【テーラワーダ仏教】 ..
2:*南*無*妙*法*蓮*華*経*
20/12/13 19:25:32.30 Jp3PmS3L.net
小乗仏教は劣った仏教
3:神も仏も名無しさん
20/12/13 19:27:49.38 sLqRdAUX.net
快楽主義や耽美主義、恋愛至上主義も思想であり、ハーレムを作りたいとか、性的快楽の極限を味わってみたいとか、プレイボーイ的な人生を歩みたいと考えるのも論理的でしょう。
4:神も仏も名無しさん
20/12/13 19:28:04.33 vpfOgYYU.net
みなそれぞれの道を歩けばいい
そうとしかできないのだから
5:神も仏も名無しさん
20/12/13 20:06:10.77 1xMOXzOC.net
029-843-2121
6:神も仏も名無しさん
20/12/13 23:15:07.20 8dzPyeyv.net
URLリンク(i.imgur.com) 了 7699
URLリンク(archive.is) 了
URLリンク(i.imgur.com) 了 1657
URLリンク(archive.is)
URLリンク(archive.is)
7:神も仏も名無しさん
20/12/14 05:29:20.80 SktlLoI1.net
質問です!
スリランカでは、仏像を拝んだり飾ったりと
いったことは全然やらないのですか?
初見参
8:神も仏も名無しさん
20/12/14 15:56:17.34 8Jeur5Ri.net
>>2 劣った仏教
そう思ってるお前が劣ってる
9:神も仏も名無しさん
20/12/14 15:57:33.41 8Jeur5Ri.net
>>7
知らんが、自分でググれ‼
10:神も仏も名無しさん
20/12/14 19:01:27.81 FSfxhuXL.net
なんとなく、普通にあるんじゃない<仏像
個人で、小さなお釈迦様の彫り物を家に置いている人とかもいるだろうし
11:神も仏も名無しさん
20/12/14 22:58:26.85 LLiD/1vp.net
>>2
仏教の歴史を知っていれば、そういう結論には至らないだろうな。
元々あったのは小乗仏教。大乗仏教はそこから分かれた分派に過ぎない。
なぜ分かれたか。小乗仏教は厳しい修業をした者にしか、悟りは開けないと教えたから。
悟りを開く=この世での救済
なら、大半の一般人は救済されないじゃないか。怠惰な俺たちにも救済を。
こうして生まれたのが大乗仏教である。仏陀の人生を学んで、彼が大乗仏教徒だった。
とは、どー見ても思えないだろう。
大乗仏教は利他主義で、小乗仏教は利己主義?
それは後世の大乗仏教徒が自己正当化のために、後付けした言い訳に過ぎない。
実際には楽して成仏したいという怠け者理論が大乗仏教であり、
それが小乗仏教より、世間受けして広く世界に広まった理由でもある。
12:神も仏も名無しさん
20/12/14 22:59:23.20 E+Jf5uji.net
>>7
スリランカの仏教寺院には必ずヒンドゥーの天部が祀られていて、みんな現世利益を願っているよ。
13:神も仏も名無しさん
20/12/14 23:07:27.10 LLiD/1vp.net
大乗仏教は農耕民族で集団主義の国に受けがいい。農耕には集団による土木事業が必要で、
個人の抜け駆けは許されない。集団の和が重視され、上下関係のすくない水平型の組織構造が
好まれる。ゆえに誰もが平等に成仏出来るという大乗仏教がフィットした。
小乗仏教とは、言わば悟りを開いたエリートの指導によって、社会の救済をも実現する思想である。
そもそも人を指導する立場の人間が、そこらの凡人と同じ努力しかせず、同じ程度の能力しか
なかったら困る訳。厳しい修行をして、凡人を遥かに超える能力を持って、始めて
人を指導する資格が得られる。そういう人じゃなきゃ、凡人を指導し、社会を救済できる訳がない。
まあ、とは言え、すべてはバランス。中庸の徳。集団主義の大乗仏教と、個人主義的な小乗仏教。
どちらが優れているのか。ただただ傑出したエリートにすがるのも、エリートを蹴落としてみんな平等
公平と競争や努力を否定するのも間違い。優れたエリートの能力を認め、その指導に従い、
庶民は庶民で自分の出来る範囲で、努力、自己研鑽を続け、皆がそれぞれ社会の改善に向けて
自分の意思と能力で出来る事をやる。その事が社会全体の救済に向けた最善手。
一度は分かれた大乗も、小乗も悟りの境地に至れば、また同じ道に戻るであろう。
それがつまり中庸の徳。釈迦のたどった道である。
14:神も仏も名無しさん
20/12/15 00:04:23.48 CruZmUlh.net
在家者はふつうに現世の福徳を願いながら、功徳と波羅蜜んで来世に備えてる感じでしょう。
輪廻転生前提だから、現代日本人と違ってタイムスパンが今世だけに限定されない。
15:神も仏も名無しさん
20/12/15 00:22:22.13 rpFrFT0A.net
上座部仏教圏だって支配階級は贅沢に暮らしてるし、マフィアも居るし、ポルノも売春もある。
在家者はしたたかな現実主義者だよ。
16:桃太郎
20/12/15 18:39:28.62 pYaso5fj.net
>>11
それは違うと思う。
>仏教の歴史を知っていれば、そういう結論には至らないだろうな。
知っているからこそ、小乗教は釈尊の本意では無く、法華経へ誘引するための方便であると言うのです。
子どもを教育するのに、最初から高等教育を施すのではなく、まずは、平仮名や九九の勉強から始めるようなものです。
>なぜ分かれたか。小乗仏教は厳しい修業をした者にしか、悟りは開けないと教えたから。
違います。そんな単純な理由からではありません。
釈尊を尊敬しその教えを希求してやまなかった在家の人々が
「大慈悲の釈尊は一切衆生の救済の為に出現された。
その釈尊が選ばれた一部エリートの為だけ法を説くわけがない。
釈尊の本意は、利他行もなく自身の解脱のみを優先するような、そのような偏狭な思想ではないはずだ。」
そういう思いから、大乗仏教が始まったんだと思う。
詳しくはウィキを参照してみればいい。
>仏陀の人生を学んで、彼が大乗仏教徒だった。とは、どー見ても思えないだろう。
いいえ、どー見てもその振る舞いは菩薩行そのものだと思う。
17:桃太郎
20/12/15 18:40:06.06 pYaso5fj.net
>大乗仏教は利他主義で、小乗仏教は利己主義?
