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2:o済的には「3世紀の危機」と呼びます。 . 英雄にも止められなかった「ローマ帝国の分裂」 もはや「放っておけば解体に向かう」帝国を担うのに凡帝では荷が重く、帝国にふたたび統一をもたらすためには「英主」の出現が待たれますが、その歴史的役割を担って現れた人物こそがディオクレティアヌス帝です。 彼は対立皇帝・僭称皇帝をつぎつぎと討ち破って久しぶりの「単独皇帝」となり、ローマに再統一をもたらしました。 しかしながら、この偉業を成し遂げた彼の力量を以てしても、「もはや、解体しつづけるこの帝国を一人の皇帝で統治することは不可能」と悟り、「四分割統治(テトラルキア)」を断行。 したがって実質的な統一は10年と保たず、以降の帝国は「統一」とは名ばかりの分裂時代を迎えます。 次時代の「ローマ帝国の東西分裂」の前提条件はすでにこの時代に生まれていたのでした。 同時期に中国各地にも現れた「皇帝」 ローマが「平和」から「危機」に陥落する転換期となったのが180年から193 年ごろですが、まるで息を合わせるように、中国でも「安定期」から「混乱期」の転換期となる象徴的事件が起こっていました。 それが「黄巾の乱(184〜192年)」です。 後漢は第4代和帝以降、原則として幼帝が立ち、その幼帝の横には外戚・宦官が控えてこれを操り、宮廷には奸臣・佞臣(ねいしん)が巣くい、地方には酷吏・汚吏が蔓延、この悪政に耐えかねた農民は流民と化して各地で盗賊・叛徒となって国を荒らす。 このように、前漢と同じ途をたどっていき、その行きつく先に発生したのが「黄巾の乱」です。 この叛乱を境として、中国史はいわゆる『三国志』時代に入りますが、各地に「皇帝」を僭称する者が現れたこの時代は、ローマ史では「軍人皇帝時代」を彷彿とさせます。 世紀でいえば3世紀ごろ(184〜280年)でしたから、時代的にもローマの「3世紀の危機」に符合します。 . 司馬炎が担った「ディオクレアヌス帝」と同じ役割 全文はソース元で 1/14(火) 11:50配信 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200114-00010000-php_r-bus_all&p=2




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334日前に更新/258 KB
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