【宗教】「天皇制が性 ..
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303:名無しさん@1周年
19/03/14 00:44:03.58 Pay4+uts0.net
移民入れ出すと、こういうのもっと大きくなるぞ あべチョンぞー

304:名無しさん@1周年
19/03/14 00:44:36.64 /Xmwr3b30.net
>>228
■政府等への声明・要請・抗議文(過去2年分)
2019年2月21日 大嘗祭への国の関与は政教分離の原則に反します
2019年1月7日 死刑の執行に強く抗議いたします
2018年8月20日 東京医科大学の女子受験者を含む入試得点操作に強く抗議します
2018年8月7日 「LGBTカップルは生産性がない」という主張に強く抗議します
2018年7月30日 死刑執行に断固抗議致します
2018年7月19日 死刑執行に断固抗議すると共に、直ちに死刑の執行を停止するよう要請します
2018年6月1日 エルサレムの正義と平和の実現を祈ります
2017年12月19日 死刑執行に憤りをもって強く抗議します
2017年7月19日 死刑執行に憤りをもって強く抗議します
2017年5月17日 「組織的犯罪処罰法」改正法案の廃止を求めます
2017年1月18日 オスプレイ飛行再開に強く抗議し、沖縄の米軍基地から発生するあらゆる危険を撤去すること強く求めます。
まあ、サヨク的ではあっても中核はではないなw 
欧米的リベラル(英労働党や米民主党)あたりの影響は強いんじゃね。

305:名無しさん@1周年
19/03/14 00:44:45.47 CW5NWi6t0.net
>>268
当たり前だな。
なんで安倍首相に祈るんだw
政教分離というのは宗教的西洋的な念仏で
こんな事を現実にやれる人間は居ない。

306:名無しさん@1周年
19/03/14 00:44:53.76 XOMcPNRr0.net
共産党と下部組織だから驚くことではない

307:名無しさん@1周年
19/03/14 00:44:55.91 V9PxvxLN0.net
バプテストってブッシュ家が完全にはまってた宗教だよな。ksやべえわ

308:名無しさん@1周年
19/03/14 00:46:15.35 H22U+EG00.net
>>189
バプテストと名の付く教会は
真っ赤なネオンの十字架とかそんなだよね

309:名無しさん@1周年
19/03/14 00:47:07.62 yheghnS70.net
>>190
大昔、ローマ法王から破門されたイギリス国王を頂点とするキリスト教(英国教会)だから
バチカンからの指名に関係なく司祭等がいるよ

310:名無しさん@1周年
19/03/14 00:47:20.41 tXgDfsUS0.net
国際問題化が面白いな、イギリスがどうするか見てみたい案件

311:名無しさん@1周年
19/03/14 00:49:21.69 b0XXvKil0.net
もうこんな議論いい加減にしろ
この記事は正論だ
問題は誰にでもわかる正論を前に天皇が何もできないことだ
根性なしのクズやろうを象徴として崇めてるこの国がなさけない

312:>>228
19/03/14 00:49:22.98 QpcjHSy40.net
>>289
家に帰ったからID変わってるけど>>228ね。
折角聖公会の公式覗いたんだからその足で革マル派中核派辺りの公式に行ってみw
エルサレムと東京医大のは無いだろうけど他のはきっと有るw

313:名無しさん@1周年
19/03/14 00:51:33.77 0f7T4pyS0.net
宗教に教えられなきゃ自分の人生も決めれないバカども。何年前の本を読んでんの??

314:名無しさん@1周年
19/03/14 00:52:26.62 TIVBsw1N0.net
ウリスト教ですか?

315:名無しさん@1周年
19/03/14 00:54:18.74 sOKIUqP20.net
>いと犯し
くだんねーギャグ混ぜてんじゃないよ
通い婚は女と女家族に拒否権有り
>辻斬り
現パヨクでも言わなくなった、ずいぶん古い階級闘争史観をお持ちのようだ
もうね、トカナ並み

316:名無しさん@1周年
19/03/14 00:54:48.61 /Xmwr3b30.net
>>290
「森羅万象すべて担当している」んだぜ?
これはもう神かもしれんよ。「天皇の人間宣言」ならぬ「首相の神宣言」
ネトウヨさんにとっては祈るべき信仰の対象

