantage of man, all the
advantages for which it is made become his right. It is an institution of
beneficence; and law itself is only beneficence acting by a rule. Men
have a right to live by that rule; they have a right to do justice, as between
their fellows, whether their fellows are in public function or in
ordinary occupation. They have a right to the fruits of their industry and
to the means of making their industry fruitful.
---Edmund Burke
バークが言う慈善は言うまでもなくキリスト教における道徳を指し、このキリスト教的精神である慈善の行使が法律であると断定する
つまり慈善に従わないものは法律から外れているのだから、キリスト教の慈善と道徳に従わない権利は存在しないとみなす
この理屈はバークが継承したマグナ・カルタ、ワット・タイラーの乱、名誉革命などの抵抗する権利を正当化している
Burke and Natural Rights
Edmund Burke was at once a chief exponent of the Ciceronian doctrine of natural law and
a chief opponent of the “rights of man.” In our time, which is experiencing simultaneously
a revival of interest in natural-law theory and an enthusiasm for defining “human rights”
that is exemplified by the United Nations' lengthy declaration, Burke's view of the natural
juridic order deserves close attention.
Unlike Bolingbroke and Hume, whose outward politics in some respects resembled the great
Whig statesman's, Burke was a pious man. “The most important questions about the human
race Burke answered … from the Church of England's catechism.” He takes for granted a
Christian cosmos, in which a just God has established moral principles for man's salvation.
God has given man law, and with that law, rights; such, succinctly, is Burke's premise in all
moral and juridical questions.
A theological defence of Burkean conservatism and a critique of contractarian liberalism
URLリンク(ora.ox.ac.uk)
Secondly, I have analysed the theological content of Burke's political thought, demonstrating that
Burke's political thought emerged from his Christian faith and his concomitant belief in the natural law.
I have argued that, as a result, there is a profound consonance between the central principles of the
Christian faith and the conservative tradition which followed Burke.
日本の保守主義が初動の段階から亜流となったのは、キリスト教が無いからであり、バークの保守主義を理解・成立しうる
文化的土壌が欠けているからだ。福沢諭吉は天という言葉を使ったが、これをキリスト教と正反対の儒教倫理で代用しても極端な腐敗や
閉塞した社会の停滞を防ぐことはできなかった
キリスト教がない保守主義からの民主主義は慈善にかけ、民主主義は縁故選民主義、利己主義、拝金主義に収束した偽民主主義と化す
バークを一旦スクラップして、新たな価値基準・思想を一から作るか、キリスト教を導入するでもしない限り
本家から著しく劣化した偽保守主義になることは自明だ

139:やまとななしこ
18/10/09 19:34:06.29 VaRraEig.net
>>138
バークに深い思想があったというのがトンデモ自称保守が行き着く解釈だ
確かにアダム・スミスと同様に熱狂的なキリスト教徒であったバークには
10世紀以上もの間に西洋に流れるキリスト教の源流のようなものは感じられるが、バークに深淵なる思想があった
といわれると異様な読解力としか言いようがない
God has given man law, and with that law, rights; such, succinctly, is Burke's premise in all moral and juridical questions.
頭のネジがはずれたとしか言いようがない陰謀脳の狂った偏執的妄想狂がバークに殺到して保守を自称するが
熱狂的なキリスト教徒であるバークからキリスト教を外したら、中身空っぽのおしゃべり長文人間にすぎず
そうしたものに惹かれるという時点で、やはり日本の自称保守思想家や自称保守政治家には何か根本的な背骨のような
ものが欠けていると言わざる得ない

140:やまとななしこ
18/10/09 19:35:18.27 VaRraEig.net
>>125 >>135 >>1
URLリンク(ja.wikipedia.org)都市権 (オランダ)
自由
個人の自由:都市以外の住民と比べて(相対的に)、主君から干渉されず、移動の自由が保証される
自治
自治権:一部の善良な市民は、都市の官僚として取り立てられた
司法及び立法権:市域内において広範な自主立法及び司法権の行使が認められた
課税権
アーネム 1233年
アムステルダム 1306年
ブレダ 1200年頃
エンスヘーデ 1325年
アイントホーフェン 1232年
フローニンゲン 11世紀
レーワルデン 1285年
マーストリヒト 1204年
ナイメーヘン 1230年
ロッテルダム 1340年
スヘルトーヘンボス 1195年
ティルブルフ 1809年
ユトレヒト 1122年

