【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践11 at PSY
[2ch|▼Menu]
[前50を表示]
150:123
16/03/11 15:59:12.64 Vuy9/rAu.net
瞑想は方法である。
それは宗教ではない。

151:神も仏も名無しさん
16/03/11 18:20:47.43 QJHXA+tk.net
スレタイ嫁

152:神も仏も名無しさん
16/03/11 18:29:20.00 QJHXA+tk.net
ブッダの教えは修行して自己鍛錬しろってことなんだよ
瞑想だの座禅だのお寺で修行したりして自らの精神を鍛えることで自分


153:自身で自分を浄化していくことが大事だといってるんだよ



154:神も仏も名無しさん
16/03/11 18:39:20.31 QJHXA+tk.net
ヴィパッサナー瞑想は今や科学的に精神安定効果があることが認められてきているからね。
ヴィパッサナー瞑想は西洋ではマインドフルネスといわれ、脳科学者が研究対象にしたり、心理治療に浸かったりしてる。
URLリンク(www.amazon.co.jp)
かのGoogleでも採用していると本にあるね。
URLリンク(www.amazon.co.jp)

155:神も仏も名無しさん
16/03/11 18:40:22.75 QJHXA+tk.net
つまり、「救い」とは求めるものではなく、自ら行うものなんですよ。

156:神も仏も名無しさん
16/03/11 18:41:46.71 QJHXA+tk.net
×浸かったり
○使ったり

157:123
16/03/11 18:48:18.86 Vuy9/rAu.net
145.
ブッダの教えと修行、瞑想、坐禅とかの分離ができないことは限界である。
それを修行バカと言う。

158:神も仏も名無しさん
16/03/11 19:22:59.24 TR3LXbD0.net
仏陀が実在した証拠すらないのに、仏陀の教えがどうのとしか言えないカルト脳

159:神も仏も名無しさん
16/03/11 20:24:34.90 EDTKvMEe.net
まあ、ブッダダーサとかアーチャン・カヴェサコなどはヴィパッサナーを用いず(否定的ですらあった)、ひたすらアーナパーナで行ったからねえ。
アーナパーナを正しく実践するなら、アーナパーナ自体がサマタであり、ヴィパッサナーであり四念処を完成できるという。
またグラナタナ長老などは明確にステップ化した方法論を指導したし、いろいろですな。

160:神も仏も名無しさん
16/03/12 13:27:50.64 ypVP/jp4.net
いずれにしてもごちゃごちゃ言って何も実践しない奴は何も成し得ないただのうんちくオタクなだけ

161:闇カケラ ◆o6yWDVScuw
16/03/12 14:02:33.22 8AW4xojC.net
何を目的にするかですよねぇ神秘体験なのか知識というか知恵なのか?

162:神も仏も名無しさん
16/03/12 18:29:16.93 qPxmngaQ.net
ゴエンカ式、
マハシ式、
パオ式、
チャルーン・サティ式、
アーナパーナ式、
どの道を歩もうと良いと思います。
要は自身が歩んでいる道以外の道を否定したり、攻撃したりしないこと。
開いた姿勢でいることが肝要ではないかと。

163:神も仏も名無しさん
16/03/12 22:32:43.55 MQRkkg77.net
アーナパーナ式ってなんだ。

164:神も仏も名無しさん
16/03/12 22:34:22.71 MQRkkg77.net
大念住経の日本語訳でてるんだから読んだらええと思うのよ。
○○式っていう違いは、実際には同じお経の別の行をやってるだけでしかないことがわかるでしょう。

165:神も仏も名無しさん
16/03/13 03:13:42.60 uuyI22wW.net
>>132を見て思ったんですが、
マハーシ派でもパオ派でもなんでもいいですが、今の上座部仏教で阿羅漢だと自称してる方はいるのでしょうか?
認められたということでもいいですが。
別に煽りではないのですが、釈迦の時代も阿羅漢と認められた方がいたのだから、
今も自称する方や認められた方がいるのかなと思いまして。
修行を修めたみたいな言い方は聞きますが、阿羅漢だ、みたいな言い方は聞きませんが何か理由があるのでしょうか?
もしいるのでしたら何という方かもお聞きしたいです。

166:神も仏も名無しさん
16/03/13 04:19:59.48 /PA+0x+e.net
>>158
阿羅漢に限らず、外部に向かって自分が悟ったとか解脱したとか
宣言してはいけないという戒律がパーティモッカの中にあります。

167:神も仏も名無しさん
16/03/13 05:22:47.93 uuyI22wW.net
>>159
ありがとうございます。
そうなんですか。
では外部に対してではなく内部では誰々がどの段階にいるようなことは明確にされているということなんでしょうか。
阿羅漢の方もいらっしゃるんですかね?

168:神も仏も名無しさん
16/03/13 18:49:51.15 /PA+0x+e.net
>>160
具足戒を受けた者、つまり


169:227の戒律を守って世俗を離れて生活している 出家修行者同士の間では、そういった情報が共有されているかもしれません。



170:神も仏も名無しさん
16/03/13 20:39:33.02 uuyI22wW.net
外からはなんとも言えないってことですかね。
悟ったなら釈迦のように自分から言っても問題ない気もしますが。
釈迦も大っぴらには言わなかったってことなんでしょうか。
ありがとうございました。

171:神も仏も名無しさん
16/03/13 23:08:17.05 /PA+0x+e.net
如来が悟ったと宣言することは獅子吼といわれるんじゃありませんでしたか。
原始仏教の時代にどうだったか知りませんが、テーラワーダ仏教の戒律では
たとえ阿羅漢でも宣言することは禁じられています。
パーティモッカも日本語訳が出ているので、ご自身で確認できると思います。

172:神も仏も名無しさん
16/03/13 23:10:49.61 /PA+0x+e.net
要は、テーラワーダで修行してて悟れるのか、解脱できるのかという疑念ですよね。
その問いは、テーラワーダがブッダ由来の三宝であるかどうかという問いに置き換えられると思います。
テーラワーダの教えと修行法と、それを行うサンガは三宝なのか。
本物なのかと。
法の六徳に、来たれ見よとあるので、見たらよいのではないでしょうか。

173:神も仏も名無しさん
16/03/13 23:56:58.08 EiCOZlkF.net
私は大悟したと宣言する人間は胡散臭いとしか思えないし
そんなのその人の徳と智慧から察するものだと思ってたけど
宣言の有無を気にする人もいるのね
あんまり仏教では問題にならないポイントのような気がするけど
スピ界隈とかだとホットな話題なのかしら

174:神も仏も名無しさん
16/03/14 01:27:51.72 oNW94dD7.net
>>164
いろいろ詳しい方のようなのでお聞きしますが、
具体的に言うと、涅槃の説明がマハーシ派とパオ派で違うということで、それはどうしてなんだろうと思ったってのがあるんですよね。
マハーシ派では涅槃の間は知覚がない、意識がない、涅槃を出てから涅槃だったとわかる、
パオ派では涅槃の間も涅槃だと意識?があるみたいな。
自分は本やネットから学んでるだけなので間違ってたらすみませんが。
そういう説明の違いはなんなんだろう、派が違って実践方法が違うのもわかるのですが、
涅槃がどういうものかは悟った人なら同じ説明になってもいいのでは、と思いまして。
何か知ってることがあればおしえていただければありがたいです。
あとは、修行の身なら自分の境地を語って執着を作ってもしょうがないですけど、
悟ったなら何も執着もないだろうし、別にいいのでは、という素朴な疑問があります。
それはまあサンガに余計な議論などを持ち込まないという対外的なことなんですかね。
戒律が出来てるならそれを守るだけでしょうし。

