マインドフルネス瞑想 Part9 at PSY
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600:神も仏も名無しさん
18/05/05 16:19:01.19 uARvsNAZ.net
思い出す必要がないので思い出さないになる

601:神も仏も名無しさん
18/05/06 07:15:03.36 gKgZZ3Pq.net
@ERcUp5PO2AGVtWh: 有心のマインドフルネスを通らずして無心のマインドフルネスをやろうとすすると、ただ動物化してしまうという罠があるように思いますね。
@neetbuddhist: これは全くそのとおりで、私が「感覚に開かれて、それの告げるままに生きればいいの♪」みたいなお気楽言説に抵抗し続けているのは、
そのようなナイーヴなスタンスに基づいた実践は、多くの場合において本人が単に自身の傾向性の奴隷になり下がること、換言すれば「動物化」を帰結してしまうからです。

602:神も仏も名無しさん
18/05/06 14:12:00.10 NLxGey+m.net
慈悲や戒があれば動物にはならない

603:神も仏も名無しさん
18/05/06 15:51:41.45 Yrz2QeOB.net
実は慈悲はとんでもないものなんです。
だからしつこく慈悲慈悲と書いてある

604:神も仏も名無しさん
18/05/06 17:10:36.69 nHnlQfLf.net
動物でよくね?

605:神も仏も名無しさん
18/05/06 17:20:27.63 Hdz1gzRr.net
>>589
おおっ なるほど ごく真っ当 正当な考え方ですね
多くの人はそんなもんに理由はない! 閉めるのが当たり前で理由もクソもない!というのが普通のような気がします
実はドアの開け閉めはどうでも良いんです その無意識にやっている行動 習慣化している行動の裏にどのような思考 気持ちが潜んでいるかが重要です
ドアを閉め忘れたと思考が起こった時に ドキっとする人は 何かの恐怖がそこに潜んでいます 私または私の大事な何かが失われてしまうと心身が大騒ぎを始めるんですね
私の名誉 存在意義 財産 能力 所有物 それらが苦しみの原因です 実際は放棄しなくてもよくて心理的な放棄で良いんですけどね

606:神も仏も名無しさん
18/05/06 17:23:14.98 D61Fjvxl.net
動物より厄介なのがきた

607:神も仏も名無しさん
18/05/06 18:23:04.86 Hdz1gzRr.net
>>587
頑張って下さい
それに方法というのは段階的なもので 普通の指導者は万人向けに段階を設けた教え方をすると思います
自分の心と対峙するあたりからが面白いので 深く観れるようになるまでは練習だと思ってやってみて下さい
面白いですよ 感動的ですよ 自分にビックリしますよ〜
集中!精神統一!

608:神も仏も名無しさん
18/05/06 19:52:56.61 Yn+gGFV+.net
無智>賢くない思考・言動
智慧>賢い思考・言動

609:神も仏も名無しさん
18/05/06 20:32:10.09 eMg6dhwf.net
賢そうな事ねェ、、、
アイ〜〜ンシュタイ〜〜ン‼

610:神も仏も名無しさん
18/05/06 21:19:16.78 yRKi+XoB.net
>>588
>一般常識からややかけ離れた「心」の人が多い。
今までいろんな人見てきたけどこれはある、確かに。
ゴエンカ式だけじゃなく、グリーンヒルも変な方向に行く人が多い印象。
スマナサーラさんやプラユキさんのところの人は比較的バランス取れてるように見える。
初心者が多いせいかもしれないけどね。

611:神も仏も名無しさん
18/05/06 21:37:18.62 eMg6dhwf.net
スベってるスベってるスベってる
では気を取り直して
なんか般若心経スレに賢そうな文章あったなそういえば…
スレリンク(psy板)
なかなかエスプリの効いた巧みな文章だと思わないかい君たち
666 神も仏も名無しさん[] 2018/04/24(火) 03:59:31.37 ID:sFSqpfZN
大海で風が波を掻き立てている時、安全な陸の上から、海上にいる他人の苦労をながめていのは面白い。
他人が困っているのが面白い楽しみだと云うわけではなく、自分はこのような不幸にあっているのではないと自覚することが楽しいからである。
とはいえ、何ものにも増して楽しいことは、賢者の哲学を以て築き固められた平穏な知的高所にいて、人々を見下し、彼らが人生の途を求めてさまよい、あちらこちらと踏み迷っているのを眺めていられることである。
能力を競い、人間関係に悩み、日夜甚だしい辛苦を尽くし、あくせくしている愚かな人々を眺めていられるのは、本当に楽しいことである。

612:神も仏も名無しさん
18/05/06 21:57:06.60 eMg6dhwf.net
うぉっ、間違えてスレ誘導してしまった…
まいっかぁウペッカーでしょマイフルは
667 神も仏も名無しさん[] 2018/04/24(火) 04:01:09.16 ID:sFSqpfZN
幸せをよぶ人は、日常の生活が安らかで静かであることはいうまでもなく、
夢みる魂までも、和やかである
不幸をよぶ人は、日常の言動が悪どいことはいうまでもなく、
その声音や笑い声までも、まるごと人の心を逆なでする

