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367:名無しさん@1周年
19/05/15 11:16:06.38 7K/42EfH0.net
邪馬台国なんてなかったが正解だと思うわ。

368:名無しさん@1周年
19/05/15 11:18:51.13 NVkDlMvF0.net
>>357
「皇族の墓」と認定されてない古墳は発掘調査できる。
箸墓や崇神天皇陵と関係性が深い黒塚古墳からは
難升米に授けられたとされる黄幢と思われる金具が発掘されている

369:名無しさん@1周年
19/05/15 11:19:51.12 r6/rHtfk0.net
>>354
AC100年代前期から流入していると言われているよ。
画文帯神獣鏡は畿内勢力がおもに収集した鏡だよ。
だから九州から100年ごろには東遷してきて、九州とは違ったものを独自に収集したと思うんだが

370:名無しさん@1周年
19/05/15 11:22:22.44 2W8eTF9i0.net
>>275
小学生にも分かる様に説明してあげると
邪馬台国は北部九州全域のことで女王の都が伊都国
邪馬台国の中に奴国や伊都国などの都市国家があった。

371:名無しさん@1周年
19/05/15 11:23:05.42 mYje+xWh0.net
異物的には三角縁神獣鏡とか長野でも見つかってるから北陸でもおかしか無いないけどね
勾玉にされてる翡翠も取れる新潟の姫川産が広範囲に与えられて珍重されてる訳だし

372:名無しさん@1周年
19/05/15 11:24:26.47 NVkDlMvF0.net
九州から発掘される鏡は主に漢の時代の鏡で
畿内から発掘される鏡は主に魏の時代(邪馬台国時代)の鏡なのも
畿内が邪馬台国である物的証拠だよな
九州の鏡流通の核としての機能は 1〜2世紀頃に失われてるし
明らかにこの頃に九州北部から畿内に権力が移ってる

373:名無しさん@1周年
19/05/15 11:24:38.67 N+I/pzho0.net
>>362
そんな大掛かりな大国があったはずなのに
何故一つの物証もでてこないの??

374:名無しさん@1周年
19/05/15 11:27:08.48 kv6o4UWp0.net
>>359
私もあれが正しいと思う。
それ以外ないと思うんだな。

375:名無しさん@1周年
19/05/15 11:28:33.89 NVkDlMvF0.net
>>362
『日本書紀』によると仲哀天皇時代(4世紀頃)に
伊都国王が完全に家来になり伊都国王の歴史は終わった。
古墳を調査すると伊都国が中心国としての機能を失ったのは
1~2世紀で邪馬台国の可能性はない

376:名無しさん@1周年
19/05/15 11:29:30.04 tbDXanGd0.net
>>360
箸墓は皇族の墓だが、ちょっと前に宮内庁が許可出して、ちょろっと調査


377:ヘしてる が、あんなんじゃ足りない。ガンガン掘るべき。主体部は盗掘されてるかもだが 何かは出てくるはずや!



378:名無しさん@1周年
19/05/15 11:30:03.92 VyrEc7UG0.net
>>335
画文帯神獣鏡がすべて呉系とは書かかれていないんだが
その記事にある画文帯環状乳神獣鏡と重列式神獣鏡が呉系ってだけだよ
嘘はダメ

379:名無しさん@1周年
19/05/15 11:31:11.81 E3vbrypd0.net
527年 磐井の乱
朝鮮半島南部を攻めようとした大和王権軍の進軍を
筑紫(福岡県)を国造として治めていた磐井さんが邪魔して鎮圧されちゃう
660年 百済滅亡
661年 百済復興のために斉明天皇(天智天武のお母さん)が
朝倉橘広庭宮(福岡県朝倉市)に住むがそこで崩御
663年 天智天皇が母の意志を告ぐが白村江で唐に大敗
     世間の声 なにやってんの だから反対したのに
大和王権には九州特に福岡県に気を遣わないといけない理由があった

380:名無しさん@1周年
19/05/15 11:31:16.73 9/y0rOFA0.net
中国と交渉したのは伊都国
邪馬台国なんてものは伊都国の人が喋っただけでどこにあろうが伊都国の人の思惑を想像するしかない。

381:名無しさん@1周年
19/05/15 11:32:26.06 xZi6FDGs0.net
>>361
畿内に画文帯神獣鏡が流入したのは3世紀以降だろ
それ以外の後漢の鏡についての話だというなら別だが

382:名無しさん@1周年
19/05/15 11:32:34.08 +LKoF29u0.net
>>367
筑前風土記の記録に、伊都郡の県主が大歓迎したという記録があるな

383:名無しさん@1周年
19/05/15 11:33:28.16 r6/rHtfk0.net
鏡の出土数が九州と近畿で入れ替わるのがAD150くらいでしょ

384:名無しさん@1周年
19/05/15 11:34:00.59 SKM8QdeS0.net
どうでもいいからToLoVeるに伊代たん出せよ

385:名無しさん@1周年
19/05/15 11:34:07.20 e1Gnkf2e0.net
>>356
わかる。
そうなるよね。
じゃあその宗教はどこからきたのか?
その宗教が伝わった痕跡は?
そして何故記紀には記されていないのか?
どう考えても卑弥呼政権とヤマト政権は別物としか見えない。
邪馬台国=畿内政権=ヤマト政権という畿内説は妥当ではない。

386:名無しさん@1周年
19/05/15 11:36:47.64 NVkDlMvF0.net
>>376
>その宗教が伝わった痕跡は?
箸墓や纏向遺跡の御神体は奈良の三輪山で
昭和天皇や上皇様も訪れてるよ

387:名無しさん@1周年
19/05/15 11:37:37.42 tbDXanGd0.net
鏡は作成年代と埋葬年代が一致するかどうかかな
埋葬者の日常品を埋葬したとすれば、手に入れてから時間が経って埋葬してる可能性も
手に入れたものをすぐ埋葬なんて勿体ないw

388:名無しさん@1周年
19/05/15 11:38:34.34 N+I/pzho0.net
>>376
宗教がどこからきたのか、とか
宗教が伝わった痕跡がないとダメ、とか
何故記紀には記されていないのかの理由を出せ、とか言い出したら
九州説も成立しなくなるんだけど?

