【特報】米ウォルマー ..
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523:名無しさん@1周年
18/07/12 12:16:08.42 KrSf25w/0.net
中山に戻ってオータムハンデは4着、特ハンは2着だったが、セイユウの真骨頂は続くセントライト記念で発揮された。
菊花賞を目指す東の一線級が顔を揃える中、セイユウはトップ重量の59sを課せられ、しかも重量が響く不良馬場だったが、3コーナーから進出を開始すると直線でも鋭い伸び。
ラプソデーに1馬身半差、3着以下には7馬身以上の差をつける快勝だった。
アラブがサラブレッドの重賞を勝つのはこれが史上初めてで、また最後のことだった。(七夕賞と福島記念は当時はオープン特別だった)
ラプソデーはこの後に菊花賞を制しており、セイユウが事実上、この年の3歳No.1であることを示すものだった。
ファン投票で選ばれた有馬記念は回避し、読売カップ(秋)を勝って3歳時を終えた。
明けて4歳もサラブレッドへの挑戦を継続。
勝ったのは特ハンの1勝のみだったが、目黒記念(春)5着、オータムハンデ2着など、重賞で入着を繰り返した。
そして引退レースに選んだのが天皇賞(秋)。
このレースは7着だったが、セイユウはレース中に種子骨を骨折したため、他馬の邪魔にならないように終始外を回っており、
騎乗した渡辺正人騎手は「まともなら勝っていたでしょう」とコメントしている。 
種牡馬となったセイユウは馬産地でも人気を集め、当時の軽種馬の年間種付け頭数の世界記録を塗り替えた。
だが、あまりの種付け頭数の多さから「人工授精をしているのではないか」という疑惑がかけられ、軽種馬協会の担当者のみならず、
農林省の役人までもがセイユウの種付けを監視しに来る事態になった。
しかしセイユウはこれらの人々が見守る中で、連日3〜4頭の牝馬との交配を楽々とこなし、あらぬ疑惑を晴らしてみせた。


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