その通り。小乗仏教は名前の通り、「利他主義」じゃ無いでしょ。
>実際には楽して成仏したいという怠け者理論が大乗仏教であり
それは逆です。楽して「阿羅漢」になりたいという怠け者が、テラワダ諸君じゃないのかね?
何たって、整った環境で何不自由なく何も煩わせる事なく瞑想に没頭出来るんだから。
自身の人生の苦悩と格闘しながらも、他者の苦悩に同苦しながら励まし救っていく事は怠け者には出来ない話です。
結論としては、釈迦の本意は一切衆生を仏にすることです。
その為に大慈悲をもって「法華経」を残され、その流布を後継の弟子に託されたのです。
−−−−−−−−−−−−
>>13
>小乗仏教とは、言わば悟りを開いたエリートの指導によって、社会の救済をも実現する思想である。
近年、小乗教(悟りを開いたエリートの指導)によって社会が救済された事例を教えて下さい。
正直、勉強不足で聞いたことが無いので。
ハッキリしていることは、テラワダの諸君の中には「社会を救済出来る」ほどの「悟りを開いたエリート」なんて出現しないことは間違いない。
そもそも、あなた方の師匠(スマナサーラ)がどの程度「社会を救済」したのか知りたい。
そして、その貢献を世界がどのように評価しているのかも知りたい。
18:分陀利華(白蓮華)
20/12/15 19:04:26.70 i6xr+4lK.net
>>17
悟りスレには来ないの?
スレリンク(psy板)
19:神も仏も名無しさん
20/12/15 19:32:31.98 eoANkqmO.net
釈迦は立派な宮殿の中で美しい女官たちに囲まれ、殿下、殿下と呼ばれてちやほやされて育ったわけでしょう。
可愛い女の子は抱き放題、うまい物は食い放題。
そういう快楽主義的な生活を味わった上での出家ですから、我々庶民の境遇とは、違う。
20:神も仏も名無しさん
20/12/15 19:59:16.59 xz8FypKy.net
金持ちも庶民も病気もするし老いるしいつか必ず全てを失い死ぬ
得ている快楽の刺激に違いはあるが訪れる苦に違いはない
21:神も仏も名無しさん
20/12/15 20:22:12.83 cBsMz+WL.net
釈迦は輪廻から脱出する方法を発見したわけで、輪廻の中で頑張れ頑張れと言う
方法を発見したわけではないと思う。それは、大乗の方便だよ。
22:神も仏も名無しさん
20/12/15 20:34:47.36 cBsMz+WL.net
だから、逆にマイナーすぎてインドでは滅んだんだと思います。なんだかんだ言って
酷い目に会いながら人間はまだまだ、輪廻していたいんですよ。
バラモン教の梵我一如をまだ輪廻してると捨て去ったわけだからね。
本来はドマイナーな教えのはず。
23:神も仏も名無しさん
20/12/16 00:28:56.32 p7eK69Ex.net
我々は元々涅槃にいたんだけど、
涅槃→無色界→色界→欲界
という風に転落して来た、という説もあるよ。
物質と肉欲に囚われ過去世の記憶を失い、神通を失い、どこから来たのか分からなくなった。
24:神も仏も名無しさん
20/12/16 00:38:11.63 X1FqdFxB.net
社会を救済するという観点は
仏教には馴染まないのです
もっというと何かのグループを救うというのも
馴染みません
実際にあるのは個 個人の救済です
外形的には世界や国の平和を願う
祈りを捧げることはあるでしょう
しかしそれは現実的でないことをよく知っています
何故ならその世界や国を構成するのは個人であり
究極的には個人の問題を解決しない限り
本質的には何も解決しないからです
強いて上げるとすれば
個人が本気になった時 真剣に救済を求めた時
それを受け入れ手助けする環境を保つこと
教えを囁き続け縁起によって
救済の可能性という種を植えること
これが究極の社会貢献となります
前提として世界がどんなに理想的になろうと
人間の本質的な苦しみからは逃れなれない
そういうものとは早く手を切るべきである
親が子を想い 子が親を想う
そういう構造自体が罠であり苦しみの原因である
我らのボスはそういうぶっ飛んだ教育理念です
25:神も仏も名無しさん
20/12/16 02:41:38.74 ro9avcf4.net
とても為になるお話をありがとうございます。
昔の方々は行動範囲も限られ、今の様に世界の形を知り 世界を渡り歩くなど出来なかったでしょうから、今ある所で自分の周りを整える。ではないでしょうか。健気ですね。心洗われます。やる気が出て行動に移せば心現れます。な状態になりますと教えているのではないのでしょうか。酒に酔い荒ぶり乱れる者がいなければ規則も無いでしょうし、自動車やバイクの事故がなければ規則もないでしょうし、争いや事故が有ったから起きたから規則が定められたのでしょうから。
きちんと自制自律保ち他を傷つける事が無ければ規則は定められなかったということではないでしょうか。残念ですよね。これから皆でしっかりしよう!きちんとしよう!と呼びかけています。
26:神も仏も名無しさん
20/12/16 02:51:34.35 ro9avcf4.net
文句や不平不満 陰口や悪口
空気空間を汚し乱しているのを理解出来ず、事実とは異なっていても自分の心の中にある憶測や不平不満を発散する事がどれだけ空気空間を歪め汚しているのか気づいていない様ですから。だから八正道ではないのでしょうか。自分から己から事実と異なる事は出さない発散しない。事実は事実として正しく伝わる様に他の意思が混ざらない様に。八正道
27:神も仏も名無しさん
20/12/16 03:41:23.72 ro9avcf4.net
元を置いていきます。
URLリンク(www.youtube.com)
28:桃太郎
20/12/17 18:58:04.43 mY4wOS8A.net
>>24
>社会を救済するという観点は仏教には馴染まないのです
>実際にあるのは個人の救済です
それが根本的な間違いです。
だから「小乗教」という低い教えはやめときなさいと何度も言うのです。
その理由は、前レス再投稿します。
−−−−−−−−−−
『法華経の智慧』にも紹介された“地獄の長い箸”の話。
地獄にいる衆生たちは、目の前に並べられたご馳走を食べられずに苦しむ。自分の腕よりも長い箸が邪魔をするからだ
一方、仏国土。同じように、長い箸を手にしていたが、皆、楽しそうだった。なぜか―。長い箸を利用し、他の人の口にご馳走を運び合い、互いの食事を可能にしていたからである
地獄と仏国土の違いは、「環境」ではなく、人の「心」にあることを示した譬え。
とりわけ、人のために尽くせば、わが心も充実することを教えていよう。
−−−−−−−−−−
言うなれば、この例えで言う「自分だけ助かりたいという利己主義的な地獄の衆生が」小乗教と言うことになるでしょう。
日蓮大聖人はこう仰せです。
人に物をほどこせば我が身のたすけとなる、譬(たと)へば人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし
(食物三徳御書、1598n)
〈通解〉 人に物を施せばわが身を助けることになる。例えば、人のために灯(ひ)をともしてあげれば、自分の前も明るくなるようなものである。
この地球を一個の生命と考えると、この理屈が分かり易いかもです。
29:神も仏も名無しさん
20/12/17 21:04:03.27 MXEy5syg.net