613:神も仏も名無しさん
18/05/06 22:48:52.85 NLxGey+m.net
プラユキさんはご本人もバランスが取れた人に思える
手動瞑想がいいのだろうか
ご本人は昔ゴエンカさんの合宿にも行ったし、蚊に全身刺されても動じないようなやりかたしてたってね
そういうのを経ての現在だから、説得力あるような
でも、手動瞑想って瞑想って気がしないけど、やりこむと違うのかな

614:神も仏も名無しさん
18/05/07 09:03:43.28 pvdxdw9K.net
>>610
ゴエンカ式だけじゃなく、ほかでも様々問題はあるが、ゴエンカ式での問題の特徴として、
問題の原因究明を十分に行なわず、曖昧な対応で済ませてしまう傾向がある。
問題の再発を防ぐためには、原因究明と対策が必要なのだが、それを行う事は担当者の
人格否定だとでも思っているのか、究明と対策がおろそかなので、問題の本質が中々
解決されない。
AT(アシスタント・ティチャー)と呼ばれる指導責任者が10日間の合宿瞑想の責任指導者
だが、そのATによっても差が大きい。ATに問題があって、他のATがそれを知っていても
互いに問題点を指摘し、改め行こうという気風はない。

615:神も仏も名無しさん
18/05/07 11:28:12.13 yVIkReP3.net
手動瞑想、呼吸瞑想、歩行瞑想これらの共通点が
瞑想のもとだと思う

616:神も仏も名無しさん
18/05/07 14:06:03.18 Me5Wn2re.net
>>615
>これらの共通点が瞑想のもとだと思う
では、「これらの共通点」の、エッセンスとは?
自身の肉体の一部に意識を集中して、他の妄念が沸き起こらないように
意識を制御すること?

617:神も仏も名無しさん
18/05/07 15:25:04.32 qz8lNU44.net
ヴィパッサナー瞑想はなぜ合宿体験しない方がいい結果なのか?
URLリンク(seishinkougaku.com)

618:神も仏も名無しさん
18/05/07 16:10:23.09 0kf2kG1T.net
心身の活動に巻き込まれずそこから離れてただ全てをありのままに観るだけの観察者になることだろ

619:神も仏も名無しさん
18/05/07 16:58:27.36 wlodwu1Z.net
>>617 の 山西 茂氏の「ゴエンカ式ヴィパッサナー合宿瞑想」については、些か古い情報で誤っている
部分もある。
また、なぜ合宿体験しない方がいい結果なのか?についても、緻密な調査に基づいた結果か疑わしい
そのような主張をするなら、綿密で合理的な調査結果のもとに発言すべきだろう。
「「寄付金」には、もちろん「領収書」もでません。」とあるが、領収書は出る。
山西 茂氏の考え方、見方も一つの意見として否定はしないが、やや的外れな批判と感じる部分も
少なからずある。
ただ「そういう「悟れていない人」が、宗教団体で幹部になる構造的問題があります。」については
まさしくその通りで、「悟れていない」どころか、幹部になったことで増上慢となり、自我を抑圧させつつ
肥大化させ、一般常識からかけ離れた人格形成となる人が多い。
ゴエンカ師の指導規範があるので、大きな逸脱はないと思われるが、幹部の増上慢が、自分達の行って
いることは正しいという「盲信のような気風」がカルトの芽生えにも似た状態となっている。
幹部による人権侵害やパワハラのような違法行為が容認されているのが、今のゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想
だとも言える。

620:神も仏も名無しさん
18/05/07 18:16:13.85 Hbdn/+jz.net
ヴィパサナの定義ですね 私も参加させて下さい
私の定義は 心身で1秒の間に数えきれないほど発生している現象の一部を 極端な集中力 精神統一 脱力などによって観る方法
言い換えると体感的な時間の流れを極端に遅くなるよう操作してスローモーションの自分を観る方法
またはそれを実現するために心身の観察を通してそれを妨げている肩の荷を下ろす方法
ひと段落ついた状態から考えるとこんな風に感じますよ
あー 今日から仕事だ 疲れるー

621:神も仏も名無しさん
18/05/07 18:51:18.13 Tp0dlHED.net
>>617
このサイトは
『メールマガジン「脳科学で願望実現を可能にする実践講座」』
『引き寄せの法則や社会的洗脳の仕組みなどを正しく理解し、具体的な実践としての、誰にでも導入できる瞑想方法や自己催眠を詳しく解説します。』
なので内容はお察しな感じですなあw

622:神も仏も名無しさん
18/05/07 20:15:49.39 tPKPncbF.net
手動瞑想、呼吸瞑想、歩行瞑想、ヴィパッサナー瞑想。
どの瞑想法が一番自分にあっているか、様々模索して余計な回り道を
してしまいそうだが、結局はどの道もたどり着く頂上は同じだと思い、余り
迷わないほうがいいとおもうのだが

623:神も仏も名無しさん
18/05/07 20:51:03.28 w9ib7w/H.net
それが習禅

624:神も仏も名無しさん
18/05/07 20:52:04.52 w9ib7w/H.net
たどり着く頂上?