175:神も仏も名無しさん
16/03/14 01:57:03.28 o32LVDOI.net
横だけど
ニー仏さんと山下さんのPodcastの話だよね?
>悟った人なら同じ説明になってもいいのでは
ニー仏さんも言ってたじゃん、「体験が違うから」だよ
誰が悟ってるかは不明 あとは自分のメソッドを信じて修行するしかない

176:神も仏も名無しさん
16/03/14 02:14:59.68 oNW94dD7.net
>>167
Podcastの話もそうですし、涅槃に関しては前から気になっていたんですよね。
釈迦は寝ている間も意識があったような記述がありますし、
仏教ではなくアドヴァイタですが、熟睡の間も意識があるとか、逆に、熟睡の間は知覚対象がないので何もないとか、
涅槃も含めて知覚対象の有無と意識がどうであるのか、どうなんだろうと思ってました。
涅槃はわかりませんが、熟睡は毎晩してますから、できることもあるかな、と。
「体験が違うから」と言われればそうかなとしか言えませんが、もう少しいろいろお聞きしたいですね。
修行するしかない、自分の修行でわかるしかないというのは大前提でその通りだと思います。

177:神も仏も名無しさん
16/03/14 02:33:04.57 w/4WSyqX.net
色界禅ひとつにしたって体験の深さ広さにはかなり個人差がありますからね。
サマディの質も違えば、深さも違うしで。
涅槃の解釈については、まずは経典に遺された仏説を抑えておくぐらいしか
対処法が思いつきません。

178:神も仏も名無しさん
16/03/14 03:02:05.69 w/4WSyqX.net
パオだろうとマハシだろうと、パーリ経典準拠を謳っている以上は
大念処経に沿って修行している。はず。

179:神も仏も名無しさん
16/03/14 07:24:43.29 GNPyWSD9.net
つまり、鬼和尚の話は欠陥で、わかりやすく言うと、不完全なのじゃ

180:神も仏も名無しさん
16/03/14 13:19:16.83 0t56KYb6.net
0374 名無しさん@京都板じゃないよ 2016/03/14 09:36:39
汚教を垂れ流す臭教
惨美化を垂れ流す臭教
歌劇波を垂れ流す臭教
ああ、呆れた存在、臭教
叩いて遊ぼう、臭教

181:神も仏も名無しさん
16/03/14 13:51:12.55 2vkHsTkt.net
>>168
スシーマ経と言うのを探して良く読んでみるといいよ。
比丘たちは「智慧によって解脱した」とちゃんと明言している。
その意味が分からなかったスシーマは釈尊から先ず直々にこう教えてもらうんだ。
「お前が知ろうと知るまいと、先ず法に住する智慧があり、そして涅槃に向かう智慧があるのだ」
これを教わっても当然理解出来ないスシーマは更に教えを請う。
釈尊はその請いに問答をもって確認させた。
五蘊は無常である事を、五蘊は苦である事を、
無常にして苦であるこれらの事柄は『これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない』
と問答を以って確認させた訳です。
そうして色受想行識への拘りから遠離し、遠離したら離貪し、離貪して解脱し、解脱したという知があって
「生まれることは尽きた。梵行は完成した。為すべきことは為した。さらにこのようになることはない」
と知る訳です。
そのあとに十二因縁の逆観を一緒に確認し、各種神通をスシーマが体験及び知覚したか確認し
どの神通も知らずにどの神通の体験もせず、五蘊の遠離と利貪と解脱とを知って
因縁の逆観で還滅を果たして、何も拘らずに今ここでこれを知り今解説している、
これをどう思うか?となる訳です。
智慧によって解脱して下さい。
お祈りしてますよ。

182:神も仏も名無しさん
16/03/14 18:31:28.53 w/4WSyqX.net
智慧とはなにか。
どうしたら智慧を以て諸行の無常、苦、無我をみることができるのか。
ふつうに見ることと何がどう違うのか。
悟りの智慧とは哲学的思考のことなのか。

183:神も仏も名無しさん
16/03/14 18:44:07.06 w/4WSyqX.net
戒 定 慧
  ↑
  コレがあって、それから慧ですよ

184:神も仏も名無しさん
16/03/14 23:19:01.65 oNW94dD7.net
>>169
色界禅は主客があって主観による違いがありそうですが、涅槃は主客もないので同じような表現になりそうだと思ったのですが。
でも語るときには一人の肉体を通して語るので違いがでるのかもしれないですね。
>>173
読んでみたいと思います。
ありがとうございました。

185:神も仏も名無しさん
16/03/15 00:45:23.62 LpbNXm9U.net
>>175
戒定慧があってから慧ですか?
おかしいですよね、慧が二重になるなんて
正しく言うなら
戒定慧は三学を意味して、
戒学=身口意の業を止め律する事を修める
定学=心の散乱を鎮め、禅定を調えて集中する事を修める
慧学=煩悩の惑いを破って一切の真実相を見極めることを修める
と言う仏道修行の必須事項「三学」を言うんですよ
戒学はそのまま律蔵が教えてる事
定学はそのまま経蔵が教えてる事
慧学はそのまま論蔵が教えてる事
現代ではこの三つがそれぞれ相当します
論蔵は在世の頃には無かったので、殆どが経だけでも成り立ちます

186:神も仏も名無しさん
16/03/15 01:09:36.77 MhTYvB9k.net
矢印が示している部分は定だけどね。

187:神も仏も名無しさん
16/03/15 01:10:43.03 MhTYvB9k.net
定がないと智慧の目は生じないっていう意味。

188:神も仏も名無しさん
16/03/15 01:18:14.62 LpbNXm9U.net
>>179
うん、そうかなとは思ったけどね
文字で伝えるのが掲示板文化なんだから難しいよね
で、定あって至るのは智慧って言うより正確には慧ね、慧
そうでなきゃ三学は戒定智ってなってた筈で、敢えて慧になってる所が重要なんだな
慧は重要なんだけど、慧を見つけねば行けないんだけど
その為に智を使って見つける訳
で、慧の重要さを識る訳
智は毎日使ってんのよ、気付いてないだけでね

189:神も仏も名無しさん
16/03/15 01:28:27.00 LpbNXm9U.net
智って何の事だよ?
って人は、毎日ラベリングを何の為にやってるのか再考してくださいね
サティって何の事だか思い出してくださいね

190:神も仏も名無しさん
16/03/15 02:10:44.87 dCkTAlM+.net
そこまで拘るんならパーリ語で言ってくれないと漢語だけで表現されても・・・

191:神も仏も名無しさん
16/03/15 04:48:09.34 MhTYvB9k.net
あのさ。
ぶっちゃけこれ、マハシ対パオの水面下の戦いだよね(笑)

192:神も仏も名無しさん
16/03/15 08:19:21.01 dCkTAlM+.net
マハーシ長老も定がないと悟れないと言ってるけどね
対立するとしたら刹那定をどう解釈するかであって

193:神も仏も名無しさん
16/03/15 12:19:56.80 g6xWStNt.net
悟りって永続的なものなんでしょうか?
仏陀の教えで人は本当に幸せに一生を終えられると思いますか?