テーラワーダにおいての救済とは健康になることでもたsのく暮らせることでも幸せになることでもなく本人が悟る(涅槃、解脱)ことだから
自分がまず悟らないと他人も救えない(悟りの道を示せない)し悟ってもない自分がに他人を救えると思ってしまうこと自体がおかしい
泳げない者が溺れている者を救うことはできないし他人を救いたいならまず自分が泳げるようにならないといけない
30:神も仏も名無しさん
20/12/17 21:34:19.39 3mAqaGQT.net
>>28
色々長くなりそうなので
箸の方便の部分について書きますね
これは私の見解ですが
こちらの方法は
そのような煩雑で面倒な食事方法を疑問に思うのです
何故このような面倒があるのかと
何か根本的に解決する方法はないのかと
そして色々と試した末に
食事自体が不要になる方法を発見したのです
他の人にもそれを教えますが押し付けはしません
多くの人は懐疑的で食事の楽しみもあり
なかなか教えを乞おうとはなりません
ですが同じように不便を感じ
是非教えてほしいという人も現れます
そして食事から解放された人が現れます
やはりまだまだ教えを乞おうという人は少ないものの
新たに食事から解放された人は
教えを乞う人にはもちろん教え
そうでない人にも良い方法があるよ
と呼びかけ続けるのです
それが2500年 紆余曲折を経ながらも
続いているということです
31:桃太郎
20/12/17 23:45:27.68 mY4wOS8A.net
>>29
>悟ってもない自分がに他人を救えると思ってしまうこと自体がおかしい
この考えは以前何度もバカげた考えだと言うことをお話してきました。
「悟る」って何を「悟る」と言っているんですか?
阿羅漢にならないと人は救えないと言うことですか?
仮にそうだとしたら、貴方は遠回しに今世では人を救う気などサラサラ無いと言うことを自ら証明していることになります。
だって、ネットして遊んでいるような貴方が阿羅漢どころか「悟り」すら行き着けるはずないもの。
「自ら人を救う気が無い事」を都合のよい言葉で言い訳しているに過ぎません。
>泳げない者が溺れている者を救うことはできないし
出来ますよ。あなたは、例えば子どもが海で溺れそうになっているのを見て、「泳げないから救えない」とか言って
黙って傍観しているつもりですか?
普通の人なら例え自分が泳げなくとも、助けるためのあらゆる手段を講じるでしょう。それが普通の人間性です。
医者や科学者、あるいはボランティア等で多くの苦しんでいる方々を救っておられる人たちは
仏法者でも無いかも知れないし、ましてや「悟って」人を救っているわけじゃないでしょ。
自分に救う力が無いから、「救えない」という考えは完全に間違っています。
一番の間違いは「自分に救う力が無い」と思っていることです。
なぜ、そんなことが断言できますか!
法華経では一切衆生に本来「仏」の生命が備わっている事を明かしています。
釈尊となんら変わりの無い力を本来持っていることを明かしたのが「法華経」なのです。
ゆえに、これを「悟る」を仏といい、「迷う」を凡夫という。と何度も言ってきたことです。
32:桃太郎
20/12/18 00:04:24.87 bDY/ozhY.net
あなたは、あなた一人では絶対に生きられない事を理解してますか?
多くの人々に支えられて生きているのです。
そして方々に守られ救われています。
それが厳然たる事実です。
であるならば、親の恩、師の恩、社会、国の恩があるはずです。
仏法上「不知恩」は地獄の業と言われています。
ましてや仏法者が「不知恩」であってよい訳が無い。
私が何度も言っているように、「自分だけの幸福も、他人だけの不幸も無い」と言うことです。
仏法は道理です。
悟ったからと言って、道理に合わないことは「仏」でも出来ないのです。
それを出来ると勘違いしているのがテラワダ諸君だと思います。
息を吸わなくても、食事をしなくても、生きていられるとでも思っているのでしょうか?
スマ長老は水の中で何時間も生きていられますか?
テラワダ諸君は、そのような荒唐無稽な話を本気で信じているんだろうか?(苦笑
必ず人生、後悔すると思いますよ。
33:神も仏も名無しさん
20/12/18 00:29:58.52 ZS0peZf8.net
存在が続いていくために必要となるなんらかのエネルギーを入れる行為は
般涅槃まで必要かもね
34:神も仏も名無しさん
20/12/18 00:33:18.16 snDCdWzW.net
テーラワーダでは阿羅漢よりずっと手前の預流果から悟り
預流果に至った者は完全にではないが涅槃を分かっているので他人に教えを説いて導いていいことになっている
35:神も仏も名無しさん
20/12/18 10:36:27.89 sUILIgcj.net
まず、桃太郎氏が涅槃を経験する必要がある。あなたが言う小乗の悟りやらと言う
のを、外から聞いた知識だけで理解しようとしてるから話が噛み合わない。
36:神も仏も名無しさん
20/12/18 15:42:35.64 fN+s2L/d.net
煩悩即菩提、生死即涅槃、凡仏不二、上求菩提下化衆生、凡夫本仏、が大乗仏教の教義。
それにどんな職業の人だってその職業においてはプロなわけだし、上座部仏教の僧侶だけが賢者だなんていうのはおかしい。
37:神も仏も名無しさん
20/12/18 17:00:08.44 snDCdWzW.net
教えの元の根幹は同じだけど社会において扱う内容が小乗と大乗で異なってきてしまった
小乗は世間を出た涅槃に導くプロだし大乗は世間の中でよりよくしていくプロってことでしょ
小乗は世界や自分という現象からいかに関係なくなるかだし、大乗は現象世界の中で現象としての世界や自分をいかによくしていくかだから
もちろん道がより進み教えという分別すらなくなっていけば同じ道になっていくわけだけれど
38:神も仏も名無しさん
20/12/18 19:19:53.86 hZIBjRhQ.net
この世界に生まれる時に、過去世の記憶や知識を全部忘れてしまうのはなぜなのかね。
覚えてたほうが有利なのにさ。
39:神も仏も名無しさん
20/12/18 20:45:14.87 NmJJkXeb.net
生きていても
色々と忘れてることに
気づいていないだけで
似てると思うよ
40:桃太郎
20/12/19 12:47:49.72 YxWrQWSr.net
大乗経典にも様々な解釈が有り、それぞれ違った主張をしている。
その主張は「他の仏教も間違いでは無いが、当宗の教えが最も高く価値がある」とかいう曖昧な主張では無く
「当宗以外の宗教では成仏は叶わぬ」という強い内容となっている。
浄土宗は阿弥陀仏を立て、念仏以外に救われる事は無いと主張し、中には真言宗のように、大日如来を立てて「釈尊すら必要ない」という教えもある。
このように大乗であっても、同じ釈迦仏法から出発していながら、その師を差し置いて、様々な如来を立て、まったく違った解釈と主張をしている。
では、何が原因かと言うと、釈迦仏法を教え伝えた人師の誤った解釈にあるのは明白である。
では、どうして誤った解釈をするのかというと、根拠となる仏典をないがしろし、浅く見ているからに他ならない。
仏典より人師の解釈を優先しすぎたことと、他の人師の主張と比較検討し、その優位性を検証しなかったことにあると思われる。
では、純粋に本当の仏法の真実の教えを追求するのなら、なぜ彼らはその教えの比較検討や優位性の検証を公に行わなかったのだろうか?
