【宮崎】邪馬台国はど ..
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2:名無しさん@1周年
19/05/14 22:15:56.71 spDUwcLj0.net
魏と交流したことで、邪馬台国はスケールの小ささに気が付いて
いつか侵略されると危惧し、本拠地を奈良に移し、もっと大きなスケールで統治しようと考えた。
武力によって統治するのではなく、神話による宗教でな。

3:名無しさん@1周年
19/05/14 22:16:04.79 SaJ+zj7J0.net
そう君の心の中だよ

4:名無しさん@1周年
19/05/14 22:16:49.62 o082lMgd0.net
>>1
残念ながら 
邪馬台国はありません。はい終了
卑弥呼もいません。

5:名無しさん@1周年
19/05/14 22:16:58.75 oE/IyB300.net
邪馬台国、つまりヤマト国はでかい飛行石で空に浮かんでるよ
ミラージュ機能で巧妙に隠されたままだけどな

6:名無しさん@1周年
19/05/14 22:17:06.61 neTw8FLm0.net
倭人伝を素直に読めば九州の中部位だと思うんだけどな
宮崎熊本辺り

7:名無しさん@1周年
19/05/14 22:17:42.92 ECWo8bsw0.net
まだいってんのか笑
奈良確定。九州の奴等は実物の証拠もってこい。

8:名無しさん@1周年
19/05/14 22:18:08.32 qRhuniRC0.net
鍵は宇佐神宮にあり
そこら中ぜんぶ掘って掘って掘り返せ

9:名無しさん@1周年
19/05/14 22:18:10.79 IRqCbI6U0.net
元祖長浜ラーメン前だと思う。なんとなく。

10:名無しさん@1周年
19/05/14 22:18:13.87 BnhTS2ev0.net
いつまでも古文書読んだ妄想垂れ流すだけだな
ホントに研究してんのか?

11:名無しさん@1周年
19/05/14 22:20:19.03 O3OLaYyj0.net
バンババババンババンバンババン

12:名無しさん@1周年
19/05/14 22:20:48.07 OthhOOvs0.net
うんと、うんと人を誤魔化してね、警察に捕まんないように(ンフフフ)
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)

13:名無しさん@1周年
19/05/14 22:20:49.52 yyEe43lt0.net
>>4
なんか朝鮮支那に都合悪いことあったっけ?

14:名無しさん@1周年
19/05/14 22:21:14.97 kT+LMgtq0.net
邪馬台国を実際より巨大な勢力だと思っているのかもしれない。
北部九州の地方勢力だったかもね、やがて飲み込まれて消えていったのかも。

15:名無しさん@1周年
19/05/14 22:21:34.84 Bc8QIsR60.net
邪馬台国は朝鮮半島にあった
島国の日本はその衛星国のひとつ

16:名無しさん@1周年
19/05/14 22:22:02.97 PLzdtAbJ0.net
邪馬台国は佐賀にあるけん

17:名無しさん@1周年
19/05/14 22:22:25.38 8x4xtiTm0.net
見苦しいな九州説w

18:名無しさん@1周年
19/05/14 22:23:38.16 IUCpTx7c0.net
>>5
地底でハニワ原人たちが仲良く暮らしてるんじゃないのか

19:名無しさん@1周年
19/05/14 22:25:05.40 qRhuniRC0.net
邪馬台国あるいは卑弥呼と言われるもの
この辺はね日本列島からそれに対応する文字遺物が出てこない限り
実証的に比定することは出来ない
古代支那の文献のあやふやな記述とか、参考程度に楽しむのが程良いね

20:名無しさん@1周年
19/05/14 22:25:20.53 6q2p55e70.net
>>1
邪馬台国との位置関係
【もっと北】 (朝鮮半島)狗邪韓国
【北】    (九州北部) 対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国
【女王国】    邪馬台国     
【南】       狗奴国

21:名無しさん@1周年
19/05/14 22:25:39.75 NEAwEPjv0.net
>>7
近畿ではないよ 先ず九州に大和の前身国家が出来てその後神武の東制で近畿に異動したんだよ

22:名無しさん@1周年
19/05/14 22:25:41.11 sxw/neCs0.net
不毛

23:名無しさん@1周年
19/05/14 22:26:31.82 MuwzXLPr0.net
唐会要
倭國
「則天時。自言其國近日所出。故號日本國。蓋惡其名不雅而改之。」
この則天時、武則天の武周のときの遣唐使は粟田朝臣真人が正使のもので続日本紀にも記録されている
唐会要
日本國
「長安三年。遣其大臣朝臣真人來朝。貢方物。」
この長安三年が倭国伝の則天時の遣唐使
大臣朝臣真人が粟田真人と確認できるし、間違いなく大和朝廷の貴族
つまり倭国伝に書かれている倭國も大和朝廷なんだよ

24:名無しさん@1周年
19/05/14 22:27:05.54 qRhuniRC0.net
今の博多を外港として従えた、割と内陸型の軍事国家だな
もちろん博多に近在の北部九州にそれはあった

25:名無しさん@1周年
19/05/14 22:27:17.96 Ojb8PPFx0.net
だから、福岡の人は「…たい。」っていうんですね

26:名無しさん@1周年
19/05/14 22:27:29.86 5O4tT9PE0.net
北九州にキリスト教が入ってきた際、焼かれた寺社仏閣に邪馬台国関連の文献があった気がしてならないんだけど、
そんな事無い?

27:名無しさん@1周年
19/05/14 22:29:05.04 MuwzXLPr0.net
>>21
>近畿ではないよ 先ず九州に大和の前身国家が出来てその後神武の東制で近畿に異動したんだよ
年代がおかしい
神武は実在したなら卑弥呼・崇神の時代の100〜150年前
卑弥呼の時代には完全に畿内に土着しているし、邪馬台国はヤマト国でよい

28:名無しさん@13周年
19/05/14 22:31:57.62 0kOc6AWEf
畿内説って地頭(じあたま)が悪いヤツが考える説なw 3世紀の日本の交通・通信を考えたら成立不可能な説だ。何で記紀の成立が7世紀と遅いんだよ? それまで日本の固有名詞(人名・地名)を漢字で表記する方法がローカルごとにバラバラだったからだよ。

29:名無しさん@1周年
19/05/14 22:30:40.07 uZI2o2R90.net
カエルが出ると邪馬台国らしいよ

30:名無しさん@1周年
19/05/14 22:31:21.47 NFb+8hTU0.net
>立正大学文学部史学科考古学専攻卒業
あまりあてにならなさそうだなw

31:名無しさん@1周年
19/05/14 22:32:47.89 xttDmXGG0.net
>>23
両方共8世紀前後の話じゃね?