194:神も仏も名無しさん
16/03/15 17:03:09.32 MhTYvB9k.net
ヴィパッサナーやるときはパオだってマハシだって刹那定ですよね。
言葉によるラベリングはまだ補助輪なのに、それがヴィパッサナーだと
思ってる人がいて、しかもサマディというものがオカルトの類だとでも
思ってる風な人がいて、それがちょっと問題だとは思ってましたけどね。

195:神も仏も名無しさん
16/03/15 17:04:32.55 MhTYvB9k.net
本当にサティがあれば、言葉によるラベリングは遅すぎて間に合わないでしょう。

196:神も仏も名無しさん
16/03/16 00:04:31.97 YDFVmbie.net
マハシではこう言うやり方、パオではこう言うやり方って方針はいい、別にそれは良いんだ
でも双方仏教なんだよね、それなら中道が基本なんだから、見解を立てて断定すると中道じゃなくなるよね
そこに気付けないならサティを使いこなせてないよね
そのままじゃ待ち行く人達の日常の気付きのまま、それって世俗だよね

197:神も仏も名無しさん
16/03/17 01:43:42.35 pbrQUOYd.net
中論では
22.16 如来の本性なるものは、すなわちこの世間の本性である。如来は本質をもたない。この世界もまた本質をもたない。 (如来の考察)
とある
では世間とは何か?
別章では世間を輪廻と言うものもある
釈尊の言う輪廻の代表格は十二支縁起であろう
十二支縁起に順観する時、人は気付いて次へ縁起し続ける
十二支縁起に逆観する時には、人は気付いて還滅せしむる
この様に、世間の中にあって人は気付きを気付きとして使って輪廻する、それが世間と言えよう
この世間は気付きが無くては世間足り得ないし、気付き無く世間は成り立たない
それを支える気付きこそ世間なのであり、その世間の本性が気付きなのだと言えよう
22.16 如来の本性なるものは、すなわちこの世間の本性である。如来は本質をもたない。この世界もまた本質をもたない。
如来の本性は世間の本性なのだから、世間の本性も如来の本性も気付きなのであろう
サティが人を救い、ダメにもする
ダメになるのが気付きであり、救うのは如来であろう
悟りよ、幸あれ

198:神も仏も名無しさん
16/03/17 02:07:36.72 pbrQUOYd.net
>>187
>本当にサティがあれば、言葉によるラベリングは遅すぎて間に合わないでしょう。
実際のサティは第一義なので、それを言語に直して読み上げてラベリングに至っていると言えよう
故に、上記の論はある意味間違っていないと言えよう
本来のサティは良くも悪くも無く、言語及び思考を超えて先にあると言えよう
この気付きに気付けないままでは、そのサティは世間の輪廻のままと言えよう
ラベリングの効用は諸君の方が長けている筈であろうから今更言うまでもないが
確認の為に書き加えて於くなら、サマタを調える為の「的」の様なものと言えよう
ラベリング自体をヴィパッサナーだと思っていたなら、この際改めるべきであろう
ヴィパッサナーで行ずる観察の対象は、観察対象に対する観察ではなく
観察する為のサティ、つまり仮に対象を指す気付き自体を観察して証すのであると言えよう
つまり、月を指す指に於ける月や指を気付くこの気付きこそが重要だと見破るのである
と如来は是の如く説き給う

199:神も仏も名無しさん
16/03/17 23:36:15.11 3GJT0pFS.net
>>159
しかし、それをいいことに、悟っているのかいないのか、はっきりしない人が多い。
これじゃあ、一種の詐欺じゃないかな。
言葉は悪いが。
パーティモッカで「悟った」ということが禁止されているなら、
せめて悟っていない比丘は、「私は悟っていません」と言ってもらいたい。
周囲が「あの人は悟っている『らしい』」といっている噂を、
それとなく利用しているなら、よくないことですしね。
テーラワーダの比丘の皆さんは、悟っていなければ「私は悟っていません」と
言っていただきたいですね。

200:神も仏も名無しさん
16/03/17 23:37:36.49 3GJT0pFS.net
>>165
それが、禅の世界にはいまして。
大悟したと宣誓する方は、禅にはおられます。
今も。

201:神も仏も名無しさん
16/03/17 23:49:32.55 8kJc6d6S.net
仏法僧の僧はサンガですから、帰依の対象は比丘個人ではないじゃありませんか。
在家の人に多いんですけど、特定のカリスマ比丘を祭り上げて、その個人に信仰の
是非を依存するというのは、本来の三宝帰依のあり方とは少しずれていると思います。

202:神も仏も名無しさん
16/03/17 23:51:07.80 8kJc6d6S.net
個人で帰依の対象になっている(三宝となっている)のは、如来だけのはずです。

203:神も仏も名無しさん
16/03/18 02:15:28.52 Z8DE7IgX.net
165-20.アーナンダよ、およそ誰であれ、今あるいは私の死後に、自己を洲とし、自己を帰依処とし、他のものを帰依所とせず、
法を洲とし、法を帰依処とし、他のものを帰依所とせず住するものたち、およそ誰であれ学びを欲するものたちは、
吾が最上の比丘たちとなることでしょう
世の人は誤解しがちだが、この経で言う所の「自己」とは自己の何を指してるのか。
「法」とはどの法を指しているのか、ここ重要。
それを州(拠り所)としそれに帰依して行きなさいとのお教えだ。
仏道は内道だから外には道を求めない、ここが中々解って頂けない。
世の勘違いな輩はここを「自分と何かを拠り所にして信じればいいんだな」と考え信じ込む。
それじゃ単なる自己中だろと苦言を禁じえない。

204:神も仏も名無しさん
16/03/18 02:21:33.23 Z8DE7IgX.net
165-14.ではアーナンダよ、いかに比丘は、自己を洲とし、自己を帰依処とし、他のものを帰依所とせず、法を洲とし、法を帰依処とし、他のものを帰依所とせず、住するのでしょうか。
165-15.アーナンダよ、ここなる比丘が、身に対して、身を観察するものとして住し、熱心なる正知具念のものとして、世における貪求と憂悩を調伏します。(身念処)
165-16.アーナンダよ、ここなる比丘が、諸々の受に対して、受を観察するものとして住し、熱心なる正知具念のものとして、世における貪求と憂悩を調伏します。(受念処)
165-17.アーナンダよ、ここなる比丘が、心に対して、心を観察するものとして住し、熱心なる正知具念のものとして、世における貪求と憂悩を調伏します。(心念処)
165-18.アーナンダよ、ここなる比丘が、諸法に対して、法を観察するものとして住し、熱心なる正知具念のものとして、世における貪求と憂悩を調伏します。(法念処)
165-19.アーナンダよ、じつにこのように、比丘は、自己を洲とし、自己を帰依処とし、他のものを帰依所とせず、法を洲とし、法を帰依処とし、他のものを帰依所とせず、住するのです。

205:神も仏も名無しさん
16/03/18 02:34:08.03 Z8DE7IgX.net
この自州法州と自帰依法帰依と四念処とは具体的な方法を教示されてんだよね。
仏道修行の殆ど全ての方法がここに凝縮されているとさえ言っても過言ではない。
これを行ない続ける限りに於いて、解脱されない訳は無いとも言える。
問題は、不立文字教外別伝の核心がいつの事かをいつ気付くか?○○○。!