理由は簡単で、法論に敗北して自分の信者を失いたく無かったからです。
世間の信頼と信者からの供養を失いたくなかったからでしょう。
41:桃太郎
20/12/19 12:48:07.17 YxWrQWSr.net
本当に釈尊の真の教えを世に伝え、人々を救って行きたいと思うなら、そして自分の教え(解釈)が本当に正しいと思うのなら
勇んで正邪を糺す道を選んだことでしょう。
その代表が、中国では天台智、日本に於いては最澄と言うことになるでしょうか。
日蓮大聖人も、公の場で法論を挑もうとされましたが、他宗は皆逃げ去りました。
個別で法論を挑んできた法師もいましたが、悉く論破され弟子となりました。
このような、人師の様々な解釈の違いによって、様々な宗派が誕生してしまったことは
インドに於いても同じです。代表的なのが部派仏教です。
あなた方はのその一部であり「テラワダ派」というわけです。
瞑想を主体とした「禅宗」や小乗教の「阿含宗」「律宗」などとは意見が合いそうですね(苦笑
テラワダ諸君は色々な仏法用語を駆使して話をされますが、その根拠となる経典や、その解釈の正当性をまったくと言ってよいほど明示されません。
なぜか?スマ長老という人師の解釈を完全に鵜呑みにしているからに他ならないからです。
42:神も仏も名無しさん
20/12/19 16:20:40.35 eFDhbrsT.net
テラワダの中でもいくつも派はあり伝わった国によっても違いがある
原始経典であっても釈迦の死後相当な時間が経って作られたものでありさらに時間を経て伝えられたもの
自分が道を進めていってどの派の言うことがでどうあるとかどの経典のどの部分がどういう意味であるとかわかるしかない
経典や先師の話した内容は道を進めるときのあくまで参考であり、自分が道を進めたときに答え合わせに使うものでしかない
自分がある程度道が進んだとき、あの内容は本当だったなとわかるものでしかない
実践でわかってくることが全てであり、知識や解釈や願望ではない
43:神も仏も名無しさん
20/12/19 16:27:48.82 eFDhbrsT.net
何も信じず、信じない自分すら信じず、過去に形成されまた今形成されゆく概念や見方や心身作用に捉われないようにし
一切の生じ滅するものから自由になっていったとき、自分とは世界とは何であるのか
時間や空間や有や無とは何なのか
ただそれだけ
44:神も仏も名無しさん
20/12/19 16:56:10.75 OWMO8Zc+.net
テーラワーダは
我空法有でしょう。
これに対して
大乗仏教は我法倶空。
この違いは天地の差。
大乗の方が真理に思える。
45:神も仏も名無しさん
20/12/19 17:37:10.34 LvdQCh4q.net
代表としてのスマナサーラ長老の言い分 解釈
そこに正当性はあるのか?という
いい話題が出ました
これは全てこの問題に帰着するんです
長老は預流果以上の悟りに達しているか
または達してはいないが
長老の師や修行仲間に悟った人がいて
そういう環境の中で説法するに足る力を身につけたか
問題はここになります
個人的には長老は少なくとも
預流果以上の境地にあると考えています
それはお話の端々に実際にそこまでいかないと
言い得ない表現がたくさん混じっているからです
私にはそれがよくわかります
この段階まで至ると
もはや仏典を正確に伝えるだけの存在から
目の前の人々に深く入り込んで
自在に法を解く存在となります
能力や個性によって受け入れられるか
そういう問題はあるかもしれませんが
ある人にはaといい
またある人には逆のbということもあり得ます
事実を大事にするのではなく
その時その人に深く影響を与える
目を開かせる 思考を転換させることが
最大の目的となるからです
悟った人に師事して修行するのは
仏教では大前提です
仏陀が現役時代には
さまざまな阿羅漢がいらっしゃったことを考えると
胸熱ですね
理屈っぽい理詰めで語る阿羅漢
根性で修行しろ!と励ます阿羅漢
話すのが苦手で何言ってるかよくわからない阿羅漢
想像すると面白いですね
46:桃太郎
20/12/19 18:28:00.96 YxWrQWSr.net
>>45
色々書かれてますが、内容はあなたの主観の域を一歩も出ていないような気がします。
スマ長老を仮に「麻原尊師」に替えても、麻原信者であれば同じように言うと思いますよ。
要するに、いずれも客観的な証明が出来ないからです。
一番確実なのは「現証」といえますが、テラワダはその前段階の「文証」すら証明出来ていません。
さらにまた、その前々段階の「理証」ですら曖昧です。
宗教はその人の人生を変えます。
だからこそ、慎重に宗教の高低浅深を精査すべきだと思うのです。
一生を無駄に過ごさない為にも。
>ある人にはaといい、またある人には逆のbということもあり得ます
>事実を大事にするのではなく
そうですね。衆生の機根に応じて様々な方便や比喩を通して、衆生を真実の方へと誘引する説法の仕方ですね。
「随他意」の説法とも言いますね。
原始仏教も、真実の教えである「法華経」へ誘引するための方便と言えるでしょう。
その原始仏教に執着して迷っているのがテラワダ諸君だと思う。
>悟った人に師事して修行するのは仏教では大前提です。
悟っているかどうかは私たちには判定できません。
そもそも信仰心の基準はそんなところにあったわけでは無いでしょう。
ただし、師匠は絶対に必要です。
師弟なくして仏法は理解出来ません。無ければ、だだの自己満足の世界でしか無い。
47:神も仏も名無しさん
20/12/19 18:54:12.10 G7E6Q2vZ.net
ブッダとブッダの教育能力と、ブッダの直弟子や孫弟子とかがパーリ語経典群の幹の部分を
ブッダの教えを伝えたことを信じる感じね
