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436:名無しさん@1周年
19/05/15 12:38:22.74 VyrEc7UG0.net
>>423
なんだその屁理屈はw
「伊都国や奴国が九州にあるから邪馬台国も九州に決まってる!!!」っていう屁理屈にしか見えないが

437:名無しさん@1周年
19/05/15 12:40:26.79 r6/rHtfk0.net
>>424
東遷してから親元を滅ぼすってなんか変な感じもするけど
アメリカがイギリスを滅ぼすようなもので

438:名無しさん@1周年
19/05/15 12:40:50.23 ur+4Szpq0.net
>>426
いやいや、そういうことではない。
九州から畿内まで相当な距離があるのに
魏志倭人伝の記述の中で、九州以外の場所を特定できる記述が一つもないのはおかしいという理論。

439:名無しさん@1周年
19/05/15 12:41:05.23 PGAmFKJ70.net
>>404
倭王武の上奏文を見る限りは、その倭王の国が九州から起きたものとは考えにくいんだけどね
その倭が邪馬台国と必ずしも同じとは思ってないけど

440:名無しさん@1周年
19/05/15 12:46:05.54 98oCFgty0.net
日本神話の根の国とか黄泉比良坂を朝鮮半島南岸と捉えると面白いな
素戔嗚とか大国主とか中央を追われた神様は大抵黄泉の国を治めてるし
黄泉の国から戻ったイザナギが福岡の小戸で禊いだのも地理的に頷ける

441:名無しさん@1周年
19/05/15 12:46:12.32 N5vThyd20.net
>>408
魏志倭人伝には北部九州から水行30日の場所にあると書いてある
邪馬台国が北部九州になかったことがわかるだろ?

442:名無しさん@1周年
19/05/15 12:48:07.52 DuuEixNw0.net
>>408
郡使は常に伊都国に留まると書いてあるのだから、邪馬台国が伊都国より東であろうがも南であろうが、
伊都国よりも先には行っていない可能性が非常に高い
伊都国までは比較的詳細に書いてあるのに、それ以降は何故か日数で、ほぼ省略されているしな
弓遵たちは伊都国に滞在して、印綬等を倭国側の役人に渡し、倭王という臨時の官爵@を与えて、それ
に対する上表文をもらいうけ帰っただけなんだろうと思う
@「拝仮」とは臨時の官爵を与えるという意味
つまり宮殿や墓を見たというのは、あくまでも伊都国で見聞きしたものを郡使が報告したもの、女王国の
ものとして書き換えただけなのだと思う

443:名無しさん@1周年
19/05/15 12:50:37.13 atbppNux0.net
>>1
何がどうなってれば特定できるんだ?

444:名無しさん@1周年
19/05/15 12:50:45.17 22ycApAK0.net
>>416
いくら必死で並べ立てても
九州以外の記述はないのだから無駄
近畿は空想願望 
学問の要素ゼロ 虚無

445:名無しさん@1周年
19/05/15 12:51:53.03 N5vThyd20.net
>>404
説得力ない
中国の歴史書でも倭国は奈良が首都だからな

446:名無しさん@1周年
19/05/15 12:51:53.59 VyrEc7UG0.net
>>428
魏志倭人伝は魏志邪馬台国伝でもなければ、邪馬台国旅行記でもない
基本的に倭人一般の情報は邪馬台国の位置の特定には使えない
ただし、九州に入れ墨や丹がなければ、倭国の範囲は本州も含むということになる
ついでいうと九州説が否定される決定的な理由は、邪馬台国が倭国の盟主の国という一番重要な記述に矛盾してるからだ
3世紀中頃での日本列島の盟主の国はヤマト国

447:名無しさん@1周年
19/05/15 12:51:57.63 GtFSDc5a0.net
>>424
畿内勢力よりも前に、熊襲に征服されたのではないかな?
日本書紀に出てくる九州勢力は熊襲。つまり九州南部出身の勢力。
九州北部の邪馬台国やその連合体は、狗奴国と戦争状態だと魏に訴えている。
狗奴国が女王国の南にあったことは魏志倭人伝にも書いてあるわけだから、九州南部の勢力に滅ぼされたと取るほうが無難。
十二代景行天皇の時に、熊襲征伐が行われており、仲哀天皇&神功皇后よりも2代前の出来事なわけだから
景行天皇の熊襲征伐は3世紀後半に行われたと思われる。
3世紀中頃に卑弥呼から壱与に代替わりしてるわけだけど、その後熊襲に征服されたとすると辻褄は合う。

448:名無しさん@1周年
19/05/15 12:54:14.26 VyrEc7UG0.net
>>434
それなら九州だと特定できるものを示してみろ

449:名無しさん@1周年
19/05/15 12:55:39.18 N5vThyd20.net
>>437
倭国と熊襲の国境付近と思われる
吉野ケ里遺跡は3世紀後半に一度衰退してるから
一致してるね

450:名無しさん@1周年
19/05/15 12:56:01.51 h4hx6qNm0.net
>>387
>邪馬台国は祭祀国家的であるのは卑弥呼が指導した間違い無いし
邪馬台国は卑弥呼が指導した祭祀国家的であるのは間違い無いし
なんか読んでてムズムズしたから思わず横槍指摘しちまった
とにかく落ち着いて書こう

