【宮崎】邪馬台国はどこにあったのか、考古学者・北郷泰道さん講演 「北部九州の範疇の中に邪馬台国の所在地は絞り込まれる」★3 at NEWSPLUS
[2ch|▼Menu]
413:名無しさん@1周年
19/05/14 12:04:19.68 Q2cm9PMa0.net
>>366
とくに弥生後期の土器には記号などを線刻するものが多く、たまたま一文字の漢字に似た線刻や墨書きがなされた可能性もあり、
漢字だと断定できるだけの根拠と類例に乏しいんだよ
これに関し、
>>371も触れているように、「硯である」と一人の学者によって鑑定されたものがこれだけ出てるのに、北部九州はそれに応じた木
簡、竹簡、土器など漢語文が書かれた遺物が出てこないのも疑問だ
稲荷山や江田船山や和田山23号墳など漢語文を持つ遺物は古墳時代においても確かに単発的に出土するが、それらは漢語の
知識がある渡来人が成した可能性が高く、結局、漢語が下級官僚レベルにまで普及するのは現状においても飛鳥・奈良時代を待
たないといけないのは変わらないね
また、魏黄色二年鏡銘(同向式神獣鏡)などの例を見る限り、>>360の言う三角縁神獣鏡が魏の官工房で作られてはいない可能性
はかなり高いだろうが、3世紀に派遣されて来ていた工人たちの漢語の知識が乏しかっただけなんだろうと思うので、漢語の知識は、
弥生時代古墳時代を通じても畿内も北部九州もどっこいどっこいなのが現状なのだと思う


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

1872日前に更新/253 KB
担当:undef