48:神も仏も名無しさん
20/12/19 19:08:58.40 uikb/AUt.net
ブッダ自身、自分のことを盲信するなと諌めてたと思うけど・・・。
何を言われようが、自分の理性で納得した以外には何も信じるなと言うのが
仏教の教えだと思う。
桃太郎氏の法華経のようにこれさえ信じてたらOKなんて言うもんじゃないのよ。
それこそ、盲信でしょう。
49:神も仏も名無しさん
20/12/19 19:32:22.94 G7E6Q2vZ.net
個人的には、手がかりがなさすぎても進みにくいように感じる
仏教の手がかりとして、パーリ語経典はけっこう良いように感じる
50:神も仏も名無しさん
20/12/19 19:39:23.58 LvdQCh4q.net
>>46
現証とは懐かしい言葉です
これは私の主観の話なので客観ではありません
それを踏まえてお聞きください
私は長年南無妙法蓮華を信仰していましたが
私の地区では最終的に良い結果が残ったのは
私の母を含め数人です
多くの人が人生の終盤を前に
癌の再発 脳卒中 糖尿病による失明
家族間による金銭問題による泥沼裁判沙汰
まだまだありますがそういう結果に終わっています
私の主観はこれらの結果を
試練や法難だと捉えることを許しません
もし私に深遠な大乗の智慧や法力があれば
深い意義があると理解できるかもしれませんが
私にはそのようなものはありません
それこそ主観を持って意味があると思い込む
そう信じるしか肯定する方法は無いのです
このような理由で呪術的力が確実にあるのに
晩年このようなことが起こるのは何故なのか
もしや悪魔との契約のようなもので
プラマイゼロということなのか?
そう考え込んでしまったこともありました
今はもう考えることもありませんが
51:桃太郎
20/12/19 22:10:44.69 baB0+ZUc.net
>>48
>ブッダ自身、自分のことを盲信するなと諌めてたと思うけど・・・。
たぶん意味を履き違えていると思います。(笑
>自分の理性で納得した以外には何も信じるなと言うのが仏教の教えだと思う。
「自灯明」の事を言ってるんですよね。
しかし、愚かな自分の理性がどこまで信用できるのでしょうか?
自分の理性が常に正しいのなら、人は間違いを犯さないのではないでしょうか?
そうした考えがおそらく多くの異なる仏教の解釈を生んだ原因なんでしょうね。
釈迦は「自分を盲信するな」と言いながら、人には「不完全な理性を信じろ」と言うのは
おかしな話だと思いませんか?
釈尊の本意はそんな浅い教えでは無いと思いますよ。
52:神も仏も名無しさん
20/12/19 22:54:50.26 uikb/AUt.net
>>51
人間が失敗するのは理性じゃなくて感情で動くからだと思いますよ。
ダンマと言うのは自然法則に近い。釈迦は、外から入ってくる外的な信号経路を放っておくと、
悪い結果が出るから、それを気づきや自己観察の理性でもって、制御しろと言ってると思います。
人間の認識プログラムというのは、現実をあべこべに知覚するプログラムがデフォルト
で入ってるのでそれを理性を持って書き直すプログラムがヴィパッサナーです。ここに
信仰と言う要素は入ってきません。観察有るのみです。
あと、>>50さんに対してどう答えるのか非常に興味があります。桃太郎氏は
都合に悪いことは無視する傾向にあるので。
53:桃太郎
20/12/19 23:23:27.17 baB0+ZUc.net
>>52
あなたの自説にはあまり興味がありません。
他でやって頂けませんか?
>桃太郎氏は都合に悪いことは無視する傾向にあるので。
小学生並の煽りですね。恥ずかしくないですか?
立派そうなことを言う割には、この程度なんですから、テラワダの悟りは大した事が無いと言うことがよく分かります。
まあ、あなたは悟りとかは無縁の方と思いますが。(苦笑
最後はこういう下劣な人間性になるから、テラワダはやめておいた方が良いというのです。
所詮、この程度なんですから。(笑
54:神も仏も名無しさん
20/12/19 23:30:50.12 uikb/AUt.net
あ〜あ、カルトだってバレちゃったね。化けの皮が剥がれたね。
創価って、死後硬直みて、この人は成仏できたとか成仏できなかったとか
言ってるんでしょう?
アホじゃないんですか?
55:桃太郎
20/12/19 23:54:46.05 baB0+ZUc.net
>>50
テラワダ信者の粘着煽りが五月蠅いので答えておきましょう。
>多くの人が人生の終盤を前に
いったい何人の統計をとって「多くの人が」といっているのでしょうか?
まぁ、貴方の主観なんですから何とでも言えますがね。
あなたが、信心をやめて幸せになれるのでしたら、愚癡を言わずにすぐにでもやめたら良いのです。
それで、あなたが心から納得できれば、それが一番ではないでしょうか?
ひとこと言わせてもらうならば、信心は自分がやるものであって、人にやらされるものではありません。
日蓮仏法を信じれないのに、なぜ信仰する必要があるのでしょうか?
自ら、退転すればどうなるのか検証してみたら良いではないですか?誰も強制はしてないんだから。
幸福とは「悩みや苦悩が無い」事を言うのではありません。
癌なんて、ここにいる二人に一人は必ずなるんだから。癌になったから「不幸」と言うのであれば
日本中みんな大抵、不幸な晩年という事になりませんか?
要は、それらを悠々と乗り越えられる境涯になることです。それが仏法の力です。
仏すら病を回避することは出来ません。ゆえに「生老病死」と言うのです。
それを「常楽我浄」に転嫁する知恵を仏教では明かしているのです。
四条金吾御書や佐渡御書をよく読まれて、何故、「現世安穏」の仏教なのに「難」が起こるのか?