451:名無しさん@1周年
19/05/15 12:57:29.61 N5vThyd20.net
>>434
いくら必死に九州説を主張しても
邪馬台国は北部九州から水行30日の場所にあるのだから
邪馬台国が北部九州にあった可能性はゼロ

452:名無しさん@1周年
19/05/15 12:59:28.65 ur+4Szpq0.net
>>431
それはあいまいな情報でしかない。
どこから


453:どこまでが水行20日なのか そもそも海を渡るときはそんな記述ではなかったんじゃないかとか 九州を出発点として船で20日なら、どこにも寄らずに船で移動なんてできるのか? かなり怪しい情報でしかない。 俺が求めてるのは。九州以外の地を示す確かな情報。



454:名無しさん@1周年
19/05/15 12:59:30.44 e1Gnkf2e0.net
>>440
想像し過ぎだw
想像は推測とは別物だから注意w

455:名無しさん@1周年
19/05/15 13:00:37.46 N5vThyd20.net
>>442
自説に都合の悪い記述は怪しい情報にするな

456:名無しさん@1周年
19/05/15 13:01:16.21 mYje+xWh0.net
>>436
江戸時代は盟主として万事差配してる徳川が天皇なのか?
違うだろ

457:名無しさん@1周年
19/05/15 13:04:14.92 GyP9niCr0.net
応神が九州邪馬台国の子孫、古代史で多重人格の何役もこなす神功皇后に応神の母役(邪馬台国の女王)を押し込んで、東征したのは応神と母親。
母親は卑弥呼自身か卑弥呼の子孫か。
三輪桜井勢力を倒して難波の宮設立。
つまり仁徳以下は九州邪馬台国直系で武烈あたりまで続く。

458:名無しさん@1周年
19/05/15 13:04:46.93 VyrEc7UG0.net
>>445
魏志倭人伝を否定し妄想でっちあげてイチャモンつけてるだけだな
倭国に権力と権威の二重構造があったなどと書かれていない
捏造は不可

459:名無しさん@1周年
19/05/15 13:05:19.13 NVkDlMvF0.net
>>442
日本側の資料の『延喜式』だと
畿内から北部九州まで舟で1ヶ月と書いてあるから
畿内説だと水行30日は信用できる情報だね

460:名無しさん@1周年
19/05/15 13:06:32.62 Jg6WAg7R0.net
学界では畿内説確定だろ
九州説はもはやトンデモでしかない

461:名無しさん@1周年
19/05/15 13:06:55.65 XDt8WWdX0.net
>>428
倭に丹山があるなら普通に考えて四国東南部か
紀伊半島が舞台になる。
しかもそこは冬温暖で海人の里だろ、九州の要素なんて倭人伝ではむしろ少ない。
そもそも火山の記述がないのも九州南部である可能性も消える。

462:名無しさん@1周年
19/05/15 13:07:39.72 mYje+xWh0.net
倭国は女王国、邪馬台国の女王卑弥呼が女王をやってて他の国もあるって区別されて
書いてんだから2重どころか多重に権力構造があるのが前提だわ
あと隼人族は入れ墨だかペイントで身体に文様入れてるわな

463:名無しさん@1周年
19/05/15 13:08:17.11 Hm5VIa4k0.net
>>406
ちなみに亀卜は紀元前の古代中国から続く風習だね

464:名無しさん@1周年
19/05/15 13:10:03.70 XDt8WWdX0.net
>>446
神功皇后の生まれは葛城地方で確定してるのだが。
母親は葛城高額姫という、二上山の麓の集落だよ。

465:名無しさん@1周年
19/05/15 13:10:18.15 XTWl33dT0.net
>>404
大和朝廷って国だと思うんだけど、それが、邪馬台国の可能性もあると思うんだ。

466:名無しさん@1周年
19/05/15 13:11:10.78 e1Gnkf2e0.net
>>449
日本の考古学会という捏造前科持ちより、九州と判断した中国の学者の方が信頼されるのは仕方ないな。

467:名無しさん@1周年
19/05/15 13:11:57.56 bgmHv4dK0.net
越前説はどうなった?

468:名無しさん@1周年
19/05/15 13:12:13.29 XTWl33dT0.net
>>424
九州弱いな w

469:名無しさん@1周年
19/05/15 13:12:58.81 XDt8WWdX0.net
>>424
それは自分の知識範囲内で整合性がとれているだけ。考古学や各種資料とは全く矛盾してるよ。

470:名無しさん@1周年
19/05/15 13:13:22.01 GtFSDc5a0.net
>>439
せやねん
畿内説を取ると、どうしても記紀との整合性が取れない問題にぶつかる。
神功皇后の三韓討伐は大陸側の記録にもあるからずらしようがない。
大規模な環濠集落があろうと、桃の種が出土しようと、それは畿内の大和王権の勢力のものではあっても、邪馬台国や卑弥呼と結びつける必要はない。
ではどう考えればいいか?
近い時代の記紀の熊襲征伐と魏志倭人伝の狗奴国との戦争から考えると、狗奴国に滅ぼされた取るのが一番楽。
卑弥呼がアマテラスで、畿内に東遷したとか色々ファンタジーな空想を繰り広げても、やっぱり記紀との整合性が取れない。
もし記紀と整合性を持たせたファンタジーをやるとすると、九州北部の女王国は、大和王権の九州の出先機関であって
南部の熊襲が反抗してきたから景行天皇が討伐に向かったとは取れないこともない。