32:名無しさん@13周年
19/05/14 22:35:34.55 0kOc6AWEf
>>31
  そう。>>23 はあり得ないほどレベルが低いねwww

33:名無しさん@1周年
19/05/14 22:33:20.30 xB4iA5ov0.net
登呂に決まってんじゃん
ばかじぇねーの

34:名無しさん@1周年
19/05/14 22:34:38.78 7GwiLHRS0.net
むかしは卑弥呼でも美人だったんや、いま観るとちょっとキビシイ

35:名無しさん@1周年
19/05/14 22:38:43.36 nl8kVW570.net
前スレ>>975
『旧唐書』を読んでそんなことも理解できないレベルならレスする意味はなかったね、ごめんね
前スレ>>981
遺跡も資料館も見に行ったし、よーく知ってるよ
副葬品は九州的ではあるが、とても畿内的な造りの方形周溝墓だね
で、それが径100歩あまりで100人ほどの殉葬者のある女王の墓であるとの根拠はなにかな?

36:名無しさん@1周年
19/05/14 22:39:34.26 O2ajDAmK0.net
>>29
桃の種も

37:名無しさん@1周年
19/05/14 22:40:59.13 N3QZ8Ot50.net
九州人による九州人の為の九州説
九州から奈良への長距離な遷都はあまりにもファンタジー

38:名無しさん@1周年
19/05/14 22:41:39.14 Gqf7wzAT0.net
>>36
紅花の花粉も

39:名無しさん@1周年
19/05/14 22:42:05.32 lZARscvl0.net
また韓国は兄とか言う連中が邪馬台国九州説を叫んでるのか

40:名無しさん@1周年
19/05/14 22:46:58.87 uZI2o2R90.net
遷都じゃなくて分家の坊主が一家を立てたんやろ

41:名無しさん@1周年
19/05/14 22:50:41.92 Lsgpg27s0.net
神奈川県大和市に決まってんだろ
なにぐずぐず言ってんだよ西は

42:名無しさん@1周年
19/05/14 22:50:57.18 oH4EOyLd0.net
奢るな、お前ら!
邪馬台国の秘密はトキが知っておるわ!

43:名無しさん@1周年
19/05/14 22:51:15.28 +SVYHuJh0.net
そもそもさー
ニニギが日本の端っこの高千穂に降りてくるなんてあり得なくね?
日本を治めるために来たはずなのになんでそんな端っこの田舎に降りてくるんだよ
神様のくせになにやってんだが
降りてきたはいいけど、最初にやったのが妻の妊娠で浮気を疑うことだぜ
なんだこの神様

44:名無しさん@1周年
19/05/14 22:51:57.00 Q76omj5h0.net
>>37
まあ各地で勃興した勢力の中で大和が強くて覇権取った普通の流れだよね
交易や商業で栄えた北九州が天候不順に弱いのは、平氏の滅亡と一緒。

45:名無しさん@1周年
19/05/14 22:52:41.12 hciUDs930.net
奈良が来るぞー
早口で来るぞー

46:名無しさん@1周年
19/05/14 22:53:21.53 XzZbIZOH0.net
>>30
鳩山由紀夫(東大工学部)
菅直人(東工大理学部)
福島瑞穂(東大法学部)
志位和夫(東大工学部)
小西洋之(徳島大医学部→東大教養学部)
小池晃(東北大医学部)
枝野幸男(東北大学法学部)

47:名無しさん@1周年
19/05/14 22:55:03.12 PS2HIB2V0.net
たぶん、シナ人の作り話

48:名無しさん@1周年
19/05/14 23:00:42.64 uZI2o2R90.net
>>47
台湾先住民ツォウ族の神話
伝説は、ツォウ族の起源をこう伝える。
「人類の祖先が、玉山の山頂に降り立った。
そのうち、西の山麓へ降り立ったものがツォウ族となり、
東の山麓へ下ったものが『マーヤ』というものになった」。
このマーヤが日本人。

49:名無しさん@1周年
19/05/14 23:03:24.76 /m7wbuwj0.net
>>1
山じゃね?

50:名無しさん@1周年
19/05/14 23:04:23.10 /m7wbuwj0.net
>>48
確かに
日本人はミツバチみたいに良く働く

51:名無しさん@1周年
19/05/14 23:06:39.49 1JLfjWt+0.net
まーた九州説キャンペーン始めたのか

52:名無しさん@1周年
19/05/14 23:07:01.94 wqyb0jHw0.net
魏からの距離や方角を除いて、邪馬台国を特定できる物があるの?それが
なくて、どうやって邪馬台国と断定できるの?

53:名無しさん@1周年
19/05/14 23:07:17.72 rxXWd2r20.net
やまたいこく→めんたいこく
な、なんだってー!

