【イエス】統合スレ【キリスト】 at PSY
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50:コズモ
23/01/24 09:06:15.22 wENgcYzh.net
おはようございます〜。^^
>>32
>聖なる希望は
>聖なる知恵である〜
アーメン。

51:神も仏も名無しさん
23/01/24 09:23:55.44 gzzPwPze.net
正しくはアーヌンです。間違えは神に対する冒涜です。アーヌン

52:神も仏も名無しさん
23/01/24 09:24:19.75 gzzPwPze.net
アーヌンヌンアッ
ヌンヌンヌンッ

53:コズモ
23/01/24 09:35:22.97 wENgcYzh.net
>>46
>私は、善なる神による万物創造と自由意志を有する人類が神の啓示を受けつつ創造の完成に向かうという発想自体を全く否定する。
>それが「神話」であってさえも、その神話を受け入れることは出来ない。
>それは「偽の神話」だとしか思えない。(だから私はグノーシス神話の方を支持して居る)
上記のグノさんの結論は、まさにグノさんの信仰表明だと思います。
私たちに人には2つの根本的疑問があります。
1)この世界がどうやって始まったかのか?
  この世界が今後どうなっていくのか?
2)地球の生命体がどうやって始まったのか?
  地球の生命体が今後どうなっていくのか?
考え方(A)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
たぶん、グノさんの考え方は、1)も2)も偶然の結果であり、
1)と2)の未来は定まっていない、という考え方だと思います。
この考え方は、今日の一般的な無神論者の考え方でもあります。
考え方(B)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
聖書においては、1)も2)も神が創造して始まった、であり、
1)と2)の未来は、神により定められている、という考え方です。
ここで問題なのは、考え方(A)と(B)の何方が正しいのか、
実験などによって確かめる方法が無いということです。
となると、(A)と(B)の何方を取るのか?は、
その人の信仰によるしか無いということになります。
では、聖書はどのような根拠で、(B)の考え方を主張するのでしょう?
それは、人の心に働きかける神の霊が、そのように人に教えてくれるからです。
聖書は、人に働く神の霊感を根拠として、(B)の考え方を主張しているのです。
ここで、科学と神学の違いが何か、理解できると思います。
科学は、神の霊感を対象に含まない学問であり、
神学は、神の霊感をも対象に含む学問である、ということです。

54:神も仏も名無しさん
23/01/24 11:15:49.57 yBDyhwbI.net
聖なる愛と希望と信仰が
土台という
キリスト教の仕組みの全体像が
見えてきたな〜

55:神も仏も名無しさん
23/01/24 13:19:51.98 J7fVOjeT.net
科学は因果関係の探求。
神学は命題の公理体系。

56:美魔女
23/01/24 14:18:03.43 J7fVOjeT.net
コスモの心は常に自己の理性と解明する信仰の空間の中で
言葉となるところのものが
科学認識を通じて実在性の中に神の場所を獲得したいというつもりなのですが

科学は歴史の始まりにも終わりにも手が届きません。
始まりに到達しないのは科学が記録、証明、伝承、という現実の実在性と結び付いていますので

これ等が欠けると対象を持たなくなるからですの。

科学は科学自身が歴史であり対象であるのですから。

それと科学が完結できない理由は2つのあります
第一に
具体的な実在性には無限性が有るからです。

第二に
歴史自体が完結しないからです。

57:美魔女
23/01/24 14:46:00.21 J7fVOjeT.net
神学とは聖書の中の啓示真理を前提とした学問体系です。

58:ふんじゃいしゃい ◆lrHJdGXaEQVz
23/01/24 15:19:32.90 UgUZveVX.net
最終的に科学が科学の形をしてるかどうかもわからんし
いつまでも科学が同じ評価を得ているかも疑問だな

59:琴
23/01/24 15:30:37.58 QwUzQbiK.net
こんにちは。 新スレいいですね!

『啓示は、神または超越的な存在より、
真理または通常では知りえない知識・認識が開示されることをいう。
天啓、神示ともいわれる。啓示によって真理が開示され、
それによって信仰が成立する宗教を、「啓示宗教」と呼ぶ。

キリスト教は自ら「啓示宗教」であるとする。』

『神学は、信仰を前提とした上で、
神をはじめとする宗教概念についての理論的考察を行う学問である。』

『科学的な根拠に基づいて客観的に研究する宗教学とは異なる。』

『神道や仏教では、教学(きょうがく)や宗学(しゅうがく)と呼称することが多い。
護教学(ごきょうがく)と呼ばれることもある。』

『各宗教ごとに存在するものではなく、自身の信仰について考察する学問として、
一般的な神学が存在しうるとの理解も可能である。
Theologyの語源はギリシア語のθεολογια。
θεος (神)および λογος(言葉)の合成語。
「神についての議論(学問)」という意味。』

◆ですから、キリスト教は啓示宗教であり、キリスト教神学は
その信仰形態を前提にしているのですが、キリスト教の神をはじめとする
宗教概念について理論的考察をする学問なのです。

理論的考察をする学問であるのですから、始まりと終わりがあるかどうかで
なく、宗教概念という範疇内において、科学的な考察方法と似ているのです。

60:神も仏も名無しさん
23/01/24 17:53:05.51 J7fVOjeT.net
理論的考察をするから何でも科学と同じだという琴さんは
数年前に琴さんはイエスは科学者だ!イエスは科学者だ!と叫んでましたね。

61:美魔女
23/01/24 17:57:40.21 J7fVOjeT.net
実際には科学認識と技術が世界を越えず
全体として把握しないのに反して
直観や宗教は世界全体を把握します。
しかし
科学的にはいろんな世界像を排除せざるを得ないのです。
科学ですから。

それらは別の意味で有効なのです。
それらは神の記号ではないけれど

全体としての自然の記号なのです。

62:琴
23/01/24 18:13:15.59 QwUzQbiK.net
普通に言っただけで、叫んでなどいません。

63:美魔女
23/01/24 18:22:10.02 J7fVOjeT.net
霊的な創造主が唯一の現実となった場合


世界そのものはただ、


世界の創造時期と終末との間の移動にあるのです。


科学で世界を探求解明するんだい、世界の神を探求解明するんだい

は違うのれす

64:美魔女
23/01/24 18:29:54.94 J7fVOjeT.net
実際には多くの科学技術成果は植物や動物や人間を

人工的製造したりするように根拠のない空想も産み出しています。

このような空間はどんな神の

65:神も仏も名無しさん
23/01/24 18:32:13.06 J7fVOjeT.net
記号もありません。

思考の無分別、科学進歩技術が巨大な進歩の歯車としてそんな吸収されてる人間達により
されてることもあるのです

66:神も仏も名無しさん
23/01/24 18:34:02.48 J7fVOjeT.net
沈んでいく人間存在の経験は科学技術の成果は
もし人間というものが変わらなければあらゆる生命を抹殺しかねないことも覚えさせます