317:名無しさん@1周年
19/03/14 00:57:26.69 SntuZax40.net
>>1
朝鮮教徒は半島へお帰りください

318:名無しさん@1周年
19/03/14 00:58:17.95 9aJwNHCH0.net
神こそが万物の創造主なんだから差別も神がつくられたのだ
教会の連中は何いってんの

319:名無しさん@1周年
19/03/14 00:58:40.76 rKKmXJe00.net
>>630 >>631 >>632 >>633 >>634 >>635 >>636
https ://ja.wikipedia.org/wiki/嘉禄の法難
嘉禄の法難(かろくのほうなん)は、法然死後に、天台宗の延暦寺衆徒が浄土宗と専修念仏を弾圧した事件。
https ://ja.wikipedia.org/wiki/法華一揆
僧兵と宗徒、近江の大名・六角定頼の援軍が加わって、延暦寺は総計約6万人を動員して京都市中に押し寄せ、日蓮宗二十一本山をことごとく焼き払い、法華衆の3000人とも1万人ともいわれる[要出典]人々を殺害した(天文法難)。
さらに延暦寺の勢力が放った火は大火を招き、京都は下京の全域、および上京の3分の1ほどを焼失。兵火による被害規模は応仁の乱を
上回るものであった[1]。
こうして隆盛を誇った京都の法華衆は壊滅し、法華衆徒は洛外に追放された。以後6年間、京都においては日蓮宗は禁教となった。
https ://ja.wikipedia.org/wiki/山科本願寺の戦い
山科本願寺の戦い(やましなほんがんじのたたかい)は、天文元年(1532年)8月23日 - 24日にかけて行われた細川晴元・六角定頼・京都の法華一揆の連合軍と浄土真宗本願寺勢力(一向一揆)との戦い。山科本願寺合戦(やましなほんがんじかっせん)ともいう。
このように四方を取り込むようにして完全に包囲した。この時の攻城軍は3万とも4万とも言われている。戦いは8月24日早朝より開始された。
午前10時ぐらいに諸口より攻城軍が乱入し、寺町周辺を放火して回り大勢が決した。山科本願寺は社坊ひとつ残さず灰になって落城した。
https ://ja.wikipedia.org/wiki/享禄・天文の乱
享禄・天文の乱(きょうろく・てんぶんのらん)は、戦国時代初期の浄土真宗本願寺宗門における教団改革を巡る内紛と、これに触発さ
れて発生した対外戦争の総称。
享禄4年(1531年)の享禄の錯乱(きょうろくのさくらん)または大小一揆(だいしょういっき)と呼ばれる内紛
天文元年(1532年)から同4年(1535年)の細川氏・畠山氏などとの戦いである天文の錯乱(てんぶんのさくらん)または天文の乱(てんぶんのらん)の上記2つからなる。

320:名無しさん@1周年
19/03/14 00:58:42.34 RectgpAv0.net
女性差別の元凶はカトリックだろう?
【バチカン】男性聖職者のためにほぼ無償で奉仕、修道女がバチカン誌で非難
修道女の中には、夜明けとともに起床して朝食を準備し、夕食を出して、住居を掃除し、
洗濯してアイロンがけをしてからやっと眠れるという人々もいる<略>
彼女たちは「微々たる額か、または無償」で働いている<略>
30年間働いてきた修道女たちを知っているが、病気になったときに、自分がそれまで仕えた司祭で見舞いに来てくれた司祭は1人もいなかった
スレリンク(newsplus板)

321:名無しさん@1周年
19/03/14 00:59:01.03 rKKmXJe00.net
>>640 >>641 >>642 >>643 >>644 >>645 >>646
アメリカからすれば日本は社会主義的かつ東洋儒教的で公の議論ではなく裏の談合で重要な合意形成が行われ透明性がない反民主的原理主義国家に見える
戦前の穏健派日本人からすると、女性を入れた民主主義や女性の人権を訴えるものは急進的で正義を叫ぶ原理主義者となる
1867年に提案された男子普通選挙でさえ、当初は提唱者をとんでもない正義を叫ぶ原理主義者と捉えただろう
しかし徴兵制と相次ぐ戦争で国防義務をおった国民の不満はマグマのようにたまり続け、1928年にやっと25歳以上の男に限定した不完全な普通選挙が行われたが、遅々として進まなかった。
(アメリカでは1920年に女性参政権)GHQが女性参政権を新憲法にいれようとすると猛烈な反対が日本側から出たらしい
当時の女性参政権反対派からすれば、GHQは女に投票させるなんて「とんでもない正義を振りかざす原理主義者」だったことになるだろう
男子普通選挙は不完全であり、戦前は普通選挙に達することはなかった。また戦前の状況を考える汚職と縁故にまみれており民主主義がまともに機能したかは極めて怪しいレベルだ
GHQによる原理主義的強制によって戦後普通選挙が行われたが、敗戦しなかったら21世紀前に普通選挙が行われたかどうかさえ怪しい
日本ではそれだけ改革が難しく、前例主義・守旧主義の原理主義者が蔓延っているということだ
イスラム圏やオスマン・トルコは一世を風靡したが、油断して技術レベルで圧倒的な差をつけられ敗北の連続
日本人の特に中高年や老人レベルには、戦後の廃墟から立ち上がった日本人の謙虚さが全く失われ、以後は衰退している
衰退国の典型的なパターンは、衰退が当たり前となり問題を直視だけのことでさえ莫大な時間をかけ、手遅れになるまで何も改革に手をつけないことだ

