【大分】「邪馬台国は ..
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58:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:38:51.37 BzHheGyz0.net
宇佐神宮Webページ
URLリンク(www.usajinguu.com)
8世紀の『豊前風土記』には、「むかし新羅の神が渡ってきて、この河原に住んだので鹿
春郷(かわらのさと)と名づけた」ことなどが記されています。つまり、田川郡には銅を産
する香春岳があったので、新羅国(しらぎのくに)の神を祀る技術集団が住んでいたことが
分かります。
北部九州も
出雲信仰、白山信仰と同じく新羅系
つまり渡来神
北部九州も新羅の半島系 

59:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:38:55.90 Ux0KFGz70.net
お、卑弥呼の入浴シーンの盗撮動画でも出土したのか?

60:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:39:13.87 BzHheGyz0.net
栲衾  志 羅 紀 の三埼を、国の余りありやと見れば、国の余りあり、と詔たまひて、
乙女の胸取らして、大魚の支太衝き別けて、波多須々支穂振り別て、三身の網打ち挂て、霜黒葛闇や闇やに、河船の毛曽呂毛曽呂にき国来国来と引き来縫へる国はや 

出雲風土記の国引き神話からも
出雲が新羅の半島系なのがわかる 

61:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:39:40.38 Kk7KE4FP0.net
>>48
@〜Bに関してはそう捉えることもできると思うけど
Cに関してはただ百って数が同じってだけで百体神社は
隼人の死者を祀った神社じゃなかったっけ?

62:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:39:48.26 BzHheGyz0.net
福井にも大量の新羅神社がある
エタヒニンがヘビ祀ってるのは、北陸にいたヤマタノオロチに由来してる

63:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:40:26.91 BzHheGyz0.net
出雲も新羅系
北部九州も新羅系
北陸も新羅系
丁度な、北朝鮮の工作員が
日本海側の海岸に漂着するようなもんだからな

64:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:42:05.42 BzHheGyz0.net
倭国大乱前
 北部九州、出雲 ←(敵対)→ 大和朝廷 ←(敵対)→ 北陸
 ※ 北部九州、出雲は、北陸は新羅系のチョンコもどきの土人
倭国大乱後 ヒミコの時代
 熊襲 ←(敵対)→ 大和朝廷 ←(敵対)→ 東夷(元新羅系のチョンコもどきの土人 俘囚)
 ※ 隼人土人は9世紀初頭まで朝廷の公民ですらない
 ※ 東夷の柵
 ※ URLリンク(www.sekainorekisi.com)

65:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:42:51.38 ShQJo1QW0.net
>>53
まあそうだな。一日だと逆に余りにも短い気もする
とすれば、なぜ別府に行くのに一月かかったかを考える必要がある
まず、古代人は現代人より脚が短い
あと、現代人よりのんびりしていたと考えられる
もう一つ、これが重要だが、中国の使者にとって邪馬台国への訪問には調査の意味もあって、
あちこちで色々と道草を食っていたのかも知れない

66:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:43:09.50 Cc6y9GXz0.net
>>56
>結論出たわけでもないのにしぼんだのか検証する必要あるで
どうとでも読める、というか
面白おかしくアイデア盛り込んで
奇を衒うのを競うようにして
センセーショナリズムに訴えるにして
作られたブーム
グダグダになるのは必然

67:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:43:13.46 BDgHJJPH0.net
よくある地図上で図解してあるやつ希望

68:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:44:33.94 BzHheGyz0.net
URLリンク(www.library-archives.pref.fukui.lg.jp)
ヒスイの分布からも
コイツラがヤマト民族ではないのは自明

69:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:46:17.53 kIGn/mrg0.net
それがどうした?

70:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:48:42.79 YMYaPfAq0.net
魏志倭人伝は偽書だから、鵜呑みにしてもシャーない。あの当時は列島のあちこちに部落があった。倭人だけじゃなくていろんな民族が

71:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:48:54.09 EdV/o01C0.net
>>46
「女王国の東、渡海すること千余里、また国有り、みな倭種」
こうある以上、邪馬台は九州だわな。
この中に、朝貢した邪馬台の裏に居た当時の新覇権国・奈良
(大倭)の存在が隠されている。
(でも、邪馬台の交易を監督してるの大倭だって、さり気なく
書かれててワロタwww)

72:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:52:23.29 BzHheGyz0.net
九州南部が朝廷の支配が及ぶようになったのは
班田収受法にさからって隼人の乱がおきてから
隼人の乱がおきる前ははっきりいって
朝廷の支配が及ばなかった地域といっていい 
隼人の乱を鎮圧されて、しばらくたって公民と認められてから
班田収受法が適用されるようになった
当の班田収受法自体は制度がひどすぎて
すぐに制度崩壊がおきる
それまで九州南部の土人は
大宝令の賦役令にもあるように
朝廷の公民ですらない
土人扱いだからな
↓このとおり
凡邊遠國。有夷人雑類謂。夷者夷狄也。雑類者夷之種類也。釋云。夷。東夷也。挙東而示餘。推可知雑類。謂夷人之雑類耳。
古記云。夷人雑類謂毛人。肥人。阿麻彌人等類。問。夷人雑類一歟二歟。仮令。隼人。毛人。本土謂之夷人也。此等雑居華夏。謂之雑類也。
一云。一種無別。 之所。應輸調役者。随時斟量。不必同之華夏。謂。中國也。
わかった?
そもそも卑弥呼時代は大和朝廷が北部九州なんかすでに征服してる
わかった?

73:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:52:39.69 5cpLx47E0.net
>>57
秦氏のハの字も出てこないところを見ると、
8世紀頃になると既に自分たちがどこから来た何物なのか分からなくなっていた
というのが分かるね。
まあ、それは意図的にそうしたというところもあるが。
>>62
おいおい、そんなのと一緒にするなよ。
朝鮮半島を通って来たら朝鮮人なのかよ。
消防署の方から来たら消防署の人なのかよ。
ヴァカもの。

74:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:54:16.70 iLXwGFWd0.net
>>29
AI「データが少ないから無理」

75:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:54:20.41 kHySexfQ0.net
で、四国に渡って畿内か
ルートの一部かもね
俺は北部九州が妥当だと思うけど(´・ω・`)

76:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:54:54.25 BzHheGyz0.net
記紀に
スサノオが半島はひどい土地だといって
日本に戻ってきた記述だるだろ
コレはスサノオが半島の渡来神であることの
暗喩だからな

77:不要不急の名無しさん
20/09/16 23:59:53.78 ULDCeNdy0.net
>>75
そんな昔から糞まみれやってんか…
てかスサノオは帰ってきたんならこっちおったやつやろ

78:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:00:07.52 2KOAgruQ0.net
そして古事記編纂の時期を考えれば
編纂に当時の日本の状況を色濃く反映してるのは
アタリマエだからな
663年  白村江の戦いの敗北(国号が日本になるきっかけでもある)
702年  唱更国設置(隼人の乱前)
712年〜 古事記編纂
このデキゴトが編纂に大きな影響を与えたのは間違いない
バカには分からない

79:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:00:21.00 8Bgz5Edl0.net
>>72
何を言ってるんだおまえは?
日本人はもともと朝鮮人だぞ?

80:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:00:26.43 X1Aq8h5d0.net
>>54
その通り
もう答えは出ているのにな
研究費ほしさにプロレスやってんのかと
そもそも記紀に邪馬台国の記述がない時点で大和朝廷にとって都合が悪い歴史なんだよ
かろうじて神武東征など匂わす部分は日本人らしく完全否定はできなかったのだろう
いずれにせよ邪馬台国は近畿の大和朝廷にとって都合が悪い存在だった
にもかかわらず、道鏡が天皇になるかで和気清麻呂を伊勢神宮でなく宇佐神宮に神託を聞きに行かせた時点で
もうそれは天皇家を揺るがす問題はご先祖様に聞きにいこうってことで宇佐に行ったのは自明の理
宇佐こそが天皇のルーツ邪馬台国である

81:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:01:18.18 UZcY6qdL0.net
>>71
大和朝廷っていつ頃出来たん? 卑弥呼の時代に大和も朝廷って単語も
無いはずなんだけど

82:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:02:59.18 X1Aq8h5d0.net
>>75
竹内文書には日本が世界文明の発祥でスサノオは日本人がシュメール文明のスサに行き
そこで王になったからスサノオになったとある

83:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:04:47.80 2B7HbgU00.net
卑弥呼がもらった? 曹操墓出土と同型の鏡、なぜ大分に
URLリンク(www.asahi.com)
日田で発見されてるんだよな
邪馬台国大分説はあり得るかも

84:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:04:55.88 e5d98+fT0.net
で、物証は?

85:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:05:01.00 Bja0WRFj0.net
卑弥呼の卑は奴婢からつけられた卑だから奴婢集合体の長。元々は日巫女。太陽を操れると古代人は信じた。日蝕や月蝕が時が経てば満ち欠けするのを、神技と思い込んだ。

86:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:05:19.17 VPiBKpcW0.net
>>22
「文献のみの解釈では答えが出ない」というのが邪馬台国論争100年の最終的な結論
それなのに、文献解釈で物証との整合性を無視した曲解をゴリ押ししてるのが九州説
一番酷いのが九州王朝説とかいう、カルト宗教みたいな与太話

87:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:06:23.62 M6KZFOnC0.net
東海山陰瀬戸内海の勢力に奈良が征伐され女王卑弥呼が率いる大軍が駐屯し都となった
三輪山の麓の纒向遺跡から大量の東海山陰系の土器が見つかっている
これが邪馬台国でヤマト政権の始まり
大規模な土木工事や巨大な古墳は兵たちの労働の結果
古墳時代には、従軍する鏡を掲げ櫛をさした巫女の一群の埴輪も見つかっている
巫女が軍を率いるのは殷の風習やね
倭国大乱前の近畿地方は環濠集落が無くなり平和な国づくりが行われていた
クニ、狗奴が作られた
倭国大乱で奈良や摂津が征伐され残された南河内と和泉が狗奴国
狗奴国の官、狗古智卑狗は河内彦
神武東征のエピソードにも卑弥呼の奈良征伐の名残りがある
河内で負けて迂回し熊野から奈良を征伐

88:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:07:29.94 2KOAgruQ0.net
もともと皇室の紋は日月紋
その日月紋が起源になる

89:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:08:11.19 UZcY6qdL0.net
>>82
前にも出したけど CG復元動画(鳥肌もん)
URLリンク(www.youtube.com)

90:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:08:23.81 EvDbnueX0.net
>>19
今日は対馬に着いた
今日は壹岐に着いた
今日は松浦に着いた
こういう距離感覚
つまり、千余里=だいたい1日で航行水行出来る距離と言う認識

91:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:08:52.60 2KOAgruQ0.net
日月紋が日の丸の起源

92:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:09:45.00 lsifr3Sl0.net
町おこしのネタの定番よな

93:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:10:20.62 2KOAgruQ0.net
田舎もんは朝廷の公民ですらなかった夷人雑類
北部九州、山陰、北陸 (つまり新羅系のチョンコもどき)

 ↓     ↓   ↓ (倭国大乱)

    関東  東北
     ↓ (征 夷 大将軍の 坂上田村麻呂)
    東北
東北にも古い八幡神社があるのはなんでか
もう分かるな 

94:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:10:34.94 9q1RuCdo0.net
邪馬台国は九州で、トウテイ国っていうのが畿内だと誰かが言ってた
トウテイ国ってのはぐぐってもあまり出てこないんだよね

95:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:11:16.76 GwV56TP80.net
中国史にハッキリと邪馬台国は大和と書いてる
最初から論争なんて全く存在しない
「魏志倭人伝」
一大卒が九州にいる
「隋書」
アメノタリシヒコの都は邪馬台国と同じ
「旧唐書」
アメノタリシヒコが属国に一大卒を派遣して支配している
一大卒がいる場所=邪馬台国ではなく属国なのが確定
「新唐書」
神武天皇のときに筑紫から大和に都を移す
アメノタリシヒコは用明天皇
つまり邪馬台国は大和であると中国は認識しているのが分かる
そして九州はその属領
このことから当然、九州王朝なんてものはないのが明らかになる
九州説とかいう人の話は最初から中国の史書が全否定してる

96:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:12:02.42 2KOAgruQ0.net
そもそもスサノオが渡来神だからな
その漂着した新羅系の土人は
倭国大乱のあと
北部九州、山陰、北陸からおわれることになる
関東、東北へと逃げることになる
そして、朝廷が関東東北の土人どもをしばきにいくのが
坂上田村麻呂になる 
坂上田村麻呂が土人の巣を一掃
坂上田村麻呂は
征 夷 大将軍だからな
東北の俘囚がどういうやつらかといえば
出雲、北部九州、北陸の負け犬
つまり新羅系のチョンコモドキ

97:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:12:50.12 UZcY6qdL0.net
>>85
例えばどんな物証を無視した曲解説?
九州王朝云々は肯定も否定も出来る知識は俺には無い
それをカルト宗教みたいな与太話というあなたは
否定するだけの知識をお持ちだと言う事やね
よかったらなぜ日本各地に同じ九州年号?が
神社に残ってるのか教えていただきたい

98:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:12:59.35 X1Aq8h5d0.net
>>93
蓬莱国だよ
近畿と九州では昔から平均身長が違う
なぜ九州が倭国と呼ばれたか分かる

99:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:13:29.12 2KOAgruQ0.net
つまり東北は
普通にいまの半島人じゃない半島のヤツラが支配してた
のちに俘囚となって
その俘囚が勢力をもつようになった
前九年の役とか 普 通 に 半 島 人 が ま ぎ れ こ ん で た からな
平泉なんかもろ新羅系
安倍氏も間違いなくもろ新羅系だからな

100:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:14:43.05 qvngaOm90.net
魏の皇帝はまだ見ぬ卑弥呼に恋してしまったみたいですね

101:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:15:00.17 7xgx0npx0.net
> 別府温泉
九州説信者は
今日もアホだった

102:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:15:31.59 svbOqFYB0.net
ここは本当に勉強になる
恋人がこの手の話にすごく詳しくて自分は逆方向の理系の仕事で全く話がわからない
でも話を合わせたい
しかし日本史の話に付いていけない
みんなが本当にうらやましい

103:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:15:44.42 2KOAgruQ0.net
大和朝廷が北部九州を版図に治めてからも
大和朝廷と北部九州の一部の豪族と争いもおきてる 
北部九州の豪族(チョンコもどきの土人)は新羅との関係が深かった
大和朝廷のほうは百済に支配地域を広げていた 
で、南朝鮮の権益で九州北部の豪族は大和朝廷の朝鮮出兵を時折邪魔したりして争いもあったりした
北部九州の豪族が新羅から賄賂をもらってたというのも古事記に記述されてる

104:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:16:33.44 X1Aq8h5d0.net
>>94
旧唐書には近畿からの使者と九州からの使者が中国の皇帝の前で「こっちが正統な日本の使者だ」と揉めてたとある
中国皇帝「うちは一国につき使者は一人しか受け付けないから話まとめてね」

105:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:17:47.62 2KOAgruQ0.net
暦年代 纒向編年 土器出土遺構 対応する土器型式
180年-210年 纒向1類 北溝北部下層 灰粘土層 弥生V様式末
210年-250年 纒向2類 辻地区土坑2 庄内I式(庄内古式)
250年-270年 纒向3類 南溝南部 黒粘土(1)下層 庄内II式(庄内新式)
270年-290年 纒向4類 辻地区土坑4下層 庄内III式(庄内新新式) 布留0式
290年-350年 纒向5類 辻地区土坑4上層 辻地区土坑7 布留T式

  纏向の発掘進捗は5%もいってない 
  これだけでもこんな広範囲な年代の遺物が検出されてる
チンカスみたいな九州の土人遺跡集落とは規模が違うからな
卑弥呼の時代
奈良には超巨大な帝都があったからな
  新羅系のチョンコもどきが群がってた未開の土人地域の北部九州に
  そんなんあったの?

