【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】242次資料 at ASIA
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981:日出づる処の名無し
24/04/29 11:26:22.18 NmAfeDbq.net
水谷荘日記『戦塵』(歩兵第七連隊第一中隊・一等兵)
12月13日
引き続いて市内の掃蕩に移る。市内と言っても大都市南京、ほんの一部分の取りついた付近の小範囲に過ぎない
12月14日
昨日に引き続き、今日も市内の残敵掃蕩に当たり、若い男子の殆どの大勢の男子が駆り出されてくる。
12月15日
今日もまた移動。昼食携行で日本領事館の方向、難民区に行く。
12月17日
昨夜12時頃、非常呼集があって、第一機関銃中隊は揚子江岸に1200名の銃殺に行っていたが、夜に入り、それ迄死体を装っていた多数の相手に包囲され苦戦中との事。急遽出動したが、途中で大隊本部よりの命令で、概ね鎮圧した由、長以下10名が応援に行き、他は帰る。

982:日出づる処の名無し
24/04/29 11:26:34.29 jNkTjTQd.net
「便衣」とは平服という意味。軍服の対義語。
 「便衣兵」とは、平服を着た兵士。ゲリラ兵のこと。
 便衣兵であるかどうかにつき、兵士が実際に戦闘をしているかどうかは関係ない。このような解釈は詭弁である。
 よって、軍服を着ていない兵士を便衣兵=ゲリラと呼ぶことは正しい。


国際法辞典 筒井若水編
ゲリラ(抜粋)
 伝統的な戦時国際法は、戦闘員資格をもつ正規軍による敵対行為だけを適法とし、文民等その資格を欠くものはもとより、
正規兵であっても不正規軍の適法な構成員資格を満たさない者の敵対行為は交戦法規に照らして違法としてきた。

983:日出づる処の名無し
24/04/29 11:26:53.58 jNkTjTQd.net
>>981
ほら、はよ宿題解決しろよ
・南京でいつ停戦協定が結ばれ停戦状態になったことの証明
・満洲事変前において、日支間で結ばれた条約がすべてグレーゾーンで中国側は守る必要がなかったことの証明
・通州事件の被害者のほとんどがアヘンの密売人だったことの証明
・北京議定書は捏造された条約であったことの証明
・パルは日本の軍事行動を侵略認定したことの証明
・北京関税協定の合意とやらに日本が違反したことの証明
・東南アジアの要人の証言が捏造でおべんちゃらであったことの証明
・公刊戦史は素人が編さんしているという証明 
・幕府山事件で船を用意したのは捕虜を騙すためであったことの証明 
・東中野氏が盗用によって研究停止に追い込まれたという証明 
・幕府山事件の遺体に民間人の女が混じっていたことの証明 
・日本政府が10万人未満の虐殺を認めていないという証明
・旅順において日本が国際法違反の虐殺をしていたことの証明 
・国際法学者の有賀は捕虜を殺しても無問題といっていた基地外であることの証明 
・防守都市において軍事目標主義に基づく無差別攻撃を禁じる国際法がシナ事変当時存在していたことの証明 
・南京で日本軍が無差別攻撃をやったことの証明
・不戦条約で自衛かどうかは世界の世論に従わなければいけなかったことの証明
・1941年から日本は国際法がどうでもよくなって信夫博士も見解を変えたことの証明 NEW
・日本側弁護団の意見が日本の主張を代弁していないことの証明 
・入江啓四郎が南京大虐殺についての論文を書いたことの証明
・第66連隊戦闘詳報の作成者・命令者・記述の違法虐殺の証明 NEW
・南京安全区で日本軍が無差別爆撃した証明 NEW

984:日出づる処の名無し
24/04/29 11:27:04.96 NmAfeDbq.net
斎藤次郎陣中日記
12月17日:揚子江岸で捕虜◯◯◯名銃殺する

堀越文男陣中日記
12月15日:揚子江岸に捕虜の銃殺を見る、三、四十名づつ一度に行ふものなり

伊藤喜八陣中日記
12月17日:その夜は敵のほりょ二万人ばかり揚子江岸にて銃殺した

中野政夫陣中日記
12月17日:毎日敗残兵の銃殺幾名とも知れず
12月18日:大隊に於ては一万七千の捕虜を処分す

宮本省吾陣中日記
12月16日:捕虜兵約三千を揚子江岸に引率し之を射殺す
12月17日:夕方漸く帰り直ちに捕虜兵の処分に加はり出発す、二万以上の事とて終に大失態に会い友軍にも多数死傷者を出してしまった

柳沼和也陣中日記
12月17日:夜は第二小隊が捕虜を殺すために行く、兵半円形にして機関銃や軽機で射ったと、其の事については余り書かれない。一団七千人余人揚子江に露と消ゆる様な事も語って居た。