322:名無しさん@1周年
19/03/14 00:59:12.50 rKKmXJe00.net
>>650 >>651 >>652 >>653 >>654 >>655 >>656
信じがたいが、これが明治天皇の玄孫だ
竹田恒泰「隣の女子高生にドキドキしちゃいました。。。」 [455679766]
スレリンク(poverty板)
io302@io302
竹田恒泰
『危ない事したらバカ、パンと(叩く)やってが教育方針の家は犯罪者になってしまう』
『児童相談所の予算とか人員の問題じゃない。恫喝されて恐怖心でこども返すのがおかしい』
叩いてもこどもは成長しない。虐待対応の現場、同行してみたら?竹田さん
io302@io302
竹田恒泰
『祖父が汚い字で書いたら殴られた。それからは汚い字で書いていない。暴力ではない』
まんまマウンティング。いつまで日本はこれを『しつけ』と称し、讃えるのだろうか?
io302@io302
竹田恒泰
『恐怖体験じゃなきゃダメなんですよ』
岡田紗佳
『恐怖体験って、ただのトラウマですよ。しつけでも何でもないですよ』
竹田恒泰
『他人の家の価値観をとやかく言うな!』
最後は大声で恫喝。まさに『恐怖体験』が世代間連鎖している。大声で叱るのは説得に逆効果
samskrtadharma@samskrtadharma
返信先: @io302さん
最初は竹田恒泰の話だった…(笑)。
みんな多分、名家のヒステリックさと、一般家庭の躾とその違いを知らないんだと


323:思います…。 ウチの近所に三田九鬼家に仕えた家柄の末裔がいますが、そこのお母さんがとんでもないヒステリックだったそうです…。 躾と虐待の線引きが曖昧な社会ですね、名家は…。



324:名無しさん@1周年
19/03/14 00:59:24.83 rKKmXJe00.net
>>660 >>661 >>662 >>663 >>664 >>665 >>666
人類の歴史において劣った技術力・科学力・経済力・軍事力を持つ文明が滅びるのは常だ
日本もこのまま座して改革をしなければ劣った文明として衰退し滅びるだろう
反自由主義、反キリスト教であるマルクス唯物論者、ポストモダン(ニューアカ)の主張通りに国家が守旧と儒教利権にまみれるなら
いずれ日本人も清国民のような目にあう日は遠くはないだろう
URLリンク(ja.wikipedia.org)奴婢
ヤマト王権では、もともと奴隷階級であったものを「ヤツコ(夜都古)」と呼び[1]、奴婢はそ
の子孫であるか、前述の捕虜や帰化人、あるいは罪人で奴婢に落とされた者であった。律令法
においては、良民を奪って奴婢とすることは賊盗律で禁じられていたが、逆に言えば誘拐して
奴婢とする習慣があったということである。経済的理由で奴婢となる者もおり、債務返済では
役身折酬と呼ばれる返済方法が認められていたので、多額の負債を背負わされて奴婢に落とさ
れて使役される者もいた。
奴婢はもともと売買の対象であったが、律令が整備される過程で田畑と同じような扱いを受け
るようになり、弘仁式によると持統天皇4年(690年)に、いったん奴婢の売買が禁止されたが[2]、
翌691年2月にはあらためて詔を発して官司への届出を条件に売買が許可されることになった[3]。
律令制崩壊後
律令制での身分制度としての奴婢は消滅したが、その後も日本では下男下女など隷属的な
年季奉公人が、奴婢と称された。また経済的な奴隷は中世を通じて存在して広く売買され、これら
は用途によって様々な呼称があるが、総称としては同様に奴婢と呼ばれた。平安時代以降の歴代政権
も奴隷や賤民の存在を否定することはなく、法的に公認していた。人身売買はたびたび禁止されたが、
それはあくまで自由民の売買を禁じたものだった。戦争による捕虜や拉致された非戦闘員など、多数
の奴隷が発生した戦国時代には、スペインやポルトガルを通じて海外への輸出も行われた。このよう
な身分制度は明治4年(1871年)の解放令まで続いた。