141:やまとななしこ
18/10/09 19:36:20.90 VaRraEig.net
>>140
ドイツはイギリスと同時期に改革をはじめたが、(領主のいない)地方分権型を推進した
カロリング朝(カロリンジアン帝国)の始祖はカール大帝(またはドイツ人貴族のシャルル・マーテル、もしくはさらに前のピピン1世)だ
リューベック法(1188年)
マクデブルク法(10世紀)
クルム法(1233年)
神聖ローマ皇帝オットー(一世)が定めたStadtrechtは都市に自治、地方議会(選挙ではなく議員からの選定)、
徴税権をもつ都市政府を誕生させた
教会領などから独立した自由都市も発達した
(平民も含めた選挙でローマ皇帝に選ばることにこだわり、華美を嫌い僧侶のような質素な生活をしていたとされる)カール大帝が
アウグスティヌスの神の国を気に入っており、都市のキリスト教化を目指していたことは良く知られている
URLリンク(en.wikipedia.org)
Einhard tells in his twenty-fourth chapter:
The subjects of the readings were the stories and deeds of olden time: he was fond,
too, of St. Augustine's books, and especially of the one entitled "The City of God".[119]

142:やまとななしこ
18/10/09 19:39:04.78 VaRraEig.net
URLリンク(ja.wikipedia.org)異端審問
この種の異端審問制度はドイツやスカンジナビア諸国など北ヨーロッパへも拡大して
いったが、ほとんど定着せず、場所によってはより穏健な形のものに変容していった。
また、イングランドでは異端審問はほとんど行われなかった。中世の異端審問がどれ
ほどの規模で行われたのかは正確に知ることは困難だが、現代の人々が想像するほど頻
繁に大人数の処刑が行われたとは考えにくい。記録によれば、中世異端審問が最も活
発に行われた1233年に南フランスの異端審問官に任命されたロベール・ル・プティは
数百人に火刑を宣告したが、刑罰が過酷すぎるという理由で1年目で解任された。有名
なベルナール・ギーは異端審問官を16年間の長きに渡って勤めたが、死刑を宣告した
のは40件に過ぎなかった[7]。

143:やまとななしこ
18/10/09 19:56:40.38 /Sf8Vw6N.net
他人を騙す手段として役に立つ
朝鮮人が強姦やペドロリに活用中
騙されるのがバカという論理で世界に拡散中
日本では数年前までは有効だった

144:やまとななしこ
18/10/09 19:59:00.67 /Sf8Vw6N.net
右のおっぱいを触られたら左のおっぱいも差し出しなさい
それでも足りないと言うなら股を開きなさい

145:やまとななしこ
18/10/09 20:15:52.48 rQR6vhpu.net
カール・バルトって言うかカードバトルで役に立ってるな

146:やまとななしこ
18/10/09 20:24:50.75 uOg0Z6X0.net
士師記は中近東の戦国時代の戦史書なんだがな。まさに現在中東で起こっている現実と被さるんだが。
どこの教会でも士師記について説教する神父や牧師はないだろう。しかし士師記は聖書の中にある。

147:やまとななしこ
18/10/09 20:54:50.24 4hGEW3r9.net
A: 役立ちません
終了

148:やまとななしこ
18/10/09 21:35:45.46 zn++IMAr.net
キリストもその父も日本人にとったら八百万の神の一人だからなぁ

149:やまとななしこ
18/10/09 21:46:31.92 VaRraEig.net
>>107 >>108 >>109 >>110
以前は神道が内部改革をすることに期待していたが、現状では無理だと判断している
神社本庁の「政治力」と「資金力」、不気味がるほどではなかった!
URLリンク(diamond.jp)
集票力も資金力もなく、単に祭りに呼ばれたいがために自民の政治家が利用する程度であり
現在の構図は神道が仏教に乗っかっているぐらい存在感のない状況だ
一部の権力指向の世間知らずが何も知らずに持ち上げたり、反安倍晋三に利用する極左が陰謀論に利用している
程度でかつての力は見る影もない
むしろこれが国体を支えていると考えると砂上の楼閣としか表現のしようがない危機的状況だ


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