【テーラワーダ仏教】 ..
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72:桃太郎
20/12/20 17:39:53.83 Pr6ZDDp6.net
話は変わりますが、
一切衆生の生命には「仏界」の生命もあれば「地獄界」の生命もある。
すなわち十界の生命は凡夫であろうと仏であろうと等しく胸中にあるものです。
そのなかでも「修羅界」と言うのは「善悪に通ずる」と言われています。
人の不幸の上に、自分の幸せを築くことや、「勝他の念」にとらわれることは「悪」に通じますが
仏や菩薩の、衆生を不幸にする「悪」に対する怒りは、「善」に通じることになるのです。
真の菩薩が「悪」を見て傍観することはありません。
悪に対して徹して戦うのが勇気ある真の菩薩です。
それに対してインチキ菩薩は、慈悲と寛容を説いて、戦うことを放棄し傍観します。
つまり、寛容の裏返しは「臆病」だと言うことです。
魯迅は仏法者ではありませんが、鋭くその点を突いてると思います。
時代を動かし、多くの民衆に支持されたこうした先哲の言葉は、
仏法者であろうと無かろうと、とても価値あるものです。
仏教だからといって仏教以外の教えを排除する必要はまったくありません。
仏法者(菩薩)は仏の教えを広く一切衆生に知らしめて救済するのが目的なので
その国の風習、文化、思想を深く吸収しながら、時の衆生の機根に応じて法を説くことが大切となります。
ゆえ、誰もが納得出来る思想や哲学は進んで学んで応用することが大事なのです。

73:分陀利華(白蓮華)
20/12/20 18:01:54.23 FTEXkMsP.net
>>72
ではそんなあなたにおすすめのスレ
傍観せずギッタンギッタンにしてやりなさい
スレリンク(psy板)

74:神も仏も名無しさん
20/12/20 18:02:32.41 bzEPL7wa.net
自分のことや自分の好んでることや自分の行為を好きなようだしそういう人には何言ってもしょうがないね
自分教

75:神も仏も名無しさん
20/12/21 21:32:30.28 THqnO6/x.net
>>979
それらは恐らく境地や
ある人間の心のレベルを表現したものかな
と思います
もしかすると転生と関連して
実際にパラレルワールドとして
存在するかもわかりませんが
確かめようがありません
存在を実感させるような体験も
瞑想の途中でないわけではありませんが
ただの幻 自分の願望や恐れが表出したもの
魔境 マーラと捉えることもできます
幻のような体験や
仏典に厳密に記されている瞑想の体験
色々体験はありますが
重要なのは体験自体ではなく
体験後少し経った時に自分の認識に
どのような影響が残るかです
また瞑想をやめず続ける限り
どうでも良い影響は勝手に薄れ消えていきます
たまには色んな界と自分の心の状態を
照らし合わせたりすると
発見や気づきがあるかもしれませんよ

76:神も仏も名無しさん
20/12/21 22:26:29.40 LzBMsVwR.net
見解が無くなるのが、預流果の立場なので、どんな見解であれ、ハマってるのであれば
それは、テーラワーダの悟りではないね。法華経が一番と言うのももろに見解だしね。
見解を作ってしまえばシステム内に矛盾が生じると言うゲーデルの不完全性定理を
お釈迦様は紀元前5世紀にすでに知ってたんだね。

77:神も仏も名無しさん
20/12/21 22:47:54.19 LzBMsVwR.net
だから、桃太郎氏がこの板に来ても、本来ならこちらから何も言うことないのよ。
ああ、そういう見解をお持ちなんですねで終わり。

78:神も仏も名無しさん
20/12/21 22:55:15.10 LzBMsVwR.net
テーラワーダに対してなんか、ちんぷんかんぷんな間違った誤解をしてるから、教えてあげようとは
思うけど、菩薩こそが、大衆こそがとか、何を言っとるんや?と言うような事ばかり
言ってゴリ押ししてくるから、面倒くさいよ。

79:神も仏も名無しさん
20/12/22 01:03:25.57 YFV56Aup.net
特定非営利活動法人
マインドフルネス総合研究所
☆ 初期仏教はダルマ(法)を実体化し、社会的問題の
応用をしないと大乗仏教から批判された(竹村牧男氏「唯識の構造」春秋社)
URLリンク(mindfulness.jp)

80:神も仏も名無しさん
20/12/22 07:52:23.03 hYtllXSf.net
そもそも、世間とか、一般社会人とか何なんですか?頭の中に有る妄想ですよ?
自分が治まればこの世の中のすべてがピタリと治まるんです。
元々の初期仏教はそういう形なんだから、それが嫌なら大乗なり、
キリスト教なりへ行けば良いんですよ。

81:桃太郎
20/12/23 00:39:19.41 Vpi6ovLH.net
>>80
>そもそも、世間とか、一般社会人とか何なんですか?頭の中に有る妄想ですよ?
>自分が治まればこの世の中のすべてがピタリと治まるんです。
唯識論としか思えないんだけど。
これってテラワダの教えなんですか?
テラワダ諸君はみんな同じ事考えているの?

82:神も仏も名無しさん
20/12/23 01:19:12.20 W9JK9vaM.net
実践してみればわかること
金もかからず誰でもどこでもできるのだから一日一時間でも30分でもやってみたらいい
しかし実践しようと思えるかどうかも業と縁だね
縁なき衆生は実践しようと思うことができない
ただ自分の五感に好ましい道ばかり選んでしまう

83:桃太郎
20/12/23 01:51:21.92 Vpi6ovLH.net
>>82
「テラワダ諸君はみんな同じ事(同じ見解)考えているの? 」
と聞いているんです。話を逸らさないで下さい。
あなたはテラワダ信者じゃ無いんですか?

84:神も仏も名無しさん
20/12/23 12:56:35.84 /jOv02cG.net
テーラワーダは物質の存在を認めているので唯識論では無いと思います。
出世間的に言えば、我々の構成要素は名(精神エネルギー)と色(物質エネルギー)
だけであると、教えられています。
もっとも、物質エネルギーも地水火風とか言う要素に分類するんですが。
>>80で言ったことは、預流果以上の人間になら理解してもらえると思います。

85:桃太郎
20/12/23 16:58:12.13 2Gw8szUu.net
>>84
>預流果以上の人間になら理解してもらえると思います。
うーん、曖昧な答えだね。
もう少しハッキリさせましょうか。
つまり、「預流果以上の人間」なら
>世間とか、一般社会人とか...頭の中に有る妄想
※実体を否定しているので完全な唯識論ですよね。
>自分が治まればこの世の中のすべてがピタリと治まるんです。
※これは、自分以外を妄想の世界とするから、成り立つ論法ですよね。
以上の事が「預流果以上」になれば、>>80 の見解は正しいと理解出来ると言うわけですね。
一方では唯識論を否定しているけど、「預流果以上」になれば、そうでは無くなるという事ですか?
それとも、>>80 の見解はテラワダの教えとは乖離していると思われますか?