54:名無しさん@1周年
19/05/14 23:08:24.14 yfxC9im70.net
邪馬台国名乗るなら
皆既日食があった場所やないと
説得力無いわね

55:名無しさん@1周年
19/05/14 23:08:59.45 8hR2e4jn0.net
>>14
それだねきっと

56:名無しさん@1周年
19/05/14 23:09:17.09 BnhTS2ev0.net
物的証拠を探す努力をしろよ

57:名無しさん@1周年
19/05/14 23:17:26.61 nFPyTQNn0.net
纒向遺跡とは?
昔世界ふしぎ発見で奈良が有力って言ってたぞ
10年くらい前だけど

58:名無しさん@1周年
19/05/14 23:18:25.53 xYgG1jmH0.net
4世紀の遺物を無理矢理3世紀にして
物的証拠ガー言ってる畿内説もどーかとw

59:名無しさん@1周年
19/05/14 23:18:59.09 En/jjCAo0.net
22 弥生時代 応神天皇(15)
21 弥生時代 仲哀天皇(14)
20 弥生時代 日本武尊
19 弥生時代 景行天皇(12) ← ヒミコの時代
18 弥生時代 垂仁天皇(11) ← ヒミコの時代
17 弥生時代 崇神天皇(10)
16 弥生時代 開化天皇(9)
15 弥生時代 孝元天皇(8)
14 弥生時代 孝霊天皇(7)
13 弥生時代 孝安天皇(6)
12 縄文〜弥生時代 孝昭天皇(5)
11 縄文時代 懿徳天皇(4)
10 縄文時代 安寧天皇(3)
09 縄文時代 綏靖天皇(2)
08 縄文時代 神武天皇(1)
07 彦波瀲武盧茲草葺不合
06 彦火火出見
05 天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵
04 天忍穂耳
03 天照の勾玉
02 天照
01 伊弉諾
建武中元二年 ⇒ 西暦57年 ⇒ 垂仁天皇86年(皇紀717年)
垂仁天皇 ⇒ 「纒向珠城宮」
景行天皇 ⇒ 「纒向日代宮」
時代も符号
ぴったり 

60:名無しさん@1周年
19/05/14 23:19:22.44 /m7wbuwj0.net
山大国はアトランティスにありました

61:名無しさん@1周年
19/05/14 23:21:54.14 jn90WfTC0.net
近鉄大阪線 二上駅で人身事故「凄い衝撃音がした」
電車に飛び込み肉片が散乱
URLリンク(t.co)
やま 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:b73a9cd27f0065c395082e3925dacf01)


62:名無しさん@1周年
19/05/14 23:22:23.11 P5fEyLpN0.net
>>1
まあ、
神武天皇が、あらゆる困難をものともせず、
ナゼ、九州の片田舎から、近畿の奈良盆地を目指したかを考えるべきだな。
当時の奈良辺りは、日本でも有数の繁栄した土地であったからだ。
もし、北九州がそんな繁栄地なら、神武は北九州を目指していたろう。
当時の交易事情から、
奈良盆地の先の福井辺りの港から、日本海の対岸の地に渡る方が、
はるかに早く安全でかつ大量に荷を運ぶことができた。すでに大型船があった。
(朝鮮半島経由の交易は、荷車も使えない状況で荷を人間の背に負い、
   しかも、山賊がタムロする地を行き来することは、想像以上の困難さがあったろう)
卑弥呼が誕生したのは、それから900年後のことなのである。

63:名無しさん@1周年
19/05/14 23:25:05.17 uZI2o2R90.net
カエル以来元気がない畿内説

64:名無しさん@1周年
19/05/14 23:25:21.10 LRThYGJS0.net
山口県の可能性ください!
何もない県に光を!

65:名無しさん@1周年
19/05/14 23:28:10.94 P5fEyLpN0.net
>>63
チョン。すでに学会でも近畿説が確定済みだな。
北九州説を必死に唱えてるのは、オマエらチョン(腐れ韓国人)と、それに釣られたアホ日本人だけだよ。

66:名無しさん@1周年
19/05/14 23:29:19.47 uZI2o2R90.net
カエルで決まる邪馬台国と

67:名無しさん@1周年
19/05/14 23:34:01.80 eGTcBGdf0.net
邪馬台国は韓国由来

68:名無しさん@1周年
19/05/14 23:35:59.69 HeqSF+Z/0.net
>>50
俺はハッチの方がなじみがある。

69:名無しさん@1周年
19/05/14 23:38:32.95 hmikPnYr0.net
そもそも邪馬台国ってのが魏の人々が
邪馬台国と呼ばれてる人達が必死に自国の名前を叫んでいるのを聞いて適当に当て字で邪馬台国としただけで
日本語表記ヤマドゥこくと読むのが近いようだ だからそもそも邪馬台国とか存在しなくて大和国を魏が勝手にそう名ずけただけ

70:名無しさん@1周年
19/05/14 23:42:21.12 MuwzXLPr0.net
>>64
>山口県の可能性ください!
>何もない県に光を!
山口の赤妻古墳には三種の神器にあたる剣、勾玉、鏡が副葬されており、
この周辺に倭王の故地があったのは明らかだ!とか言い張ってみたら?

71:名無しさん@1周年
19/05/14 23:43:42.11 vjLesE5F0.net
どう考えても阿波の国

72:名無しさん@1周年
19/05/14 23:51:21.16 OW1VzM/a0.net
後の王たちは倭国の中心ではなく「前線」にいた
卑弥呼の都(宮処)もそうだと認めれば、わりとスムーズに合点が行かないか?
倭国の中心は筑紫、女王の都は狗奴国と対峙する場所、熊本だろう
同様に王族たちは各地に広がった
そのうちの一人がニニギだった

73:名無しさん@1周年
19/05/14 23:59:51.05 knH3bQpq0.net
北部九州にあったなら、今のアメリカ以上の強国といえる魏が後ろ盾についてたのに
そのわずか後で近畿のヤマト王権に逆転全国支配されるって、どんなミラクルストーリー起さないと無理だと思ってんだよ
小説じゃないんだから

74:名無しさん@1周年
19/05/15 00:01:07.53 Tb608Bp50.net
>>73
卑弥呼の朝貢直後に魏が滅んだのを知らんのか

75:名無しさん@1周年
19/05/15 00:01:45.17 1v9quaPm0.net
>>64
月刊ムーに邪馬台国山口説があったような
マクモニーグルの透視だったかな

76:名無しさん@1周年
19/05/15 00:02:19.36 xZ7Ks0D30.net
ヒミコは韓国から来たんだってね

77:名無しさん@1周年
19/05/15 00:02:36.74 R/7fr0Os0.net
>>75
ちょ
ちょっと悪いけどオカルトやめてくれないか

78:名無しさん@1周年
19/05/15 00:02:37.87 PV0rOaWO0.net
>>73
八王の乱もあり中国はトンデモヒャッハー状態へ

79:名無しさん@1周年
19/05/15 00:05:14.90 Vw+u6r0i0.net
邪馬台国九州説や畿内説はその間違いを簡単に証明できるけど、邪馬台国濃尾説を論理的に否定出来る奴は居ないだろう
それが歴史的事実なんだから否定出来るはずは無いw