389:名無しさん@1周年
19/05/15 11:39:09.47 r6/rHtfk0.net
画文帯神獣鏡は九州が鏡集めを止めた後AD100年ごろから作られ始めた鏡だから

390:名無しさん@1周年
19/05/15 11:39:15.69 xZi6FDGs0.net
>>369
いや三国志時代の呉地方の南方系の鏡だと記事で書いてあるだろ
鏡のモチーフが南部の江南系で
橿原考古学研究所河上氏が呉と交流してたのではと

391:名無しさん@1周年
19/05/15 11:40:05.54 NVkDlMvF0.net
>>274
卑弥呼が女王になったのはAD184頃からなのでピッタリ一致してるじゃん

392:名無しさん@1周年
19/05/15 11:45:05.21 N+I/pzho0.net
物証みると近畿説が有力になってくるんだよな、結局

393:名無しさん@1周年
19/05/15 11:46:24.13 xGm7Ap4b0.net
>>381
三国志の時代に蜀の孔明が北伐をしてた時期
呉の孫権はたん州と交易したって記述があるんだよな
台湾ー日本とかその辺じゃないかと思ってる
日本から漢、魏と交流があったなら
呉の水軍技術を使って台湾、日本と交易ができるよな

394:名無しさん@1周年
19/05/15 11:46:43.27 XDt8WWdX0.net
>>376
三輪山周辺は昔から宗教色の極めて強い場所だろ。水銀朱の出土する場所という時点で否定出来る要素は何もない。
三輪山はそもそも美和山でもあり倭の象徴の山。神武天皇が神の娘を求めたのも三輪山だろ。

395:名無しさん@1周年
19/05/15 11:46:47.63 Hm5VIa4k0.net
>>249
いい台与

396:名無しさん@1周年
19/05/15 11:47:43.51 mYje+xWh0.net
>>376
邪馬台国は祭祀国家的であるのは卑弥呼が指導した間違い無いし
今国名に該当する地名自体がイマイチ無いってのは地名ではなかったからだろう
それが記紀にも出てこないのに最高神格現在も信仰されるあるヤハタ神、宗教国八幡国が邪馬台国
でも天照の祭祀官であるヤマト王が奉る訳にもいかないので
宇佐を建ててあげて宗教と現実的な政治の分離がなされて
倭国そのものになったヤマトに九州が同化した
そういう意味では邪馬台国は滅びたしヤマト王権は倭国そのものだし
神武を始めとして万世一系のヤマト王の系図もまぁまぁ嘘じゃない
こんな所だろう

397:名無しさん@1周年
19/05/15 11:48:43.52 +LKoF29u0.net
筑前風土記によると、怡土県主の五十迹手が、神功皇后を同祖(天日槍)だといって歓待してる
伊都と大和には既に血縁があったということだろう

398:名無しさん@1周年
19/05/15 11:50:22.63 4JDRsQ2t0.net
纏向に卑弥呼が居て関東から瀬戸内の国と交流していたならば敵対する狗奴国を潰すくらい
簡単じゃ無いか、しかし倭人伝では勝負がつかない戦いになっていると記載がある
関東から瀬戸内の邪馬台国連合に太刀打ち出来るような強大な狗奴国はどこにあるんだろうか?

399:名無しさん@1周年
19/05/15 11:51:19.94 xZi6FDGs0.net
>>380
だから畿内に入ってきたのは3世紀以降だろ
纒向学研究センターがそう発表してる
URLリンク(www.sankei.com)
画文帯神獣鏡は最古級の古墳とされる桜井市のホケノ山古墳や、
天理市の黒塚古墳など3世紀代の古い古墳から出土

400:名無しさん@1周年
19/05/15 11:52:07.86 xGm7Ap4b0.net
>>383
物証って世界の学者の学説で人類が誕生したのがアフリカだとなってるけどな
人間がどうやってアフリカからアメリカ経由してあの太平洋を手漕ぎボートで日本に来れるんだ?
ちなみに氷河期とか中国大陸ですら年中氷の世界
アラスカ、北方領土経由で日本とかまずありえない(食べる物が無いから)
赤道直下をアフリカ〜インド〜インドネシア〜台湾〜日本って経由が一番納得できる
赤道直下を海流に乗ってな。食べたのか貝類、魚
アメリカ大陸から太平洋を手漕ぎボートで経由して近畿から九州とかありえん
そんな事言うならお前がまず日本、アメリカを手漕ぎボートで横断できるか証明しろよ
どう考えても九州から近畿じゃないとおかしい

401:名無しさん@1周年
19/05/15 11:53:34.33 2W8eTF9i0.net
>>367
記紀は8世紀に書かれたもので信頼性は低いからな
>>373
そんな事もあったのかなくらいの話だな。

