【第二次大戦】米国に ..
[2ch|▼Menu]
29:名無しさん@1周年
18/08/10 18:08:11.71 r6APqods0.net
1971年にイギリスの戦時中の文書が30年ルールにより一括公開されるまで
歴史家の目に触れる事はなかったのである。
同報告書が世に初めて紹介されたのは1972年7月15日の『デイリー・テレグラフ』であり、
「対日戦争は必然であったのか」とする論文をイギリスの外交史家ドナルド・キャメロン・ワット(Donald Cameron Watt)が
同紙に寄稿し掲載した事によるものである。
同論文は太平洋戦争は回避が可能であったとするクレイギーの見解に与するワット教授自身の立場を明らかにした上で、
「チャーチルはアメリカを戦争に引き入れるべく、極東で戦争を意図的に引き起こそうとしたのではなかったのかとの疑念を提起し、
イギリスが戦争によってアジアで支払った高価な代償は、チャーチルの政策を誤りを立証するものである」と、
暗にチェンバレンの宥和政策を肯定し、チャーチルを批判したのである(27)


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

2103日前に更新/321 KB
担当:undef