その理由を理解し、日蓮大聖人の教えをよく学んでから考え直したらいいと思います。
それでも納得出来ないのであれば、あなたの好きにしたら良いと思います。
信仰の自由ですから。
56:桃太郎
20/12/20 00:01:47.03 Abc/M0eI.net
テラワダ諸君は、>>54 の無様な姿をよく見て置いた方が良い。
これが現実なんだよ。どんな修行をしたら、こんな下劣な人格に堕してしまうのか
よく観察して見ることだ。
57:神も仏も名無しさん
20/12/20 02:55:25.22 rfzHP3/G.net
他者を救うのが大乗なら他者を無様な姿だの下劣だのと言ってないで救おうとしたらどうだろうかね
自分に反する者だからといって無様だの下劣だの言う反応を心に生じさせてしまうのは下劣なことではないのだろうかね
他人を観察するより他人に対しての自分の反応を観察したほうがいいかもしれない
58:神も仏も名無しさん
20/12/20 05:52:14.12 nasZxAuN.net
相手を救おうとして下劣という言葉を
遣うこともあります。
相手を罵ろうとして下劣という言葉を
遣うこともあります。
その言葉を遣った人も、
その言葉を言われた人も、
その言葉を聞いた人も、
機根により受け取り方は変わります。
人の言葉がそのどちらであるかを
自分の都合と思い込みで決めつける
のなら、それは自我に囚われています。
自我の囚われは苦しみ
しか生みませんよ。
59:神も仏も名無しさん
20/12/20 06:13:07.67 fsyLbvhn.net
同レベルの方同士が争ってるだけと思った
60:分陀利華(白蓮華)
20/12/20 06:22:25.98 FTEXkMsP.net
十に曰く、こころのいかり〈忿〉を絶ち、
おもてのいかり(瞋)を棄てて、
人の違うことを怒らざれ。
人みな心あり。
心おのおの執るところあり。
かれ是とすれば、われは非とす。
われ是とすれば、かれは非とす。
われかならずしも聖にあらず。
かれかならずしも愚にあらず。
ともにこれ凡夫のみ。
是非の理、誰かよく定むべけんや。
あいともに賢愚なること、
鐶(みみがね)の端なきがごとし。
ここをもって、かの人は限るといえども、
かえってわが失(あやまち)を恐れよ。
われひとり得たりといえども、
衆に従いて同じく挙(おこな)え。
61:桃太郎
20/12/20 09:54:45.71 Pr6ZDDp6.net
>>57
>他者を救うのが大乗なら他者を無様な姿だの下劣だのと言ってないで救おうとしたらどうだろうかね
まったくテラワダ諸君は理不尽なことを平気で言うんだね。(苦笑
>>52
>桃太郎氏は都合に悪いことは無視する傾向にあるので。
>>54
>あ〜あ、カルトだってバレちゃったね。化けの皮が剥がれたね。
>アホじゃないんですか?
このように人を見下しておいて、その姿を「下劣な人格」と表現するのが何故いけないのでしょうか?
つまり、「アホ」という人を見下した表現は許せるが、そのような表現は「下劣」という当たり前の言葉は許せないとでも言うのでしょうか?
これまでも何度も紹介してきた魯迅の言葉です。
テラワダ諸君もよく学んで下さい。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
魯迅先生の論争の渦中で、ある雑誌の一派から、「もう論争は止めろ」という声があがった。
「青年を指導する立場にありながら、互いに罵りあいをつづけるならば、劣悪な社会が出現するだろう」こう、もっともらしく言うのである。
だが事の真実は、その一派が、仲裁を装って、魯迅先生を口封じしょうとしたわけである。
「私はまだ『止める』わけにはいかぬ」。こう毅然と魯迅先生は宣言する。
中途半端は相手を利するだけだからである。
自分が人を傷つけておきながら、いざ自分が責められると、平然と「寛容」を説く。そういう人間がいる。
それは自分の悪事をごまかすための「寛容」だ。そんな連中に、絶対に、だまされてはならない。
「他人の歯や眼を傷つけておきながら、報復に反対し、寛容を主張する人には、決して近づくな」
魯迅先生が、死に臨んで書き残した遺言の一つである。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
人を、「カルト」だ「アホ」だと傷つけてお気ながら、「下劣な人格」と反論されると
>他者を救うのが大乗なら他者を無様な姿だの下劣だのと言ってないで救おうとしたらどうだろうかね
と平然と寛容を説く。
まったく魯迅先生の言われる通りだね。(苦笑
62:桃太郎
20/12/20 09:55:21.40 Pr6ZDDp6.net
まぁ、バカ、アホと言われるぐらい、どうって事も無いんだけど
世の中にはそれ以上の「悪」が存在する。
大乗だからといって、菩薩行だからといって、「悪」を傍観するのは仏法者の立場では無い。
むしろ、世間の悪に対しては「言論戦」をもって徹底して戦うのが菩薩道だと思います。
悪を放置して無関心でいることは、むしろ無慈悲といえるでしょう。
本人の為にも世のためにも。
63:神も仏も名無しさん
20/12/20 10:32:08.59 tzCDEkD3.net
先に下劣とか言ったのは桃太郎氏なんですけどね。
単純に最初から、>>50の質問に答えておけばよかったんですよ。
>>53最後はこういう下劣な人間性になるから、テラワダはやめておいた方が良いというのです。
所詮、この程度なんですから。(笑
僕はただ、単純に何て答えるか興味あったんですよ。それを、いきなり下劣な人間性
と言ってごまかすようなそぶりを見せるからいけないんですよ。
64:桃太郎
20/12/20 11:14:37.81 Pr6ZDDp6.net
>>63
答える答えないは本人の自由であり、強制されるものでもありません。
問題は、「答えない」からと言って、不必要な「煽り」は良くないと思いますが如何?
今、世間でも常識になっているように、
「煽り運転はやめましょう」ではないですか?(笑
もう、これぐらいにしておきましょう。
65:神も仏も名無しさん
20/12/20 11:37:55.80 fsyLbvhn.net
>>30のわりと丁寧な口調で文章書いてる人に対して
「テラワダ諸君は、そのような荒唐無稽な話を本気で信じているんだろうか?(苦笑
必ず人生、後悔すると思いますよ。」
は煽ってると思った
66:桃太郎
20/12/20 13:03:13.79 Pr6ZDDp6.net
>>65
シツコイですね。あなたも。(笑
>>30
>そのような煩雑で面倒な食事方法を疑問に思うのです。
>食事自体が不要になる方法を発見したのです。
>そして食事から解放された人が現れます。
これを、「荒唐無稽」と言わずして、なんと表現したらよいのでしょうか?(苦笑
煽りなんかじゃありませんよ。本心です。
テラワダ諸君の中で食事から解放された人はいますか?