206:神も仏も名無しさん
16/03/20 00:01:23.77 lGCGFPh+.net
こいつらスリランカ、タイ、ミャンマーの仏教がもたらした惨禍に
ついてどう合理化してんだろう。
どうせ下らない屁理屈でお茶を濁すんだろうが。

207:神も仏も名無しさん
16/03/20 00:26:05.81 aeYOzCNC.net
葬式仏教の破戒僧に用はないし、特に話すことない。

208:神も仏も名無しさん
16/03/20 1


209:3:56:14.60 ID:lEfKNEdS.net



210:神も仏も名無しさん
16/03/21 11:25:58.88 JT180sua.net
破戒僧と言うけれど正確には日本の坊主の格好をしている連中は
ほぼ全てまず、正規に(釈尊が定めた方法によって)受戒していない。
故に仏教(釈尊の弟子)僧では無い。だから破戒僧でもない。
紛らわしく破戒僧などと言わずにそろそろハッキリと僧侶コスプレと
言ったらどうかね? 

211:神も仏も名無しさん
16/03/21 11:29:52.35 JT180sua.net
セックス一つ我慢出来ない根性無しの成り済まし偽坊主を拝んでいる
頭のおかしい一般日本人の気が知れない。

212:神も仏も名無しさん
16/03/21 13:26:16.10 I7DyOwLc.net
>>202
童貞にとってはセッ○スを我慢することなんて当たり前だからな

213:神も仏も名無しさん
16/03/21 17:41:23.22 JT180sua.net
童貞であろうがなかろうがセックスを我慢すること=禁欲する事は
それ程難しい事ではないが、また、簡単な事でもない。
まともな仏教者なら月に4回程ある布薩日に布薩戒(八斎戒)を守る。
八斎戒の場合は不邪淫戒ではなく不淫戒だから当然在家でも禁欲しな
ければならない。
釈尊の弟子である本物の修行僧は毎日不淫戒を守る。
戒を破れば即破門であり、釈尊の弟子ではなくなる。それだけの事だ。
この23日は満月=布薩日である。

214:神も仏も名無しさん
16/03/21 22:58:49.44 ffBljdta.net
ちゅうか人間も生物だったら異性に惹かれるのは極々当たり前だろ
それを煩悩を掻き立てるからとして異性と交わらないようにするのが聖者としての在り方というのがおかしいんだよ
聖者だったら結婚して子供を作っても尚、人格的に尊敬でき、理想模範となる生活をしてこそ他の人の手本ともなる
シャカ(当時のバラモン僧もそうだったかもしれないしカトリックの神父なんかもだが)の作った具足戒が生き物として人間として不自然過ぎるんだよ
はっきり言えばサンガは浮浪者と同じ
浮浪者も捨てるものがないので何の執着もない、あるいは悟りきれてないサンガよりも悟っているかもしれない、執着を捨てるという部分ではな
サンガは瞑想という修行があるのとより大群で群れるのと偉そうなのが浮浪者との違い

215:神も仏も名無しさん
16/03/21 23:04:44.88 sYl0d7Fn.net
>>205
だから、世間と出世間の違いが分かってないからそういう答えになるんだと思うよ。
世間の価値観が間違ってるとか悪いとか言うつもりはない。
でもね、解脱は出世間だから。
出家は出世間を目指してする行為だし。

216:神も仏も名無しさん
16/03/21 23:06:20.85 sYl0d7Fn.net
もっと簡単に言うと、
解脱なんてないと思ってるから、そういう考え方になる。
解脱は“人間として”不自然どころか、欲界そのものからの脱出だからね。

217:神も仏も名無しさん
16/03/21 23:11:00.74 sYl0d7Fn.net
我が身、この肉体が自己だと思ってるでしょう(有身見)。
その段階で考える正しい仏法というのは、頭で考えたものでしかない。
ところが世界の実相、特に心の実相というのは、人間が頭で考えるようにはなっていない。
たとえば、人間は体験の範囲と思考の範囲で考えると、この地球が平らであると感じる。
ところが観察すると丸い。
観察してみた時にはじめて丸いことがわかる。
肉体が自己の本体ではないことも、見てはじめてわかる。
異性に惹かれ、子をなして欲界で肉の身体を維持することは、前提として有身見のうえに
なりたっている。
解脱を目指す修行者は、この前提に立っていない。
ことなる前提に立っている。
ことなる前提の上に立っているから、何が正しいかの判断も違ってくる。
それだけのこと。

218:神も仏も名無しさん
16/03/21 23:12:41.90 sYl0d7Fn.net
肉の身体は生老病死の支配下にあって、そこから逃れることはできない。

219:神も仏も名無しさん
16/03/21 23:35:16.74 jZH6Osnp.net
>>208
>異性に惹かれ、子をなして欲界で肉の身体を維持することは、前提として有身見のうえに
ほうほう、では交尾をするあらゆる生き物は欲界の中にいるのか
交尾は自然の摂理だと思っていたが煩悩なんだね
初めて知ったよ

220:神も仏も名無しさん
16/03/21 23:36:45.46 sYl0d7Fn.net
「そんなこと言ったって、お前も人間だろう」
と思うかもしれない。
その通りなのだが、人間なのはこの肉体であって、またその肉体に対応する心(欲界心)
であって、正定に入ってこの欲界を越えた認識が生じている時、そこに「わたし」はいない。
少なくとも、欲界の肉体に生じている「わたし」という意識はない。
禅について話す時、
その「わたし」ではない時の認識を、正定から出てきた時に再び動き始めた「わたし」が
思い起こして、それについて話す。
肉の身体が、肉の身体でないものについて話す。
だから聞いた人は???となる。
なので普通、修行者は瞑想の中身を話したがらない。
瞑想の先生も自分で経験してみなさいと指導する。
仏教の真実は、思考による理解によってではなく、経験的覚知によってしか伝わらない
ので、そうした経験に至っていない人が、瞑想修行者について迂闊な判断をするのは
ちょっと控えた方がよい。

221:神も仏も名無しさん
16/03/21 23:43:46.11 EdxIlvUn.net
しかし、その瞑想の中身を、できるだけ言語化するようにしたほうがいいでしょう。
比喩を用いて、ある程度できるのではないですかね。
この努力をサボっているから、誤解もされる。
一人タカをくくって超然としているのはいかに。

