ノーベル物理学賞 part7
at SCI
[
2ch
|
▼Menu
]
■コピペモード
□
スレを通常表示
□
オプションモード
□このスレッドのURL
■項目テキスト
850:増山二三 17/10/01 23:44:25.22 DFGMeX9Y.net 俺じゃね。 まあ実際はくれないだろうけど、、 https://ameblo.jp/fumichan-023/entry-12267416185.html 851:ご冗談でしょう?名無しさん 17/10/02 11:23:24.86 bm0dQOxfU >>822 >金を払ったからノーベル賞受賞できる訳ではないし チョンはそれを実現したんだから凄いものだ、アカピ、変態等は 北チョンのパーマデブとのダブル受賞まで期待したwwwww イグノーベル賞もかっ攫らなかったのは不思議なくらいだ。 852:ご冗談でしょう?名無しさん 17/10/02 12:05:02.78 .net この時期になると、世界のお騒がせ機関の「ノーベル賞財団」の「世界のお騒がせ期間」となる。 それもやっと終わったようである。今回のものもそうだが、ノーベル賞は「(物事の)発見や発明や応用」に 与えられるものだから、「(物事の理論的)説明、解明、証明、究明」に与えられるものではない。 それゆえ、かのアインシュタイン博士の場合も、「ブラウン運動理論」や「相対性理論」や 「ボーズ?アインシュタイン凝縮」ではなく、「光電効果」にノーベル賞が与えられたのである。 したがって、物事を理論的に究明することがノーベル賞の目的ではないのである。 だから、だれかが運良く発見すれば、結果的に他のだれかがその現象を究明したとしても、 その人は二番煎じということになってしまう。ここにノーベル賞型の、19世紀ロスチャイルド型/ロックフェラー型の 自然科学認識法には誤りが潜むのである。 我々科学者は「自然を理解するために日々活動している」のである。だから、必ずしも発見の一番、 二番を競うために行なっているのではないからである。むしろだれが一番最初に解明するか、 正しく理解するか、ということの方に主眼があるのである。 ところが、数学の世界は面白いことに、この点が「ノーベル賞型の自然科学観」とはまったく逆になっているのである。 言い換えれば、数学では「だれが一番最初に証明するか?」を競っているのである。 「あたらしい概念をだれが提出したか?」も大事で、それもさることながら、何よりも大事なことは、 その概念や定理が「正しいかどうか?」なのである。だから、だれかが一々証明しないかぎり、一歩も前進できないのである。 したがって、「19世紀ロスチャイルド型自然科学観」と数学世界はほぼ直交しているわけである。 だから、ノーベル賞に数学がないという1つの理由として、こういう本質的な事情があるのではないかと 私個人は見ているというわけですナ。
次ページ
最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
レスジャンプ
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch
2414日前に更新/298 KB
担当:undef