86:神も仏も名無しさん
20/12/23 17:06:59.92 pVuaeJ5M.net
あんまりぶっ飛びすぎる方向だと
ちょっととっつきにくいかもしれません
この辺は言葉にすると微妙な印象の違いを
産むかもしれませんね 難しいです
どっちかっていうと
妄想だ!価値が無いんだ!
というよりそういう物事について
考えようという気力がなくなるというか
積極的に考えるような習慣がなくなるというか
いや これも正確ではないかもしれない
何かに触れてググっと揺れ動くことはあるけれど
それがすぐに消えてしまうというか
嫌なこと良いことがあってもそれを
強く記憶に留めておく能力が
無くなってしまったというか
正に炎に喩えられるのがよくわかる気がします
あくまで私の場合ですけどね
個人差は結構あるとは思いますが
猫が車に轢かれる瞬間は流石に あっ
となりますが
轢かれた死体を凝縮するのは
全く問題なかったり
その時見たっきりで
後から思い出すようなこともまずない
かと思うと映画の悪役を見ていて
その苦しみを感じてこの人も一緒に
瞑想できたら良いのにな と思ったり
うーん 書いてて意味不明w

87:神も仏も名無しさん
20/12/23 18:39:10.44 /jOv02cG.net
>>85
実体だと思ってることが実は妄想でしかなかったと発見するわけですよ。
ピタリと治まるとか、そこら辺は、実際に自分で瞑想して体験するしかないです。
瞑想の妙味みたいな感じです。
禅でも同じようなこと言ってると思うんですけどね。

88:神も仏も名無しさん
20/12/23 18:53:17.07 YsoRgixv.net
簡単に言えば世界の中に自分がいるんじゃなくて自分の認識上に自分も他人も世界も在る(生じ滅し関係性の中で在るとみなされているだけで実際は在るでも無いでもない)
預流果で自分が心と身体であるという錯覚(有身見)が断たれる
世界も他人もそれまでの自分も心と身体上の知覚に現われていたものに過ぎずそれらがただの認識上に現われているもの(同じように生じ消えるだけの無常なもの)になる
自分だろうが他人だろうが世界だろうが見解も感覚も思いもみな現われているもの一切全てがただ生じてるものに過ぎなくなるのでそれらに執着することも捉われることもできなくなっていく
預流果の先に進めば認識者という自分もまたなくなっていく(心身でない認識である自分というものもまた現われているものだから)
言葉にすれば唯識と同じ表現になる部分もあるし細かく言えば違う部分もある
より進んだ境地に関してはテーラワーダの中でも意見が分かれるものもある
唯識でなくとも禅でも浄土系でも方便は違えど共通する部分はある
自分は存在せず、修行している行為者ですらないということ
テーラワーダの教理は本を読めばいくらでも書いてあるから言語上の説明なら本を読めばいいし、例え本を読んだところで預流果に至らなければそれがどういうことかは理解はできない
このような説明もせいぜいただの言語理解にしかならないし知りたければ自分で実践するしかない

89:神も仏も名無しさん
20/12/23 18:58:43.30 YsoRgixv.net
宗派の違いに目がいく人はむしろ違うそれぞれの宗派の中に共通するものを熟考したらいい
表現や方便が違うだけで同じものが見つかるし、その視点に立てば表現の違いや方便の意味合いもまたわかる

90:神も仏も名無しさん
20/12/23 19:11:00.03 +OCsTtHi.net
>>87
テーラワーダでは実体だと思っていたものは施設(仮設)に過ぎず、勝義において真に存在するものを色、心、心所、無為(涅槃)の四つに大別し、
それらを細かく分別すれば全部で心89、心所52、色28、涅槃1の法数になると説明します。
真に実在すると言ってもそれらの法は刹那滅であり、今現在という一刹那(色と心では刹那の長さは違いますが)にしか現れません。
刹那滅で実在するものが移り変わっていくので無常であるということになります。
大乗仏教では部派仏教で実在するとされたそれらの法も縁起に依って生じたもので、実体(本質、自性)はないとされます。

91:神も仏も名無しさん
20/12/24 23:53:14.51 1dUsR1db.net
【第二十三章 自己】@『感興のことば(説一切有部ウダーナヴァルガ)』
1.よく説かれたことを実行せよ。ーー修行者に仕え尊敬すること、人々からかくれて独りで坐し、心を静めることをーー。
2.ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、自分ひとりを楽しめ。つねにひとりで林の中に住め。
3.戦場において百万人の敵に勝つとも、唯一つの自己に克つ者こそ、実に不敗の勝利者である。
4.5.自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。つねに行ないをつつしみ、自己をととのえている人、
ーーこのように明らかな知慧ある修行僧の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神々も、なし得ない。ガンダルヴァ(天の音楽神)たちも、悪魔も、梵天もなし得ない。
6.先ず自分の身を正しくせよ。次いで他人に教えよ。
7.先ず自己を正しくととのえ、次いで他人に教えよ。賢明な人は煩わされ悩むことが無いであろうから。
8.自分が他人に教えるとおりに自分でも行なえ。わたしは常にわが身をよくととのえている。自分というものは、まことに制し難いものである。
9.自分が他人に教えるとおりに自分でも行なえ。わたしはつねにわが身をよくととのえている。賢者は自分の身をととのえているからである。
10.たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。自分の最高の目的を知って、自分のつとめに専念せよ。
11.この世では自己こそ自分の主(あるじ)である。他人がどうして(自分の)主であろうか?賢者は、自分の身をよくととのえて、(自分の)主となり得る。
12.この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?賢者は、自分の身をよくととのえて、(自分の)目的を達成する。
以下26まで続く

92:神も仏も名無しさん
20/12/25 03:42:02.35 hrCi0fXd.net
仏教の小話で
「悪口を言われたら、わたしのことを語ってくれてありがとうと思います
殴られたら、殴ってくれてありがとうと思います
殺されたら、私を殺してくれたことに感謝します」
みたいな釈迦の弟子の話があったと思うんだけど
その弟子の名前を知ってる人いたら教えてください