80:名無しさん@1周年
19/05/15 00:05:16.44 f9WPV83L0.net
>>75
もう南極でいいよ
南極の氷の下にはアトランティスとムーと邪馬台とシャングリラが眠ってるんだよ

81:名無しさん@1周年
19/05/15 00:05:17.73 PV0rOaWO0.net
桃の種カエルも3世紀の
中頃の地層から出土と
カエルを崇拝するどっかの土人と考えるのが普通だが
そもそも魏に高価な供物を出した女王の墓所がカエル墓とは

82:名無しさん@1周年
19/05/15 00:05:38.75 1v9quaPm0.net
>>77
いやけっこうまともだったよ。
卑弥呼は山口に住んでて
たまに奈良に通ってた説

83:名無しさん@1周年
19/05/15 00:06:39.57 ZpqfjTqx0.net
邪馬台国は九州のどこか、新唐書だったかに何代かは王朝が続いたが
その後畿内に移ったとハッキリ書いてある
畿内の大和朝廷は渡来人たちによって建てられた王朝

84:名無しさん@1周年
19/05/15 00:07:03.27 iEpKygrO0.net
今に見ていろハニワ幻人、全滅だ!!!

85:名無しさん@1周年
19/05/15 00:13:19.63 Vw+u6r0i0.net
畿内説信者が九州説を否定するのは正しい
九州説信者が畿内説を否定するのは正しい
畿内説信者の大間違いは、九州はあり得ないから畿内だと言ってるところ
九州説信者の大間違いは、畿内があり得ないから九州だと言ってるところ
九州も畿内もあり得ないんだから正解は他にある
それが濃尾平野

86:名無しさん@1周年
19/05/15 00:13:33.53 bqefvdr00.net
出雲のオオクニヌシが奈良を拠点に西日本を統一し30カ国に共立された卑弥呼に大和の地を譲った。

87:名無しさん@1周年
19/05/15 00:13:42.87 R/7fr0Os0.net
>>82
ふ〜ん
マクモニーグル当たらないよ

88:名無しさん@1周年
19/05/15 00:15:03.13 ZpqfjTqx0.net
>>85
なんでAもBも有り得ないなら解はCだになるんだよw

89:名無しさん@1周年
19/05/15 00:16:21.77 Vw+u6r0i0.net
>>88
えっっっ!?
論理学の知識の全く無いおバカさんなの?

90:名無しさん@1周年
19/05/15 00:16:26.42 bqefvdr00.net
4世紀に宮崎から出た天皇家に台与の次の男王は倒され王位をゆずった。そして、天皇家は
前方後円墳の墓制を受け継ぎ、百舌鳥、古市の地に巨大古墳をボコボコ作った。

91:名無しさん@1周年
19/05/15 00:17:44.75 bqefvdr00.net
百舌鳥、古市に巨大古墳を作った王権は朝鮮半島や関東にも進出した。

92:名無しさん@1周年
19/05/15 00:19:33.57 CEzNBXaS0.net
>>81
カエルは供物で天孫以前のの蛇神信仰の名残だろう
3世紀の中頃の畿内はまだ出雲色の方が強かったんじゃないか

93:名無しさん@1周年
19/05/15 00:19:52.12 bqefvdr00.net
朝鮮半島に進出したことは、広開土王碑の碑文に書いてる。

94:名無しさん@1周年
19/05/15 00:23:03.73 G66YObT80.net
この手のスレって、必ず「〇〇説で決まりだろ」とか「〇〇説なわけがない」と根拠を示さないで断言する奴が現れるよね
しかも、必ず単発

95:名無しさん@1周年
19/05/15 00:24:11.55 yl+hBpfQ0.net
>>73
まるで分かってないな
魏が大陸でいくら強くてもどうやって日本まで兵士を送り込んで来るんだよ

96:名無しさん@1周年
19/05/15 00:29:30.00 ZpqfjTqx0.net
>>89
あ〜まじで馬鹿だったのか 済まんレス不要だ

97:名無しさん@1周年
19/05/15 00:31:07.97 Nrobq5KB0.net
>>54
北九州は日没と重なって完璧な日食ではなかったみたい
完璧な日食が見れた地域は福島と新潟だって

98:名無しさん@1周年
19/05/15 00:31:25.71 Xk9/7g1wO.net
吉田松陰は邪馬台国は穀物のよく実る場所にあったんじゃないかと言ってたね

99:名無しさん@1周年
19/05/15 00:35:51.11 Vw+u6r0i0.net
>>73
もっと歴史を勉強しろよ
当時の中国は魏呉蜀が覇権争いしてた
当時の倭国は倭国大乱で瀬戸内海を挟んで南北で争ってた
北倭国(高地性集落の分布を境として北側の勢力)が呉や公孫子と結び付いて優勢だった情勢下で、魏が帯方郡まで進出したことで、
魏と倭国との直接的交流が可能になって、南倭国が素早く使者を送って同盟を結んだことで、魏は呉に対して優勢を築くことが出来、南倭国は北倭国に対して優勢を築くことが出来たんだよ

100:名無しさん@1周年
19/05/15 00:36:01.46 Nrobq5KB0.net
>>60
アトランティスも自分達でアトランティスと名乗っていた訳ではなく
アトラスが納めていた土地をギリシア風に名付けた後付けの名称だしな

101:名無しさん@1周年
19/05/15 00:44:50.70 Mf+hPZ3r0.net
不弥国と投馬国がどこにあるのか気になる

102:名無しさん@1周年
19/05/15 00:49:39.08 Vw+u6r0i0.net
邪馬台国ってのは倭国大乱前の倭国の首都であり、南倭国の首都のことね

