【差別】「中国人は採 ..
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253:名無しさん@1周年
20/01/16 01:05:43.14 QIISaOmg0.net
>>249
■「次に生まれるときには日本に生まれたい」
大正3(1913)年、ダルマパーラは最後の訪日を行い、帰路満洲と朝鮮も訪れた。
日本はこれらの地に惜しみない資本投下を行って、急速に近代化を進めていた。
ダルマパーラは「日本が2、3年の内にこの地で完成させたことを、
イギリスがインドで行ったならば優に50年を要していただろう」と、
植民地を搾取の対象としかみないイギリスとの違いを指摘した。
ダルマパーラの活動によって、仏教に根ざしたシンハラ人の民族主義運動が高まっていった。
イギリスの植民地当局はこれを警戒し、おりから発生した暴動の
首謀者としてインドで5年間もダルマパーラを拘束した。
弟も捕らえられ、半年後に獄死した。
それでもダルマパーラは運動をやめず、昭和8(1933)年、
69歳でスリランカ独立の日を見ることなく、生涯を終えた。
「次に生まれるときには日本に生まれたい」とよく話していたという。
■1921(大正10)年3月、日本の巡洋艦『香取』がスリランカを訪れた。
「外国の統治の下では、人々の信仰や言葉、
慣習などはほとんど消え去りそうになっていました。
このことから、私達だけではなく、西欧の帝国主義の下で
同じような運命によって苦しんでいる全てのアジアの国民達は日本を称賛し、
尊敬していたのです。
先の80年の間、日本はアジアにおいて
独立国として立ち上がっていたのです。
西欧の列強が、その軍事力と貿易力によって世界を支配していた時に、
あなた達は彼等と競い、匹敵し、時には打ち負かしていました。」


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