93:神も仏も名無しさん
20/12/25 18:25:41.87 G73inSly.net
>>91
これは普通の人が読むと生活の仕方とか
心構えのように感じるかもしれないけど
実際に瞑想修行に入るとわかるんだけど
要は気合入れて瞑想しろ
ってことなんだよね
瞑想以外はほっとけ
瞑想に邪魔になるようなもの
考えを遠ざけよ
私または阿羅漢のいうことをよく聞いて
お前も早くこっちにこい
その時にはこの価値を知り勝利を理解するだろう
たぶんこんな感じ

94:神も仏も名無しさん
20/12/25 18:57:24.11 nFb7hI99.net
釈迦入滅直後(翌年との説も)、阿羅漢たちが集った第1結集で釈迦の教えが纏められた。
それが原始経典・阿含経です。
これは現代文献学上での、世界の仏教学者の常識である。法華経などは釈迦入滅後、五百年もしてから創作された、偽仏教なのです。

95:神も仏も名無しさん
20/12/25 19:04:27.85 nFb7hI99.net
文献学というのは、真実を追求する学問です。関ヶ原の戦いを記した古文書に、坂本龍馬が登場して活躍してたらおかしいよね。学者たちの、そういう真実に迫るのが文献学です。その文献学で、法華経は後世の人たちが創作した、偽仏教だと、判定されているのです。

96:神も仏も名無しさん
20/12/25 19:12:28.88 nFb7hI99.net
法句経・ダンマパダの引用、ご苦労さま。
いつ耳にしても、身に沁みるね。

97:神も仏も名無しさん
20/12/25 19:21:03.06 dMpxdzEc.net
阿含経より、般若経や法華経の方が
遥かに深い教えと思う。
どちらが如来の真実を述べているかは、
明らか。テーラワーダで苦しみを
無くすことはできても、生きる
喜びに包まれることはないでしょう。
お釈迦様ならどちらを選ぶかも明らか。

98:神も仏も名無しさん
20/12/25 22:11:24.48 G+i9AfL8.net
>>97
確かに遥かに深く偉大な教えだと思うんです
ですが私が思うにそれを達成した人はいないし
いたとしても平凡な悟りに達した人よりも
遥かに少数でしょう
例えば大事な人が亡くなった場合
いわゆるこちら側の仏教ではどう受け止めるのか
瞑想により克服した場合どうなるのか
実感するなり理解するなりで答えはあります
大乗仏教ではどうなのでしょうか?
死と生が同時に存在しているので
悲しむ気が起きないとか?
生きる喜びに溢れているので
よかったね 死んでも幸せだわーとか?
それとも悲しんでいる自分を俯瞰的に見て
悲しんでるのも素晴らしい生の証拠だーとか?
決して嫌味で言っているわけではないんですが
どうもイメージが湧きません
もし参考になることがあれば教えていただけますか?

99:瑠璃色の光
20/12/25 23:15:05.85 milkpAe2.net
「(悟りまで)遠い道がいわゆる六波羅蜜の菩薩道である。(悟りに)近い道はいわゆる三十七菩提道である。
六波羅蜜の中には布施や持戒などが夾雑するので(悟りまで)遠い。三十七菩提分法にはただ禅定と智慧があるので(悟りに)近い。
六波羅蜜は世間と出世間が夾雑するので(悟りまで)遠い。三十七菩提分法や三解脱門などは大慈大悲に至るまで絶対に清浄なので(悟りに)近い」
(大智度論)
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
98頁

100:瑠璃色の光
20/12/25 23:22:42.63 milkpAe2.net
部派仏教では瞑想は悟って涅槃に至るための修行
大乗仏教では瞑想はその神秘的体験で無分別智を得て完全な慈善(与える人、与えられる人、与えるものや行為を意識しない慈善)を行うためのもの

101:神も仏も名無しさん
20/12/26 00:28:43.11 NCOyWu3n.net
>>98
テーラワーダを信仰すると
あなたのような言葉遣いになるの
でしょうね。残念なことです。
今からでも遅くありません。
悔い改めた方が良いと思いますよ。

102:神も仏も名無しさん
20/12/26 17:05:04.73 Gf7dHDFv.net
>>101
すみません
自分で読み返してみました
最初はどこの表現が悪かったのか
わかりませんでしたが
何度も読むと
>死んでも幸せだわーとか?
ここの辺りの表現のような気がしてきました
もしそうなら謝罪いたします
ですがこれはからかう意図での表現ではありません
そちら側の生の喜び幸せに満ち溢れてる
イメージを自分で想像してみたときに
こう 何というか全てを受け入れて
伸び伸びというか
超越した感じを想像した結果の表現でした
ですがよく考えると質問の内容自体が
意地悪だったかなと思います
返答は結構です
ありがとうございました

103:神も仏も名無しさん
20/12/26 18:36:45.73 B40UbZ5m.net
般若経や法華経は、釈迦の教えではなくて、後世の人たちが釈迦の名を語って、適当なことを語った代物です。
阿含経よりも般若経や法華経の教えが優れて深いということは、釈迦よりも凡人の考えが優れているという考えです。それでいいの?

104:神も仏も名無しさん
20/12/26 19:15:18.83 NCOyWu3n.net
>>103
般若経や法華経は凡人が書いたもの
というのは何を根拠にしていますか。

105:桃太郎
20/12/27 00:23:13.85 6eU24R+D.net
>>102
私の主観となりますが、言葉遣いにそんなに問題は無かったように思えますよ。
私なんか、「テラワダなど修行しても何の価値も無い」と断言しているぐらいですから
それに比べれば、あなたは、まだマシな方ですよ。(笑
ただ、気になることはあります。それは
>私が思うにそれを達成した人はいないし
>平凡な悟りに達した人よりも遥かに少数でしょう
「平凡な悟り」って何でしょう?
「遙かに少数」ってあなたの個人的な主観であり統計をとったわけではありませんよね。
というか、統計を取りようが無いのですけど。(笑
また何をもって「達成したと」か「達成して無い」と言われるんでしょうか?
そもそも仏法とは、精進行でありゴールは無いのです。
例えば、飛行機が離陸するときは大変なエネルギーが必要ですが、一度大空に舞い上がってしまうと
悠々と雲の上を飛行して自在にどこへでも行けるのです。これが仏の境涯です。
しかし、だからといってエンジンを止めてしまったら墜落してしまうのは道理ですね。
地球も月も太陽も止まってしまったら「死」です。
法華経「自我偈」に「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」とあります。
※『毎(つね)に自らこの念を作(な)さく何を以(も)ってか衆生をして 無上道に入り 速(すみや)かに 仏身を成就することを得せしめんと』
<通解>
私(釈尊)は常にこのことを念じている。
すなわち、どのようにすれば、衆生を、無上の道に入らせ、速かに仏身を成就させることができるだろうか、と。
このように仏も慈悲の活動を永遠に止めることはありません。
小乗教のように「阿羅漢」に登りつめ「灰身滅智」して「ハイ終わりさようなら!」と言うのは方便の世界なのです。