67:神も仏も名無しさん
23/01/24 18:38:24.79 J7fVOjeT.net
しかし現実を生きる人間は希望に基づいて生きているのです。

技術進歩に誇り思い上がって沈みゆく人間は上っ面ですが

人間が何であり何でありうるかは


各人間が自分自身と意志と思想と行動を通じて

自分の深みと自覚を通じて飛翔の経験をして

意気消沈させる経験を克服することによってあるのだという希望があるのです

68:ふんじゃいしゃい
23/01/24 18:47:11.96 PojF8YsI.net
なんか面白い話してますね
ふと思った
これまで知識は命をもたらすと考えられていました
で、近年になって大きな実験とかが行われるようになったのです
で、いらないな、と思える物が存在します
私が知る要らない発明
スーパーカミオカンデ
水爆
高速増殖炉もんじゅ
こういうのは費用対効果と言うか、
リソースがものすごい割に
命には一切貢献しないんですね
で、そう言うただ好奇心を満たすだけの研究はもうやめた方がいい
何か知りたい事があればその命への貢献度を計算しなければマニフェストは成り立たないです
まあこんな話すると、アウシュビッツ収容所は本当にいい物だったみたいな話になる
日本もドイツも流した血への償いを計算する頃かも知れません

69:琴
23/01/24 18:51:06.76 QwUzQbiK.net
『natural science〔ナチュラルサイエンス〕, science〔サイエンス〕 )
または理学とは、自然に属しているあらゆる対象を取り扱い、
その法則性を明らかにする学問 。』
『科学者の発生は近代科学の成立にその起源をみるべきであろう。
古代にも自然に対する洞察とその体系化への努力はあった。
しかし、ある自然観の下に自然の解釈を概念的に展開することから一歩進めて、
これを経験と結合し、
むしろ経験のうえに自然の理解を位置づけようとする人々が現れたのは、
17世紀のいわゆる「科学革命」の時代であった。
彼らは自然法則を解明するための実験の方法を創出して、
これを論証的推論と結合させた。これが近代科学の出発である。
いわば技術的な発展を背景にして成立した新しい社会の体制、
すなわち近代市民社会の成立が科学者という新しい階層を生み出したのである。
彼らは一面では知的伝統を受け継ぐ宗教家、思想家であり、
他面では技術的蓄積を吸収発展させる技術家、啓蒙(けいもう)家であった。
彼らの出身は小貴族、商人、聖職者、医者、技術家などで、
知的な豊かさと生活のゆとりをもった社会階層であった。
彼らの科学研究はその生計とは密着せず、
また社会的生産にも直接の関係をもたなかった。
これが一つのプロトタイプとして後世に影響をもつことになる。[藤村 淳]』
◆>理論的考察をするから何でも科学と同じだという琴さんは
そのようには、言っていません。

70:ふんじゃいしゃい
23/01/24 18:51:12.64 PojF8YsI.net
エヴァとは命
命への道とはどのような物か
知識ではたどり着けない物のようですよ

71:美魔女
23/01/24 19:16:57.66 J7fVOjeT.net
シェリングやゲーテも科学には立脚しませんでした。
科学では気付かなかったものを経験の別な様式を確定して
発展させようとしましたの

72:アストリッド(グノーシス派)
23/01/24 19:17:24.53 BOUmQD0u.net
┃=)

73:琴
23/01/24 20:13:21.65 QwUzQbiK.net
太古から人間は、四苦八苦を感じたはずです。
「生・労・病・死」を持って生まれ、
「悲しみ・嫌なこと・苦しみ・困ること」は生きている以上、やってきます。
太古からの人間の共通する四苦八苦に対して、各地域の対処の仕方があり、
それが各宗教となったのだと思います。
神話の違いもそこからなのでしょう。

74:琴
23/01/24 20:30:26.93 QwUzQbiK.net
>>73
旧約聖書(ヘブライ聖書)の創世記の1章と2章は、異なる天地創造の物語が
記録されています。
2章ですが、こちらがこちらほぼヘブライ民族(=イスラエル民族=ユダヤ民族)
の固有の創造神話に当該します。
ヘブライ人の四苦八苦から、神話が出来上がってきます。
われわれの四苦八苦は、どうしてなんだろう、原因を考えたのが2章です。
エデンの園と楽園追放は、苦が生じた理由として彼らなりに考えた
民族性による神話です(他民族から借りたり混在させているとしても)

75:ふんじゃいしゃい
23/01/24 20:34:41.05 vn8TrdFv.net
そうそう、原罪なんていつまでも祖先の類人猿様を蔑むなんてもってのほかであるとずっと言っている

76:アストリッド(グノーシス派)
23/01/24 20:42:31.45 BOUmQD0u.net
セムの宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)共通の、創世記神話による世界存在認識スケルトン自体が破綻を来たしている。
美魔女さんや琴さんは、そのことに既に気付きつつあるように思える。 (だが、この二人は仲が悪い・・)

77:琴
23/01/24 21:21:19.54 QwUzQbiK.net
>>73-74
この神話は、豊かな場所からの追放という、
苦のなかでも、現実的な土地と場所と結びついており、
チグリス・ユーフラテス近辺への望郷がともないます。

追放された原因を考えた結果、われわれは、神に背くことをしたんだ。
エデンでは、神と共にある命の木の実も食べて、苦を感じず楽しかったよな〜。
罪が入り込んで(ヘブライ語の「ハッタート」神からの離反、反逆を示す、
罪の起源を示す言葉)追放されたのだと、
先祖の長い年月と現実の追放とが、折り重なり、神話となったのでしょう。

アダムとエバを誘惑したサタンは蛇の姿で描かれているのですが、
もともと、天使長の一人であり、神に敵対して追放されました。
この構図は、神に反逆した人間と相似しています。

78:琴
23/01/24 21:23:28.80 QwUzQbiK.net
>>77
このような神話世界から、独自な宗教観を持つのです。
現実にあった土地から追放されますが、現実にある場所(カナン)を
神が与えると約束する。このような現実的な契約は四苦八苦への対処としては
異色です。
神と言っても土地と契約という形は、たいへん物質的です。

カナンをすぐにあげればよいのですが、いくら選ばれている民と持ち上げられても、
心理トリックで、彼らは選ばれていない者は殺してよいの頭で、
殺しながら土地を奪うしかないのですから、それを繰り返さす神って?
離散、捕囚があるたびに、罪があったからと、エデン神話の追放に
戻り、また繰り返す。

悲惨、悲劇の神話。

79:アストリッド(グノーシス派)
23/01/24 21:46:00.61 BOUmQD0u.net
>>78
狂った神観だとは思いませんか?