402:名無しさん@1周年
19/05/15 11:53:34.64 JO70nMoG0.net
日本人よ、
歴史の真実を知ろう
●邪馬台国=ヤマト国
 九州・西日本を中心とし、青森までの日本海沿岸地域、
 および、群馬、埼玉までの内陸部に広がっていた
 和人(倭人)の豪族が作った様々なクニの連邦国家のこと
●邪馬台国はどこ? なんて質問は範囲が広すぎて意味がない
 日本列島の地図をみながら、日本はどこにあるの?
 って聞いてるのと同じだから
●ヤマト国の中心は出雲王朝
 年に一回、日本全国からクニの代表者が集まって会議をしていた
 それが「神在月


403:」の由来  国津神(クニツカミ)とは、そうした豪族一族を指す ●日本神話の基本構造に、天津神と国津神との争いと和解がある。  実際、外部からの侵略者(天津神)とヤマトは戦争し、国津神は敗北。  和解というよりは、降伏した上でのの和平交渉である ●要するに、太平洋戦争に負けてアメリカの言いなりになったように、  大昔の日本(ヤマト)は、天津神との戦争に負けて、以降ずっと、  天津神の支配を受けることとなった ●太平洋戦争後、アメリカの指導のもとに  宗教、歴史教科書、憲法が新しいものになったように、  天津神は  ・天照大神を頂点とする国家神道の創始  ・日本書紀、古事記の編纂  ・大宝律令の制定  を行い、日本の権力構造をすっかり変えてしまった ●そう、すなわち、天津神とは  唐の女帝 則天武后をトップとする唐の軍勢、唐の官僚たちである。  武則天の幼名は「照」である。  古今東西の占星術においては太陽とは男性のシンボルなのに、  神道だけは太陽神が女神なのは則天武后を神とする為に他ならない。  そして、則天武后の傀儡として作られたのが天武天皇。  ちなみに「天皇」という単語そのものが武則天のアイデアである。  なぜ「天」の文字が多用されるのか?  すべては武則天に由来する。 ●則天武后が失脚し、唐は滅んでしまった。  唐の官僚たちは日本に移住し、朝廷権力の中枢を支配し続けた。  それが藤原氏。   ●「邪馬台国論争」というバカげた話題が延々と続いている原因は  出雲王朝を虐殺し、日本を乗っ取ったことを隠すために、  様々な偽装、欺瞞工作が藤原氏によって行われたから。 邪馬台国とは、要するに、日本国そのものなのだ



404:名無しさん@1周年
19/05/15 11:57:08.86 +LKoF29u0.net
大王があちこち移動してたから朝倉橘広庭宮なんてのがあったわけで、北部九州から何か出てきてもそれほど不思議ではないんだよな

405:名無しさん@1周年
19/05/15 11:57:50.40 VyrEc7UG0.net
>>381
だから「モチーフ」は江南系と書かれてるんだろ
画文帯神獣鏡は華北系と江南系の両方がある
実際、ホケノから出た画文帯同向式神獣鏡は華北での出土が多い

406:名無しさん@1周年
19/05/15 11:58:16.81 e1Gnkf2e0.net
>>387
たとえば、もっとホタテを探してそれらが出来た順序なんか示せないのかな?

407:名無しさん@1周年
19/05/15 11:58:19.49 r6/rHtfk0.net
>>390
三世紀の古墳に埋められるためには、その50年くらい前には入手したと思う。

408:名無しさん@1周年
19/05/15 11:58:44.97 Hm5VIa4k0.net
>>241
神武の東征は神武天皇という個人が一代で行ったのではない、
つまり九州の国にいた人たちが数代をかけて大和へ移った伝承
という可能性もなきにしもあらず。
例えば邪馬台国がもともと甘木(朝倉)地方にあったとして、
そこから英彦山あたりを越えて豊の国の中津へ移動し、そこ
から船で北上して本州に渡ったという流れかもしれない。
つまり天孫降臨ではなく、邪馬台国の一族(だから台与の国)
が(芦原の)中津(国)へと降臨したのだとも考えられる。

409:名無しさん@1周年
19/05/15 11:59:27.33 VyrEc7UG0.net
>>381
>さらに中国北部の魏以外にも、倭と密接な関係があった朝鮮半島を経由し、
>中国南部の呉などと交流した可能性も「否定できない」とみる。
こう書かれているだろ
ヤマト王権は魏と交流していたし、呉とも交流していた可能性があるということ

410:名無しさん@1周年
19/05/15 11:59:59.91 XTWl33dT0.net
畿内では銅鐸が多いから、鬼道で祭りやってたんだろ。卑弥呼さんが

411:名無しさん@1周年
19/05/15 12:01:11.57 kv6o4UWp0.net
学会ってとこが、近畿で固まってるのは大人の事情なんじゃないかな。

412:名無しさん@1周年
19/05/15 12:03:46.63 mYje+xWh0.net
まぁ沢山の人がいる都市があったとしても
日本は基本的に平安時代まで竪穴式住居だから九州だと跡は灰で埋まってる
中国の様に機能や人間を集めて固定するしっかりした
都市計画を始めるのはヤマト王権ですら飛鳥だし
首都=とにかく大都会って中国のイメージは必ずしも当てはまらないかな
ワシントンよかNYが都会みたいなもんで
ついでに漁民が主って季節で移動する可能性のある狩猟採取な国民性なら尚更