106:桃太郎
20/12/27 00:40:10.14 6eU24R+D.net
>>91
説一切有部で説く「自性」は、龍樹の(中論)「無自性」を説く「縁起の法」によって反論否定されているけど
テラワダの教えはどちらの主張を採用しているのだろうか?
やはり、>>80 の唯識派を支持しているところをみると「説一切有部」寄りなのかな?

107:神も仏も名無しさん
20/12/27 03:33:21.98 Km4ixu/5.net
>>105
達成した人という私のイメージは
大乗仏教を体現した人という意味です
大乗は生の喜びに
満ち溢れているということだったので
例え自分の子供を不注意で死なせてしまっても
私たち側には理解できないような
一般の仏教に関わりがない人とは違う
そういう克服法や境地があるはずです
悟りに達して克服するのは簡単ですが
そういう克服方法なら瞑想など遥かに超えた
難しさがあるのではないか という意味です
ちょっと混乱してきましたよ
楽しんだり悲しんだりということを繰り返し
衆生は永久に完全に救われるということはない
菩薩というエリートが助け続ける
そういう関係が未来永劫続く
しかしそれは生の喜びに満ち溢れた状態である
そして(架空の)釈迦は衆生をこれ以上無い
素晴らしい状態にすることを考えている と
ということは菩薩と釈迦の作戦によって
成長し切った人は
既に何人かはいるということですよね?
実際に地上に現れたお釈迦様ではなく
それよりも遥か昔に作戦を立てた訳ですから
流石に1人もいないということはないでしょう
もしそうなら全く役に立たない実力が無い
そういうことになってしまいますから

108:神も仏も名無しさん
20/12/27 06:08:21.91 AqtmOqn3.net
言葉の捉え方が表層的ですね。
大切な我が子を過ちで死なせたら、
悲しむのは当たり前でしょう。
こういうときに喜ぶ人はいません。
生きる喜びの意味を捉え損ねている
ようですね。テーラワーダの教えに
囚われているからそうなるのです。
大乗を生きている大勢の人達は、
悲しみます。悲しみそのものに
なります。敢えて言うなら、
それが大乗を生きるということです。
そしてそれを含めて喜びと
観ているのです。

109:桃太郎
20/12/27 09:34:25.83 6eU24R+D.net
>>107
法華経に於いては、一切衆生の胸中の「仏界」認めているので、仏法者だからといって
特別な人間ではありません。どっちが「偉い」とか「格が上」だとかいうのもありません。
まず、そういう事を主張するような人間は仏法がよく分かっていないインチキ仏法者です。
本当の仏法者は不軽菩薩(釈尊の過去世における修行の姿)のような菩薩です。
彼は会う人全てに対して、
「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」(法華経557n)
という二十四文字の法華経を説きました。
本当に偉大な人間は、仏法者である、無いにかかわらず「衆生を愛し守る」という働きをします。
この様な方々を「菩薩」と言うのです。なので、「エリート」という表現はちょっと違うような気がします。
悲しみについてですが、仏ですら悲しみはあります。
なぜなら、仏だろうが凡夫だろうが同じ生命なんですから、当たり前のことですね。
悲しまない仏がいたら、それもインチキ仏です。
釈尊は自分より年上であった最愛の弟子である「舎利弗」の死を大変悲しみました。
母親が亡くなった子どもをいつまでも忘れないように
法華経ではすでにこの世にいない舎利弗に対して法を説いており仏の記別さえ与えています。
まさにドラマのようですね。
方便品第ニ
「爾(そ)の時に世尊、三昧より安詳(あんじょう)として起って、舎利弗に告げたまわく、諸仏の智慧は甚深無量(じんじんむりょう)なり。
其(そ)の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞・辟支仏(ひゃくしぶつ)の知ること能(あた)わざる所なり。」
「舎利弗、吾成仏してより已来、種々の因縁・種々の譬喩をもって、広く言教を演べ、無数の方便をもって、衆生を引導して諸の著を離れしむ。
所以は何ん、如来は方便・知見波羅蜜皆已に具足せり。」
等々

110:神も仏も名無しさん
20/12/27 17:14:25.36 ZLHc7hzH.net
> 比丘たちよ、〔サーリプッタとモッガッラーナという〕弟子たちの希有なることよ。
> 比丘たちよ、〔サーリプッタとモッガッラーナという〕弟子たちの未曾有なることよ。
>
> 彼らが師の教説の成し手たち、教誡による対治ある者たちとなっていれば、四衆によって可愛、可意の、尊重、尊敬されるべき者たちとなっていたことでしょう〔から〕。
>
> 比丘たちよ、如来の希有なることよ。比丘たちよ、如来の未曾有なることよ。
>
> かくのごとくの弟子二人組が般涅槃しても、如来に愁憂も悲泣もないのです〔から〕。
>
> 比丘たちよ、どうしてここに、それ(死別しないこと)が得られるでしょうか。
>
> およそ、生じ、存在し、為作されたもの、それは壊敗の性質のものであって、『それは壊れるなかれ』といっても、
そのような道理は存在しません。

111:神も仏も名無しさん
20/12/27 17:30:48.15 jnsz41UV.net
たくさん答えて頂いて感謝します
ということはですよ
特別に宗教や信仰を持たない
普通の人が困難に向き合ったり
家族や友人の支えで立ち直ったり
まあ例えばキリスト教でいうと
困難も神の思し召しと捉えて
克服するのとあんまり変わりがない
そう捉えていいのでしょうか?
例えば南無妙法蓮華経の場合は
いや 違う 同じように見えるが
克服の度合いが天と地ほどの違いがあるんだ
ここが決定的に違うんだ
そういうことはありますか?

