阿含宗という宗教 32 ..
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47:ユビキタス
21/03/05 00:11:25.39 eL1F1llb.net
>>45
枕元にはそんなムツカシイ本は置いておらず、専ら本能に関するものばかりですw

48:う
21/03/05 04:04:27.73 bJKKJslD.net
>>47
もしもその中にまぎれてあったとしたら、書棚にコレクションされるよりもそれはそれで含蓄がありますよねw
見つかりますように(‐人‐)

49:酔
21/03/05 19:16:43.76 PStYSfm8.net
深山さん
ユビキタスさん
久しぶりにここを見て ご主張を拝読しました
継続はチカラというように お二人のご健闘ぶりを
心から賛同し尊敬し賞賛いたします

50:ユビキタス
21/03/05 20:45:22.29 eL1F1llb.net
わしゃただのスケベな爺じゃよ。 
あるいは・・・
名乗るほどの者じゃねえ!
何を訊かれてもそう答える自分でありたいと常々思ってますw

51:深山
21/03/05 21:35:23.33 Ug5tYeXo.net
>>49酔2021/03/05(金) 19:16:43.76ID:PStYSfm8
ここに来たのが、もし桐山さんが死んでから初めてなら、
今の阿含宗に驚くと思います。
本尊も桐骨にこっそり変えて、開祖霊愉などという幸福の科学からの
物真似を取り入れ、事務方のトップにすぎなかった中僧正様が
今では霊能者になり、正体不明のイタコ五人衆が霊視をしています。
もっと驚くことに、その変質した阿含宗をそのまま信者たちが
受け入れていることです。
ここにいる信者四人など、一人の落ちこぼれもなく、見事なまでに順応しました。
桐山さんを本当に信仰していたのなら、それはできないはずです。
まさに「桐山変質の原理」です。
教団の変質と信者の順応ぶりは、事実は小説よりも奇なりという言葉
そのままで、映画やテレビよりもよほどおもしろい。

52:深山
21/03/05 21:39:11.62 Ug5tYeXo.net
>>44
下記ですか?
岩波仏教辞典 946ページ
[煩悩]
【大乗仏教】このように,多くの煩悩を数え,それらを断ずることによって輪廻から解放されようとするのが,
初期仏教以来の仏教の基本的立場であったが,大乗仏教になると,
煩悩を実体視して迷いの世界と悟りの世界とを峻別する考え方そのものが
空(くう)の立場から問い直されるようになり,<煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)>
<生死即涅槃(しょうじそくねはん)>などの考え方が前面に打ち出されるようになった.
こういった考え方は,迷いの世界から隔絶されたところに真理の世界を求めるのではなく,
迷いの世界のただ中で衆生とともに働き続けるところに真理の世界を
見出そうとする菩薩(ぼさつ)思想と密接な関係があり,
瑜伽行派の無住処涅槃(〓無住(むじゅう))の説も,この関連で理解されるべきものである.
一方,衆生の心は本来光り輝く清らかなものであり,それを汚している煩悩は
副次的なものに過ぎない(心性本浄(しんしょうほんじょう)客塵煩悩(きゃくじんぼんのう))のだから,
煩悩の穢れを除くことによって心は本来の清浄性を回復することができるのだという思想は,
一部の阿含経典以来存していたのであるが,如来蔵(にょらいぞう)思想に至って,
特に重視されるようになったものである.
また,密教においては,煩悩即菩提の思想がさらに強調されて,
性的な愛欲そのものが清浄な菩薩の境地であると説かれるようになった.
理趣経(りしゅきょう)に説かれる十七清浄句の思想は,その最もよく知られた例の一つである.

53:ユビキタス@他力本願
21/03/05 21:46:25.60 K1dklC1B.net
>>52
詳しい引用をありがとうございます。
となると、アラカンポ先生の書いていた
21 神も仏も名無しさん 2021/03/03(水) 08:33:57.11 ID:zxLmBxN3
岩波仏教辞典の「煩悩」の項目には、「煩悩の束縛を脱して真実の認識を得ることが大乗仏教の求める悟りにほかならない」との説明がある。煩悩滅のみ強調する深山ユビキタ説は、大乗仏教の求める悟りなのです、それが仏教辞典での結論です。
は、彼のいつもの嘘ということですね。

54:ユビキタス
21/03/05 22:58:32.57 K1dklC1B.net
オイ、嘘つきアラカンポ。
出てこいコラ。

55:神も仏も名無しさん
21/03/06 00:48:36.28 mJDxv1EF.net
アラカンポは、やはりホラ吹き野郎だったw

56:神も仏も名無しさん
21/03/06 08:44:42.85 H6+z5+y3.net
仏教辞典を否定する輩は未開人と同じだよ。
岩波仏教辞典の縁起の項目に、「初期仏教時代の縁起説は〜続く部派仏教時代には〜しかしこの段階までの縁起説は、さとりは縁起の滅した世界とされた」との説明がある。〜は私の挿入、それ以外の文言は全て辞典のまま。

57:神も仏も名無しさん
21/03/06 08:52:24.66 H6+z5+y3.net
岩波仏教辞典の滅の項目には、「苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟りの境地である涅槃」との説明がある。これが、悟りは縁起の滅した世界ということですよ。苦と業の縁起(因縁)が滅するわけです。だから、因縁解脱なのです。煩悩滅だけでは不十分ということです。

58:神も仏も名無しさん
21/03/06 09:02:21.24 1exsSKBR.net
岩波仏教辞典の煩悩の項目には、「煩悩の束縛を脱して真実の認識を得ることが、大乗仏教の求めるさとりにほかならない」との説明がある。同じページには「煩悩即菩提」の語の説明もある。大乗仏教とひとくちに言っても、それは幅広い。辞典の説明はどれも正しいのだよ。

59:神も仏も名無しさん
21/03/06 09:05:29.15 UvhkWSvn.net
ホラ吹き野郎が必死w

60:神も仏も名無しさん
21/03/06 09:10:02.06 1exsSKBR.net
仏教辞典の煩悩の項目には、「菩薩の四弘請願に煩悩無量請願断が立てられているのは、煩悩を断ずることが大乗仏教の基本思想であることを示す」との説明がある。その後に、煩悩即菩提の説明もしてある。いずれ、煩悩断は大乗仏教の基本思想である、ということです。

61:神も仏も名無しさん
21/03/06 09:17:47.34 1exsSKBR.net
阿含経では、漏尽解脱だけでは阿羅漢(仏陀)ではないのです。漏尽解脱の後に、解脱智見が生じたら阿羅漢(仏陀)なのです。
桐山師はそれを分かりやすく、煩悩解脱は小解脱、辞典にあるように苦滅、業滅が因縁解脱の大解脱、と説明しているわけです。