222:神も仏も名無しさん
16/03/21 23:44:23.98 sYl0d7Fn.net
そしてまた、こうした事情を利用(悪用?)して偉そうにふんぞり返る
勘違い出家者がいることも事実ではあるのだが。
ダンマパダの中で釈尊は、偉そうな比丘のことも、それを非難する者も
両方を諫めていらっしゃる。

223:神も仏も名無しさん
16/03/21 23:47:19.61 EdxIlvUn.net
それと、正定に入っているときだけでなく、普段の状態が大切。
有身見は、正定に入っているときに切れているのではなく、
普段から有身見が無いのが、本当に有身見が切れたことを指すのでは?
有身見が切れたなら、誰もがわかるのでしょう。
有身見が切れていないから、誤解もされる。

224:神も仏も名無しさん
16/03/21 23:49:36.77 sYl0d7Fn.net
>>212
師弟関係のなかではやってますけど、一般に向けて話すのは難しいのではないでしょうか。
まず宗教っていう時点でひとつ壁があるし、正定の正しい中身について具体的に話せば
オカルト扱い間違いなしだと思います。

225:神も仏も名無しさん
16/03/21 23:58:06.49 EdxIlvUn.net
>>215
匿名でもよいので、現代は、説明したふおがいいと思います。
その言語化されたものをヒントに、手掛かりにする人も出てくると思うからですね。
昔は、言語化できる語彙や表現が乏しかったと考えることもできます。
しかし現代は、心理学やスピリチュアルなど、表現できる言葉や概念そのものが増えています。
古い時代の考えや慣習に、いたずらに従うのではなく、今の時代にあったやり方を打ち出していくのは大切だと思います。

226:神も仏も名無しさん
16/03/22 00:02:12.02 qbNMp2bS.net
ぜひご自身で瞑想センターに行って修行して下さい、というのが私の立場です。
しかし、>>216 さんの言われるようなことも価値があると思います。
世間における善があって、これはこれで素晴らしい。
出世間はもっと素晴らしい。それは世間の善と悪を共に捨て去る。

227:神も仏も名無しさん
16/03/22 00:56:15.47 bS+1+DvH.net
動物の交尾はおそらくかなり自然に行われてるが人間の交尾はストレスの解消とか退屈だからとか他者に対しての自分の存在を確認するためとかにしてるでしょ
他に興味あることがあったらそっちに目が行って性欲なんて二の次になるのがその証拠
その程度のこと自然でも本能でもない
ただの娯楽
純粋に他の原因からでなくただ性欲のみがわいてるならそれは自然な性欲かもしれんけど
自分でいろいろ試して何が自然(本来のもの)かわかっていかないと人間はもう麻痺して何が自然か不自然な欲求かわからなくなってるよ

228:神も仏も名無しさん
16/03/22 01:14:19.87 zftqg5SE.net
>>218
だから性欲の一切を煩悩として異性と交わらないのも不自然極まりないだろうよ
聖者ならまず普通に結婚して浮気もせず幸せな家庭を築いて衆生の手本となる生き方をしないと
サンガのやってることは人間でもないし生物でもないんだよ
でも腹が減ったら食わねばならないから托鉢にいく
在家には托鉢をするのは善行だと洗脳する
はっきり言ってサンガの道を極めていくというのは、聖者という職業で食っていく道を極めていくだけ
君達が世間道といってる一般人が勤勉に働いて多くの人から時には怒られ時には褒められながら人として成長し、社会や顧客のニーズに応えることで社会貢献し、子育てからも逃げずに子も成して一人前に育てる、そちらの方が托鉢と瞑想、たまに説法だけしている者よりも遥かに尊い
ま、あんたらはそんな世間道に憧れながらも逃げてるようにしかみえん
ま、不自然な出世間道を歩みたいなら歩めばよい
でもそのために出家する意欲も意志もないのが本当だろ?

229:神も仏も名無しさん
16/03/22 01:20:57.20 +Vq4qIuf.net
せやね。
確かに、エロイもんを考えたり、エロ動画見たり画像見たりもしなければ性欲は断てると思いますし・・

230:神も仏も名無しさん
16/03/22 01:27:00.72 qbNMp2bS.net
>>219
>でもそのために出家する意欲も意志もないのが本当だろ?
そういう人は多いだろうけど、本当に出家してる人もいる。
日本人ではほんの数人程度。

231:神も仏も名無しさん
16/03/22 01:35:13.29 qbNMp2bS.net
尊い生き方は天に至る道だが、それも六道輪廻なんだよね。

232:神も仏も名無しさん
16/03/22 01:35:27.61 bS+1+DvH.net
>>219
異性を避けるのは不自然だけど何が自然か不自然かわかるまで修行としてするならそれもいいんじゃない?
食欲が異常になってたら一回小食なり断食して自分に必要な食の量を調べるでしょ
まあ自分の体をリセットする実験だね
衆生の手本は衆生自身が考えるのがいいんじゃないの?
上が手本示して下が従っちゃう構図だとただの洗脳だしね

233:神も仏も名無しさん
16/03/22 01:36:41.53 qbNMp2bS.net
人として立派に生きるんだっていうなら、そうすれば良いじゃない。
解脱するんだっていう人は、それとは別の価値判断の尺度に従っている。

234:神も仏も名無しさん
16/03/22 01:42:54.69 zftqg5SE.net
>>221-224
で君達出家する意欲や意志はあるの?
本気で解脱したいならそうしなよ

235:神も仏も名無しさん
16/03/22 01:59:24.18 qbNMp2bS.net
ふつうは出家でもしないとサマディーに入れるようなところまで深く集中できない。
あまり思い詰めず、一時出家でもいいから出家修行生活というものを経験してみると良いと思う。

236:神も仏も名無しさん
16/03/22 02:03:44.50 qbNMp2bS.net
一生出家しているんだと言って外国で出家した人たちのほとんどは数ヶ月で帰ってしまう。
長くいる人は、短期のリトリートを何度か繰り返した後、実情を踏まえたうえで準備してから出家する。

237:神も仏も名無しさん
16/03/22 02:20:46.89 bS+1+DvH.net
出家できるならするといいよね
自分は一時期老人ばかりの過疎村で親の介護だけして暮らしてたから俗世から離れた状態はある程度わかる
当時はまだ若くて辛かったけどおかげでいろんな欲も落ちたし振り返るといい修行になったと思う
俗世


238:フことに興味薄れてきたら出家しどきなんだろうね



239:神も仏も名無しさん
16/03/22 04:21:03.88 Ni6Y/5VQ.net
砂の城 歴史の波にさらわれて 栄枯盛衰また繰り返し
いくら地位を築き財を蓄えようとも 形有るものは時の流れとともに滅びゆく定め
一時的に繁栄を極めたところで所詮その栄華は陽炎の如く虚しきもの
その儚くも不毛な生々流転の繰り返しに心の底から嫌気が差したときに 酔いが醒めるのだろうね

240:神も仏も名無しさん
16/03/22 04:42:00.35 Ni6Y/5VQ.net
>>227
下手に現代の俗にまみれた葬式仏教(サラリーマン)に出家したところで 悟れはしないだろうよ
図書館に通い勉強して山籠りでもして心身を鍛えたほうが余程健全だ

241:神も仏も名無しさん
16/03/22 04:49:41.12 qbNMp2bS.net
ビルマね。
日本じゃない。

242:神も仏も名無しさん
16/03/22 05:54:33.67 nI8plNqL.net
都会の僧院じゃなくてパオみたいな森林寺でもなの?