471:名無しさん@1周年
19/05/15 13:17:48.15 XTWl33dT0.net
>>431
北部九州から水行30日ってことは、海を越えて四国や中国地方にある可能性もあるんじゃない

472:名無しさん@1周年
19/05/15 13:19:06.10 lXFDZh7X0.net
>>449
おまえそれしか書けんのかwww
理由をかかなきゃ

473:名無しさん@1周年
19/05/15 13:19:24.65 XDt8WWdX0.net
>>459
整合性なら九州南部辺りの狗奴国が徐々に邪馬台国ことヤマトの主権を握ったで何の問題もない。
女王国なら国神が女性名の瀬戸内海周辺国で問題ない。
ヤマト生まれ、瀬戸内海の女神でもあるモモソヒメが卑弥呼の実像に一番近いのは事実だろ。

474:名無しさん@1周年
19/05/15 13:20:03.96 JGw4Tuui0.net
>>35
周回遅れレスとかいつもバカにしてる
ザラコクみたいだなw
よほど悔しかったかw

475:名無しさん@1周年
19/05/15 13:21:49.23 gvk4Z9rm0.net
実際に行ったわけじゃなくて又聞きで書かれてるんだろこれ
しかも現代の雑誌で言えば隅に載ってるコラム並みの扱い
残ってる記録が乏しいからこういうのに過剰にすがってるだけ
日本の歴史書で卑弥呼や邪馬台国に該当するものすら特定されてない
なのになぜ魏志倭人伝だけ神聖視するの

476:名無しさん@1周年
19/05/15 13:22:18.68 FBV7Pl1j0.net
まぁいずれにしても、九州は日本の中心地であったこともなく現在までずっと辺境の地であり続けたってのは間違いない

477:名無しさん@1周年
19/05/15 13:22:57.32 ur+4Szpq0.net
>>444
いやいや、日本語を正確に理解してくれ。
魏志倭人伝の記述の中に、九州以外の地を確定させる情報がどこにもない。
九州の国についてはちょこちょこ書いてあるのに
九州から畿内まではあまりにも長い移動で、そんな記録の残し方がありえるだろうか?
そもそも、交流の目的が畿内なら、九州を陸行する必要はなく、
不彌國から畿内へ継続して移動しているとは考えにくい。
なぜ南至投馬國からは距離表示がなくなり、九州以外の地を示す確かな情報がひとつもないのか?
別に九州以外を完全否定してるわけではないのでもっと客観的な反論してくれ。

478:名無しさん@1周年
19/05/15 13:23:00.77 XDt8WWdX0.net
更にいうとモモソヒメには別名で日女命、ヒミコという記述が丹波籠神社にはっきり残っているのに、何を今さら九州説とか主張する
バカがいるんだよw

479:名無しさん@1周年
19/05/15 13:23:10.65 RcJiPuAk0.net
>>459
まさか2600 年信じてるの?
ビリーバー?
150歳w

480:名無しさん@1周年
19/05/15 13:25:04.66 XTWl33dT0.net
邪馬台国が九州にあったとしても、後で、畿内の大和朝廷からボコボコにされて滅亡するという悲しいシナリオ

481:名無しさん@1周年
19/05/15 13:25:31.50 XDt8WWdX0.net
>>466
倭に丹山がある、丹生神社の存在に弥生時代の丹の鉱山、採掘跡とも紀伊半島から四国東南部を指してるだろ。
九州なら火山の記述もないとダメ。

482:名無しさん@1周年
19/05/15 13:27:21.18 VyrEc7UG0.net
>>466
だ・か・ら・魏志倭人伝は魏志邪馬台国伝でもなければ、邪馬台国旅行記でもない
と言ってるだろ
なんで、邪馬台国旅行記前提で考えるんだよ

483:名無しさん@1周年
19/05/15 13:29:32.28 PGAmFKJ70.net
>>470
丹生神社って九州にもあるよね

484:名無しさん@1周年
19/05/15 13:30:44.48 yg8vKW4Q0.net
東征したのは邪馬台国ではないだろう
女王国の流れが東征したとは考えられない
女王国はかなり衰退したか滅びた
東征したのは投馬国や伊都国の連合だろう
奈良の地名は九州の地名が付けられているからね

485:名無しさん@1周年
19/05/15 13:31:56.32 E3vbrypd0.net
むかしから半島と日本でどちらが古いかを争った
日本は紀元前660年からの皇紀
朝鮮は紀元前2333年からの檀紀で
朝鮮が捏造をよりひどくすることでで勝ったが
日本はいざなぎとかいざなみを登場させてうやむやにした

486:名無しさん@1周年
19/05/15 13:32:41.51 +LKoF29u0.net
斎王が女王の流れを組む伝統なんだろうけど、平安時代には形骸化してきていたようだな

487:名無しさん@1周年
19/05/15 13:33:09.40 mYje+xWh0.net
>>467
中央構造線にそって丹はでるんだよなぁ
その採取に従事してた丹生氏は広がって最後は伊勢丹生氏が最大勢力になったが
中央構造線沿いに移動して最終地点が伊勢ならスタートは九州でもおかしくない