コレがすべて

106:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:18:37.55 aDpswJtN0.net
>>94
隋書以外は意味なくねえか

107:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:19:48.06 X1Aq8h5d0.net
>>96
年号を決められるのは皇帝だけ
つまり中国が北方異民族の隋唐に支配されたんで
漢民族の南朝に従う九州は隋唐と対立して
勝手に皇帝をおったてて年号も作ってしまった

108:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:20:04.42 2KOAgruQ0.net
すでに大和朝廷が
北部九州を版図に治めてたのは明らか
大和朝廷が北九州を版図に治めてないと
朝鮮出兵の説明がつかない
半島では、前方後円墳、日本様式の弥生式土器もみ


109:ツかってる それでチョンコどもが発狂してる 明らかに任那政府はすでにあったからな



110:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:20:55.17 aDpswJtN0.net
>>103
「わたしたち、一国にならなきゃだめみたい」
「じゃあ、東遷したことにしないか」

111:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:22:06.89 GVTkm1Wi0.net
陳寿が適当に書いただけやで

112:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:22:47.85 VPiBKpcW0.net
>>96
九州年号なんて興味もないから全く知識もない
知識という言い方に値しない代物だろうけど
倭国の代表として中国と外交を続けた大勢力が九州に存在した証拠がない
逆に九州は各地に前方後円墳が築造され、ヤマト政権の傘下に入る
そうすると独立勢力になりえるのは、網の目をくぐった小勢力しか残らない

113:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:23:28.57 6uUVebkF0.net
もう別府温泉でええが。何十年やっとんや。

114:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:26:10.29 aDpswJtN0.net
>>109
「陳寿さん、女王国は九州ですよ、ヤマトじゃないですよ」
「え、マジ?早く言えよ」

115:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:27:32.88 M6KZFOnC0.net
弥生時代末期の北部九州から出るのは瀬戸内海系の土器
博多も奈良と同じように瀬戸内海系の勢力、一大卒の支配下だったんだよ

116:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:27:44.74 rJz07N5f0.net
沿岸の海洋にの技術のある民族ではなく海上に経験のない内陸の人が距離を綴った文章は当てにならないんでないの?

117:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:27:53.06 Geoav38s0.net
今に見ていろハニワ幻人、全滅だ!

118:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:28:09.00 UZcY6qdL0.net
>>110
興味ないから与太話としてしまうのはちと情けない
その論理だと考古学には興味ないから畿内説は与太話の類と
断じてしまうのと同じ、せめてある程度調べて切り捨てるならそうすればいい
600年の遣隋使は日本書紀には書かれてないが(607年の小野妹子が第一回)
隋書にはちゃんと書かれてる、これは倭国のどこから来たんやろね

119:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:29:26.84 9hpTYw//0.net
海の向こうの得体の知れない野蛮人すらも魏の威光にひれ伏してはるばる朝貢してきましたよって記したかっただけ

120:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:30:00.81 2KOAgruQ0.net
九州王朝説・多元王朝説 
弥生中期から卑弥呼の時代はもとより7世紀にいたるまで、ヤマト王権のみならず、日本列島内において様々な勢力圏、連合独立地域自治権、が存在していた、 
という多元王朝説が古田武彦らによって1970年代以降提唱され、かつては歴史愛好家などから一定の支持を得たこともあったが、
存在している文献資料の検討や古墳をはじめとする考古資料から、現時点において、学界は「この説は信憑性に欠けている」としている。
なお、これをさらに発展させ、九州王朝のみが存在したとする九州王朝一元説や、大和に王朝は存在せず、本来は豊前の王朝だったとする豊前王朝説、
九州王朝と東北王朝のみが存在し、大和は東北王朝の支配下にあったとする東北王朝説もあるが、多元王朝説論者も含めて学界からは無視されている。

121:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:30:33.33 2KOAgruQ0.net
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer
(-略-)
私(佐原)は
(-略-)
なお、しいて「どちらか」というなら私は大和説で、卑弥呼の使いの時の年号を書いた「三角縁神獣鏡」が近畿を中心に出土していることなどからです。
  大 多 数 の 考 古 学 者 は 大 和 説 で す。 
参考文献として、『邪馬台国への道』(朝日新聞西部本社編 不知火書房 1995年)を挙げておきます。
(元館長・佐原真) 

122:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:30:44.30 5q4ncr6V0.net
>>107
魏志倭人伝を見れば、邪馬台が大乱で覇権喪失、
表向きの倭国盟主に落ちたことが分かる。
裏に新覇権国の奈良がいただろう。
よく読むと、邪馬台の港を「大倭」を使って
監督させてると書いてる。 大倭? はあ?
これ、大倭=奈良のことじゃんwwwwww
表向き、邪馬台が盟主ということになってるから、
奈良を「使って」監督www ホントは逆だけど。
これが三世紀の記述だ。

123:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:30:58.40 uVmHyj4F0.net
すごいわ、そんな時代から大卒がいたのね。

124:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:33:08.40 8aLGdQ910.net
>>88
すばらしい

125:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:35:23.44 zuqsX2Gu0.net
大集落を作る余地がなさそう

126:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:37:38.70 5YaynRDA0.net
別府温泉は記紀に速見の湯として登場する。別府が邪馬台国なら、豊の国、速見が魏志倭人伝に登場してもいい。

127:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:40:01.37 f1waMs+n0.net
水陸交通の便が良くて平地も多い北部九州捨ててこんな辺鄙な場所に国作らねえよ

128:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:41:21.74 5q4ncr6V0.net
奈良が、4世紀、華北崩壊・朝貢秩序消失した折、
ついに邪馬台を滅ぼし、その権威ある名を継いだ。
そして邪馬台の中心地に大宰府を、かつて邪馬台と
交易を独占していた相手方の半島倭人(弥生人)の
地に任那日本府を置いて監視・統治した。
大宰府と任那日本府は、二つで一つ、セットだ!

129:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:42:16.48 A3UoDT1K0.net
ヒミカ(俾弥呼)な

130:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:43:02.46 UZcY6qdL0.net
>>119
その佐原ってお人 元歴博の館長さんなんだけど
あの藤村事件で事件発覚前に藤村を糾弾した学者だったかな
その人を批判したお方 お察しでしょw
考古学者を名乗るなと言いたい

131:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:44:34.00 7emM9bVD0.net
>>16
藤村さん乙

132:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:44:36.89 VPiBKpcW0.net
>>116
九州年号なんて専門家で認めてる人はいないだろ?
それだけで調べる価値など全くないと分かる
考古学興味ないから畿内説は与太話ってどんな理屈だ?
学問に興味ないなら勝手にすればいいだけ
隋書の記述云々は、当時ヤマト政権に対抗しえる大勢力が日本国内に
存在した痕跡がないのだから、当然ヤマト政権のこと

133:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:44:48.60 9M9BM+Jb0.net
南九州狗奴国の卑弥弓呼が大坂まで到達して神武天皇になったんだろうな
 >>1

134:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:44:51.39 uVmHyj4F0.net
邪馬台国卑弥呼って名前がもうネガティブにも程があるわ。
一体、どんな陰険な国だったのよ。

135:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:45:37.47 5YaynRDA0.net
卑弥呼は天照大神、宇佐に祀られている比売大神。だから宇佐神宮の八幡様や神功皇后を従えて真ん中に祀られている。

136:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:45:47.07 VVlMcMIE0.net
卑弥呼の入浴シーンまだ

137:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:46:54.55 mLOGtqt60.net
このスレ読んでると、病人は最初から決めてかかってて、それが頓珍漢な解釈に繋がってるのが分かるな
病人とは話するだけ無駄だから見かけ次第NGにしてるけどw

138:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:47:28.00 yYIt4ynq0.net
>>59
その新羅(辰韓)って、元は中国の秦王朝で、その元は古代ユダヤじゃん

139:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:47:40.24 rBP2xjy20.net
なんであんな文献を真に受けとんのや

140:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:47:58.15 ndjMfr0H0.net
まあ邪馬台国があったとしたら、北部九州のどこかで間違いはないだろ
糸島や福岡、佐賀県の大和には昔ながらの地名が残っているから
志賀島で発見された金印も本当は糸島辺りの神社に祀ってあったものを盗んで、志賀島で出たとかでっち上げたという話もあるし
大陸にも近いし、当時に集落があった糸島、博多周辺で間違いないでしょ

141:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:48:43.29 UZcY6qdL0.net
>>130
専門家で理論立てて反論してる人を俺は知らない
ただ認めてないってことは承知してるけどね
当然ヤマト政権のことを日本書紀から省く理由はなんやろね
最初の遣隋使やで?
まぁ存在してないらしいのでこれ以上は無意味なのでこれで

142:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:49:33.99 QCki9SNX0.net
環濠蚊が湧いて大変やったと思う

143:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:51:37.11 5YaynRDA0.net
>>140
フナとかコイ飼えばいい。

144:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:52:13.11 219u42N80.net
だから、四国の徳島で確定

145:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:54:38.50 VPiBKpcW0.net
>>139
はあ?
専門家が素人の与太話にわざわざ反論するわけないだろが
いったいどうしたらそんな間抜けなレスを考えつくんだ?
九州王朝やら九州年号なんてものが存在しないと理解したならそれでいい

146:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:54:59.48 9M9BM+Jb0.net
九州島北部の各地の連合が邪馬壹国だろうから
大分県にあったクニも、邪馬壹国連合の一つだろうね
邪馬壹国連合は滅んじゃったけど、古代中国と文化が似てたかもね
呉の末裔だっけか

147:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:55:15.99 V/ibbEM30.net
>>2
ローマ帝国崩壊後は一気に退化したけどな

148:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:56:03.11 5YaynRDA0.net
>>142
眉山公園で卑弥呼が占いしたのか?ロープウェイ無しでのぼれんやろ。

149:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:57:15.54 UZcY6qdL0.net
>>142
徳島にはアークと聖杯があるじゃないか ソロモンもあったっけか贅沢w

150:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:58:13.80 0T/c3ygL0.net
畿内説 vs 九州説

151:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:59:39.96 NHi3JgOO0.net
地理的要因から言っても九州北部が最有力候補なのは間違いない

152:不要不急の名無しさん
20/09/17 00:59:57.63 6/K3gB070.net
邪馬台国は現在の日本とは直接繋がって無いし、何処でもいいよ
それより大和王権の正確な位置の方が重要

153:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:00:19.10 2KOAgruQ0.net
九州説みたいな珍説わめいてるのは
絶滅危惧種だからな

154:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:00:20.95 +vd/YAV90.net
>>138
あんな金印、江戸時代の作りものだとほとんどの学者は本音では思ってるよ。

155:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:01:34.70 GwV56TP80.net
そもそもの話
@歴史とは同時代の複数の資料を比較して妥当な内容を導き出す物
・倭人伝はほかの同時代資料がないので考古学、他の時代の資料を参考とする
・倭人伝だけの「解釈」だの「行程読み解き」などどんなに尤もらしいことを言おうが全く意味をなさない
A倭人伝は邪馬台国伝ではない
・倭の風俗について倭全体について記載している。特別な風習は明記される
・全てが該当する地域などどこにもない
このことから世のほとんどの説と称するものは全く意味を持たないものであると退けられる

156:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:01:55.84 8GQWfB3T0.net
畿内からは魏志倭人伝に書いてる鏡や古墳があるから
考古学的に見て邪馬台国は畿内ともう何十年か前には結論が出てる

157:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:02:04.88 NHi3JgOO0.net
畿内?どっちみち九州上陸か山陰上陸して
畿内にたど


158:闥くまでには盗賊はびこる道無き道を畿内までたどり着くのは至難の業だろ



159:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:02:58.88 8GQWfB3T0.net
>>155
九州から畿内までは瀬戸内海を船で移動してたらしいよ

160:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:03:22.29 Bepg7vEt0.net
>>1
>地下には、イタリアのポンペイ遺跡のように、古代の遺跡が手つかずのままに残されているのでは―。
>調査したら遺物が出てくるかもしれません。
九州説にありがちな
「出る出る詐欺」
「あるある詐欺」
・・・ですか?
出してからああだこうだ言って下さい
邪馬台国そのものの遺跡が出なくても
邪馬台国が出現したことによる周囲への影響を
匂わせるものが当時の九州に見当たらない
例えば威信財や舶載品の分布・流通経路の変化とか
現在九州説なんてものが昭和の遺物の剥製の如きなのは
それなりに理由がある

161:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:03:36.54 ZDShYvLP0.net
チッ、見つかっちまったか

162:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:04:22.46 NHi3JgOO0.net
>>156
ほう
それならやはり大分あたりがなんらかの集積
、交易地として繁栄してたのは間違いないわな

163:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:04:33.67 VPiBKpcW0.net
九州説の根拠に漢委奴国王の金印を持ち出してくるのは無理があるだろう

164:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:06:41.36 2KOAgruQ0.net
律令制が整った時代になっても
まだ(朝廷の公民にすらなってない)土人しかいない場所から
どうやって東征するわけ? マジで
九州説の池沼たちがなにいってるのか分からないワケ 
日向という地名も景行天皇になるまで、そんな地名すら存在しない

165:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:06:44.14 NHi3JgOO0.net
九州北部地域沿岸部に上陸
そこから大分まで行くのも道無き道を進むので
当時、何らか地方を治めてる自治体の保護が無ければ無理な話やな

166:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:07:56.89 UZcY6qdL0.net
>>143
多くの学者が古田理論には批判なり反論してる、それに対して
古田氏も反論を丁寧に返してる
存在しないなんて俺は言えないって言ってるだけ
どこどこの学者が否定してるから俺もそうしよって行動は
俺はしない 自分で考えて結論を出す

167:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:08:45.04 1zRI2yzH0.net
>>1
別府温泉 卑弥呼の湯 爆誕!
土産は 三角縁神獣鏡クッキーだな。

168:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:09:29.33 Bepg7vEt0.net
>九州説の根拠に漢委奴国王の金印を持ち出してくるのは無理があるだろう
その場合九州北部、玄界灘周辺に限られ
そこは通説じゃあ奴国であり伊都国だからね
それをなんとかしようと
「放射説」「短里説」なんてゲテモノが出てくるwwww

169:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:10:38.77 XYF4dt6n0.net
チョン来ないから苦し紛れの宣伝か

170:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:10:42.16 2KOAgruQ0.net
伊都志摩ではなく伊勢志摩

171:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:12:41.53 LvKcHL0X0.net
卑弥呼は温泉マニアだったってこと?まあありうるかも。
自分は市の中心部に温泉銭湯がひしめいてる鹿児島のが好きだけど。

172:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:13:06.92 2KOAgruQ0.net
どうみても記述では
卑弥呼:倭姫命(ヤマトヒメ)(初代斎王)
台与:豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)
コレですべて辻褄があう
※ 伝承によって記述が逆になった
卑弥呼:豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)
台与:倭姫命(ヤマトヒメ)(初代斎王)
だったのが伝承で変な伝わりかたして
記述の内容が逆になった可能性が高い
つまり、トヨスキイリヒメの時代に倭国大乱がおきてる

> 其國本亦以男子爲王住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子爲王 名曰卑彌呼 事鬼道 能惑衆 年已長大 無夫婿
つまりこの部分 
卑弥呼の時代、
すでにチンカスの北部九州の土人地域は大和朝廷の版図内
新羅系のチョンコもどきの土人は
倭国大乱で駆逐されたあと

173:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:13:35.61 GwV56TP80.net
絶対に卑弥呼の湯とか作るだろうなw
しまいには「卑弥呼が入った温泉」とか言い出しかねない

174:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:14:15.49 2KOAgruQ0.net
魏志倭人伝
> 南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日 彌 彌 那 利 可五萬餘戸
日本書紀 巻第七
> 二曰 耳 垂 。殘賊貧婪、屡略 人民。是居於御木木、此云開。
つまり投馬国は御木
いまの福岡県三池郡あたりと比定できる
この部分について だ け はほぼ間違いない 
しかもコイツを 景 行 天 皇 が し ば い て る
つまり魏志倭人伝をどこをどう読んでも
邪馬臺国は畿内しかない
建武中元二年 ⇒ 西暦57年 ⇒ 垂仁天皇86年(皇紀717年)
垂仁天皇 ⇒ 「纒向珠城宮」
景行天皇 ⇒ 「纒向日代宮」

175:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:14:52.00 RE3Lv+5a0.net
水行十日陸行一月
完全に九州を出てしまう距離だろ
つまり畿内なんだよ

176:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:17:35.56 zdYuE9Up0.net
正直、日本の歴史考える時に邪馬台国ってたいして重要じゃ無いよね

177:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:18:14.92 2KOAgruQ0.net
そもそも日本の歴史は畿内の歴史
田舎もんには関係ない

178:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:18:19.49 RE3Lv+5a0.net
九州説の最大弱点は大和朝廷の存在
これをどう説明するのか?
畿内にも別政権が有って、しかもヤマトと名乗っていて
九州の政権も邪馬台(ヤマト)と名乗っていたの?
普通に考えて、これは一つの政権だよ。

179:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:19:17.75 VPiBKpcW0.net
>>157
>邪馬台国が出現したことによる周囲への影響を
>匂わせるものが当時の九州に見当たらない
これすごく重要
九州説信者のよくある言い訳で、「遺跡が見つかってないだけだ」とか
「邪馬台国は九州のどこかだけど、特定の場所は絞り込めない」ってのがある
でも周辺国での影響もないんだから、上のような言い訳は通用しないw

180:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:19:34.20 5ykUxTl20.net
ヨークシャー

181:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:19:38.57 GwV56TP80.net
中国の使節を温泉で歓待したとかいうのかな
そういや中国人って別府温泉大好きだよね
そういわれると説得力があるのかもしれないw

182:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:21:58.24 zdYuE9Up0.net
>>175
当時のヤマトという言葉をどう使ってたかによるな
日本列島をヤマトと呼んだなら、国が2つ3つあっても全部ヤマトの国ではある

183:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:25:08.84 O/L2GQev0.net
>>18
すでに日本が発展するために使い込んだから今さら無理

184:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:25:33.92 v2YpU28v0.net
>>16
「仕込み」を監視カメラに録画されるところまでやってくれ

185:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:27:23.78 v2YpU28v0.net
>>145
たしかに、大航海時代までは停滞してるイメージ

186:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:31:04.37 v2YpU28v0.net
>>178
ワロタw
中国人は良くも悪くも欲望に忠実だからなあ

187:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:32:46.17 W/jGNpP40.net
中国はこの後の五胡十六国でごっそり民族入れ替わるからなあ

188:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:36:14.59 RE3Lv+5a0.net
>>179
じゃなんで、奴国とか伊都国とか投馬国とか別々に言うの?
全部ヤマトでいいでしょ?
態々ヤマトと呼ぶのはそれが固有の地域名だったから。
日本全体をヤマトと呼ぶようになるのは、大和朝廷が全国を制圧した後の時代。

189:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:38:27.45 xazPkMgR0.net
GO TO 別府キャンペーンか
観光業者は食えてなさそうだからなあ。

190:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:41:07.36 bVUvk3H60.net
まじかよ温泉最強じゃん
硫黄系が好きですが夏は冷鉱泉水風呂がほしいです

191:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:42:29.90 geNAW3kd0.net
別府温泉の砂かけてくれるやつ気持ちよかった
またいつか行きたい
あれって日本で別府だけなの?
近場にあるなら毎週でも行きたいのだが

192:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:43:27.88 Bepg7vEt0.net
>「邪馬台国は別府温泉だった! 火山灰に封印された卑弥呼の王宮」
しかしこのタイトルだけ見たら
70・80年代の邪馬台国ブームの頃に出た本だと思うわ
何故今頃こんな本を出したのか本当に謎www

193:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:44:38.62 yYIt4ynq0.net
>>175
はあ? 九州にいた邪馬台王の神武天皇が東征して、奈良盆地にいた土人を滅ぼして建てたのが大和朝廷だと、記紀に書いてあるじゃないか

194:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:47:37.26 2KOAgruQ0.net
コレが定説
九州説の珍説なんかだれも相手にしてないワケ
時間と空間の設定―神武東征と即位―  そのカムヤマトイワレヒコは
よき地をもとめて日向から大和へと東征し、磐余宮で即位して初代の神
武天皇となる。これは地上における大和という地理的な特定地点の由来
を説明する物語である。ここで最重要の主題は、 神話から歴史への転換、
つまり、人間としての神武天皇という存在の位置づけである。そして
もう一つが現実的な空間的地理と時間的年代の設定である。時間につい
ては天孫降臨から一七九万二七四〇年余が経過したといい、東征の開始
の年を「是年、太歳甲寅」とし出発の日を「冬十月丁巳朔辛酉(五日) 」
としている。そして、橿原宮に即位した神武天皇元年が、辛酉年の正月
庚辰の朔(西暦への換算では紀元前六六〇年)としているのである。空
間については、出発地を九州の日向として瀬戸内海を通過し浪速、河内
から紀州へと旋回して熊野から大和の東部山中の菟田に出てそこから西
方に向かって大和盆地へ入る、という地理的関係を設定している。
ここで重要なのは大和盆地という現実的な王権発祥の土地であり、出
発地の日向については神話的な構成の産物にすぎないという点である。
先の一七九万二七四〇年余という時間が歴史時間として虚構であるとす
るならば、同時にこの日向という空間と地理も神話的な構成によるもの
である。それは、 『日本書紀』第9段の天孫降臨の一書〔1〕で、天孫
降臨の地が「筑紫の日向の」高千穂のクジフル峯であるといい、 『古事
記』でも同様で、 さらに「此地は韓国に向ひ、 笠沙の御前を真木通りて、
朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり、故、此地は甚吉き地。 」と表現
されていることからも明らかである。 「筑紫の日向の」小戸の橘の檍原
に至りまして、という言い方は、三貴神の誕生を記す『日本書紀』第5
段の一書〔6〕でも、『古事記』でも同じくみられる表現であり、この「筑
紫の日向の」という表現こそが重要な伝承である。その筑紫は地名であ
り日向はその筑紫における太陽信仰に関連する呼称である。それについ
て現実上の日向国という地理的認識を与えたのは、国郡制などが整備さ
れたのちのことであり、記紀編纂の最終段階であった可能性が高い。つ
まり、一