103:名無しさん@1周年
19/05/15 00:51:43.15 dOHUle730.net
岩手にあるって本で読んだわ

104:名無しさん@1周年
19/05/15 00:52:16.04 Vw+u6r0i0.net
邪馬台国ってのは倭国大乱前の倭国の首都であり、南倭国が首都を大和に遷都する以前の首都のことね

105:名無しさん@1周年
19/05/15 00:53:55.34 ZpqfjTqx0.net
倭国大乱と魏呉蜀が同時代とは、、、、歴史が出来る人の発想はすげぇな
勉強になるわー

106:名無しさん@1周年
19/05/15 00:55:52.25 jc2SseHa0.net
高地性集落は攻めてきた海賊から逃げてるだけだから倭国乱のイメージではないな

107:名無しさん@1周年
19/05/15 00:58:22.67 YeuYfDep0.net
邪馬台国がただの地方の有力豪族と考える人が九州説をとって
その後の大和政権の前身と考える人が畿内説を採ってるのかな。
魏志倭人伝の記述以外に邪馬台国の存在を示すような証拠がまったく出てないことを考えると
取るに足らない九州の一豪族の可能性も捨てきれないか。

108:名無しさん@1周年
19/05/15 00:59:52.62 Vw+u6r0i0.net
>>107
七万戸という記述によって九州説は否定される

109:名無しさん@1周年
19/05/15 01:01:49.70 ZpqfjTqx0.net
>>107
邪馬台国は決して巨大な力を有してたわけじゃないよ
地方豪族のちょっとデカいやつって程度
九州全域、ましてや山口や四国とかにまで勢力を
伸ばせてたわけでもない

110:名無しさん@1周年
19/05/15 01:01:55.08 Vw+u6r0i0.net
7万戸という記述によって大和説も否定される

111:名無しさん@1周年
19/05/15 01:11:29.17 Vw+u6r0i0.net
現在の農村以下の人口密度じゃないと人口を維持できない

112:名無しさん@13周年
19/05/15 01:16:07.14 eQht1FzHD
>>108
>>110
つまり記述に不正確な部分が混じってるってことじゃないのか。
人口で30-40万くらいかね。

113:名無しさん@13周年
19/05/15 01:18:42.13 eQht1FzHD
ヤマタイなんて中国流の蔑称じゃなくて
ヤマト国でいいだろ。クマノ国に滅ぼされたw

114:名無しさん@1周年
19/05/15 01:18:47.47 80bzw2h60.net
邪馬台国は海洋民族だから、日本各地に神社がある。
熱田神宮も久米氏の拠点。
いい加減、農耕民族の発想止めろよ。
卑弥呼は船上で生活して、いわしやサンマを追ってたんんだよw

115:名無しさん@1周年
19/05/15 01:22:29.94 b7dONJBa0.net
どうでもいいよ、ハッキリしてから発表しろ

116:名無しさん@1周年
19/05/15 01:24:47.00 gTQvvZY/0.net
>>101
不弥国は福岡県の宇美町でしょ
末盧国(松浦川河口周辺)
 ↓
伊都国(糸島半島の付け根)
 ↓
奴国(那珂川河口周辺)
 ↓
不弥国(宇美町)
投馬国は知らね

117:名無しさん@1周年
19/05/15 01:31:23.70 DPIt5Pp20.net
邪馬台国の所在地は
九州北部から南部にかけて且つ四国中国地方または瀬戸内海から近畿にかけて中部地方から信州または関東甲信越を含み北陸から東北のいずれか

118:名無しさん@1周年
19/05/15 02:00:25.10 5/4pqXIY0.net
>>1
日本側の資料では、
卑弥呼が誕生する200年ぐらい前に、「ヤマトタケル(第12代景行天皇の息子)」が登場してるな。
もちろん、その時にすでに近畿の奈良盆地に「ヤマト王朝」が成立していた。
ヤマトタケルが詠んだ有名な歌
「ヤマトは国のまほろば・・・」という歌(万葉集)にも、近畿のヤマト地方が国の首都となっていたことが分かる。

119:名無しさん@1周年
19/05/15 02:02:49.61 XDt8WWdX0.net
>>110
否定されない、むしろ畿内一円がそうだと特定さるよ。

120:名無しさん@1周年
19/05/15 02:06:33.87 Tmm3B0ed0.net
唐古・鍵があるからな、ヤマトには。

121:名無しさん@1周年
19/05/15 02:10:35.60 XDt8WWdX0.net
>>120
しかも近くに箸墓のモモソヒメの生誕地がある。
何故か九州説の連中は無視してるが鏡作神社も近所だからな。

122:名無しさん@1周年
19/05/15 02:11:40.97 SpAuSNIb0.net
>>116
投馬国の位置がどうもはっきりしないんだよな。
宮崎説は有力だけど。
鷲崎ヒトトモ氏は水行20日を伊都国から放射読みして
陸路で行けない山口県の瀬戸内海側で海流の関係上20日かかってもあまり遠くないとしてたな。

123:名無しさん@1周年
19/05/15 02:15:13.49 tkSgliKW0.net
>>2
まあ、でも見えないモノを畏怖するキモチは大事よ・・・人類は。
それは日本人も白人も変らないんじゃね?

124:名無しさん@1周年
19/05/15 02:16:26.38 tkSgliKW0.net
>>114
どんぐりとか食っていたからそれはない。

125:名無しさん@1周年
19/05/15 02:23:46.90 5YqCNZtV0.net
分からないでいいよ。
文献がないんだから。

126:名無しさん@1周年
19/05/15 02:25:58.20 5/4pqXIY0.net
>>125
歴史科学だからな。 妄想で歴史を捏造するのではない。
科学では、数億年前の恐竜の生態もリアルに再現できる。もちろん当時の文献は無い。

127:名無しさん@1周年
19/05/15 02:27:29.91 b7dONJBa0.net
>>126
でも恐竜も殆ど妄想だぞ

128:名無しさん@1周年
19/05/15 02:29:12.81 0WS7/tR/0.net
またこの話題…
もうどうでもいいよっ邪馬台国は1ヶ所じゃなくあちこちに散らばっていったんだよ!移動とかで。
それでいーやん。

129:名無しさん@1周年
19/05/15 02:30:19.69 5/4pqXIY0.net
>>127
おいおい、オマエ、アフリカの学校を卒業したのか?w

130:名無しさん@1周年
19/05/15 02:32:01.59 41pITYbR0.net
ずばり筑後山門郡だろ

131:名無しさん@1周年
19/05/15 02:32:24.71 6/7PlZag0.net
あなたの心の中にある

132:名無しさん@1周年
19/05/15 02:37:33.99 VoaeM2ok0.net
>>92
桃姫の旦那は大蛇でその正体を知った姫が
自分のあそこを突いて死んだのが箸墓の伝説だっけ
素直に解釈して出雲族と婚姻した姫様のお墓なんじゃないの

133:名無しさん@1周年
19/05/15 02:39:45.82 yqVSOGLA0.net
「山門」って地名は何に由来するのかな?