112:桃太郎
20/12/27 21:20:27.62 6eU24R+D.net
>>111
「一切の法は皆是れ仏法なり」です。
また、日蓮大聖人は「智者とは世間の法より外(ほか)に仏法を行(おこなわ)ず」と仰せです。
智者とは、世間の法から外には出ない。真の宗教は、社会の真っ只中で勝ちゆく源泉なのです。
世界的な経済学者のサロー博士は言います。
「宗教は、社会の向上のために活動する使命がある。社会を離れて宗教はない。社会に対して何の貢献もせず、
聖職者が供養を貪(むさぼる)るならば、懶惰懈怠(らんだけたい)の姿と言わざるを得ません。」
世俗を離れ社会の悪に目を背け、苦悩する人々の救済を放棄し、
もっぱら自身の安穏と幸福のみ追求する宗教は金儲け主義のインチキ宗教です。
>困難も神の思し召しと捉えて克服するのとあんまり変わりがない
宗教によって様々なとらえ方はあるでしょうが、「神の思し召し」を「自分が人間的に成長できる試練」と捉えれば良いのではないでしょうか?
要は人生に起こる困難から逃避するのでは無く「宿命」を「使命」として捉えれば、それを克服したときに、多くの人々に希望を与えることが出来ます。
実際、そのような方々はいろんなメディアで紹介され、真っ暗に沈んだ心の闇に勇気と希望の光を送り続けています。彼らもまた「菩薩」と言えるでしょうね。
>南無妙法蓮華経の場合は ...天と地ほどの違いがあるんだ
私は日蓮仏法を信仰する創価学会員なので、あえて「その通りである」と言いましょう。
しかし、あなたには信じてもらえないでしょうね。(笑

113:桃太郎
20/12/27 21:20:57.51 6eU24R+D.net
その理由は、末法の法華経たる日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」の功徳が言語を絶するほど絶大だからです。
法華経はもともと、末法の「本未有善」の衆生(過去世に仏縁の無い衆生)を救済する為に説かれた法門です。
過去世に仏縁のあった衆生は釈尊の法華経(法華経二十八品)によって悉く救済されました。
ゆえに、現代に於いては釈迦の法華経では無く、「南無妙法蓮華経」を修行することになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」
※つまり、釈尊自身が行ってきた、様々な修行の功徳は「南無妙法蓮華経」の中にすべて収まっていると言うことです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
この経の信心と申すは少しも私なく経文の如くに人の言用ひず法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ、
仏に成り候事は別の様は候はず、南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申し候へば天然と三十二相八十種好を備うるなり、
如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり(新池御書)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ある人が私に問い、次のように言った。
世間の在家・出家の人が、それほど法華経の意義が分からなくても...法華経に向かい奉って合掌礼拝し、
...あるいは以上のように行ずることがない人でも他人が法華経を行ずるのを見て、わずかでも随喜する心を起こし、国中に法華経の弘まることを喜ぶ。
こうしたわずかなことによって世間の罪にも引かれず、法華経の功徳に引かれて、たとえば小乗教の初果の聖者が生まれるたびに人界や天界に生まれて悪道には堕ちないように、
常に人界・天界に生を受け、終には法華経を身となって十方の浄土にも往生し、あるいはこの娑婆世界においても即身成仏するということがあるであろうか。
答えて言う。日蓮はそれほど法華経の文義をわきまえている身ではないが、法華経・涅槃経ならびに、天台大師・妙楽大師の釈の意からおしはかると、
法華経を信じていささかも謗法を起こさない人は、謗法以外の悪があったとしても、その悪が原因となって悪道に堕ちるとは思われない。
(唱法華題目抄)

114:桃太郎
20/12/27 21:45:50.68 6eU24R+D.net
つまり、簡単に言うと、今世に於いて、さほど法華経の意義を知らなくとも
一生のうちに、戯れにただの一遍でも「南無妙法蓮華経」と唱えたならば、今世のみならず、来世も三悪道に墜ちることは無いと言うことです。
さらには唱えた時点で仏縁を生命に結ぶことになるので、生まれるたびに仏法に巡りあえ最後は仏になることが確定するのです。
それほどすごい法門なのです。
このすごい法門を実践するとどうなるのかは、創価学会の公式HPをご覧になって下さい。
正直私個人の考えは、凡夫であるから、死んだ先の事などわかりません。
しかし、人々の幸福のためこの人生で何か役に立てることが出来たと言うだけで大満足です。
何もしないで後悔するより百万倍有意義な人生だと思っております。

115:神も仏も名無しさん
20/12/27 22:36:25.67 wP46vUzI.net
思う思うと思いの話ばっかりだね
思いは生じ滅するもの
無常

116:神も仏も名無しさん
20/12/27 23:20:44.94 UCGIZFKS.net
涅槃への道は、悟りと解脱が分かる人には分かる。
分からない人には、生天と福徳の道がある。
それだけのこと。
おわり

117:神も仏も名無しさん
20/12/28 07:40:33.75 2qFtHhcV.net
小乗では真の救いにはなりませんよ。
四法印は途中の真理です。
仏法は諸法実相を生きることですよ。

118:神も仏も名無しさん
20/12/28 11:07:59.83 ujcrcsff.net
仏陀が教えた直接の教えを小乗呼ばわりしている時点で、人に教える資格はない。

119:神も仏も名無しさん
20/12/28 11:08:38.44 ujcrcsff.net
サマヤ戒(大乗戒)を毀損しているので、大乗ですらない。

120:神も仏も名無しさん
20/12/28 12:24:19.29 2qFtHhcV.net
意味が全くわかりません。
テーラワーダは小乗なのですか。
小乗は歴史的に消滅した教えです。
今は存在しないと思いますよ。
消滅した小乗は仏陀の真の教え
ではありません。
仏陀の方便を曲解したものです。
もう一度書きます。
テーラワーダは小乗なのですか。

121:神も仏も名無しさん
20/12/28 12:28:34.11 ujcrcsff.net
>>120
糞みたいな屁理屈で誤魔化すんじゃないよ。

122:神も仏も名無しさん
20/12/28 12:56:58.06 2qFtHhcV.net
テーラワーダを信仰すると
そのような言葉遣いになるのですね。
とても悲しいことです。
ところで、テーラワーダは
小乗なのですか。
ご存知ないのですか。

