ノーベル物理学賞 par ..
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453:ご冗談でしょう?名無しさん 16/09/30 07:32:01.86 .net 我々の理論物理学は、簡単に言えば、ノーベル賞型自然科学観と数学型のほぼ中間に属すると 言えるだろう。発見も大事だが、数学的証明も大事である。しかし、特に大事なことは、 理論の実験的証明である。いくら美しい、良い理論でも、いくら証明が美しくても、 それが実験で証明されない限り、無効であるというのが、自然科学における理論というものだと 考えられているということである。 だから、理論物理学もまた、「ノーベル賞型自然科学観」からはかなり離れた場所にいる。 それゆえ、理論物理学者がノーベル賞をとった例は数えるほどしかないのである。かなり例外中の 例外に属する。しかしながら、日本人はこの例外の方が多いのである。湯川秀樹、朝永振一郎、 福井謙一、南部陽一郎と4人も理論研究でノーベル賞をとっているのである。 この理由の1つは、日本は物理学の出発当時から、physicsを「究理学」と名付けたことに由来していると 私個人は見ている。物事の理由や原因を説明することが「究明」という意味である。 その相手が自然現象であるものを「究理学」と考えたのである。 この伝統が明治、大正、戦前、戦中、戦後を貫いてまだ生きているに違いないということである。 なぜなら、我々は1つのことを見つけて、美酒に酔うよりは、そのことをもっとよく知り究明したいという 「道」の精神の方を好むからである。「柔の道」、柔道;「学問の道」、学問道、こういう日本人独特の認識の 仕方があるというわけである。もちろん、これには一長一短あるが、学生時代に「1つの道を見つけて、 それに一生励む」というタイプの研究者は日本では非常に多いのである。 とまあ、前置きはかなり長くなってしまったが、私がいつも「ノーベル賞は終焉した」と書いてきたのと ほぼ同じような視点でノーベル賞を論じている人がいたので、今回はそれをここにもメモしておこう。以下のものである。 安冨歩氏の「ノーベル賞のバカバカしさ」というものである。文中の赤い字の補足は私のものである。
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