625:神も仏も名無しさん
18/05/07 21:50:12.68 Id/L6LpO.net
>>617
俺の感想は違っていて、
去年初めて参加したときの合宿は、先生もコーディネーターの人もとてもいい人だったよ
人の痛みとか、自然な感情を自然なものとして認める能力のある人だった
その後一度行った一日瞑想会の先生も同様、素晴らしい人にみえた。
静かで温厚で偉ぶらず、こうなりたいと思えるような人たちで、
一生モノのアドバイスももらえた
ただ、肝心のゴエンカ師の講話テープは、自分にはちょっときつかった
失敗例と他メソッドの欠落みたいなのの繰り返しで、耳をふさぎたくなるほどだった
まあミャンマーで瞑想の純粋性を保つためには仕方ないのかなと思った。
悲しむと、なくなった人たちに暗い波動がつたわって不幸になる、とか言われ、身内をなくした
あとだったので絶望的になった
でも日本人の先生は、死別はもっとも悲しいこと、涙を止めないでいい、でも、
自分がかわいそうだと思ってしまうようなら、感情に引っ張られすぎだと。
とても腑に落ちるアドバイスだった
まあゴエンカ師も、思想や信じる信じないに関わらず効果のある瞑想だと
いっていて、その通りだと思った

626:神も仏も名無しさん
18/05/07 23:23:27.47 z6gzUmY9.net
URLリンク(www.geocities.jp)

627:神も仏も名無しさん
18/05/08 14:43:29.22 M3Obh2BR.net
人の業を見るな 己の業だけ見よ
これって他者の名誉を自慢してる人間にも言える

628:神も仏も名無しさん
18/05/08 14:52:52.41 LaoJdIUG.net
と、他者について語ってみました

629:神も仏も名無しさん
18/05/08 14:58:10.71 TOnWJp7S.net
>>627
スマナサーラ長老の仏教法話@jtba_talk
殺生する人は短命・病弱になるのだと、ブッダは業論のなかで語られています。
今世に限ったことではありません。
今世で逃げることできても、身体はくたくた壊れているはずです。
遊びで狩りをしたり、釣りしたりする人は、頭がおかしくなるのです。

スマナサーラ長老の仏教法話@jtba_talk
今世だけではなく来世でも短命、病弱、殺されたりして、キリがないんです。
生命の法則を知っているなら、一匹の生命も奪えないのです。
それは自分を守るためです。
教えてもらってイヤイヤ守ることはないのです。
我々が戒律・道徳を教える場合は、ただ教えてあげるだけ。「これが生き方だよ」と。

630:神も仏も名無しさん
18/05/08 14:59:02.49 TOnWJp7S.net
「ブッダ感興のことば」より
人がもしも善または悪の行ないをなすならば、かれは自分のした一つ一つの業の相続者となる。
実に業は滅びないからである。

悪い事をしても、その業は、刀剣のように直ぐに斬ることは無い。
しかし、来世におもむいてから、悪い行ないをした人々の行きつく先を知るのである。
のちに、その報いを受けるときに、劇しい苦しみが起る。

生きとし生ける者どもは死ぬであろう。
生命は終には死に至る。
かれらは、つくった業の如何にしたがっておもむき(それぞれ)善と悪との報いを受けるであろう。

631:神も仏も名無しさん
18/05/08 14:59:40.04 TOnWJp7S.net
666
けだし何者の業も滅びることはない。
それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。
愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。
(ブッダのことば−スッタニパータ)
URLリンク(76263383.at.webry.info)

632:神も仏も名無しさん
18/05/08 15:01:38.21 TOnWJp7S.net
【ミリンダ王の問い 第一篇 第四章 第三節】
王は問う、
「尊者ナーガセーナよ、いかなる理由によって人々はすべて平等ではないのですか?
すなわち、ある人々は短命で、ある人々は長命です。またある人々は多病であり、ある人々は病が少ないです。
ある人々は醜怪ですが、ある人々は端麗です。ある人々は力弱く、ある人々は力が強い。
ある人々は財少なく、ある人々は財が多い。ある人々は卑賎の家に生まれ、ある人々は高貴の家に生まれます。
ある人々は愚かであり、ある人々は賢明です」
「大王よ、なぜ樹木はすべて平等ではないのですか?
<それらの果実についてみるに>、あるものは酸っぱく、あるものは塩からく、あるものはにがく、
あるものは渋く、あるものは甘いです」
「尊者よ、それはもろもろの種子が異なっているからだ、と私は思います」
「大王よ、それと同様に<宿>業の異なることによって、人々はすべて平等ではないのです。
すなわち<その故に>ある人々は短命で、ある人々は長命です。
(中略)大王よ、世尊(釈迦)はこのことをお説きになりました。
―『バラモン学生よ、生けるものどもは、それぞれ各自の業を所有し、業を相続するものであり、
業を母胎とし、業をよりどころとしている。
業は生けるものどもを、賤しいものと尊いものに差別する』と」
「もっともです、尊者ナーガセーナよ」