62:神も仏も名無しさん
21/03/06 09:37:44.17 17lbhgvY.net
おい、ホラ吹き野郎、いい加減にホラ話をやめろ。

63:ユビキタス
21/03/06 09:54:46.23 d9B6BwB/.net
>>58 神も仏も名無しさん 2021/03/06(土) 09:02:21.24 ID:1exsSKBR
>岩波仏教辞典の煩悩の項目には、「煩悩の束縛を脱して真実の認識を得ることが、大乗仏教の求めるさとりにほかならない」との説明がある。同じページには「煩悩即菩提」の語の説明もある。大乗仏教とひとくちに言っても、それは幅広い。辞典の説明はどれも正しいのだよ。
いや、それが>>52の深山さんの引用にない。
てことは、煩悩の束縛を脱して真実の認識を得ることがさとりもいうのは、
大乗以前の初期仏教、部派仏教のそれだろ?
実際初期仏教のさとりはまさにそれ以外の何物でもないし。
だからその前後の部分を正しく引用してみよと言ったのだ。

64:ユビキタス
21/03/06 10:00:10.55 d9B6BwB/.net
>>60 神も仏も名無しさん 2021/03/06(土) 09:10:02.06 ID:1exsSKBR
仏教辞典の煩悩の項目には、「菩薩の四弘請願に煩悩無量請願断が立てられているのは、煩悩を断ずることが大乗仏教の基本思想であることを示す」との説明がある。その後に、煩悩即菩提の説明もしてある。いずれ、煩悩断は大乗仏教の基本思想である、ということです。
だから大乗仏教においても煩悩無量(無尽)誓願断の通り、煩悩断は決してなくなってないと書いただろ?
それにどうして大乗以前の初期仏教に煩悩断が無い(?)みたいに思わせる書き方になるのだ?
煩悩の項を岩波仏教辞典で開いたのなら、ちゃんと初期仏教での扱いを引用してみよ。
そこに煩悩滅だけでは不十分であることが書いてあるのか?

65:ユビキタス
21/03/06 10:06:52.73 d9B6BwB/.net
>>61 神も仏も名無しさん 2021/03/06(土) 09:17:47.34 ID:1exsSKBR
>阿含経では、漏尽解脱だけでは阿羅漢(仏陀)ではないのです。漏尽解脱の後に、解脱智見が生じたら阿羅漢(仏陀)なのです。
>桐山師はそれを分かりやすく、煩悩解脱は小解脱、辞典にあるように苦滅、業滅が因縁解脱の大解脱、と説明しているわけです。
だから自演乙さんもそうだが、大解脱、小解脱という単語だけで、
桐山さんも示していない勝手な分類はやめろと言っている。
桐山さんは解脱知見を得た者が大解脱で、それ以前の者は小解脱だなんてことは何処にも述べていない。
桐山さんが小解脱としたのは煩悩断だけであり、大解脱としたのは煩悩断だけでなく
その人の運命が変わってしまうという因縁解脱を示したのだ。
だから戒定慧解脱解脱知見の五分法身において、解脱とは煩悩解脱であり解脱知見とは因縁解脱だなんて話には絶対にならないでしょ?
桐山さんに恥をかかせるようなことを書くのはやめなさい。

66:ユビキタス
21/03/06 10:11:35.72 d9B6BwB/.net
阿含宗の現役信者はこんなに馬鹿だぞー。
自演乙さん。
>>56-58 >>60-61の書き込みは我々批判側が阿含宗信者は馬鹿と思わせるための自演なんでしょうかね?

67:神も仏も名無しさん
21/03/06 13:33:55.81 N44NAulV.net
>>44
批判側の哀れな末路を本人も自覚しております
合掌

68:神も仏も名無しさん
21/03/06 15:02:18.53 7pS4fJes.net
>>67
うーむ、偽阿含桐山外道宗の哀れな末路を自覚していないのか、可哀想だね。

69:深山
21/03/06 20:12:31.14 AKftdTaP.net
>58神も仏も名無しさん2021/03/06(土) 09:02:21.24ID:1exsSKBR
>岩波仏教辞典の煩悩の項目には、「煩悩の束縛を脱して真実の認識を得ることが、大乗仏教の求めるさとりにほかならない」との説明がある。
自演乙さんは上記の件をどう思いますか?
批判側の自作自演だというあなたの説はさておき、
せっかくですから、議論内容について考えてください。
>>52に引用したように、岩波仏教辞典の「煩悩」の中の
「大乗仏教」の項目にはアラカンポ先生の上記の文章はありません。
たぶん、アラカンポ先生の岩波仏教辞典は第一版(1989年)で、
今は第二版(2002)ですから、内容はかなり修正されています。
だから、上記の文章も第二版ではカットされたのでしょう。
彼には第二版を買うように何度も勧めているが、アラカンポ先生は
ケチ、ドケチ、吝嗇で、タダ酒、タダ飯に喜びを感じる人ですから、絶対に買わない。
自演乙さんの周囲にもそういう人がいるでしょう。
ワリカンだと他の人よりもはるかに飲み食いをして、
支払いの時になると急にいなくなる人、あれがアラカンポ先生です。
こういう彼にとって第二版を買うなど、彼のドケチ道に反する許し難い行為なのです。

70:深山
21/03/06 20:17:52.38 AKftdTaP.net
自演乙さんにお勧めだが、岩波仏教辞典の「第二版」を買ってください。
仏教辞典としては非常に標準的で、小型で、定価も¥7,700です。
木切れに何万円も払うのに比べたら、一生ものであり、
仏教を学ぶ上ではるかに価値があります。
アラカンポ先生みたいにケチって、古本の第一版を買わないでください。
学者個人が編纂した辞典はどうしてもその人の癖が出る。
大学者の本でさえも、間違った記述がそのまま残っているケースがあります。
他人がそれを批判的にチェックしていないからです。
だが、岩波仏教辞典は百人からの仏教学者たちが作って、
しかも二版で大幅に修正された。
つまり、今の日本の標準的な仏教辞典と言えます。
自演乙さんは批判側の主張は信じないだろうが、
仏教学者の解説には少しは耳を貸すでしょう。
また、人間なら、そのくらいの知性と良識は保ってください。

71:深山
21/03/06 20:23:22.22 AKftdTaP.net
>58
「煩悩の束縛を脱して真実の認識を得ることが、大乗仏教の求めるさとりにほかならない」
自演乙さんは上記をどう読みますか?
第一版で確認していないが、上記が書いてあるとして、だから、何なのでしょう。
ユビキタスさんからも前に指摘があったが、これは単に大乗仏教の
さとりは煩悩からの解放である、という当たり前の説明にすぎない。
どこにも、釈迦仏教は煩悩解脱ではないとか、因縁解脱であるなんて書いていない。
自演乙さんは仏教の解脱とは因縁解脱だと信じているだろうが、
それは阿含宗でのみ通用する話で、仏教の解脱とは煩悩解脱(漏尽解脱)です。
解脱(『岩波仏教辞典』)
「仏教では煩悩から解放されて自由な心境になることをいう。」
これが釈迦仏教、大乗仏教、そして日本の伝統仏教、
つまり世界中の普通の仏教の解脱の意味です。
どこにも因縁を切るとか、因縁解脱などない。
自演乙さんは受け入れがたいだろうが、とりあえず、世間の仏教では、
煩悩からの解放、つまり煩悩解脱こそが仏教の解脱だと言われている、
という知識だけは受け入れてください。
そういう目でアラカンポ先生の引用した文章をもう一度読んでください。