985:日出づる処の名無し
24/04/29 11:27:07.84 jNkTjTQd.net
宣誓に依る解放の場合は、解放された捕虜から武器で攻撃を受けない保証があります。解放される捕虜自身の名誉に基づくだけの保証ではありますが、解放したその場で宣誓が破られる事態は少ないことでしょう。宣誓が容易に破られるものならば、宣誓に依る解放という慣習そのものが成立しません。

 それに対して宣誓に依らざる解放には、解放された捕虜が反撃してこないという保証がありません。元々宣誓に依らざる解放は劣勢に置かれた軍が緊急の必要に迫られて行うもので、捕虜を抱えていては自分たちの生存が危ういという状況下で生じるものです。

 幕府山のケースは、退却を要する事情や攻囲された状態こそありませんでしたが、捕虜を抱えていられない差し迫った事情があるという点では宣誓に依らざる解放が行われる一般的なケースと同質の状況でした。

 また、相互に国際法上の戦争と見られることを忌避し宣戦布告を行わないまま戦い続けた日支事変では、対象となる捕虜の名簿を敵国政府に送るという国際法上の手続きを必要とする宣誓に依る解放は、行いようがありませんでした。宣誓に依る解放を行えば、現在の戦争が国際法上の戦争であるということを認めずにいられないからです。それでは、中立国を戦場から排除するという国際法上の権利を犠牲にしてまで、日支事変は国際法上の戦争ではないと装おうとした苦労が台無しになってしまいます。少なくとも南京攻略戦の時点では、捕虜(俘虜)という言葉を公式に使用することすら避けようとしていました(陸支密第一七七二号昭和十二年十一月四日)。

 山田支隊が意図したのは、労役に使用するという派遣軍司令部の意向に背いた、宣誓に依らざる解放です。

 派遣軍司令部の意向に背くものであったのですから、秘密裏に行わなければなりませんでした。

 宣誓に依らざる解放だったが故に、圧倒的多人数の捕虜の反撃を警戒して重武装が必要でした。

 山田支隊の捕虜解放が宣誓に依らざる解放にならざるを得なかったということが理解できれば、重武装の必要性は最初から論点にもなりません。

 解放目的の連行・自衛発砲説には、些かの破綻もありません。

 破綻があるとすれば、単に銃殺したという証言を計画的殺害に結び付ける違法殺害説の方です。

986:日出づる処の名無し
24/04/29 11:27:21.20 jNkTjTQd.net
>>984
またインチキ匿名日記草

987:日出づる処の名無し
24/04/29 11:27:34.46 NmAfeDbq.net
本間正勝戦斗日記
12月16日:捕虜三大隊で三千名揚子江岸にて銃殺す
12月17日:中隊の半数は入城式へ半分は銃殺に行く、今日一万五千名

高橋光夫陣中日記
12月18日:午後にわ連隊の捕りよ二万五千近くの殺したものをかたつけた

菅野嘉雄陣中メモ
12.16:夕方より捕虜の一部を揚子江岸に引出銃殺に附す
12.17:捕虜残部一万数千を銃殺に附す

近藤栄四郎出征日誌
12月16日:遂に二万の内三分の一、七千人を今日揚子江畔にて銃殺と決し護衛に行く、そして全部処分を終わる、生き残りを銃剣にて刺殺する

黒須忠信陣中日記
12月16日:2.3日前捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出し機関銃を以て射殺す、その后銃剣にて思ふ存分に突刺す

目黒福治陣中日記
12月16日:午後四時山田部隊にて捕いたる敵兵約七千人を銃殺す、揚子江岸壁も一時死人の山となる
12月17日:午後五時敵兵約一万三千名を銃殺の使役に行く、二日間にて山田部隊二万人近く銃殺す、各部隊の捕虜は全部銃殺するものの如す
12月18日:午後五時残敵一万三千程銃殺す
12月19日:昨日銃殺せる敵死体一万数千名を揚子江に捨てる