633:神も仏も名無しさん
18/05/08 17:11:41.41 +FpuTKSy.net
「正法眼蔵」に(道元の中国での師)如浄禅師は
「参禅は心身脱落なり 焼香、礼拝、念仏、修懺(しゅうさん・・懺悔の法を修して身心を清浄にする)、看経(かんぎん・・お経を唱える)を用いず、只管(しかん・・ひたすら)に打座するのみ」と示し、
さらに「身心脱落とは坐禅なり。只管に坐禅するとき五欲煩悩が除かれる」
と説かれたと記している。
つまり禅の修行は焼香も礼拝も念仏も懺悔(さんげ)も読経も不用である。只ひたすら座禅することが身心の脱落に通じることなのだ。
焼香、礼拝、念仏、修懺(しゅうさん)、看経(かんぎん)を用いずといわれたからといって、
参禅修行においてそれらの行為をすべて排除するということではもちろんない。
それらは悟りにおいての直接的手段とするものではないからである。
だが、不用であっても不要では決してない。
禅者は日常生活、すなわち行住座臥著衣喫飯そのものが、仏作仏行であり、座禅であり、仏法そのものであると言われていることからでもわかる。
URLリンク(www.jyofukuji.com)

634:神も仏も名無しさん
18/05/08 17:13:44.20 +FpuTKSy.net
ちなみに道元によると座禅においては心は頭ではなく法界定印を結んでる右手の上の左手に置くように、と

635:神も仏も名無しさん
18/05/08 18:06:43.59 M6KPJ4Yq.net
座禅はダメだわ じれったい
1/3の確率で死んでしまう 高い崖の上から年に2回飛び降りる修行の方が絶対早い
死ぬか大悟するまで続ける
どう?

636:ポッタン師
18/05/08 18:21:59.99 A7E4oaOi.net
633.
身心脱落、したらば、どうするか、という問題である。

637:神も仏も名無しさん
18/05/08 20:11:25.05 M3Obh2BR.net
他人の過失を見るなかれ。他人のしたこと・しなかったことを見るな。ただ、自分のしたこと・しなかったことだけを見よ(ダンマパダ)

638:神も仏も名無しさん
18/05/08 20:58:46.35 cEYBB/mW.net
5ちゃん見ない方がいいな

639:神も仏も名無しさん
18/05/08 21:17:24.17 81Jh6NrC.net
「身心脱落」って、ある種悟りへの過程で起きる「心の状態」を表現したものだと理解していたけど、違うの?

640:神も仏も名無しさん
18/05/08 21:33:25.16 kD5PFUYS.net
【エフライム族】 皇室=十支族  神道=ユダヤ教
スレリンク(kyoto板)

641:神も仏も名無しさん
18/05/08 21:35:09.40 vif/UtJY.net
>>635
或いは、須弥山の高い山の上で、
誰かに突き落とされるようなときでも、
かの観世音菩薩の力を念じるならば、
太陽のように虚空に住するであろう。

642:神も仏も名無しさん
18/05/09 09:33:28.16 uZmUU6BM.net
URLリンク(youtu.be)
「そっち行っちゃいます?」www

643:神も仏も名無しさん
18/05/09 09:42:56.42 uZmUU6BM.net
>>638
悟りですね

644:神も仏も名無しさん
18/05/09 12:24:29.29 cVhZzkPw.net
>>638
真面目な瞑想者ほどここで得るものはないと悟って、離れていくような気がします。
以前は面白くてかつハッとさせられるレスが結構あったんですけどね。
最近は自身の瞑想そのものの参考になるようなレスがめっきり減った気がします。
まあ、私は不真面目な瞑想者なので惰性でここ見てますけども。

645:神も仏も名無しさん
18/05/09 13:43:58.48 Mb30d6Ub.net
自分の分別をしないでいられるようにマインドフルの実践するには5ちゃんはいい修行場所だけどなー
無駄だと思ったり感情が生じる場所のほうが反応している自分に気づきやすいし
わざわざマインドフルネスしづらいとこに行かなくてもいいのはそうだけど

646:神も仏も名無しさん
18/05/09 21:11:54.87 bWdFn5Eb.net
ここに「内観」の経験者はいますか?
一週間のコースを体験すると殆どの人は心境が激変するそうです。
そして内観を行ってから「瞑想」すると瞑想の深まりが顕著だと聞いています。