72:深山
21/03/06 20:28:52.04 AKftdTaP.net
「煩悩の束縛を脱して真実の認識を得ることが、大乗仏教の求めるさとりにほかならない」
この文章は「大乗仏教も」、解脱とは煩悩解脱だという、当たり前のことが
書いてあるだけですよね。
ところが、アラカンポ先生は「大乗仏教から」、解脱とは煩悩解脱に
なったと読んでいる。
もちろん、そんなことは書いていない。
そして、勝手に釈迦仏教は因縁解脱だったと主張している。
自演乙さんに着目してほしいのは、アラカンポ先生が
「書いてあることが読めず、書いていないことを読んでいる」
という点です。
これはここにいる三人の信者の一大特徴です。
彼らはあるがままの文章を読んで理解するのではなく、
自分の狂信に合うように勝手な解釈をする。
最初は狂信からそのように読み間違えることはしかたない。
だが、アラカンポ先生のように、何度指摘されても、無視して、
今回もまた同じ主張を繰り返している。
これでは、躾けの悪い犬が吠え続けるのと変わりない。
つまり、自演乙さんにお願いしたいのは、この三人を反面教師にして、
・書いてあることは書いてあるがままに読む、
・書いていないのに勝手な解釈は加えない、
・間違いを指摘されたら修正して、同じ間違いを繰り返さない、
という一般的な社会常識を持ってほしい。

73:深山
21/03/06 20:33:27.93 AKftdTaP.net
>>61 神も仏も名無しさん 2021/03/06(土) 09:17:47.34 ID:1exsSKBR
>阿含経では、漏尽解脱だけでは阿羅漢(仏陀)ではないのです。漏尽解脱の後に、解脱智見が生じたら阿羅漢(仏陀)なのです。
>桐山師はそれを分かりやすく、煩悩解脱は小解脱、辞典にあるように苦滅、業滅が因縁解脱の大解脱、と説明しているわけです。
自演乙さんにもう一つお願いしたい件の反面教師が上記です。
65でユビキタスさんが指摘しているように、
61のアラカンポ先生の主張は、阿含宗の教義ではありません。
桐山さんのいう小解脱、大解脱の意味とも違う。
アラカンポ先生の個人的な解釈の羅列です。
ここは阿含宗の教義を議論するスレですから、阿含宗の教義でないことや
仏教一般、密教一般、占い一般についての議論はしません。
つまり、自演乙さんにお願いしたいのは、この三人を反面教師にして、
・阿含宗の教義ではない自分教を出さない、
・スレの主旨と関係のない話は出さない、
・それらを注意されたら、出さない、
という社会常識を持ってほしいのです。
もちろん、三人ともこんな基本的な社会常識さえも守れません。
何度注意されても、自分教やスレの主旨と関係のない話を
十年以上に渡って繰り返している。
三人のために弁護すると、彼らにはそれしか道がないからです。
正面から阿含宗の教義を議論したら、勝てない。
だから自演乙さんもカルマの話で一撃で叩き潰された。
これ以降、どのテーマでもあなたは勝てません。
そこで三人は我流解釈やスレの主旨とは違う話をしつこく出して、
阿含宗から話をそらすことで、自分が勝利したかのように錯覚しているのです。

74:神も仏も名無しさん
21/03/06 20:34:22.33 iUGRMZZC.net
麹町吉田宗一郎弁護士死ねよ

75:神も仏も名無しさん
21/03/06 21:16:30.71 kVMeEKt9.net
ていうか、ここの三人信者、(阿含宗異端者の方が合ってるw)
阿含宗の教義・教学よくわかっていないんでしょう
いつのまにか勝手に仏典を解釈した自分教を語っているだけ

76:ユビキタス
21/03/06 23:08:01.29 s4FrzClh.net
だがこの自演乙さんを除く3人の信者を見ると、
阿含宗とは関係のない自分教を出しているのは共通なんだが、
それをすることによって阿含宗の批判を意図的に撹乱させよう
という狡猾さすら感じられないのです。
つまり彼らは実は阿含宗なんかよりも本当に自分教の方に興味関心があって、
阿含宗なんかもはやさして興味がない。
だから阿含宗を擁護するよりも自分教を大切にして、自分教と考えの違うところに反発している
という感じを受けます。
対して自演乙さんは先日も冥徳祭にも出ていた(閲覧参加)ようだが、
擁護側としてあくまでも阿含宗の立場を守り、阿含宗の立場に則ってこのスレに参加していただきたいと思います。
だからまず正しく阿含宗教義を身につけるべきですね。

77:神も仏も名無しさん
21/03/07 08:26:06.57 AQodRo2i.net
岩波仏教辞典には「煩悩の束縛を脱して真実の認識を得ることが大乗仏教の求めるさとりにほかならない」と、書かれている。深山くんは「大乗仏教も」という意味に考えたいようだが、それはド素人の考えだ。仏教学者は言葉のプロだからね。

78:神も仏も名無しさん
21/03/07 08:33:49.64 AQodRo2i.net
「煩悩の束縛を脱して〜大乗仏教の求めるさとり」だよ。「大乗仏教も」ではない。
菩薩の煩悩無量請願断という四弘請願は、大乗仏教の基本思想であって、「大乗仏教も」ではない。大乗仏教の基本思想だよ。仏教辞典さえ捏造するのが、深山の基本思想なのか。

79:神も仏も名無しさん
21/03/07 08:38:34.85 AQodRo2i.net
「煩悩の束縛を脱して真実の認識を得ることが大乗仏教の求めるさとりにほかならない」ですからね。大乗仏教でさえ、煩悩を無くすだけではさとりでない。真実の認識を得なければさとりにならないわけです。煩悩を無くすだけでは大乗仏教でさえ、不十分なわけです。

80:神も仏も名無しさん
21/03/07 08:41:06.16 IE9SRwFI.net
>>77
大乗仏教じゃないだろアナタが説明すべきは阿含宗で求めるさとりとはだろ
阿含宗信者を代表するアナタに質問だが
第一の応具の如来と第二の応具の如来の違いは何?
たしか桐山ゲイカが「阿含密教いま」の中で応具の如来は一つの世界に一体しか
出現しないとか書いていたようだが、それなのに第一、第二とあるのは
第一の応具の如来は廃れたのか?
ド素人の元阿含宗信者からの質問だ、わかりやすく詳しく説明してくれたまえ。