195:七九万二七四〇年余という時間と日向という空間とは現実の時 間と空間ではなくまだ神話の中での伝承情報と考えるべきなのである。



196:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:48:17.43 EhccFf8pO.net
日羅って人物がいんだけどさ
凄い意味深な名前で九州出身で百済王に仕えて倭国に帰国して百済は危険だと訴えて
何と在日百済人に暗殺されるという
墓は九州にあるらしく
暗殺した百済人の処遇は不明
聖徳太子の師だったとも言われてるけど
百済人が普通に日本で日本人を暗殺してたと「記紀」に載ってるつうかさ
聖徳太子も蘇我氏も百済人が殺したんじゃないかなぁ

197:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:49:22.72 bVUvk3H60.net
>>188
別府だけってことはないかと
岩手の西和賀にあったきがす…他それしか知らんけどだけども思えない

198:不要不急の名無しさん
20/09/17 01:57:53.31 i/FbG75B0.net
>>192
新羅は、北部九州の領土
百済は、畿内の領土
高句麗は、関東地方の領土
こういうふうに倭人が朝鮮を分割統治してたようだから
九州人が百済(畿内の領土)は危険だと畿内で訴えたら反感を買うんじゃないか

199:不要不急の名無しさん
20/09/17 02:03:50.61 EhccFf8pO.net
>>194
すると蘇我氏も九州と畿内の統合をしようとしたから殺されたのかな?
そんで殺した後に聖徳太子をでっち上げて美談の部分を切り離したと

200:不要不急の名無しさん
20/09/17 02:15:21.60 i5HUGuXN0.net
そのうち韓国が邪馬台国は韓国にあったと主張してくるんだろ?w

201:不要不急の名無しさん
20/09/17 02:18:25.63 8Bgz5Edl0.net
ヤマト王朝など存在しない。近畿の田舎豪族にすぎない
そこを九州の邪馬台国が東征によって征服したのだ

202:不要不急の名無しさん
20/09/17 02:20:31.73 i/FbG75B0.net
>>195
それはわからないけど
527年に新羅と北部九州が組んで畿内に対して磐井の乱を起こしてるね
そもそも北部九州で王位についた神武天皇の兄弟が新羅王だし

203:不要不急の名無しさん
20/09/17 02:21:48.28 cYCwSnKv0.net
伝聞を記述しただけと聞きますよね  

204:不要不急の名無しさん
20/09/17 02:22:36.92 i/FbG75B0.net
>>197
無理があるw
近畿には物的証拠が沢山あるからだ
古代の大王の墓は近畿に集中しており
近畿に日本最大の勢力があったのは明らか

205:不要不急の名無しさん
20/09/17 02:23:08.80 uVmHyj4F0.net
あんたたちそれだけ詳しいのに、なんで邪馬台国の場所がわからないのよ。

206:不要不急の名無しさん
20/09/17 02:25:09.42 /2VvNBmt0.net
やまとってただの山門だしな
九州になんぼでもあるぞ

207:不要不急の名無しさん
20/09/17 02:25:19.35 i/FbG75B0.net
>>199
さすがにそれはないよ
魏の役人が伊都(北部九州)に駐留してたのは明らか
邪馬台国の場所がよくわからないのは北部九州から遠く離れた場所にあったから。
魏の役人は馬鹿じゃないので伊都(北部九州)の近くに邪馬台国があったら場所は特定できる

208:不要不急の名無しさん
20/09/17 02:26:18.11 BdC3LBOK0.net
温泉ワニも神話の和邇なんか

209:不要不急の名無しさん
20/09/17 02:26:39.93 i/FbG75B0.net
>>202
山門は音が違う
現代の音だと同じヤマトなので疑うのはわかるが

210:不要不急の名無しさん
20/09/17 02:27:45.50 Ckhm7qYX0.net
人は記憶型と思考型に大別できる

BC770年 春秋戦国時代
 │
BC221年 秦(キングダム)
 │
BC206年 漢(項羽と劉邦)
 │
184年 三国時代(三国志)
 │ ←──────卑弥呼
265年 晋
 │
439年 南北朝(蘭陵王)
 │
589年 隋
 │
618年 唐

蘭陵王は雅楽として残ってる
URLリンク(www.youtube.com)
後世に伝わったものかもしれんが大和政権は南北朝時代の影響を受けてることは確かだね

211:不要不急の名無しさん
20/09/17 02:29:06.32 xuBeVqxg0.net
>>185
古代社会では、守りの固い盆地のクニが周囲より優位になる。
そのクニが広い農地と港を手に入れると、地域の覇権国になる。
この地政学を考えると、起こりの地は日田盆地。
そこから筑紫平野の米どころを支配し豊かな国になる。
大宰府の要塞を越えられず港を手に入れられなかったが、
海幸彦・山幸彦の神話にある通り、半島(海神の宮)に渡り
政治工作、鉄利権(釣針)と朝貢(玉)を手に入れ、みなと
の旧支配者・宗像を軍門に下し、列島の覇権国となった。

212:不要不急の名無しさん
20/09/17 02:29:21.54 cYCwSnKv0.net
>>203
その魏の役人が又聞きで記述したということはないですか


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