134:名無しさん@1周年
19/05/15 02:45:01.99 nmwKMRyV0.net
刺青文化の南方系を考えると九州になる。

135:名無しさん@1周年
19/05/15 02:46:19.73 b7dONJBa0.net
>>129
実際見た奴居るのか?

136:名無しさん@1周年
19/05/15 02:56:23.18 mYje+xWh0.net
>>118
それは既にその頃奈良にヤマト王権が有り日本の全域支配が出来ているであろうという解釈の元考えられる説
現にその歌を読んだのは熊襲征伐後の九州
故郷を思って歌ったとされているがそれは東遷説であるような地名移植の可能性を考えてないため
この兄ちゃん九州でいきなりヤマトの和歌読んでるけどホームシックかいな?
というような今は定説ではあるが突飛な解釈
東遷説であるように奈良への地名の移植が実際はあって
それをしてない時期だとすれば征伐によって安堵した九州をヤマトと読んで居る可能性もある
更に第二王子であり即位しても居ない小碓に国名そのものを名乗らせるのも妙だし
更にヤマトタケルの名自体まつろわぬ蛮族であった熊襲健から貰った名だからな
堂々と名乗りを上げて戦した訳でもないのに変装潜入をしてだまし討ちの暗殺をした
熊襲健からいきなりお前は「ヤマトタケル」を名乗れと言われるのは変だよ
後、その歌自体の初出の出展は万葉集以前に古事記

137:名無しさん@1周年
19/05/15 03:05:41.69 jc2SseHa0.net
ホームシックの割に何年も長居して嫁までもらってるからな

138:名無しさん@1周年
19/05/15 03:23:43.53 ambMp+h00.net
九州には文明のかけらも存在しとらんだろ(笑)

139:名無しさん@1周年
19/05/15 03:26:51.96 ZpqfjTqx0.net
>>136
九州だったか?薄い記憶だが三重じゃなかったっけ?
戦い疲れて脚がガクガクになってるからここを
三つに折り重なってるから三重としようとか言ったとか
その辺りで死んで白鳥になってめでたしめでたし
っていい加減な結末としか記憶にないなw

140:名無しさん@1周年
19/05/15 03:27:15.92 Nrobq5KB0.net
帥升の事を倭面上国王と書かれている事から推測するに
帥升は顔面刺青男だったのだろう
帥升が金印を授与された記述はないが、国王の記述から
王として認知されている事は間違いないだろう
或いは漢委奴国王(伊都国王)の息子か孫だから金印を継承していたのかもしれない

141:名無しさん@1周年
19/05/15 03:38:10.92 Mf+hPZ3r0.net
平原遺跡から日本で唯一のガラスのイヤリングやらドデカ鏡やら出土してるし卑弥呼か壹与のお墓じゃないかと睨んでる

142:名無しさん@1周年
19/05/15 03:38:34.40 Nrobq5KB0.net
女王国(邪馬台国)ではもともと男子(漢委奴国王、bc57)を王としていたが
70〜80年(帥升統治時代bc107年前後)を経て倭国が相争う状況となった。
争乱は長く続いたが、邪馬台国の一人の女子を王とすることで国中が服した。
名を卑弥呼という。

143:名無しさん@1周年
19/05/15 03:42:59.81 mYje+xWh0.net
>>139
俺もいい加減だったわ二つの記述がごっちゃになってる
日本書紀で同じ歌を九州で歌ったとされるのは父親の景行天皇だった
古事記ではヤマトタケルが三重で歌った事になる

144:名無しさん@1周年
19/05/15 03:48:02.11 DI+xHGhB0.net
邪馬台国は宮崎だよ

145:名無しさん@1周年
19/05/15 04:08:55.90 XDt8WWdX0.net
宮崎に北部九州の数倍規模の国なんて存在した痕跡はない。弥生時代に大陸との交流していた証拠になる遺跡もない。
ある程度遠方で規模も大きな痕跡もある場所なんて畿内しかない。
邪馬台国とは後のヤマトの事。

146:名無しさん@1周年
19/05/15 04:14:43.96 yg8vKW4Q0.net
女王国が狗奴国に滅ぼされたとすると
女王国はやはり宮崎から大分辺りだな
その後実権は、伊都国や投馬国に移り
近畿に遷都したと考えるのが自然
近畿の地名は九州人が付けたものだろう

147:名無しさん@1周年
19/05/15 04:33:05.38 jc2SseHa0.net
高い精神性が感じられる花弁状竪穴住居のメインの分布域がそのまま女王国。ヒミコとトヨの国

148:名無しさん@1周年
19/05/15 04:45:23.08 XDt8WWdX0.net
女王国とは瀬戸内海周辺諸国の事。
博多や福岡は朝廷や幕府側からの地名なのに
畿内の地名が九州からの地名移植なんて
100%あり得ないのだがw

149:名無しさん@1周年
19/05/15 05:03:10.42 ZpqfjTqx0.net
>>144
良い線だと思う
反対の熊本側か宮崎辺り、西都原古墳群は素晴らしい