488:名無しさん@1周年
19/05/15 13:34:48.76 VyrEc7UG0.net
結局、畿内説と九州説では、探してる国そのものが違うんだよな
九州説では、倭人一般の風習の記述に近い国を探してるんだろ?
ただし、その国は倭国の盟主の国でもないし、30ヶ国の連合を形成してた国もないし
7万戸の国でもないし、伊都国や奴国を傘下に収めてもいないし、魏との交流もどうでもいい
つまり、九州説では雑魚の国を一生懸命探してるわけだ
ご苦労なことだw

489:名無しさん@1周年
19/05/15 13:35:22.90 +LKoF29u0.net
>>449
白石太一郎氏なんかも邪馬台国論争自体はもう終わっていると断言している
今問題になってるのは、卑弥呼の時代の九州と畿内の関係

490:名無しさん@1周年
19/05/15 13:35:53.45 RcJiPuAk0.net
>>469
そもそもヤマタイではなくヤマト。
ヤマトの国はどこにあるのだろう
ヤマトがどこかわからないふりするための畿内説キナイ読み。
九州説と大和説の2択なんだけど
ヤマト1択だわな

491:名無しさん@1周年
19/05/15 13:36:08.25 cY0ugDWw0.net
じゃあなんで堺や奈良にあんなに古墳群があるあるんだよwww

492:名無しさん@1周年
19/05/15 13:37:33.32 mYje+xWh0.net
>>477
そらそうだ日本の王朝なんか今の宮家に繋がる一族でしょで誰でも知っとるような話
そこにない邪馬台国ってなんだって話してんだからな、ホントにアホなのかなw

493:名無しさん@1周年
19/05/15 13:38:17.88 GtFSDc5a0.net
>>462
いや、それだと整合性はとれないよ。
いつ畿内に入ったか?実在する機内の史跡との整合性は?

>>468
信じてないから、ずらしてる。
が、大凡の出来事はあったと思う。
2600年を信じてるなら、邪馬台国の魏への朝貢の時期は、きっちり仲哀天皇が崩御して、神功皇后が摂政だったんだよ。
BC660年に神武天皇が即位してから、各天皇の即位と退位の期間を加算していくと、仲哀天皇が崩御したのがAD200年
神武天皇が摂政になったのがAD201年、崩御したのがAD267年にあたる。
まぁ違うと言うことはわかってるからね?

494:名無しさん@1周年
19/05/15 13:39:18.97 Mf+hPZ3r0.net
邪馬台国連合は大和朝廷に征服されて存在は神話に吸収されたとして連合国家制圧出来るなんて大和朝廷強過ぎない?

495:名無しさん@13周年
19/05/15 13:42:23.04 Zm5DDHjup
>>391
  >人間がどうやってアフリカからアメリカ経由してあの太平洋を手漕ぎボートで日本に来れるんだ?

  はあ? アンタ、ユーラシア大陸というのを知らないのか? アフリカ、アジア、ヨーロッパは一つの塊だよw 太平洋を越えてアメリカから日本に来る必要なんか1ミリもないわwww 小学校からやり直せよwww

496:名無しさん@1周年
19/05/15 13:41:40.03 mYje+xWh0.net
>>480
古墳なんか全国に腐るほどある
東京都ですら20はある今まで工事の為に無くなった数も入れたら奈良でも5位には入らない

497:名無しさん@1周年
19/05/15 13:43:23.11 XTWl33dT0.net
>>485
さすがに、5位には入るだろうな。

498:名無しさん@1周年
19/05/15 13:44:05.79 RcJiPuAk0.net
>>483
ロジカルに考えろ中卒
そのまま同一ヤマト

499:名無しさん@1周年
19/05/15 13:44:13.11 yl+hBpfQ0.net
>>431
それなら瀬戸内海を通って近畿まで行ったんだろうね
いくら古代でも九州から中国四国に渡るのにそんなにかからない

500:名無しさん@1周年
19/05/15 13:44:42.09 q2Qg9kcu0.net
奈良とかいってるバカいて草はえるわ

501:名無しさん@1周年
19/05/15 13:44:46.06 DuuEixNw0.net
>>485
>>480が言ってるのは3〜5世紀の巨大古墳の数であるのは明らかだね
横穴式までいれたらそりゃ腐るほどあるねw

502:名無しさん@1周年
19/05/15 13:45:44.73 +LKoF29u0.net
九州と畿内が明確に対立したのは継体天皇の時代の磐井の乱。
ただ、これは百済派と新羅派の争いという側面もある

503:名無しさん@1周年
19/05/15 13:46:14.98 2EzbtHd20.net
>>486
平成28年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数(古墳・横穴)
※現存と消滅を合算した数です
1位)兵庫県:18851
2位)鳥取県:13486
3位)京都府:13016
4位)千葉県:12765
5位)岡山県:11810
なんだってさ