80:琴
23/01/24 21:50:54.49 QwUzQbiK.net
>>79
思います。

81:ふんじゃいしゃい ◆lrHJdGXaEQVz
23/01/24 22:02:33.24 cr4rIsGL.net
なぜ現在の倫理観を適応するのか
中世のコロッセオも中国の漢字の成り立ちも世界大戦も戦国時代も三国志も等しく全て狂っているではないか
ここにおいてある種の平和や倫理観に基づき人は旧約聖書を読む

82:ふんじゃいしゃい ◆lrHJdGXaEQVz
23/01/24 22:05:09.92 cr4rIsGL.net
残虐、とは取り上げやすい題材のようだね
古代の人達は血を見ないと気がすまなかったようだ
これはイエスの断罪やヨハネの死にも当てはまる

83:ふんじゃいしゃい ◆lrHJdGXaEQVz
23/01/24 22:07:12.61 cr4rIsGL.net
まあ、旧約は全て当たり前の事しか書いてない
前述のゴミのような時代に比べれば

84:美魔女
23/01/24 22:16:13.70 J7fVOjeT.net
検証事実を対象とする科学と


信仰に理由を必要としない宗教とは


相容れないのですが


コスモは

信仰に理由と対象と理性と事実を科学から見いだせると確信をしたつもりになっている。

85:ふんじゃいしゃい ◆lrHJdGXaEQVz
23/01/24 22:16:52.89 cr4rIsGL.net
むしろこう、長く続いた時代を否定する、というのはどうなんだろうね
人は人の血を否定する事を刷り込まれたが
実は大切な何かを失っているのかも知れない
なんなのかはわからんが

86:ふんじゃいしゃい
23/01/24 22:18:46.00 cr4rIsGL.net
悟りを開くしかないね

87:ふんじゃいしゃい
23/01/24 22:23:00.82 cr4rIsGL.net
自分、仕事してない時期あったけど
あんまり仕事してない自分を
悪く言わないようにしてる
それ程差がないよ、と人に言いたいんだよね
学歴無くても職歴無くても
人は人だし働けるしみんなを笑顔にするよ、と
人はただ生きていればいい、と

88:アストリッド(グノーシス派)
23/01/24 22:26:20.60 BOUmQD0u.net
俺はね、もし可能ならばヒュパティア教授の話を聞いてみたいと思う。
①神とは?
②人間とは?
③世界とは?
④人生とは?
⑤命とは?
⑥善悪とは?
⑦苦しみとは?
⑧欲望とは?
⑨愛とは?
⑩死とは?
⑪罪とは?
⑫救済とは?
etc

89:美魔女
23/01/24 22:58:28.60 J7fVOjeT.net
人間とは何か。
人々は人間が何であるのか。知ってるでしょうか。
このような知識はむしろ人間から生じるところの要因です。
人間が自分自身を如何に思い描くは自己の責任ですらあります、
人間はややもすると一般的な人間学、心理学、社会学的に知っているところのものに堕落しかねません

しかし人間は常に自分について知っている以上のものなのです。

90:アストリッド(グノーシス派)
23/01/24 22:59:58.40 BOUmQD0u.net
┃・)

91:美魔女
23/01/24 23:05:45.41 J7fVOjeT.net
私達自身が何であるのかは
世界と同じように極めて神秘に満ちています。
数千年において、特に数世紀において、
私達自身が何であるのかを私達は当時と同じように

ほとんど知らないのです。

92:美魔女
23/01/24 23:08:42.95 J7fVOjeT.net
私達は私達の認識以上のものなのです。
私達によって認識されたものと認識されないもの、
無限に包み込むものの前に私達は立っているのです。
世界が秘密であり
各人が各人自身 秘密なのです

93:美魔女
23/01/24 23:14:45.54 J7fVOjeT.net
あらゆる世界に先立ちあらゆる世界を超えてあり
しかも世界の中では対象とならない、
別な由来が自覚されるとき
私達は高度な清らかな意識のうちに
私達自身の責任を身をもって知ることになるのではないでしょうか。

私達は世界の存在の意味では知られない何かに対して
開かれている存在なのです。

94:アストリッド(グノーシス派)
23/01/24 23:19:16.02 BOUmQD0u.net
┃・)

95:神も仏も名無しさん
23/01/24 23:57:52.72 gL9kxghG.net
ごはん君?
複数顔を持つのか?

96:美魔女
23/01/25 01:12:01.17 6HA+Utmn.net
信仰はコスモが想像しているものと正反対です。
理性推論による論証や科学推論の論証は不可能です。
信仰の問題はパスカルの言うように

「賭け」なのです

パスカルがデカルトを許せなかったのと同じで
私もコスモを批判しています。

97:神も仏も名無しさん
23/01/25 01:55:00.96 6HA+Utmn.net
冗談ですよ🎵
ストーカーみたいじゃん
車検と
暖房買うから出費が凄い

98:琴
23/01/25 02:31:21.29 Rdn5ryJ5.net
>>81 -82
ええ、一般的な残虐性においては、そのようにも言えるのですが、
神観、一神教における神話の持つ、影響力として現代まで続いているのです。

ユダヤ教のパレスチナ問題はまさにそうですし、
欧州から追放のようにしてアメリカ大陸へ渡ったキリスト教ピューリタンは、
神に与えられた土地、カナンに見立てて、選ばれた者として、
異教徒を殺戮するのは、旧約パターンですし、他民族を奴隷にまでします。

他地域にもある古い時代の出来事、残虐性という側面に気持ちを持っていかれると、
見えなくなるような事情があるのです。
彼らの神話、神とそこから生じた宗教の連綿と続く特異性は、
日本人にはわかりにくいのですが、
ユダヤ・キリスト教を、知っておかないと世界情勢の分析も、
グローバル社会において、パーソナルコンピューターを
各人が所有しているのですから専門家だけに任せる時代は終わりました。

統一教会は、イスラエルや米国と繋がっており、
ぼーっとしている日本人が金蔓になって利用されていたのも、無関係ではありません。
ユダヤ教やキリスト教をやっつけろ、というような感情的な話でなく。

(訂正)
>>73「生・老・病・死」
>>74 2章ですが、こちらがヘブライ民族

99:wakaba
23/01/25 02:34:23.31 8BlDTUZg.net
>>98
>統一教会は、イスラエルや米国と繋がっており、
イルミ・メーソンと言った方が正確じゃね
ここではこのワード御法度?