243:神も仏も名無しさん
16/03/22 07:43:59.90 iWv2AKV8.net
ゴエンカ氏のところってゴエンカ氏亡くなったわけだけど、それ以前と以後で変わりはないものなの?
ていうか、指導者が他にいるのだよね?
いまいち仕組みがわからない

244:神も仏も名無しさん
16/03/22 08:25:03.75 Ni6Y/5VQ.net
>>232
教えは正統で正しくとも、運営陣等が必ずしも清い人とは限りません。彼らは仏教ではなく、あくまで運営、教団維持のプロですから。
国外の宗派は分かりませんが支部競争(ノルマ有り)がある、奇跡(ご利益)を売りにする、信者集めにこだわり強制勧誘させる、布施の多少でランク分け、退会したら罰が下る、外部を卑しき者とし、他の教義では地獄に落ちる云々の脅し文句等の特徴が見られたら近づかないことですね。

245:神も仏も名無しさん
16/03/22 08:37:20.65 EPf4+nun.net
瞑想の危険性
URLリンク(tensei.nanaki.biz)
瞑想に興味をもつ時点で、内向きな傾向(陰的な傾向)も持ち合わせている・・と言えるかもしれません。
例えば、いつも‘陽’気で、外で遊びまわっている陽平君は、瞑想をしよう!なんて発想すら、出てこないことでしょう。
内向きな傾向(陰的な傾向)を持ち合わせている人が、瞑想に取り組み始めることで、さらに意識が内に向かい始めると、
現実世界(陽の世界)への注意や興味や関心が薄れ、通常の日常生活が手抜きになってしまう場合もあるのかもしれません。
また、ヨーガ(ヨガ)では、現実世界のことを{迷いの世界・マーヤ}と呼んで、究極の目標を迷いの世界から抜け出すこととする場合もあるようです。
そうなれば、現実世界での日常生活に支障が出てきそうですね。だから修行者は世捨て人となりやすいイメージがあるのでしょうか。

瞑想の危険性
URLリンク(fmtbank.seesaa.net)
やはり人間は一人でいると、自分だけで世界を作り上げ、孤立化しやすく、
だからこそ、瞑想よりも大事なのは、ガンガンに外に出て声をかけていって、
自分の妄想や固まったエゴをぶっ壊し、開き直ることです。固定したものは、
活力をなくしウツに陥りますから、その前に、自ら死に、再生していくのです。
そうした激しい「動」の修行があってこそ、「静」なる行の瞑想が役立ちます。

246:神も仏も名無しさん
16/03/22 09:01:19.90 qbNMp2bS.net
>>235
欲界しか見えてないよね。

247:神も仏も名無しさん
16/03/22


248:10:31:01.94 ID:EPf4+nun.net



249:神も仏も名無しさん
16/03/22 10:50:22.30 uJdQ0DzG.net
最近はアマテラスやアマテラスの所の特に“ヤタガラス”や“天狗”のあるいは別の“孔子やその残党”(孔子は相手にはごちゃごちゃおしつけるくせに
自分は不動と組んで何度も裏切り泥棒などをやってるようなゴミでした)
の悪行言動をきっかけにして釈迦のもと10代弟子の一人マハーカッシャパなどと組み
そこへ不動、キリスト、ユダヤ教、釈迦、フリーメーソンらやそれらの残党が便乗して悪事を数々やってることが多い!
こいつらがイスラム教にまで隠れ潜んで悪さをやってる事もあります。
それをどかそう潰そうとすると様々な仕掛けで邪魔してくることもあるので
上のただしい神仏グループに頼むなりなんなりして注意してかかることでしょう。

とことん入れ替え弁償にして抹消しきらなければいけません。
何を勘違いしたか、かまってほしいから、助けてほしいからと悪さをしてくる物がいますが(それもウソくさいが)それならとっとと心のそこから
改宗すればいい。そんな悪さをしてくるようならそこから上の神仏によりひどい目にあい抹消されるでしょう。

だから唱えてはいけません!となえるとひどい目にヤタガラスなどからあうどころか正しい神からも一緒に罰を受けます。
それにかしずかいてる霊媒師などもついていってはいけません。どちらも最悪一緒に最も苦しむ方法で抹消されるでしょう。

250:神も仏も名無しさん
16/03/22 14:04:12.19 nI8plNqL.net
>>234
いや、分からないんだったら説教すべきじゃないよ

251:神も仏も名無しさん
16/03/22 14:08:33.93 nI8plNqL.net
>>237
ワット・パクナムってあの「タンマカーイ」?
そこ日本でいう創価学会みたいなとこでしょ

252:神も仏も名無しさん
16/03/22 17:54:50.59 qbNMp2bS.net
>>239
この手の問題に関して、どうしてそういうことを言ったのか、理由を聞いてみようっていう態度の人は少ないんだよね。
まず人の話を聞こうとする人が少ない。
仏教が正しいとしても、それに関わっているのはあくまで人間なんだってことを忘れちゃいけない。

253:神も仏も名無しさん
16/03/22 17:57:03.54 qbNMp2bS.net
たぶん、カベサコさんの時もそうだったろう。
側近がまず先に問題に気づいていただろうけど、問題に気づいた側近の方が悪者扱いされてたはず。

254:神も仏も名無しさん
16/03/22 18:59:02.70 nI8plNqL.net
>>241
いやだから自分はビルマの森林寺院もそうなの?って話をしてるんだよ
タイがどうとかは知らんしカベサコさんがどうとかどうでもいい
上座部=完全クリーンじゃないなんてわかり切ってるんだからさ

255:神も仏も名無しさん
16/03/22 19:14:58.42 M2VZ1I5n.net
>>240
パクナムとタンマカーイは別でしょ

256:神も仏も名無しさん
16/03/22 19:31:48.60 nI8plNqL.net
>>244
失礼
指摘ありがとう

257:神も仏も名無しさん
16/03/22 21:02:59.11 qZFJ0dYl.net
カベサコさんはちゃんと還俗してから正式に結婚したわけだから、むしろちゃんとしてると思うけどね。結果的には。

258:神も仏も名無しさん
16/03/22 22:40:50.69 ITYaQ9vY.net
大乗は自称仏教の非仏説。テーラワーダはどこもカルト。
宗教ってこんなんばっか。

259:神も仏も名無しさん
16/03/22 23:33:27.73 qbNMp2bS.net
自分の外にあるものに依存しすぎ。
正しい人があらわれたら、自分も正しいことをします、って思ってるんでしょう。
あと56億7千万−2559年待たないと、そんなチャンスこないわ。