504:名無しさん@1周年
19/05/15 13:46:42.48 hLGg3AzD0.net
>>480
捕虜が沢山いたから

505:名無しさん@1周年
19/05/15 13:47:05.45 XTWl33dT0.net
>>492
へー、兵庫は意外だよ

506:名無しさん@1周年
19/05/15 13:48:39.91 VyrEc7UG0.net
古墳の数だけ自慢して何の意味があるんだ?
大型古墳でないと無意味だろが
小さい古墳がいっぱいあったって、それは家来がいっぱいいただけw

507:名無しさん@1周年
19/05/15 13:49:35.64 mYje+xWh0.net
>>486
ヤマト王権が確立してる分少ないぞ基本天皇皇后の墓を一代ごとに作ってるだけだから

近い同時代で乱立してるところもある

508:名無しさん@1周年
19/05/15 13:51:51.72 mYje+xWh0.net
>>490
畿内も2〜3世紀に限りゃ同じだわ
大体発掘調査もまったく進んでない時代推定すらしてない古墳も国内には山の様にある

509:名無しさん@13周年
19/05/15 13:54:41.83 Zm5DDHjup
>>485
  >古墳なんか全国に腐るほどある(中略)奈良でも5位には入らない

  奈良云々は置いといて、古墳については古代史研究者が大げさに言い募っているような気がする。古墳に見えるが実は河道付け替えで残された旧河川堤防に過ぎないようなものが沢山あるかもしれない。鳥居がないものについてはその可能性大だと思う。

510:名無しさん@1周年
19/05/15 13:54:15.71 XTWl33dT0.net
>>495
確かに w

511:名無しさん@1周年
19/05/15 13:55:31.46 mYje+xWh0.net
>>495
だから最後に偉くなったのがヤマトってだけw
日本中で王様が当たり前に墳墓建ててるもんだから真似して
最後にイキってマウント取るのにクソデカイ古墳建てるようになったこれが自然な考え
クソデカイ古墳を最初に作って他が真似してるって考えの方がトンデモだわw

512:名無しさん@1周年
19/05/15 13:55:36.34 XTWl33dT0.net
>>483
大和朝廷は最強でっせ。無敵のパワーを天より授かったからな

513:名無しさん@13周年
19/05/15 13:57:09.85 Zm5DDHjup
>>498
  (続き)墓とされる物についてやたら掘るのは死者への冒涜だし、祟りがあるかもしれないという恐怖心もあるだろうが、非破壊検査の手法を使って調べれば、実は墓じゃなかったみたいなものがかなりあると思ってる。

514:名無しさん@1周年
19/05/15 13:56:04.92 ur+4Szpq0.net
>>470
九州内でも丹砂の採取はできる、古代に採掘した証拠は見つかってないが、九州以外であるという確実な証拠にはならない。

515:名無しさん@1周年
19/05/15 13:56:29.22 RcJiPuAk0.net
日本人ならヤマトの国がどこにあるかわからないふりするとか意味不明だよな
1000年の京のミヤコ
その前の800年のヤマト奈良盆地

516:名無しさん@1周年
19/05/15 13:58:26.59 jc2SseHa0.net



517:前方後円墳は西日本の広い地域でほぼ同時に始まっているが、仮にそれが畿内発だとして 畿内の銅鐸祭祀の終了は自主的で、九州の前方後円墳の受け入れが強制だという理由は何だろうか



518:名無しさん@1周年
19/05/15 13:59:01.88 yl+hBpfQ0.net
>>483
文字の無かったヤマトが中華の帝に朝貢して、当て字で付けられたのが「邪馬台国」なんだろ
それから数世紀経って、日本も漢字を操るようになって、この漢字の当て方は酷いよなと気付いたんだよ
だから新たに「大和」に漢字を代えて、朝貢も止めたという推測ができる
中華の帝からすれば漢字を代えて朝貢しなくなった反逆国だから歴史も記さなくなったとかじゃないかな

519:名無しさん@13周年
19/05/15 14:02:18.89 Zm5DDHjup
歴史学といういまだ極めて低レベルの学問は、今後最新科学技術の手法を取り入れた調査方法によってこれまでの定説が次々に覆されていくように思ってる。2ちゃんでも常に異常に盛り上がるのは、今の低レベル歴史学に対する反感が強いからだろうねwww

520:名無しさん@1周年
19/05/15 14:00:02.41 RcJiPuAk0.net
>>423
北九州から1ヶ月以上離れた場所がミヤコ

521:名無しさん@1周年
19/05/15 14:02:02.77 DuuEixNw0.net
>>497
残念ながら、各都道府県市町村が遺跡範囲確定のために徹底調査しているので、山の様にはないよ
地下埋没古墳は今後も多く発見される可能性は高いけど、どうしたって、地上の巨大古墳には規模や副葬品の量質も及ばないし
それはともかく、何故3〜5世紀の巨大古墳が多いのか?という問題をすり替えちゃ駄目だな

522:名無しさん@1周年
19/05/15 14:04:44.41 XTWl33dT0.net
魏志倭人伝が九州人伝だったなら、邪馬台国は九州にあるよな。一方、畿内には、さらに大きな国があったが、それに魏の使いは気付かずに帰ってしまった

523:名無しさん@1周年
19/05/15 14:07:26.48 VyrEc7UG0.net
>>503
もう魏志倭人伝の邪馬台国に関する記述をことごとく無視して、九州だと言い張ってればいいんじゃね
もちろん物証もなしで