647:神も仏も名無しさん
18/05/09 21:36:33.27 2Zx5gNR5.net
>真面目な瞑想者ほどここで得るものはないと悟って、離れていくような気がします。
憶測で他人を持ち出すのは余計なことじゃない?
俺様はこのスレはつまんねーよ、って言えば済む話じゃん

648:神も仏も名無しさん
18/05/09 21:52:52.24 QDmUeeQr.net
>>646
私がやっていたような方法かな?
とりあえず仮にでもわかりやすいストーリーを作って心の納得 落とし所を決める感じでしょうか?
心理学なんかでよくある悩みのパターンを調べれば大なり小なり大抵自分も当てはまるので 瞑想の準備運動になるし 中にはそれだけで満足する人も多いと思います
まあ勇気はいるんですけどね
風呂上がりのさっぱりしたような気持ちで瞑想に移れます しっかりした自我を確立するためでもありますね
親との関係 イジメ 貧乏 兄弟関係 性に関することe.t.cでつまづいてる人は良いかもしれない

649:神も仏も名無しさん
18/05/09 22:17:43.60 Pu6QVgkL.net
>真面目な瞑想者ほどここで得るものはないと悟って、離れていくような気がします。
以無所得故――得る所無きを以ての故なり
<般若心経>
*空(くう):二つの意味がある。
1.無我(むが)
あらゆる物は因縁によって四大(しだい)が和合したものにすぎず、時々刻々と変化するために、時間によらない個性は存在しないことをいう。(小乗)
2.平等(びょうどう)
物を差別あるいは区別しないことを『平等』という。
特に『我』と『彼』を区別しないことをいう。
自分と他人とを区別して意識することを顛倒(てんどう)した見解として、あらゆる苦しみの根本的な原因であると見なすことが仏教の特徴である。(大乗)

*無所得(むしょとく):一切のものは平等であり、区別できないと悟ったとき、得るという概念はもうなくなる。
何故かと言うと、その人は既に持っているからである。
人が覚るべきものは何もないと言われる理由でもある。
※所得(しょとく)とは執著し分別するの義。
無相の真理を体すれば心中に執著する所無く、分別する所も無し。これを無所得という。

*阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい):仏の覚り、あらゆる生き物が幸福になった時、または幸福になることを確信した時の心の境地。
また無上正遍知(むじょうしょうへんち)ともいい、一切の真理に通じる仏の智慧をいう。
仏とは一切衆生(すべての生き物)を既に幸福にした人、もしくはそのためのプログラムを確信して心に迷いが一切無い人。
そのような仏の心の状態を阿耨多羅三藐三菩提という。

650:神も仏も名無しさん
18/05/09 22:19:44.54 VCrq1r+s.net
>>648
それとは違うでしょう。
「内観」とはネットで検索すれば詳しく出ますが、元々は浄土真宗の修行法の「身調べ」を
吉本伊信という方が昭和20年代に現代風に再構築したものです。
日本中に「内観研修所」は何箇所もあり、一週間で自身を見つめる訓練をします。
幼少期から今現在まで、3つの事について考えます。
1、世話になったこと
2、して返したこと
3、迷惑をかけたこと
やったことのない人には理解しがたいでしょうが、この一週間で心の中に激的な
変化の起きます。涙・涙で内観を終える人が殆どです。
行った事のない人は是非一度体験すると良いでしょう。
10日間の合宿ヴィパッサナー瞑想などより、良い効果があると思います。
私は随分前に一度経験しておりますが、「瞑想」が話題になるのに、なぜ「内観」が
話題にならないか不思議です。

651:神も仏も名無しさん
18/05/09 22:23:33.54 xPjw5taZ.net
内観療法とは
URLリンク(www.nara-naikan.jp)

652:神も仏も名無しさん
18/05/09 22:33:07.80 /mkhZgL+.net
ドア開けっ放しの人
どこにでも口を挟みたがる

653:神も仏も名無しさん
18/05/09 23:00:35.32 s62BQhVt.net
愛してまーす

654:神も仏も名無しさん
18/05/09 23:27:48.01 xTCcX5xL.net
全部内観だからじゃね?

655:神も仏も名無しさん
18/05/09 23:40:49.11 2Zx5gNR5.net
スレリンク(psy板:549番)-559

656:神も仏も名無しさん
18/05/10 01:18:39.39 u7Rn10QS.net
内観は仏教からは逸脱しているのに坊主が率先しているのはおかしい
内観はキリスト教のザンゲ(懺悔)の一形態であって、
仏教のサンゲ(懺悔)はそんなくだらない一々の出来事ではとらえきれないあらゆるすべての行為に対してごっそりまとめて謝るのであって(始まりのない永遠の過去世から現在に至るまでの行為)、
自分がこれまで何をやって来たかのような「自己という幻想」に出番はない

657:神も仏も名無しさん
18/05/10 02:10:56.09 LqGhB5Ta.net
>>656
まったく的外れの意見です。 批判をするならせめて自身で体験してからが良いでしょう。