81:神も仏も名無しさん
21/03/07 08:46:58.82 IE9SRwFI.net
大乗仏教でも上座部仏教でもない完全仏教
と謳ってる阿含宗について、その悟りと解脱の境地を説明すべきでしょ
どう違うのか

82:神も仏も名無しさん
21/03/07 08:47:33.52 AQodRo2i.net
岩波仏教辞典の「解脱」の項目には、阿羅漢は五分法身を備えることが必須条件である、と書いてある。煩悩を断ずるなどは、いろはのい、なのであって、それだけでは不十分、小解脱に過ぎないのです。まぁ、四向四果さえ知らない相手に講義しても、無駄な話だがね。

83:ユビキタス
21/03/07 09:12:40.35 YpKCi8ng.net
>>77 神も仏も名無しさん 2021/03/07(日) 08:26:06.57 ID:AQodRo2i
>岩波仏教辞典には「煩悩の束縛を脱して真実の認識を得ることが大乗仏教の求めるさとりにほかならない」と、書かれている。深山くんは「大乗仏教も」という意味に考えたいようだが、それはド素人の考えだ。仏教学者は言葉のプロだからね。
しかし初期仏教にも煩悩の束縛も離れて真実の認識を得る話も絶対にあるではありませんか?
まさかそれを否定しますか?
これをどう説明するのですか?

84:神も仏も名無しさん
21/03/07 09:59:00.89 AQodRo2i.net
仏教辞典には「煩悩の束縛を脱して真実の認識を得ることが大乗仏教の求めるさとりにほかならない」と、ある。大乗仏教でさえ、煩悩を断ずるだけでは不十分で、真実の認識を得ることが必須なのです。深山ユビキ説は、阿含仏教落第は勿論のこと、大乗でも落第なのです。

85:神も仏も名無しさん
21/03/07 10:07:23.16 AQodRo2i.net
初期仏教の仏の「真実の認識」とは解脱智見を意味しますね。大乗仏教でいう仏の智恵と、初期仏教でいう仏の智恵は違う。初期仏教の仏の智恵は解脱智見であり、大乗の仏の智恵は大円鏡智とか平等性智とかの作りごとです。

86:神も仏も名無しさん
21/03/07 10:15:21.78 NnxWjPq3.net
ホラ吹き野郎が必死になってホラを吹きまくってる(笑

87:酔
21/03/07 10:17:12.96 BAWw6TXs.net
>>49続き
論理のアリ地獄にいらっしゃる三者も貴重な継続の存在です
この方々は 深山さんユビキタスさんの釈説の正確な考察を
抽出する貴重な存在となっているからです
阿含宗の批判は 釈説の正確な考察を呼び起こす事にも繋がる
ドツキ漫才のドツかれ役を担っていただいて感謝です
最近は新人さんも加わり 今は四者さんでしょうかな
深山さんユビキタスさんのファンとしては この四方にいつまでも
ご健闘を願うものです

88:神も仏も名無しさん
21/03/07 10:39:47.03 IE9SRwFI.net
>>82
で、煩悩を解脱するだけではダメという阿含宗では輪廻転生瞑想法で
すばらしい来世で良い生活楽しい人生を目ざすって煩悩だらけで
煩悩解脱など最初っから何にも考えていないのではないかね?
それって臭い物に蓋をしてみないことにして目の前にニンジン
ぶらさげて走らされているだけでは?ここのスレにきて
それもわからないアナタはバカですねwww

89:神も仏も名無しさん
21/03/07 10:43:25.95 IE9SRwFI.net
煩悩だらけで煩悩解脱が嫌なやつが喚いているだけに聞こえるのが
笑えますねwww

90:深山
21/03/07 11:27:32.51 XhqVIASX.net
自演乙さん、
>>77-79,82、84-85のアラカンポ先生の書き込みを見てください。
阿含宗の教義と全然関係のない自分教をキャンキャンと吠えて、わめいている。
釈迦仏教と大乗仏教では解脱の意味が違うのだというのが彼の説です。
だが、仏教にも阿含宗にも、こんな考えはありません。
解脱(『岩波仏教辞典』)
「仏教では煩悩から解放されて自由な心境になることをいう。」
これがすべての仏教の解脱の意味です。
岩波仏教辞典第二版を買って、解脱の意味を調べてください。
上記の文章は冒頭に結論として出てきます。
自演乙さんは学校の国語の授業で習ったと思うが、冒頭の結論が
その後のすべての文章の前提となりますから、
仏教の解脱とは「煩悩からの解放」、つまり煩悩解脱(漏尽解脱)です。
まず自演乙さんに驚いてほしいのは、どこにも因縁解脱などないことです。
そして、阿含宗の因縁解脱など嘘だという批判側から指摘は、
上記の一文で決着が付いているのです。
だから、三人の中でペテン大作さんだけは、仏教の解脱とは
煩悩解脱だと二度認めた。
くり返すが、各仏教によって解脱の意味が違うなど、
アラカンホ教にすぎず、仏教にも阿含宗にもありません。
岩波仏教辞典では、煩悩解脱を前提として、釈迦仏教(原始仏教)、
部派仏教、大乗仏教の解脱について解説しています。

91:深山
21/03/07 11:32:32.22 XhqVIASX.net
「解脱」岩波仏教辞典
*釈迦仏教
「原始仏教では,修行者の理想は煩悩を滅し尽くした阿羅漢(あらかん)の姿である.」
*部派仏教
「部派仏教では,煩悩や解脱を法(ほう)として実体視するなど,部派ごとに解脱をめぐって独自の解釈を展開した.」
*大乗仏教
「それに対して大乗仏教では,自己の解脱は衆生(しゅじょう)の救済(くさい)と共にあると考え,六波羅蜜(ろくはらみつ)の利他行(りたぎょう)が重視された.」
自演乙さんに良く見てほしいのは、三つの仏教ともに、
解脱の意味は同じであり、煩悩からの解放が解脱だという点です。
その解釈や方法に違いがあるだけで、
解脱とは煩悩解脱(漏尽解脱)です。
どこにも、一言も、因縁解脱などない。
特に、阿含宗は釈迦仏教を標傍しているのですから、
「煩悩を滅し尽くした阿羅漢」
という表現に、自演乙さんはビックリするべきです。
流し読みしないで、良く文字を読んでください。
「因縁を滅し尽くした阿羅漢」ではありませんよ。
仏教では、煩悩を滅したことが解脱であり、阿羅漢なのです。