123:神も仏も名無しさん
20/12/28 13:02:45.42 ujcrcsff.net
>>122
他の人間たちはどうだか知らないが、そういう陰険で陰湿な嫌がらせに
黙って耐えているだけの人間ばかりだと思っているなら、大間違いだぞ。
小賢しい。

124:桃太郎
20/12/28 17:01:01.14 +57vvOp9.net
小乗教ではそもそも凡夫が「仏」になれるわけがない。
だから阿羅漢の境地を目標に修行して一切の苦から逃れようとする教えです。
それに対し、大乗教は釈尊と同じように菩薩行を通じて「仏」の境涯を目指す教えです。
仏は基本的に「菩薩」です。なので「菩薩仏」と言ったりします。
つまり、菩薩行を離れて「仏」は存在しないのです。
小乗教は世の中の不幸、人の苦しみに無関心です。
ゆえに修行に於いては自分の救済のみ考えていれば良いのです。
そのような自己中心的な教えが「慈悲深い釈尊の本意であるわけが絶対に無い」としたのが大乗教です。
大乗教は、苦悩の民衆の中へあえて飛び込んで広く仏法を説き、人々の胸中にある仏の生命を覚醒させ救おうとするのです。

125:桃太郎
20/12/28 17:01:20.74 +57vvOp9.net
>>80 のレスをテラワダ信者は支持してるようです。
>そもそも、世間とか、一般社会人とか何なんですか?頭の中に有る妄想ですよ?
>自分が治まればこの世の中のすべてがピタリと治まるんです。
私は、これほど荒唐無稽な教えはないと思っております。
もし、釈尊が「自分以外は実態の無い「頭の中に有る妄想」」であると思っていたのなら、弟子は必要なかったでしょう。
膨大な教えを説く必要もなかったはずです。
なんたって、一切の煩悩を断じ尽した釈尊です。きっとその時点で「この世の中のすべてがピタリと治まった事でしょう」
釈尊を信じテラワダを信奉する側も同じです。
「自分以外は実態の無い頭の中に有る妄想」のなら、教えを説く釈尊も「頭の中に有る妄想」な筈です。
「妄想の釈尊」が説く「妄想の教え」は、なぜ「真実」と言えるのでしょうか?
ところでテラワダの教えは誰に教わったのでしょうか?スマ長老ですか?
スマ長老はあなたにとって「実態の無い頭の中に有る妄想」なのに「妄想の語る教え」がどうして真実だと断言できるのでしょうか?
自分にとって都合の良い人物や教えは妄想では無いとでも言うのでしょうか?
>>87
>実体だと思ってることが実は妄想でしかなかったと発見するわけですよ。
極論すれば「自分自身」も「思考」も妄想でしかない事になり、
>預流果以上の人間になら理解してもらえると思います。
と言っても、その悟りすらも自身の妄想と言えるのではないでしょうか。
AさんにとってはBさんが妄想、BにとってはAは妄想みたいにね。

126:桃太郎
20/12/28 17:05:37.31 +57vvOp9.net
>>106 
私の質問ですが、
どなたかテラワダを代表して答えてくれる人はいませんか?

127:神も仏も名無しさん
20/12/28 19:13:01.02 c0wE5pev.net
他人に何かを求める暇があるなら自分の修行をすすめたらいい

128:神も仏も名無しさん
20/12/29 16:16:22.57 aOKT7ndi.net
ああ
ちょっと離れた隙にまた戦いが....
ちょっと面白そうだったので
近年の日本風大乗仏教の情勢をネットで
調べてたんですが
生身のブッタの教えの理解が
書籍やネットで明らかになり
広がることで
やっぱり私が抱えていた疑問というか
スッキリしない感に終止符を打った
そういう人がかなりいるようですね
すごい時代になりましたね
もはや大乗非仏説なんかは既知の問題で
昔みたいに議論さえされていない感じです
時代は変わるもんです 感慨深いです
色々調べて考えを巡らしましたが
日本風大乗仏教のウィークポイントは
その教え通りの実践が足りないのではないかと
そういう感想を持ちました
やるならやるで 南無妙法蓮華経ならば
題目1日4時間 折伏300人
自分の収入は生活費だけ残して全て
困っている友人に渡す
功徳など眼中になく
そのような気持ちを厳しく戒める
こういう人なら道は違えど
こちらから頼んで
友人になってもらうと思います
そういう人と一度お話ししてみたいものですね

129:神も仏も名無しさん
20/12/29 21:48:49.15 1FAaB80W.net
何もわかっていない人が
大乗を語るのは謗法ですよ。
慎みましょう。

130:神も仏も名無しさん
20/12/30 06:25:51.35 LARtHaJD.net
そこら辺のボーディサッタの行みたいなのをやっている人は、ギリギリでやってるNPOの団体主さんとかにいそうだなーとなんとなく思ったことはあるな
宗教はやってるかわからないけど

131:分陀利華(白蓮華)
20/12/30 07:36:31.00 4xcC4Gyq.net
スマナサーラか
スマサラーナか
スマラナーサか
いまだにわからん

132:ポッタン師
20/12/30 07:45:18.81 OyxRPepM.net
公案の答え、が悟り、である。
バカには理解できない。
大爆笑である。

133:神も仏も名無しさん
20/12/30 08:08:59.83 nFyVcbUI.net
やはりテーラワーダでは
言葉遣いが乱れるようですね。
人との繋がりが希薄なためでしょう。
今ここに立ち返ってください。

134:神も仏も名無しさん
20/12/31 00:43:55.06 I1EuSf77.net
基本的に、大衆におもねる部派ではないからな。

135:桃太郎
20/12/31 12:27:26.01 qg4NZNwg.net
法華経の中でも、最重要の品として法華経「如来寿量品第十六」が上げられます。
いわば釈尊の出世の本懐とも呼べる箇所と言えます。その内容とは...。
−−−−−−−−−−−
法華経「如来寿量品第十六」
■大要
(「」が経文の現代語訳、◆は解説)
「従地涌出品第十五」での弥勒菩薩の質問に対して、「如来寿量品第十六」では、釈尊の真実の成道が久遠の昔であること(久遠実成)を明かし、常に娑婆世界で衆生を導いてきたと述べます。
さらに「良医病子の譬え」を通して、仏が入滅を現じるのは衆生を教え導くための方便であることを語ります。それでは内容を追ってみましょう。
◆◆◆◆
◆その時、釈尊は、菩薩や一切の大衆に告げます。
「如来が語る真実の言葉を信じ、理解しなさい」
◆再び大衆に呼び掛けます。
「如来が語る真実の言葉を信じ、理解しなさい」
◆さらに重ねて大衆に語ります。
「如来が語る真実の言葉を信じ、理解しなさい」
◆この時、菩薩や大衆は、弥勒菩薩を先頭に、合掌して仏に言います。
「どうか、如来の真実を説いてください。私たちは、仏の言葉を信じ、受持します」
◆この言葉を3度繰り返し、さらに重ねて願います。
「どうか、如来の真実を説いてください。私たちは、仏の言葉を信じ、受持します」
◆その時、釈尊は、菩薩たちが懇願を止めないことを知り、告げます。
「明らかに聴きなさい。如来の秘密、神通の力を」