100:神も仏も名無しさん
23/01/25 03:11:07.44 6HA+Utmn.net
科学は人を幸せにするのでしょうか。
科学の時代に救済は可能なのか。
科学は個人の経験の様々な事象を説明できるのでしょうか。
科学は天の御告げを説明できるのでしょうか。

101:コズモ
23/01/25 10:26:14.34 8jVRtoUz.net
寒いですが、こんにちは〜。^^
>>100
>科学は人を幸せにするのでしょうか。
>科学は個人の経験の様々な事象を説明できるのでしょうか。
>科学は天の御告げを説明できるのでしょうか。
今の科学でもある程度は、人の幸せに貢献できているでしょうし、
常識的な個人の経験の事象の説明くらいなら、説明出来るでしょう。
しかし、天の御告げの説明になると、現在の科学の対象外なので、
まったく歯が立たないと思います。
科学が真に人の幸福に役立つようになるためには、
科学がより一層、神学や聖書等に学び、
霊的事象への理解を深める必要があると思います。
これからは、科学するものは神学を、神学するものは科学を、
同時に学ぶ必要があると、私は感じています。
そうでなければ、真に人を幸福にする学問とはならないでしょう。
科学の武器は理論ですが、この理論こそ、
原理を信じることからしか始められないことを
科学者たちは忘れています。
理論的説明の土台には、
説明不可能でかつ信じることしかできない、
「原理」と言われるものが必ずあるのです。
よくGreatBeast666さんが、
「哲学的思考は必ず無限循環に陥る」
と発言されていますが、全くその通りです。
理論的説明の土台である原理を別の論理で説明出来たとしても、
別の論理の土台にも別の原理があり、
その無限循環に陥るだけなのです。
科学は、原理を信じることを土台にして、そこから理論で構築されています。
神学も、神を信じることを土台として、そこから理論で構築されています。
何方も土台には、信じることが必要であることがわかると思います。
そして人の真の幸福を願うならば、
神を信じ、第一とすることが、一番だと私は実感しています。
その神のもとにあって、はじめて、
科学も他の種々の人の営みも、
生かされて有意義なもとになるのです。

102:coin
23/01/25 11:15:37.28 jmiOXfJO.net
ーーー
人々は「キリスト教を生かす事が出来る」
のだろうか?
「誰による何の為のキリスト教」なのか?

・・・では失礼致します。
ーーー

103:coin
23/01/25 11:21:45.15 jmiOXfJO.net
>>102
ーーー
ついでに
「"この世"に染まったキリスト教」は
「キリスト教と呼ぶべきもの」なのだろうか?
「キリスト教史に於ける過ち」とは?

・・・では失礼致します。
ーーー

104:coin
23/01/25 11:33:26.06 jmiOXfJO.net
>>103
ーーー
更についでに
「当時の人々は自分達でキリスト教を理解した」
のですよね。
そう「自分達だけで・・・」

何故「プロテスタントが生まれた」のか?

・・・では失礼致します。
ーー
プロテスト【protest】 の解説
異議を申し立てること。抗議。
goo辞書より
ーーー

105:ふんじゃいしゃい
23/01/25 12:31:18.85 P5coRT3Z.net
そんな大それた物でない可能性があるな
こういう下らねえ本で時間潰せる
和紙とか本山みたいな奴に3万円で売りつける

106:琴
23/01/25 13:32:10.65 Rdn5ryJ5.net
<科学と仏教・キリスト教>
URLリンク(true-buddhism.com)

107:分陀利華(白蓮華)
23/01/25 14:15:19.04 N6xgfUNe.net
>>106
このサイト、わしも時々見て参考にしていますが、著者の長南瑞生はカルトと批判されることもある親鸞会の講師です。
他に菊谷隆太という有名な講師などもいますが、この方々に共通するのは親鸞会講師ということを隠して活動しています。
だから言ってることが全て間違いというわけではないですが、一応注意喚起しておきます。

108:ふんじゃいしゃい
23/01/25 14:33:05.40 P5coRT3Z.net
聖書には神様が出てきます
人は神様に姿を表わせとか
世界を滅ぼせとか命令します
イエスとかいういじめっ子には
400万くらい貢がせられました

109:ふんじゃいしゃい ◆lrHJdGXaEQVz
23/01/25 14:38:16.16 P5coRT3Z.net
まず今本当に欲しい物は何か
天国に行きたいとか死人を蘇らせたいとか
実現不可能な事ではなく!
本当にそれは欲しい物ですか?
目先に人参がぶら下がっている馬の絵を見た事はありますか?
五感の情報を正しく認識できたその時!
ビッグ・オーと歩みを共に出来ます

110:ふんじゃいしゃい
23/01/25 14:47:01.24 P5coRT3Z.net
僕を探しに.ビッグ・オーとの出会い
歯医者さんかなんかで読んだけど
そんなメジャーな本じゃないのね