658:神も仏も名無しさん
18/05/10 06:12:41.04 pGCOgf3j.net
>>656
>あらゆるすべての行為に対してごっそりまとめて謝るのであって
とりあえず内観を「そんなくだらない一々の出来事」とこき下ろすことを謝れば?
それで救われる人もいるはずだから

659:神も仏も名無しさん
18/05/10 07:22:56.05 R2Iqi/QS.net
グリーンヒルの地橋さんは内観すすめてたね。
著作で懺悔の瞑想というのも紹介してる。
ゴエンカさんの合宿のメッターでも、「今まで迷惑をかけた人」にメッターを送ってたような
自我は「迷惑をかけられたこと」という一方的なストーリーでものを見がちだから、
それを突き崩す助けになるのでは

660:神も仏も名無しさん
18/05/10 07:38:42.49 nqkLfgO/.net
>>650
へぇー 浄土真宗が起源のところもあるんですね
やっぱり涙 涙になるんだw 細かいところは自己流とはもちろん違うだろうけど結果は同じようになるんだな....
ポイントを3つに絞ると しかし親の悪い影響が原因で今の苦しい自分がいる みたいなネガティブなやり方はしないと
ここは一週間では無理だからあえて踏み込まないのか 悪感情が爆発する危険性を回避しているのか
生の体験談ありがとうございます 勉強になりました

661:神も仏も名無しさん
18/05/10 11:10:29.94 BIYC0gfo.net
内観は昔知り合いがしててその効果を聞いたけど、瞑想でも深い瞑想状態まで行くと嫌でも過去の記憶に直面しなければならない段階があるし、わざわざ別枠でする必要あるかな、って思ってしなかった。
結果的に内観なしで過去の荷を下ろした感じだけど、ジャーナに入るのに何年もかけられない人には有りかなとは思う。

662:神も仏も名無しさん
18/05/10 11:35:11.68 a7OKh2Di.net
僧侶の立場から見た「内観」
URLリンク(www15.wind.jp)
>私自身も、山寺に籠って修行したり、密教の瞑想である阿字観をしたり、山々に登って修験修行をしたりしましたし、
>時には禅宗のお寺で座禅をした事もございますが、どのような修行方法でも長い年月が必要だと感じました。
>そこで、短い期間で、事実をありのままに観る訓練は出来ないものかと考えていたところ、「内観」に出会いました。
>「内観」は、先入観や感情や偏見などのフィルターを透さず、事実をありのままに観る為の訓練であり、僅か一週間の実践です。
>私も最初は、一週間でどれほどの効果があるのか半信半疑で研修を受けてみたのですが、
>一週間経ってみると、僧侶の数年分の修行が凝縮しているのではないかと感じた程でした。

663:神も仏も名無しさん
18/05/10 12:57:10.63 YPYGJnzK.net
>>662
>一週間経ってみると、僧侶の数年分の修行が凝縮しているのではないかと感じた程でした。
個人差のあることなので、出来るだけ控えめに表現しますが、全くその通りで「内観」を行い
一旦心を整える事で、その後の瞑想の深まりが全く異なると思います。
例えて言うならば、「内観」を行なわないでの瞑想はビニール包装されているスポンジのような
もの。
「内観」を行ってから瞑想に望むことはビニール包装を剥いだスポンジのようなもの。
瞑想が水だとすれば、ビニール包装を剥いだスポンジが水を吸収し易いのは明白です。
本格的に瞑想を行いたい。深い瞑想に至りたいとおもうなら、「内観」 を行い、引き続き
瞑想に入る事をお勧めします。
一週間の「内観」 によって、全てに対する「深い感謝と素直で謙虚な心」となりましょう。

664:神も仏も名無しさん
18/05/10 18:55:24.38 4rq30ZLt.net
原始仏教で言うところの業って現代医学のストレスではないの?

665:神も仏も名無しさん
18/05/10 19:06:02.74 Xt/xortI.net
チョット違うと思う。

666:神も仏も名無しさん
18/05/11 09:23:12.01 7AlNObiQ.net
「マインドフルネス瞑想(めいそう)」は本当に効果があるのか?
URLリンク(gigazine.net)

667:神も仏も名無しさん
18/05/11 13:50:48.04 nWI8nb01.net
無我について
URLリンク(r25.jp)

668:神も仏も名無しさん
18/05/11 17:59:06.54 pVbHE/pX.net
>>667
秘伝中の秘伝がさらっと紹介されててワロタw

669:神も仏も名無しさん
18/05/11 19:11:57.28 Xl95M4FA.net
ひょっとすると瞑想は続けてると段々と世俗のことがどうでもよくなってきて「ま、いいか」病に陥るかもしれない
既に自分はそうなりつつある
昔SSRIという抗うつ剤を飲んでいた時と同じような感じになってきた
「ま、いいか」で細かいことにこだわらず怖いものもなくなりやる気になればいいのだが、やらなくても「ま、いいか」となり無気力の方向に走る傾向のほうに陥る