136:桃太郎
20/12/31 12:28:32.03 qg4NZNwg.net
◆そして続けて語ります。
「天界、人界、修羅界の衆生は、“今の釈尊は、王宮を出て、伽耶城から遠くない道場で修行し、阿耨多羅三藐三菩提(仏の完全な覚り)を得た”(始成正覚)と思っている。
しかし私は“実に成仏してから、無量無辺百千万億那由他劫という長遠の時を経ている”(久遠実成)」
◆釈尊は本来の境地を明かします。始成正覚という仮の姿(迹)を発いて、久遠実成という真実の姿(本)を顕したので、「発迹顕本」といいます。
続いて釈尊は、“どれほど長遠の昔に成仏したか”、すなわち久遠を譬喩によって表現します。
「譬えば、ある人が、五百千万億那由他阿僧祇という無数の三千大千世界をすり砕いて細かい塵とし、その塵を持って東の方へ行き、五百千万億那由他阿僧祇という無数の国を過ぎるごとに、その塵を一粒ずつ落としていく。
このように、東へ行き、この塵を全て落とし尽くしたとする。この間に通り過ぎた世界の数は、どれほどあると思うか。その数を知ることができるだろうか」
◆弥勒菩薩たちが、釈尊に言います。
「今語られた世界の数は、無量無辺で、計算して知ることもできません。また、心の力も及びません。
一切の声聞や縁覚、そして不退の位にいる菩薩であっても知ることができず、ただ無量無辺としか言えません」
◆その時、釈尊は、菩薩や大衆に告げます。
「今まさに、はっきりと語ろう。
この多くの通り過ぎた世界、すなわち細かな塵を置いた世界も、置かなかった世界も、ことごとく、また砕いて塵とし、
その一粒の塵を一劫(劫は、計りがたい長遠な時間の単位)として数えよう。
私が成仏してから、現在に至るまでの時間は、また、これよりも百千万億那由他阿僧祇劫も多いのだ」
(ここで表現された久遠の時を、最初にすりつぶす五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界にちなんで「五百塵点劫」といいます)

137:桃太郎
20/12/31 12:29:02.31 qg4NZNwg.net
◆さらに釈尊は、如来の真実を説いていきます。
「私は、久遠の昔に成仏して以来、常に、この娑婆世界で人々に法を説き、教え導いてきた。
他の百千万億那由他阿僧祇という無数の国土でも衆生を導き、利益してきた」
◆具体的に、過去の振る舞いを述べます。
「(久遠の昔から今に至るまでの)この中間において、私は燃灯仏などのことを説き、また、涅槃に入るとも言った。このようなことは、全て方便を用いて説いたことである」
◆なぜ、方便を用いたのか。
「私は仏眼によって、衆生の信や機根が鋭いか鈍いかを明らかに見て、救うべきやり方に従って、それぞれの所において、自ら異なった名前や種々の寿命の長さを述べ、『まさに涅槃に入るだろう』と言い、種々の方便を用いて如来の真実の妙法を説き、よく衆生に歓喜の心を起こさせてきた」
「多くの衆生が、低い教えを好み、徳が薄く、煩悩の垢が重いのを見て、『若い時に出家し、初めて無上の覚りを得た』と説いた。衆生を仏道に教え導くために、方便として説くのだ」
「如来が説く教えは全て、衆生を救い覚らせるためである。
“あるいはわが身を説き、あるいは他の身を説き、あるいはわが身を示し、あるいは他の身を示し、あるいは自分の事を示し、あるいは他人の事を示す”」
「このようにして説く全ての教えは真実であって、ウソではない。その理由は何であろうか。
如来は如実(あるがまま)に三界(衆生が生死流転する現実世界)の相を知見しているからである。
生や死というが、この三界から退き去ることも、この三界に出現することもない。また世に在る者、滅度した者という区別もない。
この三界のありさまは、真実でもない。だからといって虚妄でもない。“このようである”ということもない。“このようではない”ということもない。
如来は、三界を、三界の衆生が見ているようには見ていない。如来は三界を明らかに見ていて、誤りがないのである」
「衆生には、さまざまな性質、欲求、行い、観念や判断の違いがあるから、全ての衆生に全ての善根を生じさせようと望んで、多くの因縁、譬えや言葉を用いて、さまざまに教えを説くのである。
その仏の行いは、いまだかつて瞬時も止まったことはない」(続く)

138:神も仏も名無しさん
20/12/31 19:11:21.51 LAmK6LyB.net
経典の内容が本当かどうかご自身の修行の結果でわかるまで修行がんばってくださいね

139:桃太郎
20/12/31 21:17:10.26 qg4NZNwg.net
私たちの師匠である池田名誉会長を賞賛する識者は数多くいます。
URLリンク(www.sokanet.jp)
これは日蓮大聖人の仏法が時代を超えていかに優れているかの証左だと思います。
あのガンジーですら日蓮をリスペクトし「南無妙法蓮華経」を唱えていたぐらいですからね。
ところでスマ長老又はテラワダを賞賛する世界的識者等居ますでしょうか?
私はあまり聞いたことが無いので、あれば教えて下さい。
社会悪に目を逸らし、一切衆生の幸福に無関心なテラワダ思想が
世界に受け入られるとは到底思われませんが如何?
ところで、>>125 の私の論難に誰一人答えられないのは何故ですか?