92:深山
21/03/07 11:39:38.27 XhqVIASX.net
「釈尊(しゃくそん)は煩悩から解脱して涅槃を得たが,・・・」(岩波仏教辞典、二版)
これも解脱の説明にある一文です。
釈尊の解脱や涅槃とは何か、書いてあるとおりに読んでください。
「因縁から解脱して涅槃を得た」ではありません。
煩悩からの解放こそが解脱であり、涅槃です。
このように、辞典のどこを見ても、因縁切りも因縁解脱もありません。
因縁解脱が仏教の解脱なら、因縁解脱という言葉が辞書にまったく
出てこないなんて、変でしょう。
因縁解脱なんて、岩波仏教辞典だけでなく、どんな仏教辞典にも出てきません。
仏教には因縁も解脱もあるが、因縁解脱なんてありません。
日本には東京も札幌もあるが、東京札幌なんて都市がないのと同じです。
自演乙さんはそれでも、因縁解脱こそがお釈迦様が説いた解脱だと
桐山ゲイカが書いているのだから、どこかにあるに違いないと
信じたいでしょう。
では、もっとあなたの混乱に拍車をかけてあげましょう。
今度は、岩波仏教辞典ではなく、桐山さん本人の言葉です。

93:深山
21/03/07 11:46:30.82 XhqVIASX.net
「漏尽解脱とは、漏(煩悩〉がすべて尽きた状態ですから、完全解脱、つまり成仏したということです。」
(『仏陀の真実の教えを説く[上]』67頁)
桐山さんは煩悩からの解放が完全解脱だと述べている。
自演乙さんは驚きませんか。
因縁解脱が完全解脱だというのが阿含宗の教義なはずなのに、
ここに来て、桐山さんは、突然、煩悩解脱が完全解脱だと書いた!?
桐山さんは岩波仏教辞典と同じことを書いているのです。
さあ、自演乙さんはどうしますか。
自演乙さんは上記の文章に気が付かなかったでしょう?
十年以上も前に出た本なのに、こんなとんでもない文章に
あなたは気が付かなった。
それどころか、この同じ本に、上記とまったく違うことが
堂々と書いてあるのです。
それを引用して、あなたに矛盾を説明するように
迫ることもできますが、今回はやめておきます。
自演乙さんを混乱させることが目的ではなく、
桐山さんという人がどれほどその場しのぎの適当な話を
次々と空想で作り上げた人か、それを知ってほしいのです。

94:深山
21/03/07 11:56:48.37 XhqVIASX.net
「漏尽解脱とは、漏(煩悩〉がすべて尽きた状態ですから、完全解脱、つまり成仏したということです。」
(『仏陀の真実の教えを説く[上]』67頁)
自演乙さんが、桐山ゲイカは仏教のすべてを理解し、体得した上で
阿含宗の教義を作っているのだという主張を、どうしても譲りたくないなら、
上記の矛盾だけでも説明してみることです。
私も信者時代、自演乙さんと同じように、桐山ゲイカを絶対視して、
彼の主張の矛盾をなんとか説明しようとして四苦八苦した。
先達と二人で、あれこれ想定問答までしました。
だが、途中で止めました。
なぜなら、桐山さんの話は明らかに矛盾だらけで、
弁護しながら、相手の反論を待つまでもなく、反論が思い浮かぶ。
それを正しいと信じてしまうのは、自分の知性や良識を麻痺させ、
教祖の言う事なら何でも信じ込むような狂信信者に自分からなることだからです。
幸い、ここにいる三人と違い、私はそれができなかった。
知性と良識が悲鳴を上げ続けたので、私は桐山さんを弁護するのを止めました。
念のためにいうが、これは信者時代の話です。
自演乙さんが知性と良識の悲鳴に耳を貸さず、ここにいる三人のような
選択をするのも、あなたの信仰の自由です。
もっと言うなら、自演乙さんの知性と良識がどの程度なのか、それでわかる。

95:神も仏も名無しさん
21/03/08 07:25:02.82 xaD8G9pC.net
退会した人のことを「不幸になる」、と言うのは誹謗中傷です。

96:神も仏も名無しさん
21/03/08 11:03:31.29 WF4RoPw4.net
四向四果を何十年かかっても理解出来ない深山くんに講義しても無駄だが、深山くんに洗脳されている人も気の毒ではある。
仏教辞典の初版だろうが二版だろうが、表現が変わろうともその内容は同じだね。解脱とは輪廻からの解脱だとも仏教辞典には書いてある。

97:神も仏も名無しさん
21/03/08 11:11:55.30 WF4RoPw4.net
岩波仏教辞典の「業」の項目の説明には、
業→「輪廻転生をあらしめる一種の力」とある。だから、「生死已尽 不受後有」とは業が滅したことを示している。煩悩が輪廻をあらしめるとは、仏教辞典にはない。煩悩が輪廻をあらしめるとは、桐山師の説なのです。

98:神も仏も名無しさん
21/03/08 11:19:52.57 WF4RoPw4.net
岩波仏教辞典の初版には、業が輪廻をあらしめる力を持つとあるが、煩悩が輪廻をあらしめる力を持つとは、どこにも書いていない。
阿含仏教では漏尽解脱だけでは阿羅漢ではない。深山くんは肝心なところは、気づく頭がないようだ。次に辞典から解脱説明を引用する。

99:神も仏も名無しさん
21/03/08 11:27:52.95 WF4RoPw4.net
辞典には「解脱」→「原始仏教では修行者の理想は煩悩を滅し尽くした阿羅漢の姿である」と書いているが、その次に、五分法身を備えることが阿羅漢の必須条件だと書いてある。
つまり、漏尽解脱だけでは阿羅漢ではなくて、解脱智見を備えたら阿羅漢なのですよ。

100:神も仏も名無しさん
21/03/08 11:40:55.35 WF4RoPw4.net
俱舎論では、見道位の刹那を預流向の聖者、見道位をマスターしたら預流果の聖者で、次に修道位の修行に入る、としている。が、この考えで行くと、阿羅漢の無学道は涅槃の境地とされているから、阿羅漢向と阿羅漢果の区別がつけられないことが、分かるかね?

101:神も仏も名無しさん
21/03/08 11:47:09.99 WF4RoPw4.net
阿羅漢向も阿羅漢果も阿羅漢だ、という深山説では、向と果の意味がなくなるね。
無学道は、阿羅漢の涅槃の境地だとされているからさ、無学道のどこそこまで行ったら阿羅漢向、などということは出来ない。
だから、阿羅漢向は阿羅漢ではないのだよ。

102:神も仏も名無しさん
21/03/08 12:12:15.71 q+ZKcDYk.net
桐山靖雄の愛人だった
i川さんは今、どうしてますか?
阿含宗を相手取った裁判では
勝訴したようですから
毎月の例祭には、参加してるんでしょうね?

103:神も仏も名無しさん
21/03/08 12:21:39.01 KvMd5CxX.net
神や仏がいるのなら、なぜ阿含宗のようなインチキ宗教が次から次と出て来るのでしょうか?