111:琴
23/01/25 15:17:28.06 Rdn5ryJ5.net
>>107
親鸞会をざっと調べてみました。
浄土真宗の新興宗教のようですね。
東西本願寺に盾ついているような異端なので、嫌がられているのでしょうね。
ありがとうございます。
あの記事は、宗派でなく仏教全般として語られており、科学者の言葉の紹介が
載せられているので、参考になると思いました。
感想としては、科学者たちは、ユダヤ人かキリスト教の家庭で生まれた人々だと
思いますので、そこが興味深いところです。
研究するにあたって、聖書、キリスト教は役に立ちにくかったのでしょう。
仏教圏の人々で無いのに、宗教書も読んでおり、
仏教だ、と経験的に強く述べられている。
イエスの言葉は、理由が述べられていませんからその辺かなと思いました。
活動期間も1年〜3年と推測されており、ユダヤ教以外知らない
無学な弟子たちに、イエスが仮に語っていても、意味不明だったでしょうしね。
気になっていた箇所である、ヨハネ21:25
「イエスのなさったことは、このほかにもまだたくさんある。わたしは思う。
その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないだろう」
収めきれないというより、理解できないので憶えることができなかった、
ような内容を、たくさん一緒に居た、弟子には毎日ほど矢継ぎ早に説かれて
いたのではないか。
そんな事を想いました。

112:コズモ
23/01/25 15:35:04.32 8jVRtoUz.net
>>106
内容全てではないですが、
ところどころ真理だと思えること書いてますね。
合って話してみたい人だと思いました。^^;

113:コズモ
23/01/25 16:26:50.26 8jVRtoUz.net
>>59
>◆ですから、キリスト教は啓示宗教であり、キリスト教神学は
>その信仰形態を前提にしているのですが、キリスト教の神をはじめとする
>宗教概念について理論的考察をする学問なのです。
>理論的考察をする学問であるのですから、始まりと終わりがあるかどうかで
>なく、宗教概念という範疇内において、科学的な考察方法と似ているのです。
同感です。^^v

114:コズモ
23/01/25 16:30:33.85 8jVRtoUz.net
>>93
>私達は世界の存在の意味では知られない何かに対して
>開かれている存在なのです。
そういうことは、あるような気がします。^^;
それが神からの掲示であり、聖霊の働きではないでしょうか?

115:アストリッド(グノーシス派)
23/01/25 16:35:29.51 BYGzKAAr.net
>>114
>>神からの掲示であり、聖霊の働き

そんなものは無いと思う。

116:コズモ
23/01/25 16:40:24.91 8jVRtoUz.net
>>110
>僕を探しに.ビッグ・オーとの出会い
>歯医者さんかなんかで読んだけど
>そんなメジャーな本じゃないのね
いい内容の本ですね。
わたしはこちらで、本の概要がわかりました。^^;
URLリンク(www.youtube.com)

117:コズモ
23/01/25 16:48:08.38 8jVRtoUz.net
>>115
わたしはあると思います。
なぜなら、私自身の心から発するものが、
聖霊によって満たされているときと、
それを見失っているときとでは、
別人のようになってしまうからです。
グノさんもそういうことあるとおもいますが。

118:アストリッド(グノーシス派)
23/01/25 17:01:34.16 BYGzKAAr.net
>>117
>.グノさんもそういうことあるとおもいますが。

いえ。 ないです。

119:コズモ
23/01/25 17:08:47.89 8jVRtoUz.net
>>118
グノさんは、いつも満たされているので、無いのでしょう。^^;

120:wakaba
23/01/25 17:10:55.07 oL8/sG0P.net
イエズスの御絵にお伺いして幻聴ならいつもだが
どこからなのか判別できない

121:アストリッド(グノーシス派)
23/01/25 17:14:44.02 BYGzKAAr.net
>>119
いらいらしたり、喜びに満たされたりはしますよ。
でも、聖霊とかは関係ない、たんなる精神状態だと思います。
クリスチャンは二十年前にやめましたよ。
父が亡くなって以来は、私が神棚と仏壇を祀って居ます。
毎日、神棚に般若心経を唱えて拝礼はして居ますが。

122:コズモ
23/01/25 17:22:16.37 8jVRtoUz.net
>>120
幻聴がどういうものか、わかりませんが、
幻聴が、神からのものかそうでないのか、
理解する必要があると思います。
悪なる言葉が聴こえてくるのなら、
神からのものでは無いと思いますが、
聖なる言葉や、善なる言葉が聴こえてくるのなら、
神からのものかもしれませんね。
幻聴が聞こえること自体が、本人にとって辛いことであるのなら、
幻聴を取りさってもらうよう、
神に祈ることも必要なのかもしれないですね。
人には出来ないことでも、神にはおできになります。

123:アストリッド(グノーシス派)
23/01/25 17:27:08.82 BYGzKAAr.net
>>122
>幻聴

メタトロ兄が詳しく報告してました。
非常にクリアーに現実以上に生々しく聞こえるらしいですよ。

124:コズモ
23/01/25 17:28:11.83 8jVRtoUz.net
>>121
>毎日、神棚に般若心経を唱えて拝礼はして居ますが。
そのことが、グノさんの霊性を高めているのだと思います。
キリスト教を棄教されたとしても、
それはそれで、神の良しとされることなのかもしれません。
まあ、グノさんのキリスト教に対する誤解を解けるのなら、
私はそのほうが、嬉しいのですが。^^;

125:wakaba
23/01/25 17:29:37.39 oL8/sG0P.net
>>122
ですねえ
いずれ偽の声聞こえないようにしてくだしあ、って祈りたいんだけど
案件目白押しでなかなか暇が気力が

126:アストリッド(グノーシス派)
23/01/25 17:35:11.22 BYGzKAAr.net
>>124
例えばですね、使徒信条がどうしても信じられないのですよ。
「疑ってはいけない、考えてはいけない、それは信仰箇条だから信仰するものなのだ。」と、言い聞かせてクリスチャンしてました。
しかし、どうしても考えてしまう。
「そんな馬鹿な話が史実な訳ねぇだろう。」ってね。
葛藤した挙句、私は棄教しました。
悪魔の囁き・サタンの声なのでしょうかね (クリスチャンはそう思うのかも知れない)
しかし私は「理性の声」だったと確信しています。

127:コズモ
23/01/25 17:37:19.08 8jVRtoUz.net
>>125
そうですか、自分で祈れないときには、人に祈ってもらうことも出来ます。
癒し主・救い主スレのまちこ師に、お祈りお願いしてみますか?
もちろん、私もお祈りさせていただきます。

128:wakaba
23/01/25 17:39:54.42 oL8/sG0P.net
>>123
自分は現実よりかは幾分ぼんやりした感じですね
>>124
>そのことが、グノさんの霊性を高めているのだと思います。
その通りだと思います
グノさんの心は鈍くはなっていないというか
振り向かせるためのチャージ期間じゃないかと