260:神も仏も名無しさん
16/03/23 02:19:57.88 26b7dWTI.net
弥勒菩薩は古アーリア人が信仰していたミトラ教
(ゾロアスター教→ユダヤ教→キリスト教・イスラム教、バラモン教→仏教・ジャイナ教・ヒンズー教、ギリシャローマ神話のルーツになった宗教)
のミトラ神の化身だから、弥勒菩薩の出現でアーリア人の宗教は弥勒教としてまた一つに戻るよ。
醜い宗教戦争はそれまで続くよ。

261:神も仏も名無しさん
16/03/23 08:49:17.78 /oETH6b4.net
>>247
テーラワーダって、どこもカルトなの?
パオもそう?
こりゃ大変だ。

262:神も仏も名無しさん
16/03/23 08:53:07.58 /oETH6b4.net
大乗は仏教で無いだなんて、そりゃ文献主義とか原理主義になり過ぎ。
初期仏教に欠陥があったから、大乗仏教が興たことがわかります。
これはブッダの教えに欠陥があったのではなく、
伝承されているパーリ経典に大変な欠陥があるということです。

263:神も仏も名無しさん
16/03/23 09:25:02.62 mz7pd9lP.net
>>251
パーリ経典に欠陥があったんなら、龍樹は何を根拠にしたんだ?
有部も龍樹も初期経典からの伝承で成り立ってたんだぜ?

264:神も仏も名無しさん
16/03/23 12:4


265:6:26.69 ID:uKI3CJSi.net



266:神も仏も名無しさん
16/03/23 13:03:45.39 at2Es+JC.net
仏典を読む際には、そこで説かれている法が
対機説法か、それとも普遍的な真理が説かれているのかを理解することと
もうひとつは、その法を現実に照らし合わせてみて
真理かどうかを見る必要がある。
現実に照らし合わせてみて、理解できない場合は
それを鵜呑みにせず、疑問は疑問として保留し
機会があれば、詳しい人に聞いてみるとか
あるいはもっと修行して理解できるまでになるよう努力するか。
法を学んでも、鵜呑みにせず、法にもとずいて思索し
納得してから実践するということが大事だと思う。

267:ポンコツはげスマ
16/03/23 13:36:22.37 Ao/Ndz7/.net

「自分を変える気づきの瞑想法」:オメーが変われ
「怒らないこと」:オメーが常に怒っている
「心は病気」:オメーが病気
「人づきあいの処方箋」:オメーがコミュ障
「苦しみをなくすこと」:オメーがコンプレックスに苦しんでいる
「あべこべ感覚」:オメーのおつむがあべこべ
「的中する生き方」:オメーの存在が的外れ
「欲張らないこと」:オメーが欲張りさん
「ひとりで生きるということ」:頼むから独りになってくれ
「やめたいことはやめられる」:オメーがやめられない
「執着の捨て方」:オメーが執着している
「老いを自由に生きる」:オメーは老害
「妬まない生き方」:オメーは日本を妬んでいる
「無知の壁」:オメーが世間知らず
「バカの理由」:オメーがバカなのを悟れ
「ブッダの経営論」:企業経験も無い癖にどの面下げてほざくだよ
「1ってなに?」:おれに気安く語りかけるな!
「心に怒りの火をつけない」:オメーの心が炎上中
「ついに悟りをひらく」:オメーには永遠に無理
「結局は自分のことを何もしらない」:オメーが霊長類人科最強
「忘れる練習」:ちっちゃいことも忘れられないオメーときたら
「ブッダの道の歩き方」:オメーは迷子になっている
「生きる勉強」:オメーがまず人間として生きなさい
「何が平和を壊すのか」:オメーが壊す
「意のままに生きられる」:と迷惑です
「ヴィパッサナー瞑想教えとその方法」:オメーがマスター出来てねー
「なぜ、悩む」:オメーがいるから
「ブッダが幸せを説く」:オメーは説けない
「賢い人、愚かな人」:オメーは100パー愚か
「こういう大人になってはいけない」:マジ、オメーみたいにはなりたくない
「ありのままの自分」:でいられては困る

268:神も仏も名無しさん
16/03/23 17:07:58.17 w6RWVn1v.net
>>254
激しく同意

269:神も仏も名無しさん
16/03/23 19:04:53.30 mz7pd9lP.net
聞いた教えが正しいのかどうかに迷う場合、
少なくともちゃんとやってる仏教徒なら四大教法くらい知ってるもんだが。

270:神も仏も名無しさん
16/03/23 19:47:31.36 RXeOrjZO.net
>>252
ってかニカーヤ
長部 34経
中部 152経
相応部 2872経
増支部 2308経
小部 12経
これだけの膨大な量が第一結集の時から編纂されたと考える方がおかしいだろう
対機説法か普遍的な真理を語っているのかの判別ではなく、後からどんどんと足されていき、また第一結集で合唱されたことも文字化されるまで改ざんがあったと考えた方が、釈尊の発言矛盾の説明がつくよ

271:神も仏も名無しさん
16/03/23 22:49:48.84 uKI3CJSi.net
>>254
妄想激しいね。

272:神も仏も名無しさん
16/03/23 23:48:24.31 aoGphlix.net
時間と金に余裕のあるインテリか、ホームレスすれすれの貧乏人
どこも二極化が進むが、テーラワーダ仏教はまだましなほうなのだろうか

273:神も仏も名無しさん
16/03/24 03:19:26.91 2ONGzH8P.net
>>258
似た様な内容の経がダブってその数でしょう。
そして「間違わない方が不自然」と考えるそれは常識ですよね。
仏法は道理を説く訳ですから、常識は通用しませんよ。
数が増えてったのは同じ様な内容が他にも有り、且つ間違ってなかったから足しただけでしょう。
今みたいに文字化されてなかった時代は、一日の多くを経の合唱を瞑想の足しにしてたとも聞きます。
記憶と命を掛けた伝承ですから常識じゃ考えられないかと思われます。
しかも大人数でそれをやるんですから、勝手な改ざんは不可能でしょう。

274:神も仏も名無しさん
16/03/24 11:41:23.61 iY9bvGA5.net
>>261
第一結集で集まった500人の比丘はパーリ語なる西インドの言葉を喋る人だったんですか?

