JA秋田中央会【第2 ..
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528:「JA秋田中央会の森高千里」とあだ名をつけられた元.監査人T。
17/11/20 21:53:57.54 .net
JA秋田中央会に新卒の正職員として就職し、秋田県JAビルの5階にある経営監査課に所属となったが、
10か月で秋田県JAビルの1階にある「支所(ししょ)」に会長の
決定による人事異動の辞令(じれい)を受けた。
「支所(ししょ)」で私(T)は、41歳の男性の管理職で肩書きが調査役(ちょうさやく)の後任に強引にさせられた、
ということである。
私(T)が担当することになったのは、秋田市と男鹿市のまわりにあるJAの「経営指導」、「監査」、「合併推進」、
「JAの職員の教育」、「JAの事務の電算化」など多数あり、業務の目的で
使える予算をすべて足し算したら合計で年間400万円であった。
1991年(平成2)の3月に、秋田市と男鹿市のまわりのJAの役員の監事さんたち50名と、「監事監査(かんじかんさ)の
研修会」を今年も定例で開くことにしたのであった。
私(T)はJAの監事さんたち向けの研修会の会場を、男鹿市内にある男鹿温泉郷(おがおんせんきょう)の温泉ホテルの
いずれかにしようとした。
私(T)はJA男鹿市(現在のJA秋田みなみ)の非常勤の監事の武田文作(たけだ ぶんさく)氏に会って、
男鹿温泉郷にホテルは複数あるのだが、どこのホテルを研修会の
会場にしたらよいか、相談したのであった。
武田文作(ぶんさく)氏は、「ホテル萬盛閣(ばんせいかく)」にしてくれ、と、私(T)に言った。

※武田文作氏について
JA秋田中央会に平成10年に1年間の契約で臨時職員(りんじしょくいん)として
採用された武田律子氏の祖父である。
※JA男鹿市の非常勤の監事について
男鹿市の市会議員の三浦悦郎(みうら えつろう)氏も、JA男鹿市の非常勤の監事であった。
JA男鹿市の非常勤の監事としての序列からは、武田文作氏より三浦悦郎氏は地位が低かった。


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