129:wakaba
23/01/25 17:46:45.96 oL8/sG0P.net
>>127
そ、そんな、悪いですよ
嬉しいですけど自分で祈りますから大丈夫です

130:アストリッド(グノーシス派)
23/01/25 17:48:58.67 BYGzKAAr.net
>>128
棄教して浪人状態でプラプラしていた頃に、この掲示板で最強ネオグノーシス派のシモンさんに出会った。
彼の説明はいちいち腑に落ちた。
で、自分でもグノーシス思想の本を読んだりして調べ始めた。
まさに「画期的」だと思い、現在に至ります。
私は反キリスト教主流派のキリスト教グノーシス派を支持します。
(言われてみれば、シモンさんの出現は「啓示」だったと思えなくはないです。)

131:wakaba
23/01/25 17:54:37.25 oL8/sG0P.net
>>126
グノさんに5chで提示できる要素としては
2000年以上信仰続いてる
世界で一番信じてる人が多い
ファティマの太陽の件
ぐらいでしょうかね
んなこた百も承知か
恍惚中?の和紙さんぐらいドカンと大砲あればな

132:アストリッド(グノーシス派)
23/01/25 18:14:34.92 BYGzKAAr.net
>>131
ヒュパティアを、あんな残酷な殺し方で殺害した聖書原理主義者を心から憎みます。

133:wakaba
23/01/25 18:36:40.77 oL8/sG0P.net
>>132
今wiki検索しましたがこれは酷い
汝の敵を愛せはどこに
最初疑いながらも知的探求の末イエズスに行き着くなんてのもあるだろうに…
でも教会も迫害側を非難してはいるんですね

134:琴
23/01/25 21:25:29.51 Rdn5ryJ5.net
753琴2023/01/24(火) 07:12:12.39ID:QwUzQbiK
240琴2023/01/22(日) 08:20:50.54ID:sEVnsDNm
殺せ!と神が命じるとき
宗教殺人について
佐倉 哲
URLリンク(www.j-world.com)

このエッセイは、ここからはじまります。
『95年12月9日 公表、99年11月20日更新
「被告人として裁かれている信者・元信者たちには、私が知るかぎり、
交通事故などの過失犯を除いて、ほとんど前科がない。
オウムに関わる前は犯罪とは無縁であり、
むしろ人を傷つけることを恐れるタイプだった彼らが、
いくら教祖の命令とは言え、どうして殺人まで犯すことができたのか。」
(江川紹子『オウム真理教 裁判傍聴記(2)「はじめに」より)』
◆信仰を考えるのに世界最大級の伝統宗教であるキリスト教を、
教材的に捉えることで、問題を明確化しようとされています。
オウムは新興宗教でした。
ここから、信者さんである個々人は、いずれの宗教の方であろうとも、
一度真面目に考えてみる機会となるはずです。
実相さんの抜粋は、偏りがあります。
全文を考えながらゆっくり、読んで頂けたらと思います。🙏
◇◇◇□□□◇◇◇
このエッセイへのコメントに対しての佐倉氏の返答を貼ることに致します。
一層、考えを整理する一助になると思います。
⁂ 癒しスレに書いたものをこちらへ転載して、コメント返答の
続きを貼ります。⁂

135:琴
23/01/25 21:27:41.67 Rdn5ryJ5.net
(1)真の信仰者と偽の信仰者
殺人が一般に悪とされているのは、
それが殺される人間の自由意志を完全に奪ってしまう行為だからではないでしょうか。
殺人ほど完璧に人間の自由意志を奪う手段はありません。
ところで、haruo さんは次のように語られました。
(ア)私が思うオウムの過ちは、「自分達の信仰を他の人に実力で押し付けた」事です。自分達の世界で赦される事を、自分達の世界以外の人に無理矢理押し付けてしまった事です。・・・・自由意志を奪う事がサタンの業です。
(イ)私は神の殺人命令を正当化するのではなく
「神の殺人命令は正当である」と言っているのです。
・・・・私の結論は、「神が殺人を命令する事はある」
そして「真実神が命令した殺人であれば、それは正義とされ実行しても罪はない」
・・・・多くの預言者が神の命令に逆らっています。
彼らはまず自分の良心や社会常識に照らしあわせて、
神に「そう言われても…」と言っています。
この二つのharuo さんの言明の間には深刻な矛盾があります。
一方では、他人の自由意志を奪うことを「過ち」あるいは「サタンの業」と
呼んでおられるにもかかわらず、
他方では、他人の自由意志を奪う神の殺人命令が「正当」であると主張されているからです。
信仰が単なるアクセサリーではなく、
日々を生きる指針となっている真の信仰者にとっては、
「善悪の基準が先か、神の命令が先か」、
という葛藤が必ずあるだろうと想像されます。
(ア)の主張では、「自由意志を奪う事がサタンの業」と言われるているように、
善悪の基準(自由意志を奪うかどうか)が先にあって、
それを基に、はたして、それが神のものかサタンのものかが判断されています。
それに対して、(イ)の主張では、神の殺人命令は、
それが神の命令であるという理由で正当なのだ、というものであって、
真に神の命令であるかどうかという問いがまずあって、それを基準にして、
善悪の判断がなされています。
この矛盾、この葛藤こそ、まさにわたしが「殺せ!と神が命じるとき」
で取り上げた問題の核心です。

136:琴
23/01/25 21:29:39.03 Rdn5ryJ5.net
殺人を神が命じるとき、わたしはどうしたらよいのだろうか。

殺人は明らかに悪であり 善なる神がそんなことを命じるわけがない、
これは何かの間違いに違いない、そう考えて、わたしはこの命令を無視するだろうか。
それとも、神の意思こそが何が善で何が悪かを決定する絶対基準であるから、
不完全な人間の眼には不合理な命令と見えるかもしれないけれど、
自分の勝手な意見にではなく、神に従うことこそが正しいのだ、
そう考えて、わたしはこの命令を実行するだろうか。 (佐倉)

そして、まことの信仰者ならば、結局、後者、すなわち、
【「不完全な人間の眼には不合理な命令と見えるかもしれないけれど、
自分の勝手な意見にではなく、神に従うことこそが正しいのだ」】
と結論を下さねばなりません。

