【観光】日本人は地域の“ダークサイド”に無関心すぎる 「悲しみの土地」巡る“ダークツーリズム”が人気 at NEWSPLUS
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1:樽悶 ★
18/08/14 23:28:34.83 CAP_USER9.net
※総踊りスレ
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人類の悲劇を巡る「ダークツーリズム」が世界的に人気です。悲しみの土地をあえて気軽に観光することで見えてくるものは何なのでしょうか?  日本ではまだなじみが薄いこの旅のポイントを観光学者の井出明氏の新著『ダークツーリズム 悲しみの記憶を巡る旅』から抜粋して考えます。
■ダークサイドを観る意義
 「闇があるから光がある」
 この言葉は、プロレタリア作家・小林多喜二が、愛する田口タキに送った恋文の一節である。小樽で育ち、地元の名門校を出て銀行に就職した多喜二は、親に売られ、小料理屋で私娼として生きる彼女と運命的な恋に落ちる。エリートである多喜二の求愛に彼女は気後れするが、手紙では「つらい経験をしたからこそ、これから幸せの道を探していこう」という流れの話が続く。
 人生でダークサイドをまったく持たない人間はまずいないであろうし、そのつらく厳しい過去は人としての魅力を培う。地域にも、光の部分があれば、必ず悲しみをたたえた影の記憶もある。悲しみの記憶を巡る旅人たちは、その地に赴き、亡くなった人たちの思いや、場の記憶を受け継ぐ。そしてそれを持ち帰り、また誰かに伝えていく。
 ダークツーリズムとは、戦争や災害をはじめとする人類の悲しみの記憶を巡る旅である。私は、以前から、戦争や災害の跡はもちろん、人身売買や社会差別、そして強制労働などに関連する場を訪れてきた。
 なぜそのような場所に興味を感じたのかはよくわからなかったが、訪れるたびに、「忘れないでおこう」という気持ちだけは強く持つようになっていった。非業の死を遂げた人々の無念の思いを受けとめ、大学という場で若い人たちに伝えていくだけでも、「何らかの価値」はあるのではないかと思っていた。大学という世界で働いて17年になるが、長いことこの「何らかの価値」の正体がわからずにいた。もう少し掘り下げて考えてみよう。
■「忘れられる」という2度目の死
 防災の世界では、しばしば「人は2度死ぬ」というフレーズが語られる。肉体的死が1度目の死であるのに対し、その人を知る人がいなくなってしまうことを2度目の死と呼ぶ。「2度目の死」は多重的な意味を持つ。畑中章宏『災害と妖怪 柳田国男と歩く日本の天変地異』(亜紀書房)では、洪水の多い地域に「蛇崩(じゃくずれ)」や「蛇谷(じゃだに)」という地名が多いことを指摘している。私も日本各地の自然災害の跡を訪ねたが、そこにはひっそりとお地蔵さんが置かれていることも多い。開発の流れの中でこうした地域の地名が変更され、お地蔵さんが除かれてしまったらどうなってしまうだろうか。
 それは、この地で生き、この地で死を迎えた人の記憶を地域が失ってしまうことを意味する。つまり、「2度目の死」が起きてしまっているのである。そうなるとここに住む人々は、以前よりも災害を恐れなくなってしまうだろうし、何より備えを怠ることになりかねない。その結果、久方ぶりに豪雨があると、現住する人々は予想もしなかった新たな死を迎えることになる。
 悲しみの記憶を失うことは、生死の問題以外にもさまざまな弊害を生む。拙著でもハンセン病にまつわるダークツーリズムを詳しく取り上げているが、私たちは何ら科学的根拠もなく「ハンセン病」という病歴を持った人々を差別してきた。この問題についても、自分たち自身への問いかけが欠けていたと考えることもできる。
 勉強や学びなどという言葉を大上段に振りかざさなくとも、悲しみの場に赴き、そこで過ごすのであれば、心に何かがしみ始める。悲劇の記憶を辿ることはつらく苦しいことかもしれないが、こうした経験を重ねるうちに、自分の命が驚くほど多くの偶然によって支えられ、何者かに生かされているという感慨を持つようになる。福島第一原発の事故の後、北関東のホテルで福島ナンバーの車を拒むなどのいわれなき差別が続発した。放射能に対する科学的無知が、被災者を拒絶するという、あってはならない状況を生み出してしまった。私たちが、社会としてハンセン病に関する悲しみを承継できていれば、このような事態は避けられたのかもしれない。
(続きはソース)
8/13(月) 8:00配信
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)


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