275:神も仏も名無しさん
16/03/24 12:16:19.76 tpf3BiuO.net
>>262
一つの言語に統一しないなら何のための合誦なのか
みんなで唱えるときに「でんがな〜」、「だがや〜」、「だぞなもし〜」とか言ってたのですか
日本人だったら自分の言語に近縁の標準語も喋れるからそれに合わせますな

276:神も仏も名無しさん
16/03/24 12:19:21.94 tpf3BiuO.net
内容を確定したら各々のお国言葉で保存すれば良いわけで

277:神も仏も名無しさん
16/03/24 17:20:59.64 ic7pU+D8.net
290 名前:神も仏も名無しさん :2015/10/19(月) 11:12:14.00 ID:lmff1MCq
>>289
南伝は、最初に経典がスリランカにもたらされた時、シンハラ語訳(スリランカ語)
しているからね。
5Cにブッダゴーサが出て、高級文字であったサンスクリット語化された
大乗に対抗して、古い文字と言われていたバーリ語に再翻訳したわけで
バーリ語訳自体が一種の信仰的プロパガンダだものね。
351 名前:禿 [hagetoran] :2015/10/21(水) 07:55:42.04 ID:1FDXypEd
1.そもそも原始仏教なんて残ってないでしょ。
2.伝説に拠れば最初の100余年は口承で継承されてきたし
3.テキスト化される前の経典の分類法は九分教/十二部経だし
4.あるのは部派の経典(五ニカーヤ/四阿含)と大乗経典
5.初期大乗経典は釈滅後500年頃に成立した新時代゛の経典だし
6.部派の経典の成立も大乗経典と同じ頃だ。
7.しかもパーリ経典ときたら、一旦シンハラ(スリランカの古語)訳され
8.紀元後5c頃に部派原理主義のブッダゴーサが対大乗対策でパーリ語訳したものだ
9しかるに南伝部派仏教も北伝大乗も紀元前後に興隆した仏像や仏塔を崇拝する
 (原始仏教は仏像や仏塔を信仰しない)

278:神も仏も名無しさん
16/03/24 17:24:31.30 ic7pU+D8.net
263 名前:神も仏も名無しさん :2015/10/18(日) 00:14:27.09 ID:V6orhYyN
いちおは、上座部の考えが釈迦の教えに近いと言われているが
真実は誰にもわからん。日本の近代史の人物ですら、謎が
多いのに。坂本龍馬ですら、謎が多いのに。
286 名前:神も仏も名無しさん :2015/10/19(月) 10:02:13.44 ID:lmff1MCq
>>264
言われてないよ。
大乗経典が仏滅後500年後成立と知った明治時代の近代仏学が
では、上座部が釈尊に近いのではないかと短絡したのと
南伝仏教が自己宣伝しているだけだよ。
ところがその後の研究で、南伝パーリも漢訳阿含経も仏滅後500年の成立
だとわかった。経典数やテキストからパーリより漢訳が古いということも
わかっている。

279:神も仏も名無しさん
16/03/24 17:33:06.93 tpf3BiuO.net
なるほどハ゛ーリ語については勉強不足だったなあ 


280:迂闊



281:神も仏も名無しさん
16/03/24 17:35:05.65 tpf3BiuO.net
途中でハ゜ーリになってるけど突っ込まれてググったのかな(w

282:神も仏も名無しさん
16/03/24 17:46:31.94 dMkXBOBS.net
>>265-266
その通り。
日本に来ているテーラワーダ仏教協会のプロパガンダに、
日本人は乗せられ過ぎ。
それに付け加えれば、第二結集のときに、第一結集になかったパーリ経典が、
かなり追加されていることを、故水野弘玄氏は指摘している。
テーラワーダで悟った人もいれば、禅で悟った人もいる。
ヒンドゥで悟った人もいる。
パーリ経典だからどうのこうのとこだわるのは、どうかなと思う。
一つの選択肢であり、一つの道というように、大きな枠でとらえたほうがいいと思う。

283:神も仏も名無しさん
16/03/24 21:30:02.53 5u7KplFr.net
サマディには邪定というのもある。
数あるサマディのなかで、九次第定を正定と定めているわけ。

284:神も仏も名無しさん
16/03/24 22:17:37.68 5coNwYgx.net
もう何やっても豊かにならないから、という諦めの行く先でここに辿り着いた人が多そう
特に若い人たちはそんな印象
社会全体の欲が萎めば、もう少し居心地のいい世の中になるのでしょうか
でも結局はアメリカの植民地状態に変わりはないので、大して変わらなさそう
個人ができるのは何があろうと動じないことだけ

285:神も仏も名無しさん
16/03/24 22:20:33.38 jyjGLsZM.net
お釈迦様の教えを信仰している方たちへ質問
どんなお仕事をされていますか?
どんな仕事につくのが適切だと思いますか?

286:神も仏も名無しさん
16/03/24 22:45:19.17 ic7pU+D8.net
釈尊の伝導の範囲は東はアンガ国チャンパーから西はヴァツサ国カウシャーンビーまで。
カウシャーンビーからパーリ語のルーツになったと言われるインド中西部のウッジャイン(アヴァンティ国の首都)までは滅茶遠いよ。
もっとも、十大弟子の一人、説法第一のプンナは西海岸のスナーパランタまで布教に行ったとされてるけどね(500人の弟子を得て1年後に没したそうな
カウシャーンビーはプラヤーガ(ガンジス川沿いの都市)の本当すぐ西、この地図には載ってないけど。
URLリンク(kotobank.jp)

287:神も仏も名無しさん
16/03/25 00:30:50.36 81EQfrO2.net
欲が少なくなれば、人のためにって慈愛が芽生えてくると思う

288:神も仏も名無しさん
16/03/25 01:12:02.85 CUUi9gBN.net
>>274
試しにSSRIって抗鬱剤を飲んでごらん
欲がなくなり物事にも動じなくなる代わりに何もかもがどうでもよくなり無気力になるぞ

289:神も仏も名無しさん
16/03/25 01:26:20.27 j8Ed3ZkR.net
無気力で怠惰なことを無欲と言っているわけではないのだが、仏教徒自身、
修行の始めの段階ではそのことを明確に区別できていないことはあり得る。
しかし、仏教そのものが無気力なのではない。
釈尊の生涯の足跡は、そのことを最もはっきりと物語っている。
修行者が離欲のために正しく精進している時、心は充実感に満たされている。

290:神も仏も名無しさん
16/03/25 04:03:18.62 81EQfrO2.net
>>275
え、いや・・自分は人よりも欲は少ないし・・w
社会全体の欲が悲惨だから憂いてる

291:神も仏も名無しさん
16/03/25 06:24:43.11 Ba/OSKaK.net
>>277
仏道をならふといふは、自己をならふ也、自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、萬法に証せらるるなり。
萬法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。

292:神も仏も名無しさん
16/03/25 06:44:27.44 ILCqPw5h.net
>>277
五〇 他人の過失を見るなかれ。他人のしたことしなかったことを見るな。ただ自分のしたことしなかったことだけを見よ。

293:神も仏も名無しさん
16/03/25 20:58:31.40 81EQfrO2.net
>>279
自分は>>271へのレスとして社会の欲が少なくなればいいよねぇと嘆いているのであって、
実際のところ社会がどうなろうとも自分はどうでもいいと思ってる。

294:神も仏も名無しさん
16/03/25 21:59:06.32 j8Ed3ZkR.net
社会は解脱しようとも、したいとも思ってないからな。

295:神も仏も名無しさん
16/03/25 23:13:24.18 8L1yrb10.net
諦めてたらそこで終わってしまいます。
私達の体には久遠の仏に植え付けられた仏種が宿されてるんですよ。
それに気がつかないと、いつまでたっても生死、煩悩の迷いから抜け出せません。
「人は至高の存在の可能性を秘めている」、つまり人は生まれながらに菩薩であり、仏であります。
あなたは、大丈夫。あなたは、何も悪くない。悪いところがあるとしたら、『自分は完全である』ということに気づいていないことだけです。


次ページ
最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

1203日前に更新/369 KB
担当:undef