104:神も仏も名無しさん
21/03/08 12:47:31.85 UluyemTe.net
>>101
ま〜だ言っている。
深山氏は《阿羅漢向・阿羅漢果》と《阿羅漢》を混ぜて使ってはいけないと言っている。
ホラ吹き野郎は黙ってろ。

105:神も仏も名無しさん
21/03/08 12:50:53.82 uoDoS0uO.net
釈迦に守護霊、守護神はいません。
釈迦は屋敷浄霊をしません。
釈迦は守護霊、守護神を授けません。
釈迦の説法は無料です。

106:神も仏も名無しさん
21/03/08 13:20:11.11 12HZRVsx.net
悪質
URLリンク(www.nisseikyo.or.jp)

107:酔
21/03/08 20:12:14.12 HpdwK4R3.net

仏教的な四字熟語を覚えて語っても意味はありません
その言葉に力があると思うのは間違いです
仏教熟語を賢察するのは学者の仕事でそれ以上以下もありません
初期の釈説のとおり善い行いをした方が 真理に近づくと思います
行いにこそ真理がある
そこでもろもろの無常を知り次への道しるべとなります
若い時分 桐山さんは漢語言葉に誘導され呪文の効果を期待した
それが近道で簡単だと考えたからでしょう
初期仏典の釈説に解脱なる言葉も涅槃という標語も使用されていません
まして因縁ゲダツなど微塵もない
釈説は 善なる行いを生真面目に説き 行いの重要性を知らしめていました
漏尽解脱や解脱智見を騙っても そこに善なる行い無き者に果報などありません

108:深山
21/03/08 21:14:18.24 Av9WKzqw.net
自演乙さん、
今日も、アラカンポ先生が96-101と延々と書き連ねたが、意味がわかりましたか?
阿含宗の説でもない自分教を滔々と並べて自己満足に耽っている。
自演乙さんとも議論になっている業(カルマ)についてです。
まずは基本を何度も学びましょう
岩波仏教辞典二版の299ページを開いてください。
そこに「業」の説明があり、「業と輪廻」「業の分類「業と縁起」と
三つの項目に分けてかなり長い説明があります。
自演乙さんも学校で学んだように、長い説明の文章はまず冒頭のまとめが結論です。
業(岩波仏教辞典)
「原語の基本的意味は,<なすこと><なすもの><なす力>などで,
<作用><行為><行為対象><祭祀>などを表す語としてインド思想一般で広く用いられた.」
重要なのは冒頭に書かれた上記のまとめです。
「業と輪廻」「業の分類「業と縁起」の説明は上記のことを前提としている。
この説明で難しいことは何もありません。
業(カルマ)とは「行為」であることは、あまりに明瞭です。
その後のどんな説明も、「業=行為」であることを前提として理解するべきです。
ここまでの指摘は仏教の議論ではなく、国語の文章読解の問題です。

109:深山
21/03/08 21:20:03.24 Av9WKzqw.net
>岩波仏教辞典の「業」の項目の説明には、
>業→「輪廻転生をあらしめる一種の力」とある。(>>97)
自演乙さんは上記の記述が岩波仏教辞典二版にあるかどうか調べてください。
ありません。
つまり、アラカンポ先生のような、知ったかぶりの愚か者たちが
勝手な解釈をするから、二版でカットされたのでしょう。
しかも、彼は前後を省略して書いているから、これが釈迦仏教の
業の説明なのか、後世の説明なのかわからない。
上記が「業」の説明にあるなら、「業=行為」という
最初のまとめを前提として読むべきです。
業には行為という意味しかありません。
阿含宗みたいにカルマ解脱なんて言ったら、行為解脱ですよ。
日本語として意味が通じない。
「カルマを切る」は「行為を切る」です。
「行為を切る」って、自演乙さんは意味がわかりますか?
いかに阿含宗が仏教からかけ離れたオカルトか、カルマ一つを
取り上げてもよくわかります。

110:深山
21/03/08 21:25:19.48 Av9WKzqw.net
>>99神も仏も名無しさん2021/03/08(月) 11:27:52.95ID:WF4RoPw4
>阿含仏教では漏尽解脱だけでは阿羅漢ではない。
自演乙さん、ごらんなさい。
アラカンポ先生は桐山さんの説さえも否定している。
「漏尽解脱とは、漏(煩悩〉がすべて尽きた状態ですから、完全解脱、つまり成仏したということです。」
(『仏陀の真実の教えを説く[上]』67頁)
桐山さんは漏尽解脱は完全解脱だと書いているのに、
信者のアラカンポ先生は違うという。
阿含宗と関係ない話はこれだけではありません。
解脱知見を得ないと阿羅漢になれない、という彼の珍説もそうです。
解脱した後だからこそ解脱したことを確認できるはずなのに、
こんな当たり前のことが彼の頭では理解できない。
確認しないと解脱しないんだそうです。
もちろん、桐山さんはこんな愚かな説は唱えていません。
一事が万事この有様で、アラカンポ先生は阿含宗の説でもなく、
もちろん仏教でもない我説を延々とここで垂れ流す。
スレの主旨と違うことや、阿含宗の教義と違うことを書くなと
言われても、馬耳東風、傍若無人。
それだけではなく、彼はものすごく根性が悪い。
私の書き込みに因縁を付けて、何度否定しても、
誰が否定しても、しつこくしつこく絡んでくる。

111:深山
21/03/08 21:32:39.88 Av9WKzqw.net
>>101神も仏も名無しさん2021/03/08(月) 11:47:09.99ID:WF4RoPw4
>阿羅漢向も阿羅漢果も阿羅漢だ、という深山説では、向と果の意味がなくなるね。
104さんが書いているように、私は「阿羅漢向・阿羅漢果」と「阿羅漢」は
同列に取り扱うべきではないという主張ですから、
これらを混ぜたようなことを書くはずがない。
私が何度か、議論の経緯を説明し反論しても、底意地の悪いアラカンポ先生は
絶対に嫌がらせを止めない。
一時、この件を書かないと言い出したが、なあに、そんな言葉はすぐに
忘れて、また執念深く、嫌がらせを始めた。
驚くほど根性が悪い。
自演乙さんに見てほしいのは、阿含宗の信者の有様です。
アラカンポ先生はおそらく三十年以上の行歴を持つ先達様です。
自分では因縁が一つ切れて、はっきりとシュダオンだと宣言している。
宣言こそしていないが、神通力を一つ持った阿那含だと自惚れている。
その聖者様が、こちらが書いてもいないことを、抗議しようが、
説明しようがおかまいなしに、嫌がらせのために何年でも上記のように書きこむ。
これは聖者どころか、人間としても最低です。

112:深山
21/03/08 21:37:20.64 Av9WKzqw.net
>>101神も仏も名無しさん2021/03/08(月) 11:47:09.99ID:WF4RoPw4
>阿羅漢向も阿羅漢果も阿羅漢だ、という深山説では、向と果の意味がなくなるね。
自演乙さんに質問するが、あなたもアラカンポ先生のような底意地の悪い嫌がらせを
何年にもわたり、毎日のように繰り返しますか?
だが、これが阿含宗で三十年以上も信仰してきた先達様の生の姿です。
桐山さんの話では、人智を越えた力で人間を変えてしまうという話だった。
その結果が、どんな汚い事をしてでも勝たないと気の済まない根性の
捻じれた人間ができあがった。
自然に徳ができて、「おのずと人の上に立つ」とあるが、
現実のアラカンポ先生は、人の上どころか、嫌われて、周囲に誰もいない。
自演乙さんはどう思いますか。
アラカンポ先生は、阿含宗によってこのような底意地が悪く、品性の
卑しい人間に変えられたと考えますか。
それとも、彼は元々そういう人間であり、阿含宗の修行は何の役にも
立たないどころか、彼の元々の無知と慢心と恥知らずを増やしただけと考えますか?

