【米国のコロナ死者数】スペイン風邪の死者数を上回る [影のたけし軍団★] at NEWSPLUS
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1:影のたけし軍団 ★
21/09/21 11:21:45.35 XreK68Yf9.net
米ジョンズ・ホプキンス大学と米疾病対策センター(CDC)によると、
新型コロナウイルス(COVID-19)は、1世紀前に流行したスペイン風邪を上回り、
米国史上最も致命的なエピデミックとなった。
20日の時点で、米国では67万5446人が新型コロナウイルスで死亡した。
1918〜1919年に米国全土を襲った「スペイン風邪」の死者数は、公式には67万5000人と推定されている。
スペイン風邪の病原体は、鳥の遺伝子を持つH1N1ウイルスだった。
米国では一般に、スペイン風邪は第一次世界大戦から帰還した軍隊で感染が広がったと信じられている。
ワクチンが無かったため、スペイン風邪は検疫、隔離、衛生といった対策に頼るしかなかった。
CDCの歴史的資料におけるスペイン風邪の特徴は、20〜40歳の健康な人々の間での高い死亡率とされている。
科学者らは、スペイン風邪を引き起こしたウイルスの再現に成功したが、こうした致死性の原因はまだ解明されていない。
全世界で人類の3分の1にあたる5億人がスペイン風邪に感染し、5000万人以上が死亡した。
一部の研究者は、米国におけるスペイン風邪による公式の死者数は過小評価されているとみなしており、
当時の米国の人口は、現在の3分の1であったことを重要視している。
URLリンク(jp.sputniknews.com)

○ スペインインフルエンザ(1918-1919)
URLリンク(idsc.nih.go.jp)
第一次世界大戦中の1918年に始まったスペインインフルエンザのパンデミック(俗に「スペインかぜ」と呼ばれる)は、被害の大きさできわだっています。
世界的な患者数、死亡者数についての推定は難しいのですが、患者数は世界人口の25-30%(WHO)、あるいは、世界人口の3分の1(Frost WH,1920)、
約5億人(Clark E.1942.)で、致死率(感染して病気になった場合に死亡する確率)は2.5%以上(Marks G, Beatty WK, 1976; Rosenau MJ, Last JM, 1980.)、
死亡者数は全世界で4,000万人(WHO)、5,000万人(Crosby A, 1989; Patterson KD, Pyle GF, 1991; Johnson NPAS, Mueller J, 2002.、
一説には1億人(Johnson NPAS, Mueller J, 2002.)ともいわれています。
日本の内務省統計では日本で約2300万人の患者と約38万人の死亡者が出たと報告されていますが、
歴史人口学的手法を用いた死亡45万人(速水、2006.)という推計もあります。

556:ニューノーマルの名無しさん
21/09/21 21:12:26.70 ztDgFiIc0.net
コロナが当時の時代に発生してたら人類8割ぐらい死んでそうだな

557:ニューノーマルの名無しさん
21/09/21 21:46:20.75 36zNmV6e0.net
コロナは19世紀末にパンデミック起こしている。ロシア風邪というやつ
収束まで7年。犠牲者数は1千万人だったかなよく覚えていない

558:ニューノーマルの名無しさん
21/09/21 23:18:01.38 dn1CtEy60.net
興味ある人は(高価なので)図書館で借りてください
原著は1976年ですが当時ではすでに「忘れられたパンデミック」扱いだった
スペイン風邪を世間に知らしめた先駆的名著です
スペイン風邪の時もマスクに凄い抵抗があったことも書かれてます
URLリンク(www.msz.co.jp)
史上最悪のインフルエンザ【新装版】
忘れられたパンデミック
URLリンク(www.msz.co.jp)
ウェルチが切り出した肺の小片は、ふつうなら子供が遊ぶゴム風船のように水に浮くはずのものが、水中に沈んでしまっていた。
所見として特に際立っていたのは、水っぽい血液混じりの液体が大量に肺に詰まっていたことだった。
液体は肺にメスを入れるたびに切り口からしみ出し、また、空気と交じり合って血の混じった泡となり、喉につながる太い気管を満たしていた。
そして死後硬直が始まると、液体はしばしば鼻から滴り落ち、死体を包む布地を血の色に染めるのだった。
 ウェルチは少々のことでうろたえたりするような男ではなかった。
数々の成功を納め、だれからも尊敬され、古きよきヴィクトリア朝時代の医師の様と形容される評判の高い人物だった。
同時代の作家の言葉を借りれば、周りがみなパニックに陥ったような時でも独り自分を見失わない人物だったという。
そのうえ彼は病理学者であり、仕事柄、日々恐怖と向い合うのには慣れていた。
このキャンプ・デーヴンスの惨状の中で、しっかり動じない柱として頼れる人物がいたとすれば、
それはジョンス・ホプキンス大学の賢人と謳われたこの人しかいなかった。
しかしさすがのウェルチも、1918年秋、このような血の色の液体をたっぷり含んで重くなった
インフルエンザ肺炎の肺を初めて目の前にしたとき、震えを覚えずにはいられなかった。
彼は呟いた。「これはきっと何か新しい感染症に違いない。それとも・・・・・・」
つぎに口をついて出たのは、当時の医学辞典の中でいまだ迷信的なほど
恐怖のオーラを放っていた数少ない病名のひとつであった。
「・・・・・・肺ペスト?」
 20年後、コール医師は当時を振り返り、自分も含めて若い医師たちも取り乱してしまったことは、驚くようなことではなかったと述べている。
「私がショックを受けたのは、あのウェルチ先生でさえなす術がなかったということでした。少なくとも、ちょっとのあいだは」
みすず書房 「史上最悪のインフルエンザ」 忘れられたパンデミック 2009年 (新装版)
アルフレッド・W・クロスビー 著 西村秀一 訳・解説 
P29-30より引用
ウィリアム・ヘンリー ウェルチ
1850 - 1934
米国の病理細菌学者。
ジョンズ・ホプキンズ大学医史学教授,ジョンズ・ホプキンズ病院病理学主任,
ジョンズ・ホプキンズ大学名誉教授,アメリカ芸術アカデミー会員,フィラデルフィア内科医協会会員。
コネティカット州ノーフォーク生まれ。
1892年に食中毒病原菌でもある、ガス壊疽病原菌クロストリジウム・パーフリンゲンスを発見した。
またジョンズホプキンズ大学設立の功労者の一人でもあり、ウェルチ医学図書館にその名前を残している。
国立社会科学研究所のゴールドメダルなどの賞を受けた。
「ウェルシュ菌」発見した方です


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