413:名無しさん@1周年
19/05/15 12:04:44.22 r6/rHtfk0.net
>>400
卑弥呼が擁立されたくらいから銅鐸やめたんだけどな

414:名無しさん@1周年
19/05/15 12:05:22.39 2W8eTF9i0.net
>>393
それ君の妄想だね。
●邪馬台国=北部九州地域の国家
和人(倭人)の豪族が作った様々なクニの連邦国家のこと
倭人の勢力は朝鮮海峡両岸。
●倭王武が領土を拡大したと上表
●倭は高句麗と朝鮮半島の覇権を争う
●倭の領土の任那が滅亡し日本列島に引き上者が増える。
●人口増加で倭人の勢力圏(福岡市の日向峠付近)から神武が東征に出発し関西の豪族を打倒し植民
大和朝廷の基礎を作る。
●白村江の戦で倭国が敗れ倭国衰退。
●倭国の内乱に乗じて大和朝廷が帝位を簒奪、記紀の編纂。

415:名無しさん@1周年
19/05/15 12:06:23.42 IkZBvXYU0.net
神話が全て史実ではないとしても、史実を一部反映してる可能性は高いだろ。
トロイ戦争だって史実だったんだし。
神武が東征して大和政権を作ったんだから、やっぱり九州に邪馬台国があったんだろ。

416:名無しさん@1周年
19/05/15 12:07:01.55 +LKoF29u0.net
銅鏡・・・未だ三種の神器として伊勢に祭られている
銅鐸・・・諏訪に鉄鐸がいまだに残ってる
甲骨占い・・・未だ天皇家に残っている
蛙・・・諏訪に蛙を用いた神事がいまだに残ってる
桃・・・桃の節句として、いまだ各地に神事が残っている
こう考えると、古代からそのまま残ってる神事って多いな

417:名無しさん@1周年
19/05/15 12:07:32.42 tbDXanGd0.net
世界遺産になった、九州だがヤマト政権と縁の深い宗像大社の発掘物が公開されてるが
ほぼ四世紀以降の文物なんよな
少なくともここの祭祀の面からみたら、三世紀から北部九州を抑えてたという感じではない
当時は祭祀はかなり重要とは思うが、、

418:名無しさん@1周年
19/05/15 12:08:19.37 ur+4Szpq0.net
魏志倭人伝には九州以外の説地を明する記述がどこにもない。
わかるだろ?

419:名無しさん@1周年
19/05/15 12:08:22.93 XTWl33dT0.net
>>405
大和政権って政権だから、当然国もあるじゃん。それが邪馬台国って可能性もあるじゃん

420:名無しさん@1周年
19/05/15 12:09:18.69 e1Gnkf2e0.net
まあ九州だろうが畿内だろうが、同じ倭人として戦争をなくそうと努力してるところが賢いなあと思う。
どこかのアホ議員と違って。

421:名無しさん@1周年
19/05/15 12:10:49.87 VyrEc7UG0.net
>>407
大陸への航路が沖ノ島経由になったのは4世紀後半からだね
3世紀は博多湾貿易の時代

422:名無しさん@1周年
19/05/15 12:11:02.39 +LKoF29u0.net
>>407
強力な中央集権はもっと後の話だから、卑弥呼のころは広域連合みたいなものでしょうな

423:名無しさん@1周年
19/05/15 12:13:32.21 XTWl33dT0.net
結局魏志倭人伝は魏志九州人だったわけね

424:名無しさん@1周年
19/05/15 12:15:40.38 tbDXanGd0.net
>>411
沖ノ島はかなり小さいし、周りも崖ばかりで当時だとデカい船を付けれそうな港もない
位置関係から、神秘的な感じはあるが(だから神域になった)
貿易の中継には使えないだろな。実際、隋の時代も使者は壱岐対馬ルートだしな

425:名無しさん@1周年
19/05/15 12:17:01.31 r6/rHtfk0.net
まあ運が悪かったんだと思う。
本当にちょうど考古学的には東遷があった時期と卑弥呼の時代がピッタリ重なってしまったから九州か大和か完全に分からなくなってしまった。

426:名無しさん@1周年
19/05/15 12:21:06.72 VyrEc7UG0.net
>>408
戸数7万戸の大国が九州のどこあるんだ?
従者1000人が仕える宮殿が九州のどこにあるんだ?
径100歩の大きな墓が九州のどこにあるんだ?
3世紀に丹を産出する山が九州のどこにあるんだ?
3世紀に入れ墨の風習が九州のどこにあるんだ?

427:名無しさん@1周年
19/05/15 12:21:15.08 mYje+xWh0.net
>>413
邪馬台国は台与の時代に翡翠の勾玉と思われるものを朝貢してるので
日本海側で翡翠産地の新潟西部の姫川のある北陸までは恐らく倭だよ
北陸辺りが邪馬台国でも面白いけどね

428:名無しさん@1周年
19/05/15 12:22:16.38 mYje+xWh0.net
>>416
灰で埋まったに決まってんだろ
平安時代まで日本は竪穴式住居だぞ

429:名無しさん@1周年
19/05/15 12:26:01.35 4JDRsQ2t0.net
邪馬台国と狗奴国の戦いが勝負がつかんと言う事は戦力が互角だったからだ
弥生時代鉄鏃出土数(鉄鏃とは鉄製の矢じりの事)
東北**1 群馬*21 千葉*63 東京*37 長野*27 石川*55 福井*32
滋賀*13 京都112 大阪*40 兵庫*92 奈良**4 和歌山**5
岡山104 広島*79 山口*97 鳥取*46 島根*30 香川*36 愛媛*25 高知*53
福岡398 佐賀*58 長崎*29 熊本339 大分241 宮崎100 鹿児島**3
福岡県(邪馬台国) 熊本県(狗奴国)の出土数がほぼ同じ、つまり
互角の戦力と言える。