140:神も仏も名無しさん
21/01/01 01:35:38.45 Ubnr1J4U.net
インドに住んでる日本のお坊さんが
今では大乗が小乗になり恥じるべき
小乗が大乗になってるのを目の当たりしてる
それをYouTubeで見るとささるものがある

141:神も仏も名無しさん
21/01/01 19:26:07.56 OMrSdpe5.net
>>139
ちょっと挑戦してみますね
>釈尊が「自分以外は実態の無い「頭の中に有る妄想」」であると思っていたのなら、弟子は必要なかったでしょう。
自分自身も妄想です
その通りです ですから伝承ではギリギリのところ
まで いやーどうせ教えても無駄だわ
わかりっこないもん
そう思ってためらっておられたのです
ですから気まぐれで
やっぱりもう満足したから 疲れたから
このまま死のう という可能性もかなりあったと思います
> 膨大な教えを説く必要もなかったはずです。
膨大な教えなど説いていません
少なくとも後のお釈迦様のことを慕って創作された
仏教文学は除外してお考え下さい
> 「自分以外は実態の無い頭の中に有る妄想」のなら、教えを説く釈尊も「頭の中に有る妄想」な筈です。
> 「妄想の釈尊」が説く「妄想の教え」は、なぜ「真実」と言えるのでしょうか?
自分自身も妄想なのです
全ては妄想なら価値や効果がないでは無いか
そういうことでしょうか?
妄想の中で妄想を使い色々試してみた結果
妄想であることに気づき 妄想から脱した
その結果 二度と同じような妄想に巻き込まれず
しかも妄想を自由自在に扱えるようになった
そういうことですね
それを良く表す言葉が
川を渡り終えたら船を捨てろ(意訳)
ということです
渡り終えた者には既に教義や戒律や修行を達成した
という想いも無意味だということです
そこまで来て初めて本当に妄想だったと実感します

142:神も仏も名無しさん
21/01/01 19:28:17.83 OMrSdpe5.net
続き
何故このようなことが言えるかというと
無我を実感(これもある意味妄想ですが)した瞬間
多くの価値観が死滅してしまうんです
どんな価値観も理論も意見も考えも
全て自分は存在しているという
議論することも疑うことさえもない大前提
それが崩れたとき多くのものが色を失ってしまいます
楽しんだり苦しんだり
色々人間らしい一生を送ってきたある日
生まれて初めて病院でMRI検査をして
皮膚の内側が全部機械であり
何処にも生身の脳などは無いと知ってしまった時
親と仲が悪いとか 明日は好きな子に会えるとか
明日は誕生日だとか 将来何になりたいとか
そういうものが一気に消し飛んでしまいます
微妙に違うんですが一般の方に
感覚を理解してもらうのはこの程度の例えが限界です
瞑想を通じて体験した場合には絶望や悲壮感ではなく
何故か安心して背負っていたものが一気に無くなる
喜びが湧いてくる ということになります

143:神も仏も名無しさん
21/01/01 19:31:02.62 OMrSdpe5.net
続き
> ところでテラワダの教えは誰に教わったのでしょうか?スマ長老ですか?
本質的には仏典です そして極端にいうならば
無我無常一切皆苦縁起 この辺りのキーワード
をぼんやりとでもいいので頭に入れれば
あとは瞑想で自動的に到達するシステムです
> と言っても、その悟りすらも自身の妄想と言えるのではないでしょうか。
その通りです 特に最初の体験などは嬉しくて
色々考えたり自分を褒めたりします
ですがそれも通り過ぎて
そういう妄想も次第にするようなことは無くなり
ただただ以前の自分とは異なった反応だけが残ります
その反応を自分で確認すれば妄想で
放っておけばただの現象となります
ペーストをミスって三つに別れちゃいました
字が小さくて目が疲れてきた....

144:桃太郎
21/01/01 20:51:41.61 A6WRrQQ6.net
>>141
真摯な回答ありがとうございます。
ついでに >>106 については、どう思われますか?

145:神も仏も名無しさん
21/01/02 05:14:46.93 2aJwHdHj.net
> 自性[1]は、物それ自体の独自の本性[2]、もの・ことが常に同一性と固有性とを保ち続け、それ自身で存在するという本体、もしくは独立し孤立している実体のこと[3]。根本的な性質、存在の本質を表す
>>84>>90あたりはテーラワーダでよく聞く話で
一時的(無常)でないものとして、法則(法)と涅槃が挙げられるのは聞いたことがあり
物質(色)や心(名)に関しては一時的にその形をしているもので、また変化するもの
と話していたような気がしました
物質も無常で、変化するものという考え方をしていたように思いました
(自分は141ではないですが)

146:神も仏も名無しさん
21/01/02 19:33:05.16 dUWkeWDl.net
>>144
正直言いまして
この手の話題は全く不要の戯論だと考えてきました
恐らく論理的に納得しないと
瞑想に入れない弟子のため
または論争相手を負かすための論法として
発達したのではないかと思います
これは勝手な想像ですけど
ですから気になったことも答えを探そうと
考えたこともありません
ですが具体的な例を出して
例えば目の前に猫がいて目に映った場合
中論では〜あなたは〜
のように設問を立ててもらうと
凄く答えやすいです
ですが恐らく私の場合は
私の認識の及ぶ範囲しか知覚できないので
それを超えた遅いもの早いもの
それを超えた大きなもの小さなもの
それを超えた無限の極に関する議論
そういう話はわからない
そうなると思います
ただ昔にテーラワーダは説一切有部を
否定するために発展?苦心?してきたような
ものだという記述をネットで読んだ記憶があり
ネットで見つかるのではないかと思います
ただ読んだ時もあまり意味が分かりませんでしたし
もう一度読んでも正論なのか
言い訳で弱みがあるのか
全く判断がつきません
もしかしたら少し関係あるかも?
という議論として
大乗経典を読誦してある種の悟り体験をした人
非二元 アドヴァイタ ノンデュアリティ
である種の悟り体験をした人
その方達の特徴的な意見として
視界に写っている景色は見ている時にだけ存在して
視界を外した途端に実際の物質としても消失する
というのがありました
今の私の段階では目がありそこに物質が映って
初めて景色という意識が展開するという体験と
認識ですので
物質は見ていない時でも存在するんじゃないの?
と思っています
説一切有部の話はもっと細かい話で関係ないような
気もしてきた...

147:神も仏も名無しさん
21/01/02 19:55:23.61 dUWkeWDl.net
続き
ですが答えは全くもって分かりません
最新の素粒子理論などを見ていると
空間は粒子で満たされており
手が空間を移動しているのでは無く
手というエネルギーが
次々と充満した粒子に伝わり
粒子が手に変化している
という話もあります
学術的な言い回しでなく申し訳ないですが
何となく意味はわかるかと
そのうち自性に関する議論にも
決着がつくかもしれませんね


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