113:ユビキタス
21/03/08 22:50:52.06 sCOGyEiW.net
>>96 神も仏も名無しさん 2021/03/08(月) 11:03:31.29 ID:WF4RoPw4
>仏教辞典の初版だろうが二版だろうが、表現が変わろうともその内容は同じだね。
その通りです。部分的な割愛があったりしても基本線は変わらはずがありません。
だから岩波仏教辞典の煩悩の項についてもたとえ初版であっても
深山さんがほとんどすべて示した第2版と内容は同じはずです。
あなたが単にほんの一部の文章を出してごまかしているに過ぎません。
汚い男だ。人間のカスと言われただけがある。
今回の大乗仏教の件に関してはあなたに対してますます幻滅を感じましたよ。
あなたは自分自身が書いていたことを否定したも同然ですからね。
本当に何の信念もないんですね。
実を言うとあなたは自分教なんてものすら持っていない。
単にその場しのぎで適当なことを書いている暇つぶしに過ぎない。
あなたは煩悩の大乗仏教における説明のところで、
「煩悩の束縛を脱して真実の認識を得ることが大乗仏教の求めるさとりにほかならない」
と書いたわけだが、もし大乗仏教のところにこれが書いてあるとすると、
それはそれ以前の初期仏教時代からも引き継がれているものなのであるが、
実はこの短い文章の中にあなたが示していた小解脱と大解脱があることになるんですよ。
つまり「煩悩の束縛を脱する」が煩悩解脱で、あなたは小解脱とした。
しかし悟りはそれだけではない。「真実の認識を得る」これがいわば心解脱に対する慧解脱とでもいうもので、
あなたはこれを大解脱だと主張していたんですよ。
煩悩を脱するだけではなく智慧を得るのが大解脱なんだとあなたは言っていた。
その智慧を得るというのはまさにこの真実の認識を得るということなんですよ。
私は真実の認識を得る智慧というのもおろか、痴、癡という煩悩を脱する話に結局はなるし、
あるいは煩悩解脱の原理を如実に悟るということでもあるわけだから、
実は小解脱も大解脱もそんな区分はないとこちらはしたのだが、
とにかくあなたは智慧を得るのが煩悩解脱よりも上を行く大解脱としたのを忘れてしまっている。
いや、忘れてもない証拠に五分法事なんかを出して解脱知見を得ることが第解脱だなんて言っている。
解脱知見も真実の認識を得ることも結局変わらないんですよ。
だからそっちの話に持っていかないで、実はこれは大乗仏教の悟りだなんてしたのは、
あなたいったい今まで何を主張していたんですか?全く信念のない人ですねと言いたい。

114:ユビキタス
21/03/08 22:52:28.42 sCOGyEiW.net
人間のカス→人間のクズ

115:神も仏も名無しさん
21/03/09 13:56:29.13 UdS21i9x.net
岩波仏教辞典の「解脱」→「原始仏教では修行者の理想は煩悩を滅し尽くした阿羅漢の姿である」との説明を読んで、煩悩滅が阿羅漢だと思うのは、初級クラスです。
その次に、五分法身を備えることが必須条件、と書いている。それを理解して中級クラスね。

116:神も仏も名無しさん
21/03/09 14:09:25.08 UdS21i9x.net
漏尽解脱だけでは悟りにならない。
最正覚(sambodhi=三菩提)とは三明(解脱智)のことだと阿含経に書いてある(どの経かは教えない、各自探して見てね)。
三明(解脱智)は、解脱した後に生じると釈迦は説いている。だから正見≠漏尽解脱、です

117:神も仏も名無しさん
21/03/09 14:15:05.47 UdS21i9x.net
仏教辞典に書いてあることは、素直に受け取ることです。
岩波仏教辞典の「滅」の説明→「苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟りの境地である涅槃」と、ある。苦滅、業滅、が悟りであり、涅槃だと書いてあるね。辞典に逆らうの?

118:神も仏も名無しさん
21/03/09 14:29:00.17 UdS21i9x.net
煩悩滅を不必要だというのではないよ。
煩悩滅だけでは不十分だと言っているのですよ。誤解の無きように。
仏教辞典に、「苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟り」と、あるように、阿含仏教は、苦滅業滅も説く、と言っているのです。

119:神も仏も名無しさん
21/03/09 15:03:03.09 9qvnWybv.net
>>115〜118
ま〜たホラ吹き野郎が必死になってホラ吹いているわ。

120:神も仏も名無しさん
21/03/09 19:03:33.57 /sYYa+89.net
>>118
ではアナタは煩悩滅の行を行ったのかい?
必要なんでしょ、そしてこれが出来なければ苦滅業滅もできないということになりますよね
そして煩悩滅の行もバカにはできない、そして段階があるべきですね
なら煩悩滅を果たした者は聖者のどの位置なのですか?シュダオンですかね?
はっきり答えろ!おろかもんが!仏教バカにしてるんかオマエはよ!

121:神も仏も名無しさん
21/03/09 19:33:31.01 HFbtGFgx.net
此処に投稿するというのは、菩提心を起こすほどの人、>>120
怒らずして日々の瞑想行を継続すべきです。
線香一本は凡そ30分此れを一単位として二つ、三つ、四つと読経の後には
瞑想の法座を得るように心がけましょう、ふかさわさんとゆび氏は全くやる気が
ない人ゆえそれなりの末期が御座います。合掌