430:名無しさん@1周年
19/05/15 12:27:27.06 GtFSDc5a0.net
>>355
それは無理があるな
仁徳天皇に縁のある地域が大阪平野に他にもいっぱいある。
宮や陵やモズの由来やらね。

431:名無しさん@1周年
19/05/15 12:28:28.33 mYje+xWh0.net
>>419
流石に出土した分だけで比較すんのはどうかと思うけどもな

432:名無しさん@1周年
19/05/15 12:29:22.73 GtFSDc5a0.net
>>398
そこまで話を作り出すと何でも言えてしまう。
邇邇芸の天孫降臨、饒速日命はメソポタミアから飛来したって言ってるのと変わらんよ?

433:名無しさん@1周年
19/05/15 12:31:43.74 ur+4Szpq0.net
>>416
だから、九州以外に「確定した情報」がどこにかいてあるの?
九州では考えずらいのかもしれないけど、そういったあいまいな情報は植民地にされないよう盛った話であることも考えられるだろ。
今のところ「確定した情報」は九州のみ

434:名無しさん@1周年
19/05/15 12:35:17.89 p+f906kL0.net
邪馬台国は九州にあったけれど、後年になって畿内の大和朝廷に跡形もなく滅ぼされたって事でしょう
それが一番整合性がとれている

435:名無しさん@1周年
19/05/15 12:37:16.88 98oCFgty0.net
>>97
日没と日食が重なるって最悪の組み合わせだな
次の太陽が昇るか不安になるんじゃ無いか?

436:名無しさん@1周年
19/05/15 12:38:22.74 VyrEc7UG0.net
>>423
なんだその屁理屈はw
「伊都国や奴国が九州にあるから邪馬台国も九州に決まってる!!!」っていう屁理屈にしか見えないが

437:名無しさん@1周年
19/05/15 12:40:26.79 r6/rHtfk0.net
>>424
東遷してから親元を滅ぼすってなんか変な感じもするけど
アメリカがイギリスを滅ぼすようなもので

438:名無しさん@1周年
19/05/15 12:40:50.23 ur+4Szpq0.net
>>426
いやいや、そういうことではない。
九州から畿内まで相当な距離があるのに
魏志倭人伝の記述の中で、九州以外の場所を特定できる記述が一つもないのはおかしいという理論。

439:名無しさん@1周年
19/05/15 12:41:05.23 PGAmFKJ70.net
>>404
倭王武の上奏文を見る限りは、その倭王の国が九州から起きたものとは考えにくいんだけどね
その倭が邪馬台国と必ずしも同じとは思ってないけど

440:名無しさん@1周年
19/05/15 12:46:05.54 98oCFgty0.net
日本神話の根の国とか黄泉比良坂を朝鮮半島南岸と捉えると面白いな
素戔嗚とか大国主とか中央を追われた神様は大抵黄泉の国を治めてるし
黄泉の国から戻ったイザナギが福岡の小戸で禊いだのも地理的に頷ける

441:名無しさん@1周年
19/05/15 12:46:12.32 N5vThyd20.net
>>408
魏志倭人伝には北部九州から水行30日の場所にあると書いてある
邪馬台国が北部九州になかったことがわかるだろ?

442:名無しさん@1周年
19/05/15 12:48:07.52 DuuEixNw0.net
>>408
郡使は常に伊都国に留まると書いてあるのだから、邪馬台国が伊都国より東であろうがも南であろうが、
伊都国よりも先には行っていない可能性が非常に高い
伊都国までは比較的詳細に書いてあるのに、それ以降は何故か日数で、ほぼ省略されているしな
弓遵たちは伊都国に滞在して、印綬等を倭国側の役人に渡し、倭王という臨時の官爵@を与えて、それ
に対する上表文をもらいうけ帰っただけなんだろうと思う
@「拝仮」とは臨時の官爵を与えるという意味
つまり宮殿や墓を見たというのは、あくまでも伊都国で見聞きしたものを郡使が報告したもの、女王国の
ものとして書き換えただけなのだと思う

443:名無しさん@1周年
19/05/15 12:50:37.13 atbppNux0.net
>>1
何がどうなってれば特定できるんだ?

444:名無しさん@1周年
19/05/15 12:50:45.17 22ycApAK0.net
>>416
いくら必死で並べ立てても
九州以外の記述はないのだから無駄
近畿は空想願望 
学問の要素ゼロ 虚無

445:名無しさん@1周年
19/05/15 12:51:53.03 N5vThyd20.net
>>404
説得力ない
中国の歴史書でも倭国は奈良が首都だからな

446:名無しさん@1周年
19/05/15 12:51:53.59 VyrEc7UG0.net
>>428
魏志倭人伝は魏志邪馬台国伝でもなければ、邪馬台国旅行記でもない
基本的に倭人一般の情報は邪馬台国の位置の特定には使えない
ただし、九州に入れ墨や丹がなければ、倭国の範囲は本州も含むということになる
ついでいうと九州説が否定される決定的な理由は、邪馬台国が倭国の盟主の国という一番重要な記述に矛盾してるからだ
3世紀中頃での日本列島の盟主の国はヤマト国