まさに、多くの預言者が神の命令に逆らっています。
彼らはまず自分の良心や社会常識に照らしあわせて、
神に「そう言われても…」と言っています。

と言われているとおりです。そして、これらのことからの当然の帰結として、
haruo さんは、信仰者として、次のように主張せねばなりません。
わたし(haruo)は、神の命令ならば、殺人を実行します。
そう言えなければ信仰は偽物だからです。
そして、オウム信者の殺人行為について、聖書信仰者は、
「教義の内容はともかく、彼らは、信仰者としては当然のことをやったのであり、
わたしも神の命令ならば信仰者として同じことをやります」と、
同意しなければなりません。

そう自覚せず、逆に、自分たちはオウムとは別種なのだ、
と思い込む聖書信仰者はみんな自分自身をごまかしている卑劣なうそつきです。
haruo さんは勇気があると思います。

137:琴
23/01/25 21:31:04.12 Rdn5ryJ5.net
2)これは単に宗教だけの問題ではない。が、・・・
この問題は、お気づきの通り、けっして宗教だけに限られる問題ではありません。
また、殺人だけの問題でもありません。
別に殺人でなくてもよいのです。

自分の意志と神の意志とが食い違うとき、自分はどうするか。
アクセサリーとしてのキリスト教ではなく、
神のご意志を実行しようとする真剣なクリスチャンなら、
当然、一度や二度は、直面したことがある問題のはずです。

また、これを、会社の命令と自分の良心との食い違いの問題として考えれば、
クリスチャンだけの問題ではなく、一般に通じるものでもあります。
そうすれば、オーム真理教の殺人事件の意味が、
それほど他人事ではないことが、もっとよく分かるはずです。
(「作者より岡野さんへ 」)
聖書をみれば明らかなように、神はしばしば殺人を命令しており、
信者はそれを実行しています。
オウム真理教の信徒も、
真理を体現していると彼らが信じていた教祖の命令によって殺人を実行しました。

いずれの場合も、自らの「良心」と「疑い」よりも、
「神の言葉」と「信仰」をより高い価値とした結果だと思います。

・・・しかも、同じ様な事態は、自らの良心に反するような
国家の命令や会社の命令を実行する場合にも、ありうるだろう
・・・(「作者より島本泰一さんへ 」)

138:琴
23/01/25 21:33:28.47 Rdn5ryJ5.net
自分が正しいと思っていることに反する命令が
自分の上に下される事態が生じるところでは、いつでも起きうる問題です。

とくに、国家の命令や会社の命令が個人の正しいと思っていることと
食い違う場合があることは、しばしば見受けられることです。

しかしながら、国家や会社の命令ならば、相手は人間ですから、
たとえ困難はあっても、【その命令の正しさを疑うことはできます。】

それに比べて、神の命令の場合は、それが絶対的に正しいとされるだけでなく、
すでに(1)でも明らかになったように、正しいかどうかという問いそのものが、
それが神の命令であるかどうかにかかっているために、
【神の命令の正しさを疑うこと自体が信者には無意味です。】

【信仰者にとって、神の命令であるという事実そのものが、
それが正しいことを裏付けているわけですから。】

私は神の殺人命令を正当化するのではなく
「神の殺人命令は正当である」と言っているのです。(haruo)
と言われたとおりです。
しかも、信者にとって神は自らの存在の基盤といえるものですから、
【神を疑うことは自己の存在を否定することでもあります。
信者は神を疑う自由を持っていません。】

そのために、聖書や教会組織を神聖化して、
それらを通して神の意志が自分に働きかけているのだと信じている限り、
「神の殺人命令」のような最悪の地獄(自己の良心に反して行動する苦痛)から、
信者が救われる可能性はまったくありません。それは論理的必然です。

【「神は絶対でも、神の代弁者(教会組織や聖書、つまり人間的なもの)
は絶対ではない」】と認識することだけが、
神への信仰を捨てることなく、
信仰者をこの地獄から解放する唯一の道であるとわたしは想像しています。
(わたし自身がそうだったのですが。)

139:琴
23/01/25 21:35:39.96 Rdn5ryJ5.net
(3)見過ごせない曲解
ところで、いったい、どこから、どのようにして、
佐倉さんのように、「神は存在しない」と言いきれば・・・
神が存在しない事を証明しょうとしている・・・
などというご意見が出てきたのでしょうか。
わたしは、いかなる時にも、いかなるところでも、
「神は存在しない」などと「言い切った」覚えはまったくありません。

そんな言葉は、わたしの思想や体験からは絶対に出てきません。
わたしの耳には神の声も聞こえず、わたしの目には神の姿も見えず、
わたしの心の中のできごとも曖昧で、
そのため、「わたしは神を知らない、神を直接実感したことがない」、
とは言えますが、
それだけで、「神は存在しない」という結論が出てくるはずもないからです。

わたしの知識も経験もきわめて限られたものです。
【わたしが否定しているのは、神の存在ではなく、
本当はなにも知らない領域に関して、まるで知っているかのように確信する、
「信仰」という人間の傲慢な態度であり、】

【人間あるいは人間の作ったもの(教会組織や聖書)
を神聖化し絶対化する人間の権力崇拝です。】

わたしが「神は存在しない」と「言い切った」、とか、
「神が存在しない事を証明しょうとしている」というご意見は、
わたしの立場に関する、見過ごすことのできない、ひどい曲解ですので、
以上、わたしの立場を明らかにしておきます。

おたより、ありがとうございました。
佐倉 哲

◆一旦 ここまでにします。

140:琴
23/01/25 21:41:46.86 Rdn5ryJ5.net
        コメントへの返答 <?>

(1)信仰者である限り、神の殺人命令は正当化されねばならない
神の殺人命令を正当化する、
あたらしい説を紹介していただいてありがとうございます。

どんなに自分では殺人は良くないことだと思っていても、
信仰者は、それが神の言葉である聖書に書かれているというだけで、
ありとあらゆる方法を考えて、なんとかそれを正当化しようとするものです。

オウムは神が現代でも殺人を命令することを示しました。
麻原はオウムの殺人をシヴァ神の命令と結びつけていたからです。

林郁夫の手記「オウムと私」(『文芸春秋7月号』)によると、
彼が「ポア」の命令を受けたとき、それが「人殺し」であるために、
「本能的に嫌が」ったと彼は記しています。
それでも、「(最終解脱者としての)麻原の宗教性を疑っていないので」、
つまり、信仰者として行動しているために、
ちょうどharuoさんが信仰者としてモーセの殺人命令を正当化するために
いろいろ工夫されたように、彼も麻原の殺人命令を正当化せざるをえなかったのです。