122:ユビキタス
21/03/09 19:50:10.12 1DPuqyWd.net
>118 神も仏も名無しさん 2021/03/09(火) 14:29:00.17 ID:UdS21i9x
>煩悩滅を不必要だというのではないよ。
>煩悩滅だけでは不十分だと言っているのですよ。誤解の無きように。
>仏教辞典に、「苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟り」と、あるように、阿含仏教は、苦滅業滅も説く、と言っているのです。
そうです。私が今回指摘したのはまさにその点においてです。
あなたは本来そういう主張のはずであった。
ところがその主張を貫き通すことができず、今回大乗仏教なんかを出すという、下手くそな話に持って行ったのです。
煩悩を滅するという話は大乗仏教以前の釈迦仏教の時代に始まっていることを否定することは絶対に出来ません。
それをまるであたかも大乗仏教こそが煩悩を滅する話なんだと、手な話に持って行ったのが問題だったのです。
釈迦仏教から大乗仏教になっても相変わらず煩悩の問題は否定することなく、
これは克服の対象でありました。
しかし大乗仏教はそちらの方向よりも煩悩即菩提の思想に見られるように、
すごくその点緩くなったと言えます。
それよりもあなたの大好きな苦しみからの救いという方に力点を置いたのです。
だから全く逆なんです。
釈迦仏教で煩悩滅が最高ではなく苦の滅が究極の目的であるならば、
なぜ大乗仏教はそれを失くしたというのですか?
それをちゃんと根拠を見せてくださいよ。そんなものがあるわけない。
むしろ逆で釈迦仏教では悟りを重視していたのを、大乗仏教では悟りよりも救いを重視したのですから、
あなたの好みは本来こちらのほうにあっているはずだ。

123:ユビキタス
21/03/09 20:03:46.54 1DPuqyWd.net
>>118 神も仏も名無しさん 2021/03/09(火) 14:29:00.17 ID:UdS21i9x
>煩悩滅を不必要だというのではないよ。
>煩悩滅だけでは不十分だと言っているのですよ。誤解の無きように。
>仏教辞典に、「苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟り」と、あるように、阿含仏教は、苦滅業滅も説く、と言っているのです。
あなたが煩悩滅を最高としないで智慧を得るとか苦滅とかを究極とするのは、
あなたの自由かもしれないが、実はこのスレではそんなことを論じているのではない。
解脱とは煩悩解脱+智慧も入れてあげましょうか、ではあっても、桐山因縁解脱というものがないのです。
桐山因縁解脱とは病気にならないとか事故に遭わないとかお金に困らないとか夫婦円満で離縁などしないとか
そういう俗世間における幸福が得られると言う話です。
これが実は釈迦仏教の解脱にも大乗仏教の解脱にもないのです。
俗世間の福というものは説かれるが、それは解脱は全然別の話です。
桐山さんでも究極には死んだ後もはやどこにも生まれ変わらない輪廻の滅も示してはいます。
しかし現世において不自由しないというそんな話は仏教の解脱にはないのです。
こちらはその点をごまかさせないのです。
だから煩悩の滅だけじゃないなんて話ではなくて、桐山因縁解脱なんてものはないとそこに反論してみなさい。
繰り返し言うが桐山因縁解脱は輪廻が滅する話ではなく現世に信頼を得ていながら受ける幸福のことです。
実はこれを少なくとも釈迦は説いていない。
解脱はそこに置いていない。
だから苦の滅という語句を目にしただけで自分勝手な想像をしなさんなというのだ。
苦の滅を解いた釈尊は老いて病にかかって死んだではないですか。
これのどこが苦の滅だ?
しかし釈尊は苦の滅を果たしたんですよ。
それを考えた時、苦の滅というのはあなたの考えているような話ではないと分かります。
そしてその苦の滅は実は煩悩を亡くしただけでそのまま得ることができるのです。
だからこれは悟りの領域です。
そんなに難しい悟りでもありませんよ。
しかしこんな簡単な悟りも分からないあなたには想像もできないでしょう。

124:深山
21/03/09 21:20:31.07 LwJkgeJi.net
自演乙さん、
今日も、アラカンポ先生が114-118と延々と書き連ねたが、意味がわかりましたか?
何か難しそうな話を羅列しているが、そもそも阿含宗とどう関係しているのかわからない。
それもそのはずで、関係ない。
桐山さんの主張さえも否定して我説を並べているだけです。
何よりも、私やユビキタスさんの反論を完全に無視して、
同じ主張を繰り返し繰り返し書きこんでいる。
自演乙さんも読む時や自分が書き込む時は、それが阿含宗の教義と
どう関係した話なのかを常に念頭に置くことです。
でないと、ここにいる三人の信者のように糸の切れたタコみたいになる。

125:深山
21/03/09 21:26:41.57 LwJkgeJi.net
>>117神も仏も名無しさん2021/03/09(火) 14:15:05.47ID:UdS21i9x
>岩波仏教辞典の「滅」の説明→「苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟りの境地である涅槃」と、ある。
自演乙さんは、滅の上記の説明のどこにも因縁解脱などないのがわかりますよね。
上記の「業」とは行為のことであり、阿含宗のいう桐山カルマの話ではありません。
カルマを断ち切るという意味ではない。
岩波仏教辞典の上記の説明は特別なことを述べているのではなく、
煩悩からの解放を述べているにすぎない。
煩悩とはそれ自体が出てくるのではなく、煩悩は行為(業)に現れる。
身口意の三つの行為の中に煩悩は現れる。
だから、釈尊はその行為に現れて来る煩悩を断ち切るように述べているのです。
業(行為)に煩悩を現さないのだから、「業のはたらきが停止した」状態であり、
身口意の三業のどこにも煩悩が現れていないから、解脱であり、悟りであり、涅槃です。
辞典の説明は当たり前の煩悩解脱(漏尽解脱)の説明です。
だから、どこにも因縁切りもカルマ解脱もありません。
自演乙さんに見てほしいのが、引用された文章は、煩悩解脱の説明にすぎず、
因縁解脱も業解脱も一言出てこないのに、
アラカンポ先生は因縁解脱が証明されたかのように錯覚している点です。

126:深山
21/03/09 21:33:27.48 LwJkgeJi.net
>>117神も仏も名無しさん2021/03/09(火) 14:15:05.47ID:UdS21i9x
>岩波仏教辞典の「滅」の説明→「苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟りの境地である涅槃」と、ある。
私が彼の引用に対して125のような説明するのは初めてではありません。
何度も何度も説明しても、アラカンポ先生は読まない、理解できない、記憶できない。
そして、同じ意味不明の主張をして、いかにも自説の根拠を
得たかのように錯覚して、「素直に受け取ることです」とお説教する。
これを彼は十年以上も繰り返している。
彼は現実世界でも、何年でも自説を唱え続けるから周囲はウンザリして黙る。
すると彼は自分が勝利したと錯覚する。
アラカンポ先生は恥知らずだから、負けを知らないのです。
自演乙さんも、阿含宗の掛け声の「必ず勝つ!」と叫んで、
アラカンポ先生のように負け知らずの恥知らずになりたいのですか。

127:神も仏も名無しさん
21/03/09 21:37:09.72 /sYYa+89.net
>>121
いえいえ深山さんとユビキタスさんが気に食わない、いつもボコられる
ってんで、悔しくてマメにここに投稿されるあなたには負けますからw
たまに覗くと、あいかわらず進歩のない投稿して深山さんとユビキタスさんに
叩かれて・・・バカじゃないのと、あまりにバカすぎて腹も立ちますわwww
30分以上の瞑想座禅しようともこれじゃあ〜
妄想と瞑想は別物ですよ 妄想で議論してもそりゃボコボコにされますわw


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