447:名無しさん@1周年
19/05/15 12:51:57.63 GtFSDc5a0.net
>>424
畿内勢力よりも前に、熊襲に征服されたのではないかな?
日本書紀に出てくる九州勢力は熊襲。つまり九州南部出身の勢力。
九州北部の邪馬台国やその連合体は、狗奴国と戦争状態だと魏に訴えている。
狗奴国が女王国の南にあったことは魏志倭人伝にも書いてあるわけだから、九州南部の勢力に滅ぼされたと取るほうが無難。
十二代景行天皇の時に、熊襲征伐が行われており、仲哀天皇&神功皇后よりも2代前の出来事なわけだから
景行天皇の熊襲征伐は3世紀後半に行われたと思われる。
3世紀中頃に卑弥呼から壱与に代替わりしてるわけだけど、その後熊襲に征服されたとすると辻褄は合う。

448:名無しさん@1周年
19/05/15 12:54:14.26 VyrEc7UG0.net
>>434
それなら九州だと特定できるものを示してみろ

449:名無しさん@1周年
19/05/15 12:55:39.18 N5vThyd20.net
>>437
倭国と熊襲の国境付近と思われる
吉野ケ里遺跡は3世紀後半に一度衰退してるから
一致してるね

450:名無しさん@1周年
19/05/15 12:56:01.51 h4hx6qNm0.net
>>387
>邪馬台国は祭祀国家的であるのは卑弥呼が指導した間違い無いし
邪馬台国は卑弥呼が指導した祭祀国家的であるのは間違い無いし
なんか読んでてムズムズしたから思わず横槍指摘しちまった
とにかく落ち着いて書こう

451:名無しさん@1周年
19/05/15 12:57:29.61 N5vThyd20.net
>>434
いくら必死に九州説を主張しても
邪馬台国は北部九州から水行30日の場所にあるのだから
邪馬台国が北部九州にあった可能性はゼロ

452:名無しさん@1周年
19/05/15 12:59:28.65 ur+4Szpq0.net
>>431
それはあいまいな情報でしかない。
どこから


453:どこまでが水行20日なのか そもそも海を渡るときはそんな記述ではなかったんじゃないかとか 九州を出発点として船で20日なら、どこにも寄らずに船で移動なんてできるのか? かなり怪しい情報でしかない。 俺が求めてるのは。九州以外の地を示す確かな情報。



454:名無しさん@1周年
19/05/15 12:59:30.44 e1Gnkf2e0.net
>>440
想像し過ぎだw
想像は推測とは別物だから注意w

455:名無しさん@1周年
19/05/15 13:00:37.46 N5vThyd20.net
>>442
自説に都合の悪い記述は怪しい情報にするな

456:名無しさん@1周年
19/05/15 13:01:16.21 mYje+xWh0.net
>>436
江戸時代は盟主として万事差配してる徳川が天皇なのか?
違うだろ

457:名無しさん@1周年
19/05/15 13:04:14.92 GyP9niCr0.net
応神が九州邪馬台国の子孫、古代史で多重人格の何役もこなす神功皇后に応神の母役(邪馬台国の女王)を押し込んで、東征したのは応神と母親。
母親は卑弥呼自身か卑弥呼の子孫か。
三輪桜井勢力を倒して難波の宮設立。
つまり仁徳以下は九州邪馬台国直系で武烈あたりまで続く。

458:名無しさん@1周年
19/05/15 13:04:46.93 VyrEc7UG0.net
>>445
魏志倭人伝を否定し妄想でっちあげてイチャモンつけてるだけだな
倭国に権力と権威の二重構造があったなどと書かれていない
捏造は不可

459:名無しさん@1周年
19/05/15 13:05:19.13 NVkDlMvF0.net
>>442
日本側の資料の『延喜式』だと
畿内から北部九州まで舟で1ヶ月と書いてあるから
畿内説だと水行30日は信用できる情報だね

460:名無しさん@1周年
19/05/15 13:06:32.62 Jg6WAg7R0.net
学界では畿内説確定だろ
九州説はもはやトンデモでしかない

461:名無しさん@1周年
19/05/15 13:06:55.65 XDt8WWdX0.net
>>428
倭に丹山があるなら普通に考えて四国東南部か
紀伊半島が舞台になる。
しかもそこは冬温暖で海人の里だろ、九州の要素なんて倭人伝ではむしろ少ない。
そもそも火山の記述がないのも九州南部である可能性も消える。

462:名無しさん@1周年
19/05/15 13:07:39.72 mYje+xWh0.net
倭国は女王国、邪馬台国の女王卑弥呼が女王をやってて他の国もあるって区別されて
書いてんだから2重どころか多重に権力構造があるのが前提だわ
あと隼人族は入れ墨だかペイントで身体に文様入れてるわな

463:名無しさん@1周年
19/05/15 13:08:17.11 Hm5VIa4k0.net
>>406
ちなみに亀卜は紀元前の古代中国から続く風習だね

464:名無しさん@1周年
19/05/15 13:10:03.70 XDt8WWdX0.net
>>446
神功皇后の生まれは葛城地方で確定してるのだが。
母親は葛城高額姫という、二上山の麓の集落だよ。

465:名無しさん@1周年
19/05/15 13:10:18.15 XTWl33dT0.net
>>404
大和朝廷って国だと思うんだけど、それが、邪馬台国の可能性もあると思うんだ。

466:名無しさん@1周年
19/05/15 13:11:10.78 e1Gnkf2e0.net
>>449
日本の考古学会という捏造前科持ちより、九州と判断した中国の学者の方が信頼されるのは仕方ないな。

467:名無しさん@1周年
19/05/15 13:11:57.56 bgmHv4dK0.net
越前説はどうなった?

