【社会】 「今でも思い出すと眠れなくなるんです」……死者3名「福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃」50年後の初告白 [朝一から閉店までφ★] at NEWSPLUS
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1:朝一から閉店までφ ★
20/11/22 16:32:06.04 LFkITWnD9.net
伊藤 秀倫 10時間前
source : 週刊文春 2020年10月29日号
 いま全国でクマの襲撃が増えているが、史上最悪といわれる事件が起こったのは昭和45年。北海道で若き3人の岳人がヒグマの牙に斃れた。なぜ惨劇は起きたのか。その謎を解く鍵を握る人物が初めて口を開いた。50年前の夏、あの山で「生死の天秤」が揺れていた。
「今でも何かの拍子に思い出すと眠れなくなるんです」
「あのときのことは自分の中で、この50年間、封印してきました」
 自宅のリビングで筆者と向き合った吉田博光氏(87・仮名・以下すべて)は、ぼそりと切り出した。半ば予想していた言葉だったが、はっきりとそう告げられるとやや動転した。それに構わず、吉田氏は続けた。

「今でも何かの拍子に(事件のことを)思い出すと、もういけない。夜も眠れなくなるんです」
 その言葉が何よりも雄弁に50年前に起きた事件の本質を物語っていた。

「日高山脈山岳センター」に展示されている加害グマの剥製(頭部を除く)
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異彩を放つ加害グマの異様な執着心と攻撃性
〈クマに襲われ三人不明 ―日高山系縦走の福岡大パーティー〉
 1970年7月28日、北海道新聞に衝撃的な見出しが躍った。リードはこう続く。
【日高山系を縦走中の福岡大学ワンダーフォーゲル部のパーティー五人がクマに襲われた。二十五日午後から二十七日朝まで、逃げる学生たちに執拗につきまとい、次々と鋭いツメを振るってうち三人が行方不明となっているが、身のたけ二メートルという凶暴な大グマだけに、その安否が気づかわれている】
 だが学生たちの家族や関係者の祈りも空しく、事態は最悪の結末を迎える。
〈クマに食い殺されていた 無残 全身にツメ跡〉(1970年7月30日付西日本新聞)
 3人の命を奪ったヒグマは、捜索隊に同行していたハンターたちの一斉射撃により、射殺された―。
 これが昭和・平成を通じて史上最悪のヒグマによる獣害事件として知られる「福岡大学ワンダーフォーゲル部事件」の顛末である。
 悲劇の舞台となった山の名は、「カムイエクウチカウシ山(以下カムエク山)」。アイヌの言葉で、「カムイ(神=熊)」が崖から転がり落ちるところ、という意味があるという。
 数あるクマによる獣害事件の中でも、この事件が異彩を放つのは、加害グマの異様な執着心と攻撃性である。そもそも、この当時、日高山系でヒグマが人を襲うということは、まず考えられなかったという。事件から15年後、当時捜索に加わった地元山岳会のメンバーは、こう証言している。
〈(当時はクマについて)問い合わせがあれば、日高のクマは声を出したり、ラジオを鳴らしたりすれば、逃げると案内を出していましたからね〉(「ヒグマ」18「座談会 福岡大学遭難事件を語る」より)

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