是非、教えて欲しいものです。食費が浮けば家計も助かります。(笑
あと、「息をしないで済む方法」とかあったら教えて下さい。
67:桃太郎
20/12/20 13:06:35.59 Pr6ZDDp6.net
仏法はそんな風な超人的な人間を目指す為に説かれたものではありませんよ。(笑
釈尊の教えを、なんか勘違いしているのではないでしょうか?
68:神も仏も名無しさん
20/12/20 13:12:10.35 fsyLbvhn.net
>>30はたとえ話にたとえ話で返してると思ったけど
わざとか無意識的かわからないけど桃さんは悪意のある解釈して返信したように思う
69:神も仏も名無しさん
20/12/20 14:13:43.56 bzEPL7wa.net
汚い言葉を言われたら汚い言葉で返してよいというようなことを釈迦が言ったことはないし
言われたことに反論したいなら普通の言葉で言い返せばいい
むしろ仏典では議論にならない議論には関わるなとすら言われてるわけで仏教の話で何故魯迅が出て来るのかわからないが
魯迅が言ってるから自分もそうしていいと言うなら仏教はやめて魯迅教でもやったほうがいいかと思う
70:神も仏も名無しさん
20/12/20 16:41:09.46 xv766rR2.net
皆さん落ち着いて下さい
ここで言い合いになっても誰の得にもなりません
全く逆の考えを持っていたとしても
その思いが強い人というのは貴重です
そういう人は何かをきっかけにして方向転換すると
大いな結果を残す可能性が高いと信じています
最初から意見を交互に交換するような議論は
不可能だとわかっていますので
こういう考えがあるよ
こっちはこうだよ
できることはそう呼びかけるしかできないのです
私たちは縁起から逃れられません
聞きたく無い言葉でも確実に影響を受け
何かが変わってしまうのです
それは10年後か500年後かはわかりませんが
私達はそういう存在です
一方行にさらに突っ走ってしまう可能性もありますが・・
楽に話しましょう
まあ力んで話すのも楽しいんですけどね
71:桃太郎
20/12/20 17:12:38.48 Pr6ZDDp6.net
>>69
私は、相手にアホとか言ってませんし、言われたのは私の方です。
そうであっても、くだらない議論を長引かせても仕方が無いので
「もう、これぐらいにしておきましょう。」
と言いましたよね?
にもかかわらず
シツコク粘着されているのはそちらの方でしょう。
違いますか?
それに
>普通の言葉で言い返せばいい
って、何か普通じゃない言葉でしたか??
魯迅の話は、誰もが納得できる一般論です。
それとも魯迅の主張に何か問題でもあるんですか?
私の考えでは、魯迅のあまりも的を得た内容に、ただ反論出来ない。そのように思えたのですが。(苦笑
72:桃太郎
20/12/20 17:39:53.83 Pr6ZDDp6.net
話は変わりますが、
一切衆生の生命には「仏界」の生命もあれば「地獄界」の生命もある。
すなわち十界の生命は凡夫であろうと仏であろうと等しく胸中にあるものです。
そのなかでも「修羅界」と言うのは「善悪に通ずる」と言われています。
人の不幸の上に、自分の幸せを築くことや、「勝他の念」にとらわれることは「悪」に通じますが
仏や菩薩の、衆生を不幸にする「悪」に対する怒りは、「善」に通じることになるのです。
真の菩薩が「悪」を見て傍観することはありません。
悪に対して徹して戦うのが勇気ある真の菩薩です。
それに対してインチキ菩薩は、慈悲と寛容を説いて、戦うことを放棄し傍観します。
つまり、寛容の裏返しは「臆病」だと言うことです。
魯迅は仏法者ではありませんが、鋭くその点を突いてると思います。
時代を動かし、多くの民衆に支持されたこうした先哲の言葉は、
仏法者であろうと無かろうと、とても価値あるものです。
仏教だからといって仏教以外の教えを排除する必要はまったくありません。
仏法者(菩薩)は仏の教えを広く一切衆生に知らしめて救済するのが目的なので
その国の風習、文化、思想を深く吸収しながら、時の衆生の機根に応じて法を説くことが大切となります。
ゆえ、誰もが納得出来る思想や哲学は進んで学んで応用することが大事なのです。
73:分陀利華(白蓮華)
20/12/20 18:01:54.23 FTEXkMsP.net
>>72
ではそんなあなたにおすすめのスレ
傍観せずギッタンギッタンにしてやりなさい
スレリンク(psy板)
74:神も仏も名無しさん
20/12/20 18:02:32.41 bzEPL7wa.net
自分のことや自分の好んでることや自分の行為を好きなようだしそういう人には何言ってもしょうがないね
自分教
75:神も仏も名無しさん
20/12/21 21:32:30.28 THqnO6/x.net
>>979
それらは恐らく境地や
ある人間の心のレベルを表現したものかな
と思います
もしかすると転生と関連して
実際にパラレルワールドとして
存在するかもわかりませんが
確かめようがありません
存在を実感させるような体験も
瞑想の途中でないわけではありませんが
ただの幻 自分の願望や恐れが表出したもの
魔境 マーラと捉えることもできます
幻のような体験や
仏典に厳密に記されている瞑想の体験
色々体験はありますが
重要なのは体験自体ではなく
体験後少し経った時に自分の認識に
どのような影響が残るかです
また瞑想をやめず続ける限り
どうでも良い影響は勝手に薄れ消えていきます
たまには色んな界と自分の心の状態を
照らし合わせたりすると
発見や気づきがあるかもしれませんよ
76:神も仏も名無しさん
20/12/21 22:26:29.40 LzBMsVwR.net
見解が無くなるのが、預流果の立場なので、どんな見解であれ、ハマってるのであれば
それは、テーラワーダの悟りではないね。法華経が一番と言うのももろに見解だしね。
見解を作ってしまえばシステム内に矛盾が生じると言うゲーデルの不完全性定理を
お釈迦様は紀元前5世紀にすでに知ってたんだね。
77:神も仏も名無しさん
20/12/21 22:47:54.19 LzBMsVwR.net
だから、桃太郎氏がこの板に来ても、本来ならこちらから何も言うことないのよ。
ああ、そういう見解をお持ちなんですねで終わり。
78:神も仏も名無しさん
20/12/21 22:55:15.10 LzBMsVwR.net
テーラワーダに対してなんか、ちんぷんかんぷんな間違った誤解をしてるから、教えてあげようとは
思うけど、菩薩こそが、大衆こそがとか、何を言っとるんや?と言うような事ばかり
言ってゴリ押ししてくるから、面倒くさいよ。
79:神も仏も名無しさん
20/12/22 01:03:25.57 YFV56Aup.net
特定非営利活動法人
マインドフルネス総合研究所
☆ 初期仏教はダルマ(法)を実体化し、社会的問題の
応用をしないと大乗仏教から批判された(竹村牧男氏「唯識の構造」春秋社)
URLリンク(mindfulness.jp)
80:神も仏も名無しさん
20/12/22 07:52:23.03 hYtllXSf.net
そもそも、世間とか、一般社会人とか何なんですか?頭の中に有る妄想ですよ?