150:名無しさん@1周年
19/05/15 05:06:35.70 LOQ/CyUH0.net
失礼な言い方するけど、みんな時代をスポットで見ていないか?
トレンドで見ろよ。
倭国大乱の頃は倭の中心は北九州だっただろ?証拠はナorイトの金印だ。
で、場所不明の邪馬台国時代(AD200-270)を経て、謎の4世紀を過ぎると、
倭の中心はヤマトになっていた。倭の五王は北九州政権ではなくヤマト王権であることは定説だ。
同時代文献では魏志倭人伝。考古学ではキビ、イズモが重要プレーヤーだがこのトレンドに
どう、はめ込むか?定説は無い。
記紀も文献だが、400年後の編纂。現代から見て秀吉の時代だ。文献批判が必要だが、
難渋を極める。
面白いこともある。北九州のレガリア、剣・鏡・勾玉はヤマト王権に引き継がれている。
キビ発祥の特殊器台もヤマト王権に引き継がれている。前方後円墳の形も1説ではキビ発祥だ。
イズモ発祥もある。古墳の葺き石技法がそうだ。文化技術は断絶していない。
だが、ヤマト王権の成立が謎だ。北九州勢力の東遷か?地元勢力の拡大か?これも不明。
ややこしいことに邪馬台国の存在、纏向遺跡の存在。どう説明するんだ?
これも、トレンドがあり、発生期、拡大期、終末期がそれぞれ微妙にずれている。
この多変数方程式を解けるのは考古学だけだろ?期待しているが、最新知見もまだ力不足だな。

151:名無しさん@1周年
19/05/15 05:13:59.69 vuRfPyy40.net
邪馬台国は国産み神話がある淡路島ですよ

152:名無しさん@1周年
19/05/15 05:29:26.02 gTQvvZY/0.net
淡路島なんて島をぐるりと一周歩いても一月かからないだろう
どうやって陸行一月するんだよ

153:名無しさん@1周年
19/05/15 05:30:19.69 yg8vKW4Q0.net
狗奴国は遷都せずに地元に残り熊襲になったのではなかろうか
それで景行天皇が征伐にきたと解釈できる
となると女王国は南熊本周辺だな

154:名無しさん@1周年
19/05/15 05:54:51.99 Z2Yn4F2t0.net
『魏書』よりもあとで書かれた『後漢書』では、奴国は倭国の一番南であり、狗奴国王は女王国の東と
『魏書』の内容を意図的に変えて書かれているのに、そういう都合の悪いものは一切無視なのかねぇ

155:名無しさん@1周年
19/05/15 06:33:52.72 8BKAKirS0.net
宮崎は対熊襲駐屯地として発展したが
熊襲を吸収した隼人の同化が進むうち
価値をなくし寂れていった
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925)   智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜)  日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂)

156:名無しさん@1周年
19/05/15 06:36:47.82 OzMtV80v0.net
>>97
>北九州は日没と重なって完璧な日食ではなかったみたい
>完璧な日食が見れた地域は福島と新潟だって
それ、あんまりあてにならないんだよ
太陽、月、地球の相対位置はかなり正確に計算できて、地球上のどこに月の影が落ちるかまでは
精度よく推定できるんだけれど、地球の表面がどこにあるのかはそこまで正確に計算できない
潮の満ち引きによる抵抗で地球の自転が遅くなり続けているのだけれど、その減速のペースが
そこまで正確には見積もれないんだそうだ
自転の分で1時間の誤差があったとしたら、地球の自転で15度分ずれることになる
新潟だの福島だの言ってもしょうがないくらいずれる
2019年現在から卑弥呼の死んだ248年まで遡ると約1561万2千時間遡らないといけないのだけれど、
そこで1時間の誤差というのは1億分の6程度になる
現代科学でも、そこまでの精度は出ないんだよ

157:名無しさん@1周年
19/05/15 06:49:54.68 OzMtV80v0.net
>>154
>『魏書』よりもあとで書かれた『後漢書』では、奴国は倭国の一番南であり、狗奴国王は女王国の東と
>『魏書』の内容を意図的に変えて書かれているのに、そういう都合の悪いものは一切無視なのかねぇ
後漢書は基本的に魏志の東夷伝準拠だよ
ただ引用の仕方がいい加減だってだけ
「奴国は倭国の一番南 」というのは魏志倭人伝の
余傍国の最後の「次有奴國。此女王境界所盡。」を倭奴国だと誤解しただけ
「狗奴国王は女王国の東」こっちは魏志倭人伝の
「女王國東、渡海千餘里、復有國、皆倭種。」と
「其南有狗奴國、男子爲王。其官有狗古智卑狗、不屬女王。」を適当にニコイチにしたもの
後漢書原文では
「自女王國東度海千餘里至拘奴國 雖皆倭種 而不屬女王」だよ

158:名無しさん@1周年
19/05/15 07:09:04.09 mIbrrj3o0.net
なんか、かわいそうな人

159:名無しさん@1周年
19/05/15 07:12:02.98 MZqIMJxf0.net
倭国大乱って畿内邪馬台国vs九州なんかな

160:名無しさん@1周年
19/05/15 07:13:27.55 3P/UfFac0.net
末盧国やら伊都国なら奴国が九州北部なのに
突然、邪馬台国が奈良盆地てwww
矛盾してるだろ

161:名無しさん@1周年
19/05/15 07:16:08.58 8HQp7qdZ0.net
出雲だと思う人はいない?

