何故キリスト教の牧師 ..
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639:神も仏も名無しさん
21/03/07 21:09:01.43 aeNbzMAS.net
 著者もまたプロテスタントの信者であり、人生の究極の知恵や規範をすべて聖書に求める聖書信仰者である。著者の母は、もうすぐキリストが再臨し、自分たちが携挙されることを夢みるほどの人である。
しかしある時著者は精神疾患にかかり、家庭が崩壊し、すべてを失う。子どものころからキリスト教を信じ、高校生の時に洗礼を受け、10分の1献金をするのはもちろん教会のあらゆる仕事に全力をもって尽くした自分と自分の家族が、いったいなぜこんな目に合うのか。
つまり「神はいない」ということではないか。そう気づいたとき、社会に対する見方の一切が変わり、いままで非キリスト教的として相手にしなかった人間観が自然なものに思える一方、聖書が何の保証もなしに人間を一方的に縛り付けるものでしかないと気づくのである。
 かつてダーウィンは一人娘を失った時、神はいないと確信した。キリスト教の神は全知全能である。悪魔は神の承認のもとに活動している。この世に理不尽や不幸があるなら、それは神が望んでいることと解釈するのが自然である。
つまり神は人間を救わないのである。あるいは神など最初から存在しないということになる。これは屁理屈でも何でもなく、実際本書帯に書いてる通り「人間を救うのは人間だけ」なのである。
 ここで注意すべきは、著者は決して「エホバの証人」や「統一教会」などといった評判の悪いカルトの信者ではないという点である。にもかかわらず、キリスト教に入信していたころの彼女の発想は、エホバなどを盲信している人のそれとなんと似ていることか。
聖書など特定の経典や教祖の一言一句を誤りなき言葉として狂信し、世間の良識も科学的真実もそのフィルターでしか見ないという点では瓜二つである。日本では創価に比べ、キリスト教が非難されることは少ないけれど、教えの排他性・異常性というのは福音派を中心にかなり強度のものと気づかされる。
あえて邪教というなら、邪教はエホバ・統一教会・創価・幸福の科学だけではなく、「良識あるキリスト教徒」も実は心理レベルではたいして変わりないのである。


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