【鉄道】JR西の誇り「新快速」誕生50年 特急並みに速い「お得感」が関西人気質にマッチ [ばーど★] at NEWSPLUS
[2ch|▼Menu]
1:ばーど ★
20/10/01 08:18:27.31 w02uowu39.net
1970年に運行が始まったJR西日本の新快速電車が、10月1日で50年の節目を迎える。最長で敦賀(福井県敦賀市)―播州赤穂(兵庫県赤穂市)間の275・5キロを約4時間で結び、その運行距離は、特別料金が不要な在来線としては日本一。半世紀にわたる軌跡は、京阪神を中心とする地域の発展の歴史でもある。
◆JR西の誇り
 「沿線の景色はどんどん変わりましたが、安全第一だけは変わりません」。9月中旬、新快速に30年以上、乗務する運転士の古井新治さん(61)は、草津駅(滋賀県草津市)のホームに滑り込んできた車両を誇らしげに見つめた。
 古井さんは1981年に旧国鉄に入社し、89年から新快速の運転を担当している。営業距離275・5キロは、JR東日本が首都圏で運行する熱海(静岡県)―黒磯(栃木県)の267・9キロを結ぶ普通電車よりも長く、関西の他の私鉄と比べても圧倒的だ。
 「新快速はJR西の鉄道マンにとって誇り」と語る古井さん。見習いだった当時に先輩運転士に教わった「後ろに大勢の人を乗せていることを忘れるな」との助言を今も胸に刻んでいる。
◆万博後の車両活用
 新快速が誕生したのは国鉄時代の70年。大阪万博が開かれた年で、来場者の利便性のためかと思われがちだが、走り始めたのは万博閉幕の約2週間後と、事情は少し異なる。
 京都鉄道博物館などによると、万博の特別ダイヤで京阪神に大量に集まり、余剰となった車両「万博号」(113系)の再利用の意味合いが強かったとされる。
 「大阪―京都間、ノンストップ32分」。スピードを売りにし、当時のポスターにはそんなうたい文句が躍った。ただし利便性は今ひとつ。所要時間の短縮を優先し、運行区間の京都―西明石間約98・7キロで停車するのは大阪、三ノ宮、明石のわずか3駅。しかも日中6往復の運行だった。
 最高速度も時速95キロと当時の快速とあまり変わらず、鉄道作家の寺本光照さん(70)は「停車駅が少なく、快速との区別もややこしい。当初はそう感じた人が多かったようだ」と振り返る。
◆福知山線事故で変化
 しかし「私鉄王国」と言われた関西で、より遠くを短時間で結ぶ新快速は、その後の営業戦略の柱となる。
 72年までに区間を草津―姫路に延ばし、15分間隔の運行を実現。80年には赤字の国鉄では異例とも言える専用車両「117系」を投入した。87年の民営化以降も、停車駅を芦屋や高槻、尼崎などに増やし、競合他社から乗客を奪った。
 象徴とされたのは阪急、阪神と競合する大阪―三ノ宮間。三ノ宮駅には「大阪へ19分」という大看板が誇らしげに掲げられた。
 ただ2005年に福知山線で快速電車が脱線事故を起こしたのを機に、看板は撤去され、ややゆとりのあるダイヤに変更された。最高速度の時速130キロは変わらないが、ネットが使える有料座席「Aシート」(500円)を導入するなど速度以外の魅力づくりも進めている。
 寺本さんは「特急じゃないのに特急並みに速い。その『お得感』が、関西人の気質にも合ったことも、ここまで発展した理由じゃないでしょうか」と語る。
通勤圏広がる…誘致運動も
 通勤、通学での利便性が高い新快速は、沿線の街にも大きな影響を与えてきた。
 2011年に新快速が停車するようになった南草津は、それまで56分だった大阪までの所要時間が10分近く短縮され、当時約2・3万人だった一日の乗客数が、約3万人と滋賀県内のトップに。周囲では高層マンションの開発が進んでいる。
 停車駅の「誘致運動」が起こることもたびたびで、06年から敦賀への運行が始まる際に運動に携わった地元の呉服店主(64)は「関西各地で終点『敦賀』の地名がアナウンスされる効果は計り知れない。心理的距離が縮まり京阪神からの観光客も増え、『冬は雪に閉ざされている』というイメージが払拭できた」と語る。京都鉄道博物館の岡本健一郎学芸員(45)は「新快速の登場で『関西圏』の枠組みが広がった。鉄道という公共交通機関の力を、分かりやすい形で発揮した電車ではないか」と話した。
(大川哲拓)
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)
2020/09/28 15:32 毎日新聞
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)


レスを読む
最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

1301日前に更新/263 KB
担当:undef