【地域】「六本木ヒルズ、どんな街にするんだ」 at BIZPLUS
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1:ノチラ ★
18/06/24 15:31:28.28 CAP_USER.net
 東京都港区六本木の「六本木六丁目地区再開発準備組合」の事務所が毎日通う職場だと聞いた家田玲子(44=現タウンマネジメント事業部部長)は少しがっかりした。
1996年4月。森ビルに入社した家田は都市開発の部署に配属された。「再開発」と聞いてどんな仕事をするかピンと来なかったが当然、職場は当時本社があったアークヒルズ(東京・港)だと勝手に思い込んでいたのだった。
 家田も東京で初めての複合開発に憧れ森ビルに入社したうちの1人。アークヒルズの本社への出勤は「外せなかった」。
 ところが出社するのは六本木にある準備組合の事務所だという。東京で初めての複合開発として注目を集めるアークヒルズと異なり当時、六本木はただの夜の街。昼間は「静まりかえっていた」。
 そもそも準備組合といっても「本当のところ『六本木ヒルズ』ができるのかどうか、想像すらできなかった」。具体的な絵はこれからだった。
 六本木ヒルズの開発を担当するメンバーのなかには現在、社長の辻慎吾もいたが、今振り返れば「みんな若くて初めてのことばかり。これだけの大規模な再開発は経験がなかった」。
 ただ、熱意だけはあった。「とにかく開発予定地の400人の地権者から同意書をもらおう。そうでないと本社に帰れない」。交渉担当者が朝、外に飛び出し、夕方「同意書もらったぞ」と言って帰ってくると拍手がわき起こった。
 そんな準備組合も地権者たちの合意形成がほぼ完了、名称が「六本木六丁目地区市街地再開発組合」となり、工事が始まると様子が変わる。2000年4月のこと。「夢だと思っていた六本木ヒルズが3年後には形になる。さあ、どんなプロジェクトにするんだ」。一気に慌ただしくなった。
 そんな時、社長の森稔の一言が波紋を広げる。「バラバラではダメだ」。これまではオフィス、住居、ホテルと建物ごとに管理者を選定、管理も別々にするのが通常だった。様々な用途をひとまとめににした複合開発という考え方がない時代。当然だった。
 しかし、森稔は「それではダメだ」。全体を見渡して管理監督する部署が必要だという。そして01年8月、立ち上がったのがタウンマネジメント準備室だった。家田はその最初のメンバーとなった。=敬称略
URLリンク(www.nikkei.com)


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