670:神も仏も名無しさん
18/05/11 19:26:23.03 Fv+qAAGJ.net
>>669
あっ!それはよく分かる。 あるヴィパッサナー瞑想の先生は、良く言えば「物静か・穏やか・
動じない・冷静・・・・」ともいえるが、物事に対して感情の起伏が無さすぎる。
社会的な問題や、悪しき出来事にも常にさめた感じで、話をしても物足りなさを感じる。
オマイには情熱は無いのか!と言いたく成る程だが、本人はそういった冷静さこそが
瞑想が進んだひとつの現れだとも思っているのだろう。
それが良いのか悪いのか自分には今ひとつ判斷できないが、なんだかなぁ〜!ってな感じ。

671:神も仏も名無しさん
18/05/11 19:47:29.87 uPMVIgi3.net
そういうのって、戒の要素を全く無視して瞑想しているからでは?

672:神も仏も名無しさん
18/05/11 19:51:31.62 uPMVIgi3.net
「あるヴィパッサナー瞑想の先生」のことじゃないよ

673:神も仏も名無しさん
18/05/11 19:59:36.89 QNf8UN5f.net
情熱って聞こえはいいけど自分が持ってないものを欲しがってるだけだからなあ
手に入れたものなんてみんな死ぬときまた手放すだけだしあっていいと思うのは悟りたいっていう情熱くらいかなおれは

674:神も仏も名無しさん
18/05/11 22:30:18.22 PoU5HzLS.net
悟った後の釈尊の45年間は悟る前の35年間よりはるかに厳しい人生だし挫折と妥協の繰り返しですが、悟りたいと思う人というのは、悟りとは何かを大きく勘違いしてるんだろう
それは頑張って上り詰めたゴールではなく、いきなり崖っぷちに立たされてのスタート
落ちるのがわかっていても歩みはじめる
そういうものだ

675:神も仏も名無しさん
18/05/11 22:38:02.91 M0tErQt/.net
>>674
済まないが言ってることが俺のボケ頭には理解できない。できれば分かりやすく書き直してほしい。
『悟った後の釈尊の45年間は悟る前の35年間よりはるかに厳しい人生だし挫折と妥協の繰り返しですが』と
書いてますが、その断定の根拠って何なのでしょう。
単なる個人的な推測と思い込みなら全く意味の無い記述だし、文章全体の意味合いが変わってしまいます。

676:神も仏も名無しさん
18/05/11 22:44:50.17 0+Ntgb5i.net
釈迦は事実上、人間を宗教から解放させるために教えを開いた。
原理としては【神】という物を宗教から追放した。
仏教全般に言えることなのだが、【神の否定】は決して正しいとは言えない。
神の否定は【髪】の否定でもある。
けっして冗談ではない。

677:神も仏も名無しさん
18/05/11 23:15:59.69 Zym2uauY.net
>>669
調子が悪い時は確かにそうだけど、うつの症状が和らぐにつれてまあなんとかなるに進化するからあんまりそこら辺は、気にしなくていいんじゃない?

678:神も仏も名無しさん
18/05/11 23:37:55.66 DYDICZ2h.net
原始仏教の経典の中に神が出てきて釈迦と話をしてるのは、ありゃなんだ

679:神も仏も名無しさん
18/05/11 23:53:46.90 RItah7ln.net
原始仏教の経典でなくとも、いま日本で読まれている多くの経典には神や仏が出てきて
釈迦の説法を聞いている。
お経によれば、お釈迦様は遥か久遠の昔に覚者となっている。そして改めて2500年前に
この世に誕生し、修行して仏陀となった。
だから、瞑想によって悟りを開いたというよりも、瞑想によって悟りを思い起こしたと言った
方が正しい。
既に過去世で幾度も釈迦となった身だからこそ「覚者」となり得た。
よって、我々のような凡夫がこの世で幾ら瞑想しようとも、その効果はたかが知れている。
阿弥陀経などによれば、遥か十劫という長い長い昔に仏となった存在が阿彌陀佛であり
他の多くの仏の存在も説かれている。
つまり、仏教という宗教は釈迦の教えから発しているのだが、所謂『仏の世界』はとんでもない
遥か昔に既に出来上がっているのである。
日本の仏教でもその事は余り教えとして説かないが、お経にはそう記されている。

680:神も仏も名無しさん
18/05/12 00:20:26.62 Kp9gXoIe.net
>過去世で幾度も釈迦となった身
わろたww

681:神も仏も名無しさん
18/05/12 00:22:19.50 xIXPZHID.net
そりゃ大乗の世界観じゃねえのか

682:神も仏も名無しさん
18/05/12 01:04:53.29 vEbwQhu2.net
大乗仏教といえども、釈迦滅後500年頃の編纂成立を言われている
よって、大乗経典だからといって軽んじる事はできない。
原始経典でろうが、大乗経典であろうがお釈迦様が直接書き残したものは
何一つなく、今となってはお釈迦様の教えはお経を拠り所とする以外ないのである。