なぜ、信仰者は、自分の良心に逆らってまでも
殺人を正当化せねばならないのでしょうか。

それは、信仰者にとって、善悪の基準が先にあって、
その規準に従って善なる神があるのではなく、

むしろ、神が先にあって、その神の命令が善悪の基準となるからです。

したがって、信仰者にとって、神の殺人命令が善となるのは論理的必然なのです。

141:琴
23/01/25 21:47:28.06 Rdn5ryJ5.net
(2)それでは、信仰者に救いはないのか
もちろん、神の殺人命令は直接来るのではなく、
モーセや麻原のような人間を通してやってきます。
もっと正確に言えば、モーセや麻原は、
彼らの殺人計画を、「これは神の命令である!」、と権威づけて、
彼らの追従者に半ば強制したのです。
じつは、ここに、信仰者のための、おそらく唯一の、救いの可能性があります。
つまり、神への信仰を棄てずして、自分の良心にしたがって、
殺人命令を否定する方法です。
それは、神の意志と、神の代理者であるとみなされている人間の意志とは、
かならずしも同じとは限らない、という事実を認めることです。
神の意志と教会の方針とが必ずしも同じだとは限らないという事実を認めることです。
聖書も創世記から黙示録にいたるまですべて人間が書いたものです。
聖書は神の言葉だ、と言っている者たちもみんな人間です。
現代の教会を運営している方々が、たとえ立派なひとびとではあったとしても、
この人々の意志が完全に神の意志と一致しているわけではないように、
初期のキリスト教会やシナゴクやイスラエル国家を運営した人々
(彼らが聖書を書いたのである)の意志も、
必ずしも完全に神の意志と一致しているわけでもないと考えるのは
当然と言えるでしょう。
これは、じつは、神以外のものを神としない、
という聖書の根本的な教えに戻ることに他ならないわけです。
こうして、信仰者は、神への信仰を棄てることなく、
もし、自分の良心に逆らう命令(神の意志とは思えない命令)であれば、
神の代理者として自分の前に立ちはだかる人々の命令を
堂々と拒否することができるのです。
そして、なによりも、神の前で、
頭をあげて自分の取った行動を釈明することができます。

142:琴
23/01/25 21:54:19.50 Rdn5ryJ5.net
(3)わたしはどうするか
わたしにとって、神は完全な沈黙者です。
神の命令としてわたしの耳に実際に入ってくるものは例外なく、
神の言葉の代弁者、つまり聖書の予言者や牧師や神学者や新興宗教の教祖たち、
あるいは突然神の言葉と思い込む自分自身、すなわち、すべて人間の言葉です。
そして、聖書を書いた人々も含めて、
わたしはいかなる人間も神の意志を百パーセント反映しているとは信じられないので、
【わたしの良心に反する彼ら人間の命令】は、断固として拒否するだろう思います。
もちろん、殺人命令という倫理的良心に反する命令だけでなく、
わたしが【心から納得できない不合理な教えも、わたしの知的良心に反するものとして、
同じように、拒否する】でしょう。
法王何者ぞ、監督何者ぞ。
しかり、ペテロ何者ぞ、パウロ何者ぞ。
彼らは皆罪の人にしてキリストの救いに与かりしまたは与かるべき者にあらずや。
彼も人なりわれも人なり、神は彼らによらずして直ちに余輩を救い給うなり。
余輩は人として彼らを尊敬す。
しかれども彼らはおのが信仰をもって教権を装うて、余輩に臨むべからざるなり。
(内村鑑三、明治49年)
です。
おたより、ありがとうございました。
佐倉 哲

143:美魔女
23/01/25 22:08:36.50 34FWIdzu.net
科学は人間の強制的な知識迄しか
達しません。


どんな科学も一つの秩序に完成されることなく
様々な順位の中で動いているだけ。それで万事終わりますの。
もしも神学や哲学が唯一の真理を所有してるなら
全ての科学はこの両者に
奉仕しなければならなくなります。



しかしどんな科学においてもコスモの感情において事象に適合して正しく振る舞うならば
科学の客観的順位の外にあるだけなのです

144:アストリッド(グノーシス派)
23/01/25 22:20:19.52 BYGzKAAr.net
ここのスレは健全だね  (^ω^)

145:美魔女
23/01/25 22:22:25.04 34FWIdzu.net
神学神学言うてますがおそらく神学とは何か分かってないと思います


神学の方法論に象徴的解釈を導入すると

新約聖書のイエスの象徴は特にメシア、キリストですね。

その解釈は信仰的深まりに沿って4つの段階が、あります。


第一にメシアは政治的、社会的な王としての解釈です。

第二に象徴は自己の根底からの克服への問いと答えとして働きます。

根底における人間の苦境経験です。
現実世の中は個人、社会、自然、その全体において倒錯しています。

ここではメシアが苦難や苦悩からの解放者です。

第三に象徴はキリスト教の基礎となる出来事の解釈に使われます。

146:ふんじゃいしゃい ◆lrHJdGXaEQVz
23/01/25 22:26:18.62 P5coRT3Z.net
違う
すべてのスイッチは神に与えられた物だ
パソコンもスマホも選択の先に辿り着いた道標
与えるのは神、選ぶのは民だ

147:アストリッド(グノーシス派)
23/01/25 22:32:46.98 BYGzKAAr.net
銭湯は街のオアシスです  (^ω^)

148:美魔女
23/01/25 22:49:48.38 34FWIdzu.net
>>哲学は無限に循環に陥るだけ。。

誤解してます、


哲学において完成しないものは
何か一つのものを伝承する場合には力を持つわけではないけれど
新しい根源を生起する、銘記する場合には
最大の力を持つのです。

常に繰り返されるこの覚醒は
哲学史の現象です。
哲学は過去に結びつけられてると共にそれ自体が根源的なのです。

何故なら哲学は固有の根拠に基づいて
その時代から出て無時間へ入り込んでいくからです。

哲学がその過去に結びつけられてそれ自体が根源的であるということは歴史性なのです。

しかし哲学は本質的な明晰さに達することは
できなかった。

しかし覚醒の状態で行われる伝統の変形は

人々の全ての現実の歴史性の謎であって
私達にとって根源はこの謎の中に

横たわっているのですの。


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