524:名無しさん@1周年
19/05/15 14:09:59.84 eO84yvOy0.net
>>510
魏志倭人伝の日本の記述なんて適当だぞ
無知は恥

525:名無しさん@1周年
19/05/15 14:10:36.65 mYje+xWh0.net
>>509
ホントの玄室の副葬品まで掘ってる古墳なんか総数に比べりゃ全然ないよ
古墳の上面から出る埴輪とか見て年代推定してるだけだで
まぁ数代に渡って儀式の場とかになってたら判らん話

526:名無しさん@1周年
19/05/15 14:12:07.26 /ZLvcgbx0.net
雄略を直接示すと思われる同時代の資料は複数あるのに、
もっと有力者っぽい応神・仁徳の直接の資料がないんだろ。

527:名無しさん@1周年
19/05/15 14:12:15.92 +z6rMfpU0.net
ちょうど卑弥呼時代の画文帯神獣鏡が九州にあんまりないというがちょっとつらいんじゃないだろうか?

528:名無しさん@1周年
19/05/15 14:12:43.50 mYje+xWh0.net
>>506
唐代までは琅邪郡って地名が当の中国にあったくらいで当時は別に酷い字でも無いけどな
邪の文字の意味は邑

529:名無しさん@1周年
19/05/15 14:15:49.83 DuuEixNw0.net
>>513
埴輪も修復や追葬があるのは確かだが、それは既に発掘が終わっている古墳から、
副葬品の年代と埴輪の年代がかけ離れている例を上げないと無意味だね

530:名無しさん@1周年
19/05/15 14:19:51.16 xZi6FDGs0.net
>>511


531: といっても畿内にも何も物証ないけどな 第一人者の寺沢さんですら桃の種と花粉としか言ってない しかもどちらも倭人伝と全く関係なく同年代というだけで何の証拠にもなってない 畿内説のトップの学者が忘れてる物証が他に何かあるなら教えて



532:名無しさん@1周年
19/05/15 14:21:23.92 HboKHwhm0.net
先週くらいにやってたBSの番組では中国の文献学者は九州説で一致していたな
あと中国の学者に言わせれば距離の事をいくら議論しても答えは出ないからサッパリ忘れろとも

533:名無しさん@1周年
19/05/15 14:22:10.40 mYje+xWh0.net
>>517
そのとおりw
もっと全国的に遺跡発掘と内部の年代推定が全国的に進まないと古墳での文化拡散の推定なんか無意味って事だよw
特に奈良に先にクソデカイ墓を作ったから周りに拡がったなんてトンデモはもっと物証詰まないと証明できないww

どうしたって塚から始まって巨大化して終局点が巨大古墳って方が自然なんだからw
先にクソデカ古墳を作ったなんて不自然な方を証明しないとwww

534:名無しさん@1周年
19/05/15 14:24:12.85 VyrEc7UG0.net
>>518
さっきの産経新聞の記事でも
寺沢薫所長は「ホケノ山古墳の鏡は、王権(大王)が中国との交流の中で入手した鏡。」
と言ってるじゃん

535:名無しさん@1周年
19/05/15 14:27:29.77 m7WLWRGH0.net
熊本のピンク石を丹山と勘違いした説を言ってみる

536:名無しさん@1周年
19/05/15 14:27:42.66 jc2SseHa0.net
自分が想定するのは、16世紀のスペインと新大陸の関係。
本国での地位は軍人でしかないコンキスタドール(征服者)が新大陸では「白い神」として絶大な権力を握るなか
成立したばかりのスペイン王は内紛もあり、新世界におけるコンキスタドールほどの権力はない。
インカ帝国を滅ぼしたピサロが4人の兄弟と海を渡ったというのも偶然だが面白い

537:名無しさん@1周年
19/05/15 14:30:58.60 4BJkIrgL0.net
>>43
南方からやってきた外来の人種だったからじゃないか。突然漂着してきたから降ってきたとでも思ったんじゃないの?いつのことだかわからないけど。

538:名無しさん@1周年
19/05/15 14:33:59.54 tbDXanGd0.net
丹なら嬉野近くでも出るでよ
丹生神社もある

539:名無しさん@1周年
19/05/15 14:34:38.43 xZi6FDGs0.net
>>521
それ中国と言っても呉との交流の話で倭人伝にある魏との交流の話ではないだろ
画文帯神獣鏡が呉のものなんだと畿内説の学者が言ってるんだから
ただ呉と倭が交流してたという話は三国志の呉志で否定されてるから
それも結局妄想でしかないんだけどな

540:名無しさん@1周年
19/05/15 14:35:51.38 D3i2zULu0.net
>>1
安倍「ジャップの先祖は朝鮮人って判明したからもうどうでもいい」

541:名無しさん@1周年
19/05/15 14:38:02.61 VyrEc7UG0.net
>>526
ホケノのは華北系の画文帯だとレスしただろ
壊れたテープレコーダーとは会話にならん