468:名無しさん@1周年
19/05/15 13:12:13.29 XTWl33dT0.net
>>424
九州弱いな w

469:名無しさん@1周年
19/05/15 13:12:58.81 XDt8WWdX0.net
>>424
それは自分の知識範囲内で整合性がとれているだけ。考古学や各種資料とは全く矛盾してるよ。

470:名無しさん@1周年
19/05/15 13:13:22.01 GtFSDc5a0.net
>>439
せやねん
畿内説を取ると、どうしても記紀との整合性が取れない問題にぶつかる。
神功皇后の三韓討伐は大陸側の記録にもあるからずらしようがない。
大規模な環濠集落があろうと、桃の種が出土しようと、それは畿内の大和王権の勢力のものではあっても、邪馬台国や卑弥呼と結びつける必要はない。
ではどう考えればいいか?
近い時代の記紀の熊襲征伐と魏志倭人伝の狗奴国との戦争から考えると、狗奴国に滅ぼされた取るのが一番楽。
卑弥呼がアマテラスで、畿内に東遷したとか色々ファンタジーな空想を繰り広げても、やっぱり記紀との整合性が取れない。
もし記紀と整合性を持たせたファンタジーをやるとすると、九州北部の女王国は、大和王権の九州の出先機関であって
南部の熊襲が反抗してきたから景行天皇が討伐に向かったとは取れないこともない。

471:名無しさん@1周年
19/05/15 13:17:48.15 XTWl33dT0.net
>>431
北部九州から水行30日ってことは、海を越えて四国や中国地方にある可能性もあるんじゃない

472:名無しさん@1周年
19/05/15 13:19:06.10 lXFDZh7X0.net
>>449
おまえそれしか書けんのかwww
理由をかかなきゃ

473:名無しさん@1周年
19/05/15 13:19:24.65 XDt8WWdX0.net
>>459
整合性なら九州南部辺りの狗奴国が徐々に邪馬台国ことヤマトの主権を握ったで何の問題もない。
女王国なら国神が女性名の瀬戸内海周辺国で問題ない。
ヤマト生まれ、瀬戸内海の女神でもあるモモソヒメが卑弥呼の実像に一番近いのは事実だろ。

474:名無しさん@1周年
19/05/15 13:20:03.96 JGw4Tuui0.net
>>35
周回遅れレスとかいつもバカにしてる
ザラコクみたいだなw
よほど悔しかったかw

475:名無しさん@1周年
19/05/15 13:21:49.23 gvk4Z9rm0.net
実際に行ったわけじゃなくて又聞きで書かれてるんだろこれ
しかも現代の雑誌で言えば隅に載ってるコラム並みの扱い
残ってる記録が乏しいからこういうのに過剰にすがってるだけ
日本の歴史書で卑弥呼や邪馬台国に該当するものすら特定されてない
なのになぜ魏志倭人伝だけ神聖視するの

476:名無しさん@1周年
19/05/15 13:22:18.68 FBV7Pl1j0.net
まぁいずれにしても、九州は日本の中心地であったこともなく現在までずっと辺境の地であり続けたってのは間違いない

477:名無しさん@1周年
19/05/15 13:22:57.32 ur+4Szpq0.net
>>444
いやいや、日本語を正確に理解してくれ。
魏志倭人伝の記述の中に、九州以外の地を確定させる情報がどこにもない。
九州の国についてはちょこちょこ書いてあるのに
九州から畿内まではあまりにも長い移動で、そんな記録の残し方がありえるだろうか?
そもそも、交流の目的が畿内なら、九州を陸行する必要はなく、
不彌國から畿内へ継続して移動しているとは考えにくい。
なぜ南至投馬國からは距離表示がなくなり、九州以外の地を示す確かな情報がひとつもないのか?
別に九州以外を完全否定してるわけではないのでもっと客観的な反論してくれ。

478:名無しさん@1周年
19/05/15 13:23:00.77 XDt8WWdX0.net
更にいうとモモソヒメには別名で日女命、ヒミコという記述が丹波籠神社にはっきり残っているのに、何を今さら九州説とか主張する
バカがいるんだよw

479:名無しさん@1周年
19/05/15 13:23:10.65 RcJiPuAk0.net
>>459
まさか2600 年信じてるの?
ビリーバー?
150歳w

480:名無しさん@1周年
19/05/15 13:25:04.66 XTWl33dT0.net
邪馬台国が九州にあったとしても、後で、畿内の大和朝廷からボコボコにされて滅亡するという悲しいシナリオ

481:名無しさん@1周年
19/05/15 13:25:31.50 XDt8WWdX0.net
>>466
倭に丹山がある、丹生神社の存在に弥生時代の丹の鉱山、採掘跡とも紀伊半島から四国東南部を指してるだろ。
九州なら火山の記述もないとダメ。

482:名無しさん@1周年
19/05/15 13:27:21.18 VyrEc7UG0.net
>>466
だ・か・ら・魏志倭人伝は魏志邪馬台国伝でもなければ、邪馬台国旅行記でもない
と言ってるだろ
なんで、邪馬台国旅行記前提で考えるんだよ