自分が治まればこの世の中のすべてがピタリと治まるんです。
元々の初期仏教はそういう形なんだから、それが嫌なら大乗なり、
キリスト教なりへ行けば良いんですよ。
81:桃太郎
20/12/23 00:39:19.41 Vpi6ovLH.net
>>80
>そもそも、世間とか、一般社会人とか何なんですか?頭の中に有る妄想ですよ?
>自分が治まればこの世の中のすべてがピタリと治まるんです。
唯識論としか思えないんだけど。
これってテラワダの教えなんですか?
テラワダ諸君はみんな同じ事考えているの?
82:神も仏も名無しさん
20/12/23 01:19:12.20 W9JK9vaM.net
実践してみればわかること
金もかからず誰でもどこでもできるのだから一日一時間でも30分でもやってみたらいい
しかし実践しようと思えるかどうかも業と縁だね
縁なき衆生は実践しようと思うことができない
ただ自分の五感に好ましい道ばかり選んでしまう
83:桃太郎
20/12/23 01:51:21.92 Vpi6ovLH.net
>>82
「テラワダ諸君はみんな同じ事(同じ見解)考えているの? 」
と聞いているんです。話を逸らさないで下さい。
あなたはテラワダ信者じゃ無いんですか?
84:神も仏も名無しさん
20/12/23 12:56:35.84 /jOv02cG.net
テーラワーダは物質の存在を認めているので唯識論では無いと思います。
出世間的に言えば、我々の構成要素は名(精神エネルギー)と色(物質エネルギー)
だけであると、教えられています。
もっとも、物質エネルギーも地水火風とか言う要素に分類するんですが。
>>80で言ったことは、預流果以上の人間になら理解してもらえると思います。
85:桃太郎
20/12/23 16:58:12.13 2Gw8szUu.net
>>84
>預流果以上の人間になら理解してもらえると思います。
うーん、曖昧な答えだね。
もう少しハッキリさせましょうか。
つまり、「預流果以上の人間」なら
>世間とか、一般社会人とか...頭の中に有る妄想
※実体を否定しているので完全な唯識論ですよね。
>自分が治まればこの世の中のすべてがピタリと治まるんです。
※これは、自分以外を妄想の世界とするから、成り立つ論法ですよね。
以上の事が「預流果以上」になれば、>>80 の見解は正しいと理解出来ると言うわけですね。
一方では唯識論を否定しているけど、「預流果以上」になれば、そうでは無くなるという事ですか?
それとも、>>80 の見解はテラワダの教えとは乖離していると思われますか?
86:神も仏も名無しさん
20/12/23 17:06:59.92 pVuaeJ5M.net
あんまりぶっ飛びすぎる方向だと
ちょっととっつきにくいかもしれません
この辺は言葉にすると微妙な印象の違いを
産むかもしれませんね 難しいです
どっちかっていうと
妄想だ!価値が無いんだ!
というよりそういう物事について
考えようという気力がなくなるというか
積極的に考えるような習慣がなくなるというか
いや これも正確ではないかもしれない
何かに触れてググっと揺れ動くことはあるけれど
それがすぐに消えてしまうというか
嫌なこと良いことがあってもそれを
強く記憶に留めておく能力が
無くなってしまったというか
正に炎に喩えられるのがよくわかる気がします
あくまで私の場合ですけどね
個人差は結構あるとは思いますが
猫が車に轢かれる瞬間は流石に あっ
となりますが
轢かれた死体を凝縮するのは
全く問題なかったり
その時見たっきりで
後から思い出すようなこともまずない
かと思うと映画の悪役を見ていて
その苦しみを感じてこの人も一緒に
瞑想できたら良いのにな と思ったり
うーん 書いてて意味不明w
87:神も仏も名無しさん
20/12/23 18:39:10.44 /jOv02cG.net
>>85
実体だと思ってることが実は妄想でしかなかったと発見するわけですよ。
ピタリと治まるとか、そこら辺は、実際に自分で瞑想して体験するしかないです。
瞑想の妙味みたいな感じです。
禅でも同じようなこと言ってると思うんですけどね。
88:神も仏も名無しさん
20/12/23 18:53:17.07 YsoRgixv.net
簡単に言えば世界の中に自分がいるんじゃなくて自分の認識上に自分も他人も世界も在る(生じ滅し関係性の中で在るとみなされているだけで実際は在るでも無いでもない)
預流果で自分が心と身体であるという錯覚(有身見)が断たれる
世界も他人もそれまでの自分も心と身体上の知覚に現われていたものに過ぎずそれらがただの認識上に現われているもの(同じように生じ消えるだけの無常なもの)になる
自分だろうが他人だろうが世界だろうが見解も感覚も思いもみな現われているもの一切全てがただ生じてるものに過ぎなくなるのでそれらに執着することも捉われることもできなくなっていく
預流果の先に進めば認識者という自分もまたなくなっていく(心身でない認識である自分というものもまた現われているものだから)
言葉にすれば唯識と同じ表現になる部分もあるし細かく言えば違う部分もある
より進んだ境地に関してはテーラワーダの中でも意見が分かれるものもある
唯識でなくとも禅でも浄土系でも方便は違えど共通する部分はある
自分は存在せず、修行している行為者ですらないということ
テーラワーダの教理は本を読めばいくらでも書いてあるから言語上の説明なら本を読めばいいし、例え本を読んだところで預流果に至らなければそれがどういうことかは理解はできない
このような説明もせいぜいただの言語理解にしかならないし知りたければ自分で実践するしかない
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