542:名無しさん@1周年
19/05/15 14:40:51.93 DuuEixNw0.net
>>520
各地において、道路建設や圃場整備などの理由で、地下に埋まった古墳や地上に遺る古墳の発掘調査は非常に多く行われており、
それらの成果から既に専門家たちによって埋葬施設や副葬品や埴輪などの編年も含めた研究は進んでいるので、まるで無意味ではないよ?
一度きちんと勉強してみるとよい
>>526
何も書かれていないだけのことで、否定はされていないね
『呉書』は、魏を受け継いだ西晋の官僚が書いているわけだから、
魏が冊封関係を持たせた範囲の国による朝貢記事が正統でない国(呉や蜀)の記事に載せるはずがないんだよね

543:名無しさん@1周年
19/05/15 14:41:25.51 GbXgMF0h0.net
>>450
火山の記述がないから九州じゃないとかどんな発想だよ
じゃあ桃の種の記述なんかないからあれは卑弥呼の鬼道には関係ないな

544:名無しさん@1周年
19/05/15 14:41:27.12 mYje+xWh0.net
>>524
寒いからだよ高千穂は火山だから温かい
日本書紀には神武が東征を思い立った段には
「天祖ニニギが天降って179万2470余年になる」
なんてとんでもない数字が出てくるがまぁかなり大幅に差し引いて氷河期だったんだろう

545:名無しさん@13周年
19/05/15 14:42:23.41 Zm5DDHjup
鏡のような動産は転々と人づてに移動して来たはずなので、その物によって作成者と保有者の間に何らかの関係があったに違いないと思うのは「関係妄想」なんだよw 俺が常に「歴史は『ブラタモリ』に学べ」と言うのは、「動かないもので歴史を語れ」ということ。

546:名無しさん@1周年
19/05/15 14:42:30.68 +z6rMfpU0.net
普通丹生といったら伊勢だけどなあ
真珠も海人も斎王も

547:名無しさん@13周年
19/05/15 14:49:28.82 r679imIRz
>>1 多分、大分県の耶馬日田英彦山国定公園あたりが邪馬台国なんだろう。

548:名無しさん@1周年
19/05/15 14:51:59.74 Axa2KMS80.net
>>519
番組は見ていないけど、真実に近づいてるような話と感じる。
陳寿は、帯方郡から女王まで満二千里という嘘を採用した。ムー大陸が必要であるwww
また、水行20日、水行10日、陸行一月という暗号とも思える曖昧表現も併用した。
ただし、里程に関して、対馬ー壱岐間が千里、韓が方可4千里
という定義が与えられていることで、九州北部三分の一に有ることが決定している。
これは、
中国皇帝の権威付けとなる、辺境国家の朝貢冊封、東夷伝序文に語られる
雖 夷狄之邦 而 俎豆之象 存中國 失禮 求之四夷 猶信
故 撰次 其國列 其同異 以 接前史 之所未備焉
によって、魏が九州の小国の朝貢を大倭王の朝貢と間違えていたこと
この真実を 暗にぼかすための筆法であったと言える。
この陳寿のぼけによって、九州ローカル王の卑弥呼を
大倭王であるから、奈良に無ければならない、
250年付近の大倭王の存在は考古学的に奈良に発見されている
と、言う理由で倭人伝の嘘にさらに嘘を頓珍漢に塗り重ねたのが畿内説なのである。

549:名無しさん@1周年
19/05/15 14:53:00.24 mYje+xWh0.net
>>533
斎王つっても天照を宮中の外に祀り始めたの崇神天皇で
今の伊勢が出来たのすら次代の垂仁天皇
4世紀入っちゃうよ

550:名無しさん@1周年
19/05/15 14:53:10.47 FYqcluDS0.net
結局、決定的な出土品がでるまで不明なんだよな
史料だけだと適当過ぎて絶対決められない
同時期の西方のクシャン王朝のラバタク碑文みたいなのが発見されるのを待つしかない
中国史料にあったたくさんの謎がかなり解明されたし

551:名無しさん@1周年
19/05/15 14:53:34.53 hLGg3AzD0.net
>>535
魏の使者が間違えていたとか嘘報告したとか言っている時点でお前病気

552:名無しさん@1周年
19/05/15 14:54:14.04 2EzbtHd20.net
>>533
地元の近くに丹生地名があれば、そっちが普通になるんじゃね?

553:名無しさん@1周年
19/05/15 14:54:34.68 hLGg3AzD0.net
>>537
鏡が出ている時点で畿内説最有力は変わらない

554:名無しさん@1周年
19/05/15 14:55:58.69 GbXgMF0h0.net
>>519
史記で殷軍70万の軍勢とか趙軍40万生き埋めとか
かなり誇張されて書かれているのから分かるように
古代では正史でも数字はいい加減に書いてあるものって
中国の学者さんはしっかり理解しているよな

555:名無しさん@1周年
19/05/15 14:56:30.92 tbDXanGd0.net
親魏倭王の印綬か、その封泥が見つかればかなり決定的だろうがなあ
江戸時代にはどこで作ったか知らんが、「親魏倭王」の印影が出回ったりしてたがw

556:名無しさん@1周年
19/05/15 14:57:54.45 xZi6FDGs0.net
>>529
そうじゃなくて三国志に呉の孫権が東方に軍事遠征させたけど
台湾にたどり着くのが精いっぱいで倭どころか沖縄すら行けなかったとあるだろ
それで呉と倭の直接交流は完全に否定されてる