483:名無しさん@1周年
19/05/15 13:29:32.28 PGAmFKJ70.net
>>470
丹生神社って九州にもあるよね

484:名無しさん@1周年
19/05/15 13:30:44.48 yg8vKW4Q0.net
東征したのは邪馬台国ではないだろう
女王国の流れが東征したとは考えられない
女王国はかなり衰退したか滅びた
東征したのは投馬国や伊都国の連合だろう
奈良の地名は九州の地名が付けられているからね

485:名無しさん@1周年
19/05/15 13:31:56.32 E3vbrypd0.net
むかしから半島と日本でどちらが古いかを争った
日本は紀元前660年からの皇紀
朝鮮は紀元前2333年からの檀紀で
朝鮮が捏造をよりひどくすることでで勝ったが
日本はいざなぎとかいざなみを登場させてうやむやにした

486:名無しさん@1周年
19/05/15 13:32:41.51 +LKoF29u0.net
斎王が女王の流れを組む伝統なんだろうけど、平安時代には形骸化してきていたようだな

487:名無しさん@1周年
19/05/15 13:33:09.40 mYje+xWh0.net
>>467
中央構造線にそって丹はでるんだよなぁ
その採取に従事してた丹生氏は広がって最後は伊勢丹生氏が最大勢力になったが
中央構造線沿いに移動して最終地点が伊勢ならスタートは九州でもおかしくない

488:名無しさん@1周年
19/05/15 13:34:48.76 VyrEc7UG0.net
結局、畿内説と九州説では、探してる国そのものが違うんだよな
九州説では、倭人一般の風習の記述に近い国を探してるんだろ?
ただし、その国は倭国の盟主の国でもないし、30ヶ国の連合を形成してた国もないし
7万戸の国でもないし、伊都国や奴国を傘下に収めてもいないし、魏との交流もどうでもいい
つまり、九州説では雑魚の国を一生懸命探してるわけだ
ご苦労なことだw

489:名無しさん@1周年
19/05/15 13:35:22.90 +LKoF29u0.net
>>449
白石太一郎氏なんかも邪馬台国論争自体はもう終わっていると断言している
今問題になってるのは、卑弥呼の時代の九州と畿内の関係

490:名無しさん@1周年
19/05/15 13:35:53.45 RcJiPuAk0.net
>>469
そもそもヤマタイではなくヤマト。
ヤマトの国はどこにあるのだろう
ヤマトがどこかわからないふりするための畿内説キナイ読み。
九州説と大和説の2択なんだけど
ヤマト1択だわな

491:名無しさん@1周年
19/05/15 13:36:08.25 cY0ugDWw0.net
じゃあなんで堺や奈良にあんなに古墳群があるあるんだよwww

492:名無しさん@1周年
19/05/15 13:37:33.32 mYje+xWh0.net
>>477
そらそうだ日本の王朝なんか今の宮家に繋がる一族でしょで誰でも知っとるような話
そこにない邪馬台国ってなんだって話してんだからな、ホントにアホなのかなw

493:名無しさん@1周年
19/05/15 13:38:17.88 GtFSDc5a0.net
>>462
いや、それだと整合性はとれないよ。
いつ畿内に入ったか?実在する機内の史跡との整合性は?

>>468
信じてないから、ずらしてる。
が、大凡の出来事はあったと思う。
2600年を信じてるなら、邪馬台国の魏への朝貢の時期は、きっちり仲哀天皇が崩御して、神功皇后が摂政だったんだよ。
BC660年に神武天皇が即位してから、各天皇の即位と退位の期間を加算していくと、仲哀天皇が崩御したのがAD200年
神武天皇が摂政になったのがAD201年、崩御したのがAD267年にあたる。
まぁ違うと言うことはわかってるからね?

494:名無しさん@1周年
19/05/15 13:39:18.97 Mf+hPZ3r0.net
邪馬台国連合は大和朝廷に征服されて存在は神話に吸収されたとして連合国家制圧出来るなんて大和朝廷強過ぎない?

495:名無しさん@13周年
19/05/15 13:42:23.04 Zm5DDHjup
>>391
  >人間がどうやってアフリカからアメリカ経由してあの太平洋を手漕ぎボートで日本に来れるんだ?

  はあ? アンタ、ユーラシア大陸というのを知らないのか? アフリカ、アジア、ヨーロッパは一つの塊だよw 太平洋を越えてアメリカから日本に来る必要なんか1ミリもないわwww 小学校からやり直せよwww

496:名無しさん@1周年
19/05/15 13:41:40.03 mYje+xWh0.net
>>480
古墳なんか全国に腐るほどある
東京都ですら20はある今まで工事の為に無くなった数も入れたら奈良でも5位には入らない

497:名無しさん@1周年
19/05/15 13:43:23.11 XTWl33dT0.net
>>485
さすがに、5位には入るだろうな。

498:名無しさん@1周年
19/05/15 13:44:05.79 RcJiPuAk0.net
>>483
ロジカルに考えろ中卒
そのまま同一ヤマト

499:名無しさん@1周年
19/05/15 13:44:13.11 yl+hBpfQ0.net
>>431
それなら瀬戸内海を通って近畿まで行ったんだろうね
いくら古代でも九州から中国四国に渡るのにそんなにかからない

500:名無しさん@1周年
19/05/15 13:44:42.09 q2Qg9kcu0.net
奈良とかいってるバカいて草はえるわ

501:名無しさん@1周年
19/05/15 13:44:46.06 DuuEixNw0.net
>>485
>>480が言ってるのは3〜5世紀の巨大古墳の数であるのは明らかだね
横穴式までいれたらそりゃ腐るほどあるねw


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