325:名無しさん@1周年
19/03/14 00:59:37.12 rKKmXJe00.net
>>670 >>671 >>672 >>673 >>674 >>675 >>676
儒教統治のなりのはて
かなぶん@kanabunka
9月12日
朱子学
婦女
三従の徳
女三界に家無し みたいな?
ツグミ@tugumidesu
9月1日
女三界に家無しって言われた時代が、つい最近まで、
実際に日本にはあって、ちゃんとことわざとして残ってるんだから、
…大したもんだと思う。
ことわざとして残るほどのしみついたものが
何もしないで消えてなくなるわけがない。
意識していかないと、なくなりゃしないって思うんだけど…(^-^;

326:名無しさん@1周年
19/03/14 00:59:47.80 rKKmXJe00.net
>>680 >>681 >>682 >>683 >>684 >>685 >>686
>戦前の皇族の資産は、日本一の金持ちだった徳川家の資産を強制的に返上納地させ皇室が(徳川家の視点からすると)奪ったものが大半とされる
>違法資産を接収するなら国庫に入れるべきだが、皇室の資産に移転されたようだ
>皇族資産は財閥資産と同じく課税対象にされ大半が徴収された
戦後に皇族が不当に財産を徴収されたとの説が散見されるが、他の王室でも住居は公務員住宅のように国の所有というのが普通で、王政時代の莫大な財産の大半は
国の所有になっているため大筋で問題はない
徴収の目的は焼け野原からの再生や戦後処理であり、皇族資産だけでなく地主や財閥一族の資産の大半は何らかの形で徴収されていった
過去の栄華を取り返したいと不満を持つ旧皇族による資産返還運動がおきれば農地改革で失われた財産を返せという旧地主や旧財閥一族が現れ日本の国家財政は大混乱に陥るだろう
URLリンク(typeanything.com)
By contrast, one of Europe's poorest monarchs is Norwegian King Harald V, whose personal wealth is estimated at only around 10.5 million euros.
But for Norway's king, his wife Mette Marita and Prince Hakone needs and representation expenses each year from taxpayers' money is being allocated about 16 million euros.
王室の中でもモナコ公国の大公は個人資産が莫大なため例外的な存在
オランダ王室はシェルの株式を保有するため、200億円程度
エリザベス女王はオーストラリア、カナダ、ニュージーランド、その他を含む国王であるため破格に見えるが宮殿は国有であるため、王室の資産は400億円程度とされる(王室のための税金負担は40億円程度)
欧州で最も貧乏とされるハラルド5世個人の総資産は12億円程度らしいが、妻と娘のために税金が20億円程度支出されてるらしい
よって現皇族の資産額は現代的な君主としては許容すべき範囲内と言える。現代的な立憲君主国家として成り立つためには至極当然な税徴収と考えるべきだ

327:名無しさん@1周年
19/03/14 00:59:58.82 rKKmXJe00.net
>>690 >>691 >>692 >>693 >>694 >>695 >>696
URLリンク(kotobank.jp)身分統制令
身分制度は、階級社会の社会的秩序を維持・強化するためにつくられたものである。
わが国近世の封建的身分制度が創出されたのは豊臣(とよとみ)政権期のことである。
羽柴(はしば)(豊臣)秀吉は、1582年(天正10)太閤(たいこう)検地に着手、名主百姓(みょうしゅびゃくしょう)
など土豪に対して、農業から離脱するか、農業に専念するか、二つに一つを選択させ、下人(げにん)・名子(なご)
など隷属農民を土豪の支配から自立させ、農民を直接に把握し、土地に束縛する政策を打ち出した。また秀吉は、
1588年刀狩令(かたながりれい)を発し、農民から武器を没収した。検地と刀狩は武士と農民との区分を明確にし、
農民を被支配身分として固定させる政策であった。秀吉はさらに、1591年京都に地子(じし)(田畑・屋敷に対する賦課)
を免許する法令を出し、公家(くげ)・寺社など中世的な領主の地子徴収権を否定して、幾重にもなっていた土地所有関係
を改め、都市における封建的土地所有権の確立を目ざした。そして同年、身分統制令を発布して、
侍(さむらい)・中間(ちゅうげん)・小者(こもの)が農民・町人になったり、農民が商人・職人になるといった、
身分の転換を禁止した。このようにして武士と農民・町人の身分の固定化が図られたのである。さらに98年(慶長3)には、
大名は転封の際、家臣をすべて新領に従えていかなければならないとし、検地帳に記載されている農民を連れていっては
ならないとする布令が秀吉の名で出された。