荒海精衛日記
12月16日:捕虜の廠舎失火す、二千五百名殺す
12月17日:今日は南京入城なり。俺等は今日も捕虜の始末だ。一万五千名

988:日出づる処の名無し
24/04/29 11:27:35.24 jNkTjTQd.net
■当時、敵兵を拘束した段階では俘虜ではなかった。

ハーグ陸戦条約において、『俘虜』は保護規定が定められていますが、
当時の解釈では『敵兵を捕えた段階』では、
まだ『俘虜』と認められたわけではありませんでした。

その根拠は下記国際法学者の見解と、
歴史学者立川氏の調査結果を読めば明白です。

◆まず、国際法学者の見解によれば、南京戦時においては敵兵を拘束した段階
では『俘虜(=ハーグ陸戦規約により保護規定がある)』とはなりません。

989:日出づる処の名無し
24/04/29 11:28:08.24 NmAfeDbq.net
『松井石根談 我が大陸政策と軍』
さういふやうな勢で捕虜も相当出来たけれども、捕虜に食はせる物もない、さういふ状態で戦闘しつつ捕虜が出来るから捕虜を始末することが出来ない、それでちょん斬ってしまうといふことになった。
それで大したことではないのだが、南京の東南方の鎮江との間の所で一万余の捕虜があっだのだけれども、そんなのは無論追撃中だから戦闘中と見てもよろしい、又捕虜となっても逃亡する者もあるし、始末が付かぬものだからシヤーシヤーと射ってしまったのだ。
その死骸が川に流れた、それから問題になったのだ。だからその問題は所謂半戦闘行動である。
(内外法政研究会『研究資料第一三〇号 松井石根氏談 我が大陸政策と軍』(防衛庁防衛研究所戦史部所蔵)

990:日出づる処の名無し
24/04/29 11:29:47.74 NmAfeDbq.net
基地外がいちゃもんしか付けられずに発狂してくるから全然貼れなかったな(笑)

塩野雅一著『還ってきた軍事郵便』より。 

部隊は常熟、無錫、常州、丹陽と、逃げ足の速い敵を追って進撃するのであるが、途中無錫の街で見るべからざる情景を、この眼で見てしまった。何処の部隊か定かではないが、一兵士が一才にも満たない赤子を両手で高くさし揚げて、どうするのかと思ったらかたわらのクリークへ、こともあろうに投げこんでワイワイ騒いでいるのである。

常熟から無錫、常州、丹陽と進撃して行くその街々には敗残兵の遺棄死体に混って、現住民男女の死体が散乱していた。その死体のなかの女性たちは下半身を裸にされて、こともあろうか、その局部に棒ぎれや竹筒が突込んであるのを私は馬上から、この眼で数回も見た。全く目を覆いたくなるような、非人道的な惨状である。

991:日出づる処の名無し
24/04/29 11:30:15.26 NmAfeDbq.net
ジョージ・フィッチの手紙(「南京大残虐事件資料集第2巻 英米資料編」P42)
12月30日
今日の午後、私が日本大使館を訪れた時、大使館員たちは新年の祝賀について約六〇人の中国人(多くがわれわれの収容所の幹事)に指示を与えるのに忙殺されてました。旧来の五色旗が国民党の青天白日旗にとって代わることになり、彼らは五色旗約一〇〇〇枚と日本の国旗約一〇〇〇枚を、新年の祝賀用につくるように命じられました。一〇〇〇人以上を収容している収容所は代表を二〇人出すことになり、小さい収容所は代表一〇人を出すことになりました。元旦の午後一時に五色旗が鼓楼に掲揚されるとともに、(プログラムによれば)適当な演説と音楽が行われる予定です。もちろんこの旗を振って新体制を歓迎する幸せな人々がニュース映画に撮影されるのです。ところで市内の焼打ちはつづき、十二歳と十三歳の少女の強姦と誘拐が三件発生したとの報告が入りました。

992:日出づる処の名無し
24/04/29 11:30:37.63 NmAfeDbq.net
『外交官の一生』石射猪太郎(外務省東亜局長)
日本の新聞は、記事差し止めのために、この同胞の鬼畜の行為に沈黙を守ったが、悪事は直ちに千里を走って海外に大センセーションを引き起こし、あらゆる非難が日本軍に向けられた。わが民族史上、千古の汚点、知らぬは日本国民ばかり、大衆はいわゆる赫々たる戦果を礼賛するのみであった。

993:日出づる処の名無し
24/04/29 11:31:04.99 NmAfeDbq.net
早尾乕雄『戦場心理ノ研究』(1938年)
強姦は慰安所の開設の有無に拘わらず頻発した。輪姦も相当にあった。
(中略)
南京にある支那人傷兵収容所に於て支那看護婦が強姦され部隊長に訴え出た。部隊長は「皇軍の兵に強姦されたら光栄に思え」と怒鳴ったという。甚しき勝利者の暴言である。

994:日出づる処の名無し
24/04/29 11:31:30.14 NmAfeDbq.net
山川出版社『詳説日本史』(2022年3月29日文部科学省検定済)

南京陥落の前後、日本軍は市内外で略奪・暴行を繰り返したうえ、多数の中国人一般住民 (婦女子を含む) および捕虜を殺害した (南京事件)。 南京の状況は、外務省ルートを通じて、早くから陸軍中央部にも伝わっていた。(P312)

