【歴史】日本のルーツは諏訪にあり? 「原日本」を求めて諏訪大社の秘密に迫る [樽悶★] at NEWSPLUS
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1:樽悶 ★
20/05/24 02:00:01 0fvwI6XZ9.net
神長官守矢史料館の「御頭祭」をイメージした展示
URLリンク(www.newsweekjapan.jp)
守矢家の敷地内にあるミジャグジ社
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※省略

◆狩猟の神・上社本宮の特異な構造

御柱祭を華とする諏訪信仰は、縄文時代の自然信仰に端を発する。このことは、前々回<第16回 八ヶ岳山麓、諸星大二郎『暗黒神話』の地で縄文と諏訪信仰に触れる>で、八ヶ岳山麓の縄文遺跡を訪ねて強く実感したところだ。果たして、諏訪大社上社本宮の御神体は、境内の背後に広がる守屋山(もりやさん)という「山」である。しかし、天下の諏訪大社の御神体にしては、このあたりからよく見える八ヶ岳や南アルプスと比べても非常に地味な山だ。その守屋山、本宮の裏山のもうひとつ裏にあるので、実は本宮からも参道からもよく見えない。まあしかし、僕が思うに、今の世で守屋山と呼ばれている標高1631mの山だけでなく、本宮とその約1.5km南東にある前宮を繋ぐ守屋山を含む裏山一帯を、御神体と考えて良いのではないだろうか。

※省略

それはそうと、縄文と言えば狩猟文化なわけだが、今も上社には狩猟の神の側面がある。仏教伝来・神仏習合の時代を経て、日本では長く肉食が忌避されてきたが、縄文狩猟文化の流れを汲む諏訪大社では、その間も神事としての狩猟が継続された。当時の一般庶民も全く肉食をしていなかったわけではなく、この諏訪地域のような山の民にとっては、鹿やイノシシ、ウサギ、キジといった野生動物の肉が貴重なタンパク源となってきた。そうした中、仏教的な「建前」と、縄文文化的な実生活をすり合わせる必要があったのだろう。諏訪大社では、「狩猟は獣を救う手段でもある」として、鹿肉を中心とした肉食を許す免罪符、「鹿食免」が頒布されてきた。現在でも手に入り、ベジタリアンではない地元民の僕も時々入手している。今回も、社務所に立ち寄って新しい鹿食免を求めた。

◆日本のルーツは諏訪にあり?

※省略

・守矢家は今から1500年以上前、大和朝廷の力がこの地に及ぶ前(即ち諏訪大社建立前)から、土着部族の長であった。その文化は、守屋山を神の山とする自然信仰に根ざしていた。

・諏訪大社は、『古事記』に伝わる日本神話の神、「タケミナカタ」が、ライバル神であるタケミカヅチとの戦いに敗れて出雲から諏訪の地に逃れ、祀られたのが起源とされる。

・その際、もともと諏訪の地を支配していた守矢家の支配はタケミナカタ(=大和系の中央勢力)に取って代わられたが、共存の道も図られた。即ち、守矢家は滅ぼされることなく、諏訪大社の祭祀の実権を握る神長官職に据えられた。この体制は、明治維新まで脈々と続いた。

・守矢家が守ってきた諏訪大社の祭祀の中心は、前宮で行う「御頭祭(おんとうさい)」であった。春先に、鹿・猪・ウサギ、魚などを供物にして行う祭祀で、主に狩猟の成功を祈って行われた(現在も名称を変えて形式的に受け継がれているが、五穀豊穣祈願に変化している)。

つまり、守矢家とは、縄文的な自然信仰・狩猟文化に根ざした神話時代よりもさらに前の"原日本" を象徴する一族である。諏訪信仰とは、それに取って代わった中央集権下の大和文化と縄文的文化が融合した、原始的な形を残す信仰の形と言えよう。神話時代より前という、とてつもなく古い話なので正直頭がクラクラするが、それだけに、僕は「日本のルーツは諏訪にあり」と高らかに宣言したい。

余談だが、第16回で縄文の巨石信仰にも触れたが、守屋山には今もハイキングコースになっている巨石群がある。僕はまだ行ったことがないが、遠い昔は一つの岩だったという俗説も成立しそうな風景らしい。僕はつい、「巨石に宇宙人がUFOで降り立って、縄文の人々に知恵を授けて・・・」なんていう妄想をしてしまう。なにしろ、守矢家の敷地内には、諏訪信仰以前のミジャグジ社の祠があり、守屋山の方向にはUFOを思わせる藤森照信設計の空中茶室を見ることができるのだ。そんな妄想を膨らさないわけにはいかない光景が、この"日本の中心地"にはあった。(続きはソース)

2020年05月20日(水)12時30分
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