328:名無しさん@1周年
19/03/14 01:00:12.16 rKKmXJe00.net
>>311
原文(「小早川家文書」所収)
一 奉公人侍中間小者あらし子に至迄 去七月奥州へ御出勢より以来 新儀に町人百姓に成者於在之者 其町中地下人として相改一切置へからす 
もし隠置付而は 其一町一在所可被加御成敗事
一 在々百姓等 田畠を打捨 或はあきなひ或は賃仕事に罷出輩有之は 其者之事は不及申 地下中可為御成敗  并奉公をも不仕田畠も作らさるは
代官給人として堅相改置へからす  若出無其沙汰は 給人過怠にし其在所可被召上 為町人百姓於隠置は 其一郷同一町可為曲事
一 侍小者ニよらす 其主に不乞暇罷出輩一切抱へからす 能々相改請人をたて可置事 但右者主人在之て出相届は 互事ニ以之条搦捕 前之主之所ヘ可相渡
若此御法度を相背 其者逃し候ニ付而は 其一人之代ニ三人首をきらせ 彼相手之所へ可下渡 三人之人代於不申付は 不及是非之条 其主人を可被加御成敗事
 右 條々斯定置所 如件
 天正十九年八月廿一日 (秀吉朱印)

329:名無しさん@1周年
19/03/14 01:00:29.79 rKKmXJe00.net
>>700 >>701 >>702 >>703 >>704 >>705 >>706
URLリンク(ja.wikipedia.org)譜代下人
譜代下人(ふだいげにん)は、譜代奉公人(ふだいほうこうにん)とも呼ばれ、近世農村部において主家に人身的な隷属にあり、
譜代として永代・世襲的に労役を提供する形によって奉公した下人・奉公人を指す。
地方によっては家抱(けほう)・門屋(もんや)・庭子(にわこ)・内百姓(うちびゃくしょう)などの呼称があった。また、
従属の度合いも異なり、『地方凡例録』には夫婦を構成して生活している者や主家から土地を預けられて事実上の小作人であった者から、
主家の屋敷内に住まわされてその命令下で田畑を耕す者など様々な形態があった事が知られている。
その由来については中世以来の伝統的な下人の後継や戦国時代から江戸時代初期にかけての混乱期に人身売買によって獲得された
零細民であったと考えられている。戦国時代には乱妨取の習慣による人身売買が行われていたが、江戸幕府はこれを禁じた。だが、
当時の農村社会の経営は不安定であり、農業経営の出来なくなった小農民と労働力不足に悩まされる本百姓層の利害の一致によりこ
うした人身売買による隷属化が農村部において横行した。
やがて人身売買に対する規制が強化されると、一種の脱法行為として人身質入による質券奉公人(しちけんほうこうにん)が出現する。
これは質券に書かれた本金(借入額)を奉公人の価格・利息の支払を債務期間中の労働に相当させ、借方である奉公人が本金を返済
しない限りは身柄は終身にわたって貸方である主家に拘束されるという仕組であり、質に名を借りた事実上の人身売買による譜代下人であった。
江戸時代中期以後の農業経営の安定化に伴い、先進農業地域では譜代下人や質権奉公人は、年季奉公人(ねんきほうこうにん)に
転化する事例も見られたが、途上地域では幕末までこうした譜代下人が存在した。また、幕府や諸藩は表向きはこうした人身売買
を禁じていたが、農業経営の安定による年貢徴収の安定化を優先させる配慮から、こうした譜代下人の存在を黙認していた。
明治に入ると、旧来の慣習である譜代下人(家抱)は、身分の解禁および呼称の禁止が1872年の法令で発せられ、終焉を迎えた。

