朝来で明治時代から現代までの給食を日替わりで味わう「タイムスリップ給食」 初鯨体験の男児は「かたくてかみ切れません」と苦戦
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1:水星虫 ★
20/01/27 20:09:18 dV22MVMe9.net
朝来で「タイムスリップ給食」
*ソース元にニュース画像あり*
URLリンク(www3.nhk.or.jp)
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を
給食を通じて食に関心を持ってもらおうと、明治時代から現代までの給食を日替わりで味わう
「タイムスリップ給食」が朝来市の小中学校で行われています。
明治から現在までの献立を日替わりで楽しめる「タイムスリップ給食」は、今月24日から始まった
「全国学校給食週間」にあわせて、朝来市が市内のすべての小中学校で行っているものです。
2日目の27日は、昭和30年ごろの給食を参考に「鯨肉の竜田揚げ」をメインに、
コッペパンやコーンスープ、キャベツのサラダなどが出されました。
このうち、梁瀬小学校の給食ホールでは2年から6年までの児童219人が集まり、
給食や家庭で食べる機会が減った鯨の肉をおいしそうにほおばっていました。
多くの子どもたちは鯨の肉を食べるのは初めてということで、2年生の男の子は
「ステーキみたいでおいしいですが、かたくてかみ切れません」と話していました。
また、別の男の子は「前回の明治時代の給食は、おかずが少なく質素な感じでした。
あすはどんな給食なのか楽しみです」と話していました。
01/27 17:23
82:名無しさん@1周年
20/01/28 10:23:09 XVtHGlb10.net
千葉県や東北の石巻などでも沿岸捕鯨が行われている。なので、確かに沿岸捕鯨は日本文化の一部だ。
ノルウェーやアイスランド、カナダ北部の先住民イヌイットたちと同様に。
しかし、地球の反対側の南極まで船団を送り、捕獲したクジラを処理する母船まで持っているのは日本だけだ。
南極での捕鯨に歴史的な要素は全くない。
日本が南極に捕鯨船を初めて派遣したのは1930年代半ばだが、第2次世界大戦が終わるまで大規模な捕鯨は行われていなかった。
日本は焼け野原となり、国民は飢えていた。ダグラス・マッカーサー元帥の勧めもあり、日本は米海軍のタンカーを改造して捕鯨船2隻を作り、南極海に向かった。
1940年代末から60年代半ばまで、日本の最も主要なタンパク源は鯨肉だった。
1964年には史上最多の2万4000頭以上を殺した。
そのほとんどが巨大なナガスクジラやマッコウクジラだった。
日本はさらに捕鯨を正当化するため、調査するには毎年何百ものクジラを殺さなくてはならないのだと説明する。
しかし、国際司法裁判所(ICJ、オランダ・ハーグ)はその言い分をひとつひとつ徹底的に突き崩してきた。
ICJは2014年に、日本が南極でクジラを「殺すことによって研究」するのは、科学的調査にあたらないとの判断を下し、日本政府に停止を求めた。
日本は1年間、中止した。しかし昨年には捕鯨船の派遣を再開。規模を縮小した新たな捕鯨計画はICJの要求を満たしているというのが日本の説明だったが、それを信じた人はほとんどいない。
URLリンク(www.bbc.com)
83:名無しさん@1周年
20/01/28 11:19:58 Z0KdL5x00.net
鯨が硬いというのはおそらく筋を切ってないからだろう
鯨の調理方法を知らずになんとなくやったらいかん
84:名無しさん@1周年
20/01/28 12:45:01 ZRuB9OyG0.net
>>40
昔の給食ってことで出たんだから硬いのが正解なんじゃ?
とりあえず食えれば良いかの時代だっただろうし。
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