162:名無しさん@1周年
19/05/15 07:17:09.79 +fsamU4c0.net
ねえよ 邪馬台国は大和 畿内だろ

163:名無しさん@1周年
19/05/15 07:18:30.61 P+SkFUdb0.net
伊勢を大和と勘違いしただけだろ
倭姫っていう名前のせいで

164:名無しさん@1周年
19/05/15 07:20:50.40 v2Ov1vji0.net
>>150
失礼を承知で書くけど、日本の発展が1箇所ずつだと考えるのが宜しくない。
魏志倭人伝には邪馬台国とその同盟の国、邪馬台国と争っている狗奴国の2つの勢力の三十数国しか書かれていないけど
過去には百国以上が朝貢していたとあるわけだど、これは国の数が減ったという訳ではなく、魏が帯方郡を抑えるまで
遼東を公孫度が抑えていたため、中国へのアクセスルートが遮られてしまったからと考えた方がいい。
魏への邪馬台国の最初の朝貢も、帯方郡を魏が押さえてすぐのタイミング。
すぐに朝貢した勢力もあれば、様子見した勢力もあるだろう。
要するに、日本中、九州も出雲も、吉備、大和、更に東の勢力も、普通にいたけど、魏の記録に残ってないだけだと思う。

165:名無しさん@1周年
19/05/15 07:23:05.67 kDCJWcy40.net
そもそも白髪三千丈の中国人が書いたものを、一字一句正しいと仮定して、
ああだこうだと議論すること自体がおかしい。普通に考えれば、陳寿は九州の博多当たりまで
上陸して、さっさと帰って、後は大法螺吹いて、いかにも自分は遠路はるばる倭の都まで
行きましたと報告してると考えるべきだろう。彼が見たものは博多周辺の村々の情景だと考えるべきだ

166:名無しさん@1周年
19/05/15 07:25:14.85 +fsamU4c0.net
中国の記述は日本のより信用できると思う

167:名無しさん@1周年
19/05/15 07:26:49.00 eb8elSZz0.net
邪馬台国なんていう村なんかどこにあってもいいだろ。
真面目に議論している学者は暇つぶしでやってるんだろ。

168:名無しさん@1周年
19/05/15 07:30:47.55 Hm5VIa4k0.net
>>121
いや、鏡は魏から貰ったのが大事なのに作ってどうすんねん

169:名無しさん@1周年
19/05/15 07:30:51.99 ++aMQZoc0.net
九州ではどんな遺跡が見つかっているんだい?

170:名無しさん@1周年
19/05/15 07:31:19.46 MZqIMJxf0.net
魏志倭人伝が九州のみを指した伝承なら、邪馬台国は九州にあり、近畿の国に滅ぼされたんだろう

171:名無しさん@1周年
19/05/15 07:33:19.38 Hm5VIa4k0.net
>>165
実際に来たのは使者で、陳寿は来てないよ。

172:名無しさん@1周年
19/05/15 07:33:56.76 m7WLWRGH0.net
邪馬台国は景行天皇とヤマトタケルによって滅ぼされたのです
いや知らんけど

173:名無しさん@1周年
19/05/15 07:35:53.01 McJlHL2N0.net
俺が九州から近畿の瀬戸内海中心の海洋国家だっていつも言ってるだろ
なんで一つの小さい地域に拘るんだ?
その中で遷都的な事は何回かあっただろうってこと
理由はなんとなくそんな気がするから

174:名無しさん@1周年
19/05/15 07:36:39.99 Hm5VIa4k0.net
というわけで
使者「ほほう、で、この国はどのくらいの人口なのか」
倭人「(本当のことを言うと馬鹿にされるのでちょっと盛っといたろ……)
   七万戸でございます」
だと思うけどねえ。

175:名無しさん@1周年
19/05/15 07:36:58.38 McJlHL2N0.net
邪馬台国=大和国だろ

176:名無しさん@1周年
19/05/15 07:37:12.85 P+SkFUdb0.net
>>168
偽ブランドだよ

177:名無しさん@1周年
19/05/15 07:38:28.40 P+SkFUdb0.net
昔は日本が今の中国みたいなことをやってたんだよ

178:名無しさん@1周年
19/05/15 07:38:55.06 ruqxiWth0.net
>>174
魏が盛ったのかも

179:百鬼夜行
19/05/15 07:40:19.76 1w6IOdJC0.net
まな板で、武田鉄矢が紹介してた本が目から鱗だった。

180:名無しさん@1周年
19/05/15 07:41:50.42 Hm5VIa4k0.net
>>178
陳寿「七万戸もあるとは思えないが、まあそんな国があるとしておいた
   ほうが都合がいいか……」

181:名無しさん@1周年
19/05/15 07:44:18.35 N5psebKT0.net
●3世紀の朝鮮半島は倭国の領地だった。稲作も九州から韓国へ伝来
朝鮮半島は倭国の植民地だった。
 中国の史書『隋書』は、倭国が国家の統合度と人口規模でずば抜けた大国であったと記している。
新羅も百済も倭国を大国とみている。優れた品々が多いためで、新羅も百済も倭国を敬仰し、常に使節が往来している。
…中国の正史『隋書』より。
倭人が新羅の王となった事を堂々と書く「新羅本紀」には、現代の韓国人が「朝鮮が先進文明を日本にもたらした」と主張するような根拠もない尊大な姿勢はまるで感じられない。
先に、「弁辰」(後の新羅の地を含む)で、倭人が鉄を採掘している、という『韓伝』に記されている。
考古学の世界では、半島では3世紀になっても刀剣は鋳鉄だったが、日本列島では進んだ鍛造品が作られていたことが、明らかになっている。
鋳鉄は、溶解させた鉄を型に流し込んで作るが、伸びが無く、堅くて脆い。鍛造は鉄を叩いて成形する際に、
金属内部の空隙をつぶし強度を高める。後の日本刀の工法である。
また日本独特の墓制である前方後円墳は3世紀頃から日本で作り始められているが、半島西南端の栄山江地域には、5〜6世紀に築造された10数基の倭人豪族の前方後円墳が見つかっている。
この頃の半島南端部には、100メートル近い墓を作る倭人の強力な勢力があった。
こうした考古学上の発見と合わせて考えると、半島南端部は倭人が勢力を張り、また新羅地域にも倭人が住んで、鉄の採掘などをしていた。
進んだ技術で「敬仰」されていた倭人の一人が新羅王位を継承したことを、新羅や高麗の人々は自然に受け止めていたのであろう。
稲作文化も中国南方から日本にやってきてから、寒い朝鮮半島にも広がっている。
戦国時代の中国から海から朝鮮半島から難民が日本に押し寄せているがこれが弥生人のひとつだろう。
稲作のできない朝鮮半島ではなく日本を目指していたことが分かる。
URLリンク(archive.mag2.com) 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:7bff9ed63942b4cd01610d20b2c06e65)



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