330:名無しさん@1周年
19/03/14 01:00:42.19 rKKmXJe00.net
>>710 >>711 >>712 >>713 >>714 >>715 >>716
URLリンク(ja.wikipedia.org)律令制
身分制度
日本の律令制における身分は、良民と賎民に大別される。良民は、高級官僚である貴族を初め、
下級官人、一般の百姓(公民と呼ばれることもあった)、雑色人(品部・雑戸という工芸技術を
持つ半自由民)があった。賎民は五色の賎と言われ、陵戸(天皇・皇族の陵墓を代々守る家系)、
官戸(諸官庁に属し公用に従事)、公奴婢(官有の奴隷)、家人(貴族や有力者に属し雑用に従事)、
私奴婢(私有の奴隷)があった。
賎民のうち、公奴婢と私奴婢は売買の対象とされるなど、奴隷として位置づけられていた。この
ように、律令制下では奴隷制が存在していた。

331:名無しさん@1周年
19/03/14 01:00:45.19 RectgpAv0.net
カトリックに比べると日本の性差別なんて大したことないですよ。
ローマ法王、司祭が修道女を性奴隷にしていたと認める
スレリンク(dqnplus板)
【アイルランド】「貞節失った女性たち」修道院で虐待70年 首相が公式に謝罪[13/03/09]
スレリンク(news5plus板)
【国際】マザー・テレサの修道会、赤ちゃん売買で修道女ら逮捕に「遺憾」 インド
://rosie.2ch.sc/test/read.cgi/editorialplus/1530939534/

332:名無しさん@1周年
19/03/14 01:00:52.76 rKKmXJe00.net
>>720 >>721 >>722 >>723 >>724 >>725 >>726
「知床日誌」文久3年(1863)出版
URLリンク(www.lib.nara-wu.ac.jp)
見る影もなく破れて只肩に懸る斗のアツシを着如何にも菜色をなしける
病人等杖に助りセカチ男子 カナチ女子等大勢其汐干にあさりけるか我等を見て皆
寄来りし故其訳を聞に舎利アハシリ両所にては女は最早十六七にもなり夫
を持へき時に至れはクナシリ島へ遣られ諸国より入来る漁者船方の
為に身を自由に取扱ハれ男子は娶る比に成は遣られて昼夜の差別
なく責遣ハれ其年盛を百里外の離島にて過す事故終に生涯無妻にて
暮す者多く男女共に種々の病にて身を生れ附ぬ病者となりては働稼の
なる間は五年十年の間も故郷に帰る事成難く又夫婦にて彼地へ
遣らるゝ時ハ其夫は遠き漁場へ遣し妻は会所また番屋等へ置て
番人稼人皆和人也の慰ミ者としられ何時迄も隔置れそれをいなめは
辛き目に逢ふか故只泣々日を送る事也如此無道の遣ひ方に逢ふか
故に人別も寛政中ハ弐千餘文政五壬午改三百十六軒千三百弐十六人安政五戊午改百七十三軒七百十三人 有しか
今は漸々半に成しそうたてけり此儘にては今廿年も過れは土人の種も
如何と案しける由等話其故爰には丈夫の者なき故猟漁等出来難く
其日其日の烟も立難きか故毎日此汐の干を待ては小貝を拾ひ汐満来れハ
野山ニ入て草の根等堀て辛き命を繋く事とそ聞に其憐さまし
けれは我等か貯への糧米を聊かつゝ分ち與へ来るやタンネウシ沙地
此所長き沙地なれは号く過てバナ人家十五軒の岬を廻りて川に入るに巾三十余間し
はしにて舎利運上屋へそ着し一同鎮守杜に至りエナヲ削りて山海の神
を祭り途中の安を賀し車座に一樽を開き詰合宮崎氏へ濱にて