557:名無しさん@1周年
19/05/15 14:58:49.05 VyrEc7UG0.net
>>535
なかなかやるなー
畿内説ではこんなに面白いフィクション小説は書けないわ

558:名無しさん@1周年
19/05/15 14:58:55.77 +LKoF29u0.net
>>542
魏から送られた旗(黄幢)らしきものは黒塚古墳から出てるけど決め手には欠けるんだよな

559:名無しさん@1周年
19/05/15 14:59:27.58 G66YObT80.net
丹生なんて珍しい地名じゃないんだわ
丹生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
特記以外の読みは「にゅう」。
大字・町丁
丹生 (尾花沢市) - 山形県 尾花沢市 に所在。
丹生 (美浜町) - 福井県 三方郡 美浜町 に所在。
丹生 (多気町) - 三重県 多気郡 多気町 に所在。
丹生 (下市町) - 奈良県 吉野郡 下市町 に所在。(にう)
丹生 (印南町) - 和歌山県 日高郡 印南町 に所在。
丹生 (有田川町) - 和歌山県 有田郡 有田川町 に所在。(にう)
丹生 (大分市) - 大分県 大分市 に所在。

560:名無しさん@1周年
19/05/15 15:00:05.45 N+I/pzho0.net
>>391
「九州説の仏性は何ひとつありません」ってことでおk?

561:名無しさん@1周年
19/05/15 15:03:56.39 mYje+xWh0.net
>>547
まぁ仏教伝来以前だからな

562:名無しさん@1周年
19/05/15 15:04:01.11 tbDXanGd0.net
>>545
あれはどうなんだろう。あの墓が難斗米の墓だとしたら完璧だが
ただ黒塚古墳の画文帯神獣鏡は、江南産ぽい鏡ではあるが

563:名無しさん@1周年
19/05/15 15:14:09.06 ur+4Szpq0.net
魏が畿内と交流するのに、九州へ寄港することはあっても陸行はしないはず
ましてや、関西への上陸地点や、邪馬台国周辺のことを詳細に記録するはず。
なので、もし畿内説が正しいなら、九州の記述と、水行20日以降の記述は全く別物と考えないと整合性が取れない。
なんでそうなったのか、水行1月陸行1月もの間、邪馬台国周辺の国々のことはなぜほとんど触れられてないのか?
そこんところは畿内説ではどうなってんの?

564:名無しさん@1周年
19/05/15 15:14:44.56 Axa2KMS80.net
>>538
自郡至女王國 萬二千餘里
というのを、魏における里程を知る魏使が間違える訳は無く
三国志編者の陳寿が、東夷伝に倭人条を記述する上においてのみで、
わざと里程道理について、女王国の位置をぼかした
という以外には考えられない という話である。

565:名無しさん@1周年
19/05/15 15:19:59.82 GbXgMF0h0.net
>>535
陳寿のボケというか確信犯だと思うけどね
倭国の朝貢はいわば司馬氏の功績となっているわけだから忖度したんだよ
西の大国大月氏に対して東の大国邪馬台国を演出した
蜀出身の陳寿が西晋で生き残っていくのに主の機嫌を
大いに損ねることは書けなかったと思う

566:名無しさん@1周年
19/05/15 15:21:16.83 hLGg3AzD0.net
>>551
日本人が正しく魏国の使者に話すという前提がそもそもおかしいわけでw

567:名無しさん@1周年
19/05/15 15:24:15.74 +LKoF29u0.net
>>550



568:}紫発山陰経由丹波→畿内なら陸行のつじつまはあう



569:名無しさん@1周年
19/05/15 15:25:12.34 RsmYlteu0.net
九州のヤマト国に日の巫女が居て後に近畿に移り大和王権になった説 まあただの俺のたわごとだがな

570:名無しさん@1周年
19/05/15 15:29:42.61 Axa2KMS80.net
>>552
確信犯ではあるけれど、東夷の地理を知る官僚などには
韓が帯方の南方可4千里? そんな大国土が、朝鮮半島のどこにあるんだよwww
ま〜た、皇帝への忖度が? 行程ゴマすり野郎、って、バレてると思うんだけど・・・

571:名無しさん@1周年
19/05/15 15:29:59.47 DuuEixNw0.net
>>543
それは始皇帝が徐福に欺されたのと同じく、孫権がいかに無能で愚かであるかを説明したいがためにいれた文であって
派遣と責任者の処刑がまんま史実であるとは思えないね
衛?と諸葛直に独立傳はなく、他に一切出てこないしね
仮に史実だとしても、彼らはあくまでも中国の伝説上の土地である夷洲と亶洲を求められたのであって、最初
から倭国や沖縄のある方向を目指したとも限らない(日本を基準として考えてはいけないね)し、
その大きさもわからないのだから、どれだけの準備してどれだけの日数を航海したのかもわからない
それを根拠として、倭や沖縄に到着できなかったから否定されているとはならないと思うよ
ただし、私も呉と畿内の直接的な交流はなかったと思っているけど
畿内や東日本に入ってくる呉の遺物は、呉と交流のあった公孫氏からもたらせた可能性が高いと思う
倭国と公孫氏は冊封関係にあっただろうし、呉は何度か使者を船で公孫氏まで送っているしね


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