683:神も仏も名無しさん
18/05/12 08:22:32.01 dpfjPNWs.net
>>675
ほんとうにボケ頭なんだな
もっと分からなく書いてやるわ
悟った後のブッダは、釈迦族滅亡、不本意な女の出家、コーサンビーの破僧、デーヴァダッタの破僧など、ロクな出来事に遭遇してない
もちろんふざけた比丘衆の後始末なんかは無数にある
仏教学者の間には仏教がはじまったのはどの瞬間か(つまるところ悟りとは何か)という定番のネタがあって、
1. 菩提樹下の瞑想によって法を得たその時
2. 梵天勧請によって法を説くことを決め立ち上がった時
3. 初転法輪として初めて法を説いた時
この3つが議論され、2か3とする人がほとんど
1は自分だけが法楽を得て満足している状態
2は1によって導き出された慈悲の心の発露
3は2の実践
本来なら1で良かったのに、人間には本質として慈悲というものが備わっているのか、やらなくてもいいのに自分から進んで荒野に向かった
結果、大勢の釈尊の弟子が生まれ、組織を運営統理することとなり、世俗にまみれることに
実に釈尊の悟りとはこういう行動そのものであって、自分1人の瞑想ではなんの意味もない
これを端的に表しているのは『大日経』の三句の法門
「菩提心を因とし、大非を根とし、方便を究竟とす」
「原因は悟りを得たいという心であり、根本には慈悲がある故に、最も重要なのは衆生救済の方法である」
悟りを得たいと思うのであれば、現に今、誰かの苦を抜くために行動するしかなくて、釈尊はそれを45年間やり続けて死んだ
そんなことがしたいなら悟りたいと思って頑張って行動すればいい

684:ポッタン師
18/05/12 08:27:32.62 jREcu+jD.net
683.
それは、生活の問題である。
それは、宗教の問題ではない。

685:神も仏も名無しさん
18/05/12 09:15:15.67 UMJ4DL2q.net
>>670
私の尊敬する先生は、落ち着きがありながらも感情豊かで、様々な社会的な問題にも積極的に取り組まれていますよ。
日常生活に役立たないなら瞑想なんてするべきじゃないという理念の先生で、私自身瞑想で無気力に落ちていた際に先生から、瞑想で心が整ってきたら失敗を恐れずに新しいことに挑戦しなさいと指導されました。
先生を見て何か違和感を感じたなら、その先生の理念なり目指すところとの相性が合わなかったのでしょう。

686:神も仏も名無しさん
18/05/12 10:07:24.60 +E0jwK+e.net
>>685
誰それ?
教えて
私の先生、全く落ち着き無いです。

687:神も仏も名無しさん
18/05/12 21:37:41.06 yIp2CHvG.net
日本曹洞宗の開祖である道元禅師は、「座禅をする時は心を左の掌に置くべし」と言いました。
これは、道元禅師が中国で師事した如浄禅師(宋朝時代の代表的禅僧)からの教えだといいます。
これも頭を空っぽにするには、意識を頭から出して、掌の上に置くようにしなさいということです。
(心がスーッとなるブッダの呼吸法 高田明和)

688:神も仏も名無しさん
18/05/12 21:43:03.18 7tiOYb6f.net
まず悟りと宗教 哲学は全く関係がないと思って下さい
ある日普通の主婦 サラリーマンがそれらのバックボーン無しにそれに至ることも当然あります
また仏教の専売特許でもありません 他宗教の聖典でも目覚めに関しての記述はたくさんあります
また悟った後に本を書いて伝える人もいれば 瞑想教室を始める人もいるでしょう 何も生活が変わらない人 同じ仕事が続けられなくなってリタイヤ 転職する人もいるでしょう
共通するのは自分を含めて世界のことに興味が無くなること それと同時に楽になることです
他の人にも楽になって欲しいというところだけは何故か残りますが 中には思わない人もいたかもしれません
宗教は予備校 方法論なんです 悟っていない人にだけ役に立つサークルのようなものです

689:神も仏も名無しさん
18/05/12 22:25:49.94 NCE0wqvJ.net
誰も質問してないことを突然解説始める人の頭の中ってどうなっちゃってるんだ?
普通の日常会話でもそんな感じなのかね?

690:神も仏も名無しさん
18/05/12 22:37:36.13 EDz8Us4U.net
まぁまぁ、良いではないですか。 それぞれの瞑想への考え方の一端が分かるから。

691:神も仏も名無しさん
18/05/13 01:01:56.73 wFGKPKK1.net
他人に言いたいことがいっぱいあるんだろう

692:神も仏も名無しさん
18/05/13 11:58:37.41 HtJY4ojK.net
まいんどふるちんしてますか


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