995:日出づる処の名無し
24/04/29 11:32:18.10 NmAfeDbq.net
ドイツ外交官の見た南京事件 資料66
蘇郷村の方という名の、まだ一〇歳の幼い少女が、日本兵に膣を切り裂かれて殺された。さらに野蛮な出来事を報告しなければならない。
数人の日本兵が母親と息子からなる難民家族に遭遇した。日本兵は息子を軍刀で脅し、母親と猥褻な行為をするよう息子に強いた。息子が拒むと、かれは軍刀で打たれ殺された。母親は日本兵に強姦され、その後自殺を遂げた。

996:日出づる処の名無し
24/04/29 11:32:42.73 NmAfeDbq.net
「証言 我ラ斯ク戦ヘリ」(太平洋戦争研究会:2021年)
河野公輝(従軍カメラマン)の目撃談より

蘇州での強姦と掠奪も、すさまじいものだった。蘇 州は美人の産地とされているが、娘であろうが人妻であろうが片っ端から強姦した。そして終わったあ とは、必ず殺した。どういうわけか、みんなそうした。
強姦に飽きると、肉親同士に交りを命じ、それを見物するようなこともあちこちでなされた。父と娘、兄と妹、母と息子が銃剣の恐怖のなかで身体を重ねあう。強要されての行為だが、しかし、そのうち快楽のうめきをもらすような例もまれにあった。すると即座に、娘にのしかかっている父親なら父親を殺したりもした。

997:日出づる処の名無し
24/04/29 11:33:03.76 NmAfeDbq.net
学界の状況に基づいて判断すると、南京占領の際の中国人の女性に対する貞操侵害行為は、行為の性質上その実数の把握が困難であるものの、特に非難すべき程多数で、 残虐な行為として指摘され、 中国 軍民に対する大量虐殺行為とともに南京大虐殺と呼ばれて、南京占領の際に生じた特徴的事象とされているのが支配的見解であると認められる。修正意見は、記述に関する学説状況の認識を誤ったか、検定基準の解釈適用を誤ったもので、その判断過程に看過し難い誤りがあるというべきである。【控訴審 (東京高裁) 判決 ( 最高裁結論支持)】

998:日出づる処の名無し
24/04/29 11:33:46.96 NmAfeDbq.net
『戦場心理ノ研究 総論』
早尾乕雄陸軍中尉(金沢医科大学教授)1938年5月

余が南京へ入ったのは陥落後一週間であったから市街には頻々と放火があり見る間市内の民家日本兵により荒されて行った。下関には支那兵屍体が累々と重り是を焼き棄てるために集められたのである。目を揚子江岸に転ずれば此処に山なす屍体であった。其の中に正規兵の捕虜の処置が始まり海軍側は機関銃を以て陸軍は惨殺、銃殺を行ひ其の屍体を揚子江へ投じた。死に切れない者は下流に泣き叫びつ、泳ぎゆくを更に射撃する。是を見ても遊戯位にしか感じない。中には是非やらしてくれと首切り役を希望する将兵もある。
〔中略〕
揚子江に沈んだ正規兵の屍体は凡二万人位と言われる。

999:日出づる処の名無し
24/04/29 11:34:19.77 NmAfeDbq.net
原剛『いわゆる「南京事件」の不法殺害』

三、不法殺害(虐殺)の定義

 虐殺否定派の論者は、捕虜や便衣兵を揚子江岸などに連行して射殺もしくは刺殺したのは、虐殺ではなく交戦の延長としての戦闘行為であり、また軍服を脱ぎ民服に着替えて安全区などに潜んでいた便衣兵は、 ハーグ陸戦規則の第一条「交戦者の資格」規定に違反しており、捕虜となる資格がない故、殺害しても不法殺害にならないと主張している。

  しかし、戦場で捕えた捕虜や便衣兵を、武装解除して一旦自己の管理下に入れておきながら、その後揚子江岸などへ連行して射殺もしくは刺殺するのは、 戦闘の延長としての戦闘行為であるとは言い難い。

 捕虜などが逃亡とか反乱を起こしたのであれば別であるが、管理下で平穏にしている捕虜などを、第一線の部隊が揚子江岸などへ連れ出して殺害するのは不法殺害に相当する。捕虜などを捕らえた第一線の部隊には、これを処断する権限はないのである。

1000:日出づる処の名無し
24/04/29 11:35:06.01 NmAfeDbq.net
南京事件と新聞報道(上丸洋一、P51)
三七年九月一三日、警視庁は、陸軍省が作成した「新聞掲載事項許否判定要領」を東京市内の新聞社に伝えた。これによって、次に示された記事は掲載が禁じられた(内務省警保局「出版警察 報」第101号)。

「我軍に不利なる記事写真」
「支那兵又は支那人逮捕訊問等の記事写真中虐待の感を与ふる虞あるもの」
「惨虐なる写真但し支那兵又は支那人の惨虐性に関する記事は差支なし」

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