333:名無しさん@1周年
19/03/14 01:01:02.59 rKKmXJe00.net
>>730 >>731 >>732 >>733 >>734 >>735 >>736
スレリンク(whis板)
346世界@名無史さん2018/05/11(金) 09:52:09.760
「知床日誌」 松浦武四郎
幕末の探検家・松浦武四郎の手記によると、アイヌ女性は年頃になるとクナシリに遣られ、そこで和人達の慰み物になり、
人妻は会所で番人達の妾にされたと書かれている。夫は漁場で酷使され、妻は番屋で慰み女とされ、子供が出来た場合、和人達はそれを突き殺し、押し殺す。
日本へ反発できなくなった大きな理由に人口減少がありますが、
その大きな原因は、女達が日本人の慰み者にされたこと、性病を含む伝染病を移されたこと、生活基盤を失わされたこと、などがあげられます。
松浦武四郎によると、夫婦は仲を引き裂かれ、男だけクナシリ送りとなり、そこで昼夜の別なく奴隷労働に使役され、
斜里、網走では、女は年頃(16・7)になるとクナシリ(この当時、現地のアイヌは酷使によって全滅していた)に連行されて、
諸国からきている和人に体を弄ばれる。男も年頃になると連行され、働ける間は遠い土地で酷使され、故郷に帰ることが許されるころには既に老人となっており子供を残すことができなくなった。
和人によって妊娠させられた妻は、唐辛子汁を飲ませる等で堕胎させられることにより、
子供を残せない体にされた。さらに和人に性病を移されることなども手伝い、クナシリ・メナシ地方のアイヌ人口は激減した。
松浦によると無理やり妾にされた挙げ句に性病をうつされ、顔が崩れて悪臭を放っているアイヌが山にたくさん居たとある。

334:名無しさん@1周年
19/03/14 01:01:14.40 rKKmXJe00.net
>>740 >>741 >>742 >>743 >>744 >>745 >>746
URLリンク(ja.wikipedia.org)尊王論
山鹿素行は、儒学のモデルであり、当時の憧れの対象であった中国明が滅び、
清に支配されて、もはや規範ではなくなったため、日本こそが儒学の正統だとして、
「日本こそ中国である」と論じた。また、儒教思想の日本への定着はすなわち、
中華思想(華夷思想)の日本への定着を意味し、近代の皇国史観などに影響を与え、
日本版中華思想ともいうべきものの下地となった。儒教では、湯武放伐を認めるかど
うかが難題とされてきたが、徳川幕府は朱子学について孟子的理解に立ち、湯武放伐、
易姓革命論を認めており、そうすると天皇を将軍が放伐してよいことになる

335:名無しさん@1周年
19/03/14 01:01:27.46 rKKmXJe00.net
>>750 >>751 >>752 >>753 >>754 >>755 >>756
つじどり【辻捕り・辻取り】
路上で好きな婦人を捕らえ、妻にしたこと。中世、略奪婚の一種として実際に行われたらしい。
「 −とは、男もつれず、輿車にも乗らぬ女房の、みめよき、わが目にかかるを取る事/御伽草子・物臭太郎」
ゆのんす@y_hm0
2015年8月25日
てか平安貴族性欲やばすぎでしょ
流星塾長はドイツ語を心から愛している@zyukutyo
2015年11月18日
それにしても解説者として出てきた瀬戸内寂聴さんが「平安貴族の恋はレイプから始まります。」って紹介するシーンがあって、
高校からの平安貴族に対する印象がますます変わったよね。平安貴族は「覗き魔、レイプ魔、ポエム魔」(ポエム魔ってなんだよ...)
滝川アリス 🏔@Blois_internet
2018年9月26日
レイプから始まる恋なら良い(平安貴族)
え 💕る@l0624l
2018年10月1日
とりかえばや の漫画を読んでいるけど、ホント平安貴族って最悪だなぁ笑
無理矢理押し入って嫌がる女抱くって、現代ならレイプだよねー
倫理観も今と違うやろから、仕方ないか笑

336:名無しさん@1周年
19/03/14 01:01:41.47 rKKmXJe00.net
>>760 >>761 >>762 >>763 >>764 >>765 >>766
うらじ@uraji
2018年4月5日
殴り合う貴族たちって本に平安貴族はんなりしたイメージに反して非常に暴力的で取っ組み合いの喧嘩も多く
刑事罰もないから従者と一緒に集団暴行や拉致強姦などやりたい放題だったと書いてあってビックリした記憶
があるんですけど、こんな風に袖まくりして暴れまわってたんですね。
キール@kir_imperial
2017年7月17日
殴打、拉致、監禁、虐待、殺人、強姦、集団リンチと、なんでもござれのDQNな平安貴族達が
「何あいつら・・野蛮すぎでしょ・・」っとドン引きした当時の武士達の子や孫とかが、鎌倉武士じゃけんのう。
さんぼーほさ@sanbouhosa
2016年12月29日
平安貴族が変態な一覧
・かわいい幼女を見つけると自分好みに育てようとする
・基本的にうわさを聞いただけでも恋煩いしてもじもじする
・噂だけを頼りに夜這いをかける
・割と強姦じみてるし待女にも手をかける
・宮中で男同士でやるのがブームになる
・僧侶がショタをほめてたら肉体関係あり
キール@kir_imperial
2016年3月28日
「源氏物語」っていうか、あの時代の平安貴族達って、ぶっちゃけ中国共産党の不良子弟みた
いなもんで、基本やりたい放題で、強姦陵辱近親相姦NTRなんでもありで、おまけに暴力沙汰
もしょっちゅうで、優雅で雅なようで、その実、血とエロスとバイオレンス溢れる世界だったからね。

337:名無しさん@1周年
19/03/14 01:01:52.77 rKKmXJe00.net
>>770 >>771 >>772 >>773 >>774 >>775 >>776
URLリンク(ja.wikipedia.org)藤原惟通
惟通が没した後も、彼の母(式部の継母にあたる)と妻子は帰京せずに常陸国にとどまった。これは常陸に惟通とその一族が
所有する荘園があったことを意味している。惟通が没した年の寛仁4年(1020年)閏12月26日、惟通の未亡人が平為幹に強姦
されるという事件が起こった。惟通の母の訴えにより、為幹は逮捕されて身柄を拘束されたが、翌年には赦免されている。
つじどり【辻捕り・辻取り】
路上で好きな婦人を捕らえ、妻にしたこと。中世、略奪婚の一種として実際に行われたらしい。
「 −とは、男もつれず、輿車にも乗らぬ女房の、みめよき、わが目にかかるを取る事/御伽草子・物臭太郎」
nightflighttw@nightflighttw
2016年1月2日
奇習! 封印された平安貴族たちの蛮行 ― “恍惚”の赤ん坊レイプ
脱税レイヤー風呂屋さん@557dg4
2018年2月14日
光源氏がヤリチンなのに、何故人格者扱いされてるか?というと、平安時代の女は男を待つしかない存在であり…
云々以前に、小右記によると平安貴族はレイプが趣味であり、適当な平民を襲ったり、宮中強姦の為に部下を貸し
借りするとかザラだったらしく、そりゃヤリ捨てで済ませる男は聖人だよねっていう
猫太@nekotabarusu
2016年1月24日
平安貴族とかレイプ当たり前みたいな世の中だったらしいからな
ドント@dontbetrue
2013年11月21日
レイプ犯平安貴族「いと犯し」
clavi@clavi_tw
2014年5月27日
@hinata_honjo 王朝貴族文化の華やかさの陰で、貴族は殴り合いの喧嘩をし、強姦し、通りには糞便と死体が溢れていたのが平安時代
の姿のようです。臭かったでしょうねえ。

338:名無しさん@1周年
19/03/14 01:02:02.98 rKKmXJe00.net
>>780 >>781 >>782 >>783 >>784 >>785 >>7


339:86 水無月尽@minaduki__jin 2012年12月22日 平安貴族の場合も、女側の親が許していないのに、あるいは決まった夫の正妻になっているのに、 勝手に男に侵入された、という話はたくさんある。女側に親がいなかったり、侵入・強姦した男が権力者だったりしたら、 女は泣き寝入り。侵入を受けたり噂が立てば女は「傷もの」。決して「おおらか」ではない



340:名無しさん@1周年
19/03/14 01:02:13.09 rKKmXJe00.net
>>790 >>791 >>792 >>793 >>794 >>795 >>796
中国をお手本とした結果、「女三界に家無し」なんていう蛮族の因習が作られた
「女三界に家無し」
《「三界」は仏語で、欲界・色界・無色界、すなわち全世界のこと》女は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がない。
【日中】安倍首相「漢字や仏教、社会制度、都市づくりは 中国から日本に伝わった」「中国は長く日本のお手本」北京のフォーラムで★2
スレリンク(newsplus板)
「三従四徳」
昔の中国の女性への教え。
「三従」は従うべき三つのことで、幼い時は父親に従い、嫁いだ後には夫に従い、年老いたら子どもに従うべきであるということ。
「四徳」はいつもの生活で心がけるべき四つのことで、女性としての節操を守ることをいう婦徳、言葉遣いをいう婦言、身だしなみをいう婦容、家事をいう婦功のこと。


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